第七十一話「かえりたいね。」
〈異世界三十九日目〉
朝ごはんを食べて火の始末をすると、今日もドラゴンで空の旅。
なかなか天音たちが見つからないので、午前中に通りかかったちいさな村の近くへ降り、あたしだけで「勇者一行来てませんか?」と訊きに行くと、それらしき一行は見ていない、という答えばかりだった。
馬車でシエナを目指すなら必ず通る村なので、どうやらうっかり天音たちを追い越してしまったらしいと気づき、東方へ引き返す。
いつもより大地に近いところを飛ぶドラゴンの背からそれらしき一行を探し、夕暮れ頃になってようやく、野営の準備をしているところを発見。
やれやれと安堵のため息をつき、三代目勇者と『星読みの魔女』一行に合流した。
全員に「戻ったよー」と軽くあいさつしてあたしが天音の隣に落ち着くと、ドラゴンを放したレグルーザは、周辺の様子見と自分が食べるための肉を確保しに狩りへ行く(ブラッドレーがふらっと後を追っていった)。
あたしは三日間寝っぱなしだったことが伝えられていたせいで、天音から何度も「ほんとうに大丈夫? 馬車で休む?」と心配そうに訊かれたが、「もう何ともないから、一緒にごはん食べさせてー」と答えて食事の準備を手伝った。
人数が多いせいか、勇者一行と『星読みの魔女』一行にわかれて火が熾されている。
あたしは天音の様子がなんだかヘンだったので、アデレイドと話すのは後回しにして勇者一行のところへ入り、レグルーザはブラッドレーと話しながら『星読みの魔女』一行の方へ入った。
天音の従者たちは城にいた時と同じく、いつも通りに騒がしい。
王子と第一騎士が天音にかまってもらいたくていろんな話をしようとするのに、魔法使いの美少年が冷ややかなツッコミで割って入り、三人がケンカ寸前の言い合いをするのを人の良さそうな青年神官が苦笑しながらなだめる、というのが通常パターンだ。
(三人の言い合いが青年神官の手におえなくなると、従者のなかで一番年長のヴィンセントがびしっと抑える。)
目の前で行われているのが自分の取り合いだと、相変わらずひとかけらも気づいていない天音は、競って話しかけてくる王子と第一騎士と魔法使いの言葉に、笑顔で答えを返していた。
ちなみに少年メイドはそんな騒ぎなどまったくかまわず、てきぱきと準備を整えると、天音がきちんと必要なだけ食事をとるよう目を光らせて給仕係に徹し。
自分のぶんを一瞬でたいらげた黄金のネコは、天音にすりよって「アマネ、ひとくち、あーんして?」とねだり、周りからものすごい目で睨まれていた。
(「それ以上は食べ過ぎですよ」と少年メイドが言ったおかげで、天音はネコに「あーん」してやろうとした手を止めた。)
あたしはしばらく天音のそばにいたけど、準備ができて食事をとる時になると、ふらっとヴィンセントの隣に座った。
さわがしい年少組とちょっと距離をおいていたヴィンセントは、「体の具合はいいのか?」とひとしきり話をしてから、「だいじょうぶだよー」と答えたあたしに目線で天音を指し、「気づいたか?」と訊ねる。
いちおう義姉としての経験は十年あるから、うん、とうなずいて答えた。
「なんか天音、元気ないね。いつ頃から?」
「リオが出かけた後、『星読みの魔女』どのの話を聞いてから考えこむことが多くなっていたのだが。おそらく二日前、魔物を斬ったことも影響しているのではないかと思う。」
「魔物に襲われたの?」
「ああ。馬車の中にいるよう言ったのだが、皆を戦わせて自分一人が隠れていることなどできないと、飛び出してきてしまってな。」
さほど強い魔物でもなかったが、数が多かったために馬車から出てきた天音も襲われ、結果的にそれが三代目勇者の初戦闘となったらしい。
戦う術を教えこまれてきた天音は落ち着いて応戦し、剣の一撃でみごとに魔物を倒したらしいけど、問題はその後。
皆の前では「わたしは大丈夫よ」と、いつも通りの元気な顔をしてみせてるけど、今まで平和に暮らしてきた心優しい娘が、魔物化しているとはいえ生き物を殺すことになんの感情も覚えないはずがない。
けれど天音はまったく弱音をはかず、そんなことよりもこの国や世界について教えてほしいと、従者たちやアデレイドと話をすることに集中しているのだという。
その凛とした姿に、王子を筆頭とする天音の取り巻きたちは「さすがは勇者さま!」とますます惚れこんだらしいけど、ヴィンセントは申し訳なさそうな顔であたしに謝った。
「すまないな、リオ。守ると約束しておきながらアマネさまを早々に戦いの場へ出してしまったばかりか、わたしたちは誰も、彼女が心を開く存在になれていない。」
この世界にいるかぎり、戦うこととまったく無関係ではいられないだろう。
常に誰かに守られている状況に甘んじる天音ではないから、こうして気にしてくれる人のそばで経験を積むのは、将来的なプラスになるはず。
天音が襲われた、という言葉に対する予想以上のショックを表に出さないよう抑え、自分にそう言い聞かせてから答えた。
「いやいや、ヴィンセントは約束守ってくれてるよ。ちゃんとそうやって気をつけててくれてるだけで、じゅーぶんありがたいから。
そもそも天音は精神力強いうえに、おかーさんからたっぷり鍛えられててね。家族以外にはめったに弱ってるトコ見せないの。」
だからこっちは、義理とはいえ姉であるあたしの役目だ。
後で話してみるよ、とうなずいて、最近の天音はイグゼクス王国の仕組みについてとくに詳しく知りたがっている、というのを聞いた。
食事の後、火を囲んでしばらく雑談してから就寝。
あたしは天音と一緒に馬車で眠るといい、と言われたので馬車に入ったのだが、当たり前のような顔で金色のネコが天音の足元にいたので。
天音の視線がそれるのを待ってひょいとつまみ上げ、ぺいっと外へ放り出して馬車のドアを閉めた。
彼が馬車のなかへ戻らないよう、ドアの前で仁王立ちして見おろす。
「なにすんのさ!」
つまみ出された金色のネコは、不満げに「ボクはアマネといっしょにねるの!」と主張。
あたしとしては今夜の目的の邪魔になるので、彼には別の場所で寝てもらいたい。
「馬車で寝るのは女の子だけだよ。・・・ラクシャス、女の子になりたいの?」
ひんやりとした笑みを浮かべて、常より低い声で言う。
「どうしてもって言うのなら、女の子にしてあげるけど。」
身の危険を本能で察知したらしく、ラクシャスはゾワッと全身の毛並みを逆立てた。
そしてそのまま硬直してしまったので、あたしの方から「どうする?」と一歩踏み出した、とたん。
声にならない声でミギャー! と叫んで逃走。
近くにあった木の上へ、必死の形相でよじのぼった。
その逃げっぷりの良さに、ちょっとやり過ぎたかなー? と思いながらどうしたものかと考えていると、数歩離れたところで一部始終を見ていたオルガから丁寧にお礼を言われた。
「ありがとうございます、リオさま。」
へ? と意味がわからず首をかしげると。
いつも天音と一緒に寝るラクシャスのことがみんな気に入らなかったんだけど、天音が許しちゃってるうえに『光の女神』を思わせる“尊き黄金”の毛並みの持ち主なので、なかなか誰も言い出せず。
毎晩イライラしてたところへ、あたしが問答無用でぺいっと放り出し、すぐには戻ってこられないくらいおどかしたので、「よくやった!」という感じだと教えてくれた。
「良い機会をいただけましたので、今後はアマネさまとは別の場所で休むよう、きっちり躾てまいります。」
と、可憐な笑みを浮かべてどことなく楽しそうに言うメイドくん。
この子はS属性なんだな、と心のなかでつぶやきながら表には出さず、「そこそこがんばってねー」とラクシャスを追うオルガの背にひらひら手を振って見送った。
さて。
お邪魔が消えたところで、めったにない姉としての仕事をしに行くか。
馬車に入ると「何か声が聞こえたけど、ラクシャスはどうしたの?」と心配顔の天音に訊かれたので、「オルガが面倒みてくれるって言ったから、任せとこう」と答えて、「それより初戦闘があったって?」と話題を変えた。
天音はそのことについては話したくない様子で、「皆が助けてくれたから大丈夫だよ」と一言答え、それよりもアデレイドからイグゼクス王国はあたし達を元の世界へ帰す方法を知らないと聞いた、と話した。
「アデレイドさんから、近いうちにイグゼクス王国がそのことについて話すための使者を送ってくるだろうと言われたから、最近は皆からこの国のことについて聞いてるの。」
「なるほど。で、ウソついたイグゼクス王国の連中に何を求めるかは、決まった?」
「そんなにすぐには決められないよ。それに、そういうのは使者がわたし達に何を求めるのかによっても、違ってくると思うし。」
「そんなコト言ってたらまた相手のいいように流されるよ。天音はイグゼクス王国にどうしてほしいの?」
うーん、と考えこんだ天音は、しばらくしてから「まだわからない」と答えて訊いた。
「お姉ちゃんなら何を求めるの?」
何を「求める」?
彼らから見て“いらないおまけ”なあたしの意見が訊かれるとは思わないし、あたしの方でも何かを「求める」気はないけど。
そもそも望みを持つほど彼らに期待もしてないし。
ただ、いつか。
「イグゼクス王国」という国名から「王」の字が消えればいい、と。
思うその言葉を、口に出すことはしなかった。
イグゼクス王国の上層部に対する強い怒りはあるけど、それをどう決着させたいのか考えが定まっていない今、やみくもに天音に言ってよけいな心配をさせるのは避けたい。
だから、その代わりに。
「あたしもよくわかんないなー。」
同じだね、とへらり笑ってみせると、天音の肩から力が抜けた。
その様子を見ながら、のんびりした口調で言う。
「ねぇ、天音。帰る方法、探しちゃいるけどすぐには見つかりそうにないからさ、味方作っていこうね。」
「味方を、つくる?」
「とりあえずヴィンセントが心配してたよ。魔物斬った後、天音は元気がないけど、自分達には何も言ってくれないから。心を開ける相手がいなくて、泣きたいのに我慢するしかない状態なんじゃないかって。」
「そんな心配させちゃってた? ヴィンセントは、わたしに直接そういうこと言ってくれないから。迷惑かけないよう、気をつけてたつもりなんだけど・・・」
「天音がずっとそんなふうに警戒してたら、本当の味方になってくれるはずの人だって、いつまでたってもただの「従者」止まりだよ。
ちょっとくらいグチったって、誰も迷惑だなんて感じないだろうし、むしろ打ち解けやすくなると思うけど?」
困り顔になった天音は、しばらく黙りこんでから、ぽつりとこぼした。
「お姉ちゃんもお母さんから言われたことあるでしょ?
家へ帰るまでは本気で泣いちゃだめよ、って。」
わたしはそんなに強くないから、弱音をはいたらそのまま本気で泣いちゃいそうでこわい、と天音は真剣な様子で言った。
いや、うん。あたしもおかーさんに言われたことあるけど。
そりゃ誘拐された時の心得だよ。
・・・うん?
現在進行形で誘拐されてるようなもんだから、あってるのか?
いや、まあ、今はそれはおいといて。
天音がその言葉を守りたいなら妥協案を出そう、っていうか、おかーさんの教えは姉妹そろって頭じゃなく体にしみついてるから、そのへんを何とかしないとマジメな天音は精神的にギリギリになるまで泣くどころか、グチることもできそうにない。
もちょっと時間が経って、誰かとある程度の信頼関係が築ければ、また違ってくるかもしれないけど。
とりあえず今は、妥協案で。
あたしは毛布を頭からかぶり、両手ではしを持って、飛行中のムササビのごとくバサリとそれを広げた。
「お姉ちゃん? 何してるの?」
きょとんとして訊く天音に、「臨時に建てた家だと思って」と答える。
「瓦と畳がないのはかんべんしといてね。じゃ、そういうことで。」
ほら、帰っておいで。
天音はちょっとの間ぽかんとしてたけど、「家・・・? 臨時に毛布で家を建てるって」と言いながら、くすくす笑いはじめた。
そして毛布のはしを掴んだ手をぱたぱたさせて「ほれ、おいでー」と言うあたしの姿に、しばらくころころと笑いころげてから。
突然ふにゃりと顔をゆがめて、ばふっとあたしの腕のなかへ飛びこんできた。
「・・・帰りたい。家へ、かえりたいよ、おねえちゃん・・・!」
ほっそりとした体を受けとめて、ふるえる背を抱きながらよしよしと頭をなでる。
今まで我慢していた分なのか、一度泣きはじめるとあふれる涙はなかなか止まらず、見ているあたしも泣けてきた。
涙って、なんか、伝染するんだよ。
「うん。帰りたいね、天音。
おとーさんとおかーさんのところに、かえりたいね・・・」
天音は「うん」とうなずいて、ぽろぽろと静かに涙を流す。
昔はわんわん声をあげて泣いてたのに、いつの間にこんな泣き方をするようになったんだろう、と思いながら。
あたしも一緒に泣いた。
義妹の涙にもらい泣き。すぐには帰れないので、今はとあえずお互いがお互いの家です。