第七十八話「新契約と対価。」
〈異世界四十二日目〉
朝からホワイト・ドラゴンで移動し、お昼頃に地上へ降りる。
レグルーザはごはんを食べながら、ドラゴンの飛行速度が不自然なほど速くなってきている、と話した。
「速く進めるなら良いことだと思うけど。でも、なんで急に速くなったんだろうね?」
「正確にはわからんが、ホワイト・ドラゴンは風の属性だ。風の大精霊がいる聖域に近いために、影響を受けているのかもしれん。」
「風の大精霊かー。そういえば、レグルーザに貸してもらってる[白の護符]。あれの[風の精霊石]のなかで、風の精霊が寝てたよね。」
ふと思い出し、服の下からネックレスを取り出してみると、複雑な細工のなかにはめ込まれた[風の精霊石]がいつもより強く輝いていた。
はっきりとはわからないが、レグルーザの言う通り、風の大精霊の影響がここまできているのかもしれない。
食事を終えると地図をひろげ、現在地を確認。
【風の谷】にだいぶ近づいていて、明日にも着きそうだと言われたので、そろそろ話そう、と決めて声をかけた。
「レグルーザ。ちょっと長い話があるんだけど、いい?」
「今から、ここでか?」
街道から離れた草原を流れる小川のほとりで、まだ移動できる昼にわざわざ話をするのか、という疑問に「うん」とうなずく。
他の人に聞かれたくない話だから、街道から離れて周囲を見渡せる現在地は絶好の場所だし、長い話になると思うから、時間に余裕がある方がいい。
「【風の谷】に着く前に、何をしに行こうとしているのかも含めて話しておきたいと思って。」
「なるほど。やはり、様子を見るだけで済ませるつもりはなかったようだな。」
あたしの言葉は予想の範囲内だったらしく、レグルーザはむしろ納得した様子で「聞かせてもらおう」と応じる。
地図を片づけてお茶をいれ、腰を落ち着けると、あたしはぽつぽつと話をはじめた。
「前に、あたしは天音が召喚されるのに巻き込まれてこっちに来ただけだって言ったけど、あれ、間違いみたい。
本当は、こっちの世界と縁があるのは、あたしの方だった。」
全部話すか一部だけにするか直前まで迷ったけど、どうせ話すなら丸ごとにしよう、と決めてしまうと、さほど緊張せず語ることができた。
レグルーザは神話や『夜狩り』騒動についてあまり知らないようだったので、それについても知っていることを一緒に話した。
もちろん、あたしが知っていることが必ず正しい、なんていう確証はない。
だからそのへんは自分で判断してね、と言うのに、レグルーザは無言でうなずき、聞き役に徹した。
そうして話は夕方になるまで続いたけど、日が沈む前になんとか終了。
(途中、何度か魔物が襲ってきたりもしたけど、近くにいたホワイト・ドラゴンがしっぽでべしっと吹っ飛ばして撃退してくれた。)
すべてを聞き終えたレグルーザは深いため息をついてから、しばらくの沈黙の後に言った。
「リオ。お前がウソをついているとは思わんが、その話をすべて、今すぐに理解して信じられるほど俺は若くないし、純粋でもない。」
「うん。それが当たり前だと思う。とりあえず、ウソだろう、って言わないでくれてありがとう。」
元の世界なら速攻で病院送りにされるか、「コイツ頭大丈夫か?」という目で見られるだろう、現実離れした話だ。
わりと真剣に感謝すると、レグルーザは「いや」と首を横に振った。
「俺は一度、お前が黒い炎を自在に操るところを見ている。それに、お前がこんなウソをついて得をするとも思えん。
だからウソではないだろうと判断した、それだけだ。
しかし、それにしても・・・・・・」
レグルーザは低い声でうなるように言った。
「お前が、身の内に神を宿している?」
そして、ものすごく珍妙なものを見るような目でじいっと観察される。
あたしはなんとも落ち着かない気分になりつつ、言った。
「言葉だけで信じにくいなら、“闇”の世界にご招待しようか?
サーレルに「“闇”の力はあまり使うな」って言われてるから使ってないけど、やろうと思えば今この場を“闇”に閉ざすこともできるし、レグルーザを“闇”に沈めることもできるよ。
呪文無しで、指一本動かさずに。」
なんだか脅し文句みたいになった言葉に、レグルーザは興味を引かれたようで、「やってみてくれ」と応じた。
あたしはまず自分とレグルーザをおおうように姿隠しの魔法をかけてから、「やるよー」と声をかけ、その内側を“闇”で満たした。
一瞬にしてひとすじの光もない暗黒に飲み込まれたレグルーザは、かすかに体を緊張させ、注意深く周囲の様子を探ってから、あたしを呼んだ。
「リオ? そこにいるのか?」
「ここにいるよ。」
「お前には俺の姿が見えているのか?」
「ばっちり見えてる。同調した“闇”のなかはあたしの領域だから、レグルーザがしっぽゆらゆら揺らしてるのもわかるよ。」
レグルーザはしっぽの動きをぴたりと止めると、低い声で「戻してくれ」と一言。
あたしが“闇”を消して姿隠しの魔法を解くと、不機嫌そうな、あるいは何かを考え込んでいるかのような様子で言った。
「確かに、あの場はお前の領域のようだ。俺には何も聞こえず、自分の手も見えず、お前の気配もとらえられなかった。
俺の感覚に問題があるのか、あの場の作用なのか、お前が“闇”へ完全にとけていたせいかはわからんが。」
あたしには、レグルーザがそれをどう感じたのかが、わからない。
冷静な青い眼を見あげて次の言葉を待っていると、レグルーザは「長く話していて疲れただろう、続きはまた後にしよう」と言って立ちあがり、夕食のための狩りへ出かけていった。
あたしはそのままひとり残され、「今の反応はどーゆー意味なの?」と悩む。
が、答えなど出るわけもなく、むーん、とうなっていると、珍しく日没前に起きてきたジャックに「おかあさん、さむい? さむい?」と訊かれてほっぺたすりすりされた。
なにこの可愛い生き物!
思わず状況を忘れて「ジャックー!」と三ツ首の魔獣に抱きつき、もふもふの毛並みに埋もれながらごろごろじゃれる。
そのまま夢中で遊んでいたら、いつの間にかデカい獲物をかついで帰ってきていたレグルーザに、「緊張感のない奴だな」とあきれられた。
「やはりお前が神を宿しているというのは、俺には信じがたい話だ。」
「んー。すぐに信じてくれとは言わないけど、時間の選択を間違えたのかも。
日が暮れて真っ暗になってから、もったいぶった感じで話した方が良かったかな?」
「話すのがお前なら、結果は変わらんだろう。」
・・・けっこーズバッと言うよね、レグルーザ。
奇妙な話をしたばかりなのに、不思議なほどいつもと変わらないレグルーザと夕食をとり、後片づけをしているうちに日が暮れた。
手が空いたので、今日は散歩には行かないというジャックの毛並みをブラッシングしていると、焚き火の向こうからレグルーザが言った。
「リオ。先の話の続きだが、あの話を俺に打ち明けた理由を、まだ聞いていなかったな。」
ブラッシングをしながら「うん」とうなずいた。
「とりあえず、あの話を受け入れてもらえるかどうかが先だったから。」
「すべてを信じているわけではないが、ひととおりは理解した。それで?」
「簡単に言えば、あたしがお願いしたいのは契約の更新。」
「今の契約は、お前がこの世界に慣れるよう案内しながら、元の世界へ帰る手段を探す手伝いをする、というものだったな。
何か、変更したいのか?」
「変更っていうか、追加になるんじゃないかな。
あたしが何度もキレて“闇”に喰われると、最終的には魔王が復活してその周辺一帯を荒らす可能性があるらしいから。同行してくれるなら、それに巻き込まれる危険を承知しておいてもらわないといけないわけで。」
「お前に同行するのに危険があるのは以前から理解しているが、詳しい条件がわかるのなら教えてくれ。お前がもっとも感情を揺さぶられるのは、どんな時なんだ?」
「んー? どんな時だろう?
天音がヒドい目にあわされたらキレると思うけど、他にはー・・・
女性と子どもと老人には優しくって仕込まれてるから、また【死霊の館】の時みたいなのに出くわしたらキレるかも。
もちろん“闇”に喰われたらあたしも死ぬから、キレないように努力はするけど。」
「・・・リオ。お前もいちおう、“努力”という言葉を知っていたんだな。」
「そんなしみじみと言わなくても。っていうか、まさかそこにツッコミが入るとは思わなかったんだけど、レグルーザ。」
思わずブラッシングする手を止めて顔をあげると、レグルーザはさらりと聞き流して言った。
「自分のためにも周囲のためにも、命がけで努めてくれ。
だが、感情の制御というのは、長い時間をかけて様々な経験を積むなかで自然と身につけていくものだ。そう簡単にできるようにはならんだろう。」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「第一に、一人で突っ走らないことだ。衝動や反射で動くな。まず一歩止まれ。
俺がそばにいれば、“闇”の力はどうにもできんが、何か困ったことが起きたなら話を聞いて対応を考えられるし、お前が怒りに支配される前なら一時的に気絶させることもできるだろう。
そして第二に、危険な場所には近づかないようにすることだ。女性と子どもと老人に弱いというなら、街中ではとくに注意しなければならんな。」
よどみなく告げられる注意事項に目を丸くしていると、「街に入った時は宿の部屋から出ないようにした方がいいかもしれん」と言われたので、かろうじて「やりすぎは良くないと思うよ」とだけ返しておいた。
そしていつの間にかだいぶ脱線している会話を、契約についての話に戻す。
「レグルーザ。あたしに同行するのが危険だってことを承知して、これからも一緒に来てくれるなら、契約の報酬についてもちゃんと決めておきたい。
ラルアークを守った以上のことを要求してると思うから。」
「契約の対価か・・・。その前にひとつ訊くが、俺にこんな話をしても良かったのか?」
「うーん。良いか悪いかで訊かれると、答えに困るんだけど。
これからも一緒に行ってもらうなら、何も言わずにはいられないし、レグルーザなら冷静に話を聞いた上で、ちゃんと考えて判断してくれるだろうと思ったし。」
ぐるぐる考えながら答えてから、悩むのが面倒になり、にぱっと笑って言った。
「レグルーザ、お願い。一緒に来て、これからも助言者やって?
報酬は、手持ちで足りなければ何とかして稼ぐし。あたしと一緒にいると、さっきの話のほかにも、この世界の舞台裏が見られるかもしれないよ。」
「なんともあやしい誘い文句だな。」
レグルーザは笑い、おもしろそうだ、とうなずいた。
「いいだろう、リオ。契約の更新に同意する。
だが報酬は金ではなく、俺に決めさせてもらえないか。」
「お金じゃない報酬? でもあたし、レグルーザが欲しいと思うような物なんて、何か持ってたっけ?」
首をかしげていると、レグルーザは「魔導書だ」と答えた。
「お前の持つ三冊の魔導書、[血まみれの魔導書]と[黒の聖典]と[琥珀の書]。
これの処分について、俺の意志に任せてもらいたい。」
「魔導書の、処分?」
「三冊とも即刻破棄してほしいところだが、『教授』に鑑定してもらった後の方がいい。俺が望むまで、誰にも譲らず、見せず、表に取り出さないでいてくれ。
・・・・・・ふむ。いちおう聞くが、リオ。禁書の破棄は可能か?」
「考えたことなかったけど、たぶん、できると思う。魔法より“闇”の力の方が強いから。」
「そうか。・・・なんというか、お前の言葉で驚くのに慣れてきた気がするな。」
「そりゃー良かった。で、新契約の報酬は、三冊の魔導書でいいの?
魔導書を処分しても、あたしの頭のなかには内容残っちゃうんだけど。」
「人の頭のなかにあるものをどうにかできるとは思っていない。禁呪の記された魔導書を三冊処分できるだけでも十分だ。
お前は魔導書を処分してもかまわないのか?」
「あたしはかまないよ。魔導書は三冊とも亜空間に放り込みっぱなしだし、なくなっても困らないし。
・・・ん? そういえば、あたしが死んだら、倉庫に使ってる亜空間ってどうなるのかな?
呪文の構成からすると、空間の発生基点になってるあたしが消えた時点で場が維持できなくなって空間ごと消滅するか、場だけ消滅して放り込んである物はぜんぶこっちの世界に出てきちゃいそうな感じなんだけど。」
魔法のことはよくわからん、という返答だったので、疑問は疑問のまま。
レグルーザが話を戻した。
「お前の望みはこの世界を案内し、帰る方法をともに探す助言者。
俺が求める対価は、三冊の魔導書。」
「いいか?」と訊かれるのに、「うん」とうなずく。
「契約成立だね。『傭兵ギルド』通して契約書作っとく?」
「いや、ギルドを通す必要はないだろう。お前が禁書の持ち主だと話すわけにもいかんからな。
それに、総長のお前たちに対する態度は、何かひっかかる・・・
今は様子見に、『傭兵ギルド』とは距離を置いておいた方がいい。」
ずいぶんと慎重な言い方に、どうしたのかと不思議に思って訊いた。
「そういえば、レグルーザはなんで総長に呼ばれたの?」
「SSの傭兵が一人亡くなったため、空いた席にランクSの誰かが上がることになる、という話だったが、おそらく総長の本題は雑談の方だ。お前がどんな人間なのか、少しでも多くのことを知りたがっているようだった。」
「え? レグルーザ、昇格するの?」
「いや、俺は上がらない。強力な候補が四人いるからな。おそらく彼らのうちの誰かだ。
それより総長から、お前に女性の護衛をつけてはどうかとも言われたぞ。」
「護衛かー。それってたぶん、あたしの動向を『傭兵ギルド』に報告する監視役をつけたい、って意味だよね?」
「さて、そこまではわからんが。俺が判断すべきことではないだろう、と答えてある。いずれ総長か誰かから、お前に直接何か言ってくるかもしれんな。」
ふうん? と首をかしげたけど、「まぁいいや」と流した。
必要なのはこの世界を案内して、助言してくれるひとで、レグルーザが引き受けてくれた今、これ以上の連れは必要ない。
何はともあれ、新契約成立。
これからもよろしくお願いしまーす。
ほっとしたところで、先の会話で気になったことを訊いた。
「そういえば、魔導書を鑑定してもらいたい『教授』って、誰?」
「ああ。まだ名を言っていなかったな。
『教授』アンセム。
サーレルオード公国にいると話した、元人間の魔法使いだ。彼は禁呪についてもよく知っている。」
人間やめてる自由人で、しかも禁呪にも詳しい『教授』かー。
「聞けば聞くほどアヤシイひとだね。」
「お前も負けず劣らずあやしいと思うが。」
うっ、とうめいて胸を押さえ、ジャックの毛並みのなかへぱったり倒れる。
「レグルーザ、ほんと、ズバッと言うよね・・・」
苦笑まじりにつぶやいて、ごろんと転がり上を向いた。
「どうしたの?」と見おろしてくるジャックに「なんでもないよ」と答えて首筋の毛並みを撫でてやり、空にまたたく無数の星を見あげる。
そうしてそのまま、しばらくレグルーザと話をしてから、毛布にくるまって眠った。
契約更新、対価についてもようやく決まりました。レグルーザにつっこまれてはジャックに癒してもらいつつ、ぼちぼち進みますー。
今年は梅雨に入るのがだいぶ早いですね。雨が降るごとに暑くなり、夏が近づいてくる。初夏にさしかかる間の、新緑とあじさいの花がきれいだなーと思いつつ、日中の暑さにへばり中です(笑)。