第五十二話「真夜中の散歩。」
〈異世界二十九日目〉
夜明け前、ウォン!と地響きのような声で三重奏をするジャックに起こされた。
ソファの上でぼーっとしたまま家の中の空間を掌握し、誰もいないのを確認して「くあー」とあくびする。
寝ぼけたまま「どーしたのー?」と“闇”に意識を向けると、ちょこんとお座りをしたジャックがしっぽを振りながら、「おさんぽ」というイメージを送ってくるのに気づいて、びっくりした。
なに? 契約を交わした影響?
ぼんやりとしたイメージだけど、ジャックとあたしの間で、離れていてもやりとりできるようになったらしい(テレパシーもどき?)。
[琥珀の書]にはそんなの書いてなかったけど、著者がどうにも壊れてる感じだったからなー。
ちょっとくらい説明不足があっても、何の不思議もないか。
とりあえず何度かイメージのやりとりをして、「おさんぽ」というのは「地上を走りたい」という希望だと理解した。
それなら人に見つかる危険の少ない、夜の間に行っとこう。
「〈空間転移〉」
毛布をかぶったまま、ローザンドーラの森の中を流れる川のほとり、イールの封印を解いたあたりに出る。
“闇”と意識をつなげて周囲の空間をひろく掌握し、近くに人がいないのを確認して、ジャックに「おいで」と声をかけた。
地上に飛び出してきた三頭犬を姿隠しの魔法で透明にして、「行ってらっしゃーい」と送り出す。
体の大きいジャックが走ると風のように速かったが、どれだけ遠く離れても契約のおかげで位置を見失うことはないので、安心していられる。
“闇”に属するジャックは真夜中でも視界に困ることなく、川沿いに上流へ向かって走っていった。
あたしは毛布にくるまって手近な石に座り、声には出さずに「体を小さくすれば、森の中も走れるんじゃないの?」と聞いてみた。
ジャックからは「ぎゅうぎゅう、いやー」というイメージが返ってくる。
小さくなるのはできるけど、窮屈だからイヤ、ということらしい。
うーん。慣れれば平気になるかなー?
ジャックはそのまましばらく走っていたが、突然くるりと体の向きを反転させて、すごいスピードで戻ってきた。
立ち上がって迎え、姿隠しの魔法を解きながら「おとうさん」というイメージがくるのに首を傾げる。
君のお父さん? って、誰?
真ん中の子が鼻先を近づけてくるのでよしよしと撫でてやると、触れた瞬間にテレパシーがきた。
「リオ、何かあったのか?」
イール。
王都ではないところでジャックが走り回っているのを察知して、何か起きたのかと様子を訊いてきたようだ。
ジャックのお散歩に来てるだけだよと答え、首を傾げて聞き返した。
「なんでジャックのお父さんがイール?」
「ジャックはお前の“闇”と、わたしの火から生まれたものだ。わたしが父と言っても、おかしくはあるまい。」
・・・おかしくはない、の?
イールはジャックからお父さんと思われて嬉しいみたいだけど、知らない間にお母さんになっていたらしいあたしは微妙な気分だ。
まさか、十七歳でお母さんになるとは思わなかったなー。・・・というか、お腹を痛めたわけじゃないから、実感が無い。
契約を交わした今は、親子というより相棒みたいな立場だし。
と。それは置いといて。
「イール、妹さんはだいじょうぶなの?」
訊ねると、今はすこし時間があるし、話しておかなければならないことがあったからちょうどいい、と言われた。
あたしはジャックに横座りしてもらい、お腹のところにもたれてふさふさした毛並みに埋もれる。
それから自分とジャックに姿隠しの魔法をかけて、ぬくぬくしながら話を聞いた。
イールは妹の危機になんとか間に合い、過激なヴァンローレン支持者に狙われたのを返り討ちにして、兄妹は無事に再会することができた。
一方、第二皇子ヴァンローレンはイールの身柄を捕らえた後、なぜか『黒の塔』の魔法使いとの間にトラブルを起こしたそうで、今は行方不明になっている(トップがいなくなったヴァンローレン支持者は混乱して暴走気味)。
しかし。
ヴァングレイ帝国で、皇帝の次に権力を持つ元老院は、「第七皇子の誘拐」や「第二皇子の行方不明」よりも、その裏で起きた「第三皇女の誘拐」を優先して動いていた。
ちなみに「皇帝は?」と訊いたら、二年前から休眠期で、今もぐっすりお休み中。
二百歳を過ぎた竜人には定期的に必要なことだそうで、どれくらいの間隔で休眠期になるか、何年眠るのかは個人差があるらしいが、現皇帝の場合、おそらくあと三年は起きないという。
つまり現在、ヴァングレイ帝国を統治しているのは、元老院。
その元老院が、なぜ帝位継承権を持つ皇子たちの行方不明よりも、第三皇女の誘拐事件を優先しているのか?
訊ねても元老院は理由を明かさず、離宮で生まれ育った第三皇女は、病弱だというのを理由に表に出てきたことが一度も無いそうで、ほとんど情報がない。
しかし、元老院がそこまで重視して動く以上、ただ病弱なだけの皇女とは考えられない。
それにイールの妹が収集した情報によると、第三皇女の誘拐には、ヴァンローレンとつながりのある『黒の塔』の魔法使いが関わっているという。
「わたしを捕らえたのは『茨姫』ロザリーとその弟子。
第三皇女の誘拐には『人形師』サヴェッジが動いたようだ。」
『茨姫』と『人形師』は、『黒の塔』の最高幹部四人のうちの二人。
この二人がもし連携していた場合、それは『黒の塔』の総帥の命令による行動である可能性が高く、他の二人が動いていることも考えられる。
が、彼らの情報はあまり得られていない。
「今のところ最も情報が多いのは『茨姫』だ。
わたしをさらった弟子を追ってローザンドーラの『傭兵ギルド』に現れ、弟子を連れて消えた。」
その言葉を聞いた瞬間、全身から血の気が引いた。
『茨姫』はイールを追って、弟子を捕らえた傭兵を追う可能性が高い。
つまり、あたしが突っ走ったせいで、レグルーザが危ないのだ。
しまった。そこまで考えてなかった・・・!
「その弟子は、【死霊の館】の瓦礫のなかで殺されているのが見つかった。
『傭兵ギルド』は『茨姫』がまだイグゼクス王国にいる可能性が高いとして、『魔法協会』と連携して行方を追っている。
それと同時に『茨姫』の弟子を捕らえた傭兵、『神槍』の行方がわからず、探しているらしい。」
『傭兵ギルド』はまだレグルーザを見つけてない。
手足が凍りついたように動けないあたしに、イールが訊ねた。
「リオ。お前の連れは『神槍』だったのか?」
「・・・・・・うん。」
いろいろ迷惑をかけたあげくに、逃げてしまった。
彼が“闇”を操るあたしをどう見るのか、知ることが怖くて。
あたしはレグルーザと【死霊の館】へ行くまでのことを、簡単に説明した。
ただの幽霊退治のはずが、まさかここまで大事になって、レグルーザを巻き込んでいるとは。
話しながら思わず深いため息がこぼれたが、のんきに後悔してる場合じゃない。
『茨姫』より先に、なんとかしてレグルーザを見つけなければ。
でも、天音の旅立ちまであと三日しかないし、どう動けばいいんだろう?
気ばかり焦るあたしを、イールは穏やかな口調で「落ち着け」となだめた。
「『神槍』の噂はわたしも知っている。獣人の少ないイグゼクス王国で、人の姿にならない彼は目立つはずだ。
それがいまだ見つかっていないということは、意図的に身を隠しているのだろう。
彼を見つけたければ、アデレイドに占ってもらうのがいいと思うが。」
アデレイドもバルドーもまだ帰ってきていないと伝えると、「そうか」と答えたきり、何か考え込むようにイールの言葉が途切れた。
レグルーザは意図的に身を隠している。
なぜ?
真夜中の静けさのなかで、あたしの考えは最悪の方向へ転がる。
人知れず、“闇”に属するものを始末するために?
まぶたを閉じたあたしの体に、ジャックが低くうなる振動と、警戒のイメージが伝わってくる。
ああ。動揺させてごめんね。
だいじょーぶだよ。
ジャックの毛並みを撫でながら、思考を落ち着けようと深呼吸した。
「リオ。お前の会った『神槍』は、それほど短絡的な質だったのか?」
テレパシーで伝えたつもりはなかったけど、ジャックと同じように、イールもあたしの考えを読みとってしまったらしい。
淡々と訊かれて「そんなことない」と答えると、「そうだろう」と最初からわかっていたかのように言われた。
どういうこと?
「わたしは『神槍』と呼ばれる男と、直接会ったことはない。
だが、『神槍』が師事した男に挑んだことがある。」
「レグルーザの、師匠?」
「ああ。もうだいぶ前になるが。彼がわたしの領地を訪れていたところに偶然、出くわしてな。
『傭兵ギルド』の最高ランク、SSの傭兵にしてはずいぶんと穏やかに笑う、物静かな男だった。
まだ若かったわたしは外見から彼をあなどり、軽く手合わせするつもりで戦いを挑んだ。」
何してんの、皇子。
「それで、どうなったの?」
「上手く遊ばれて激怒したあげく、力ずくで押しつぶそうとして見事に返り討ちにされた。」
おおー。SSって強いのねー。
イールは納得できる負け方をしたのか、相手を気に入っていたらしい。
十数年前に亡くなってしまったというその人のことを話すテレパシーは、好意的であたたかくて、どこか寂しそうだった。
「彼の二つ名は、『水月』。
獣人の母と人間の父の間に生まれ、成長すると獣人としての力を失った、珍しい男だ。
しかし、失われた力に固執することはなく、己の持つ力をみがくことで、『傭兵ギルド』が世界で三人にしか与えないSSにふさわしい傭兵として認められた。
あの男に育てられたのなら、人間に生まれた『神槍』とはいえ、お前が“闇”の属であるというだけで敵対するほど短絡的な考え方をするとは思えん。」
・・・・・・人間に生まれた『神槍』?
彼は、獣人じゃない、の?
レグルーザのその素性はわりと有名だそうで、「わたしの口から言うべきではないかもしれんが、知っておいた方が良いだろう」と、イールは簡単に説明してくれた。
人間と獣人の間に子どもができた場合、子どもの種族は母親と同じものになる。
それは何世代繰り返しても変わらず、人間の母親には人間の子どもが生まれ、獣人の母親には獣人の子どもが生まれるのが普通。
しかし何事にも例外があるもので、レグルーザは人間同士の夫婦の間に人間として生まれたが、成長するとトラの獣人の力を発現させた(祖先にトラの獣人がいて、隔世遺伝したらしい?)。
そして、獣人に生まれながらその力を失った傭兵『水月』の弟子となり、成長すると自分も傭兵になる。
彼は特異な生まれだったせいか普通の獣人より力が強く、最高位の傭兵に鍛えられた腕も確か。
その力で『傭兵ギルド』のいろんな仕事をこなすうち、獣人の傭兵として認められ、ひろく名が知られるようになった。
しかし今も、トラの獣人の里に入ることは許されていない。
聞きながら、いろんなことを思い出して考えていた。
差別されてイヤな思いをするとわかっているのに獣人の姿でいたのは、そうした生いたちのせい?
あたしが怖くはないのかと訊いた時、「力は、ただ、力だ」と答えたあの言葉を、彼はどうやって学んだのだろう?
そうして考えれば考えるほど、逃げた自分が情けなくて、心が沈んだ。
ずーんと落ち込むあたしを心配して、低くのどを鳴らしながらジャックが身を寄せてくる。
ありがとー。君は優しい子だねー・・・
イールはあたしが落ち着くの待って、言葉を続けた。
「先にも言ったが、リオ。『神槍』の身が心配なら、アデレイドに行方を占ってもらうよう頼んでみるといい。
だがお前はまず、自分の身を守ることを考えてくれ。
『茨姫』が弟子から何を聞き出したのかわからない今、あの男を倒してわたしを救ったお前こそ、狙われる可能性が最も高いのだからな。」
ああ。そういえば、そうか。
『茨姫』が弟子から何があったか正確に聞いてたら、まずあたしが探されるはずだ。
・・・・・・なんか、ヤな予感。
イールを追ってあたし達を探してるだけなら、イールが国に戻ったと知れば、必要以上に追うことはないと思うんだけど。
『茨姫』の名前の「ロザリー」って、【死霊の館】の主、[琥珀の書]の著者ウォードの娘と同じなんだよねー。
もし彼女が同一人物だとしたら、弟子を半殺しにしてイールを連れ去ったから、という以上の理由で追われる気がする。
ああー・・・
そこまで話したところで、元老院の使いがイールを呼びに来たらしい。
「すまんが、また後で話そう」という言葉で、テレパシー終了。
真夜中なのに、忙しそう。
皇子ってたいへんなんだなー。
お父さんの声が聞こえなくなって退屈したのか、じゃれついてきたジャックにお願いして、バルドーの家へ戻った。
アデレイドの邪魔はできないから、今はおとなしく待ってるけど。
時間ができたらレグルーザのことを話して行方を占ってもらって、天音と彼のどちらがより危ないのか、相談にのってもらおう。
が。二人が帰ってきた様子はないし、待っていても誰も来ない。
あたしは“闇”の中であくびをしていたジャックに、大型犬くらいの大きさになるようお願いした。
体を小さくするのはイヤそうだったけど、大型犬サイズで奥の部屋に出てきてもらってブラッシングをすると、これはとても気に入ったらしい。
背中の毛並みにブラシを当てていると、ジャックはほにゃ~んとした顔で床に寝そべった。
・・・真冬のニュースで見る、温泉につかるサルみたいな顔だなー。
いや、ごめん。それくらい無防備で気持ち良さそうって意味でね?
そんなふうにされると、やりがいあるよー。
あたしは散歩を中断させたお詫びに、しばらくせっせとブラッシングをして、明け方頃、疲れてまた寝た。
お散歩は途中で終わりましたー。タイトルに偽りアリ? それに、ジャックのお父さんが出てくると、あっという間に文章が長くなるような気が。ああ。てごわい・・・。
あと、今回もまたちょっとお知らせです。活動報告に、縞白の小説の書き方について? みたいなものを書きました。小説の書き方というか、文章作法的なアレですが。そういうのが気になるという方は、よろしければどうぞー。