第四十九話「あなたが最後の。」
〈空間転移〉でバルドーの家へ戻ると、アデレイドがひとり、青ざめた顔でぼんやりと床に座りこんでいた。
あわててそばに行き、「だいじょうぶ?」と声をかけると、何度かまばたきをしてから、スミレ色の瞳はようやくあたし達を映してくれた。
「リオさま。・・・殿下?・・・封印が、解かれたのですね。」
床に座りこんだまま「お喜び申しあげます」とつぶやくアデレイドを、イールはそっと抱きあげて近くのイスへ運んだ。
あたしは水でも飲んでもらおうかとキッチンへ行き、さめかけたお湯があるのに気づいて、お茶をいれることにした。
昔、おかーさんがよく温かいココアを作ってくれたのを思い出したのだ。
その時、温かいものは体と一緒に心もあたためてくれるのよ、と教わった。
今のアデレイドには、きっと温かいものがいい。
イールとアデレイドがぽつぽつと話をする声を聞きながら、さめかけたお湯に水をたして沸かし、お茶の葉とカップを用意する。
そうしてお茶をいれながら二人の話を聞いていると、アデレイドはバルドーと口ゲンカをしたようで、バルドーが怒って出ていった後に、あたし達が戻ってきたのだとわかった。
口ゲンカの原因は、近く王都を離れるというアデレイドに、バルドーが『星読みの魔女』の「本物の『守り手』」してほしいと望んだこと。
アデレイドはバルドーを「本物の『守り手』」にすることは断ったが、そこまでの覚悟があるなら一緒に来てほしいと願い。
バルドーは「本物の『守り手』」になれなければ一緒に行けないと断った。
二人とも、何かゆずれない事情があるみたいだ。
暗い顔でぼんやりしているアデレイドから上手に話を聞いたイールは、「ふむ」とうなずいて考えこむように口を閉じた。
あたしは静かなテーブルにお茶のカップを三つ持って戻り、二人に渡した。
アデレイドに飲むようすすめ、ふぅーっと吹きさまして少しだけ飲むのを見守ってから、誰にともなく訊ねる。
「本物の『守り手』って、なに?」
アデレイドの顔を見ながら、イールが答えてくれた。
「『星読みの魔女』に心臓を捧げ、半不死となった『守り手』のことだ。
髪は白く、目は赤くなり、身体能力や治癒力が高くなると聞いている。」
心臓を、ささげる?
「生きものではなくなるのです。」
カップを持った両手をひざの上に置いて、青ざめた顔でアデレイドが言った。
「身の内から心臓をなくし、白髪に赤眼となった『守り手』には魔法が効かず、鋼の刃でどんなに深く斬り裂かれても、その傷口はすぐに癒えてしまう。
初代の『星読みの魔女』に仕えた『守り手』には、首を斬りおとされても倒れることすらなく、転がった頭のところまで平然と歩いていって自分の手でひろった、という話が残っています。」
うわー・・・
そりゃー見たくないなー、と思いつつ聞いているあたしとは違い、その話をもっと詳しく知っているらしいイールはすぐに言葉を返した。
「バルドーが異質な存在になることをおそれたのか? アデレイド。
『守り手』のその力は、『星読みの魔女』の命を守るためだけに使われるよう、制限されるはずだ。
確かに髪と目の色が変わり、体質が変わるのだろうが、中身まで作り変えてしまうというわけでもないだろう。
それに、『星読みの魔女』が子を宿せば、心臓は『守り手』の体に戻ると聞いた。」
アデレイドは手に持っていたカップをテーブルに置き、表情を失った顔でイールを見た。
「わたくしは『守り手』の心臓を抱いた『星読みの魔女』が子を宿す前に死んだ時は、『守り手』もともに死ぬと聞いております。」
何が言いたいのか理解するのに、数秒かかった。
アデレイドは。
自分は子を宿すことなく死ぬから、道連れにするとわかっていてバルドーを本物の『守り手』にすることはできない、と言っているのか?
しんと冷えた部屋に、いつもよりどこか騒がしい街の喧噪が響いてくる。
しばらくして、イールが訊ねた。
「己の死を視たのか?」
「・・・いいえ。」
ちいさく答えて、アデレイドはそれきり口を閉ざしてしまった。
するとイールはあたしを見て、「妹のことを話してやってくれ」と言う。
今このタイミングで? とは思ったが、何か考えがあるようだ。
わかった、とうなずいて、あたしは義妹の天音が勇者として召喚されたのに巻き込まれてきた、異世界の人間だ、と話した。
アデレイドはとても驚いていたが、あたしが魔法を解いて黒い髪と目を見せ、真偽を見抜く力を持つイールが本当のことだと断言すると、信じてくれたようだった。
どうも驚いているだけではなく、混乱しているようだが。
イールはその様子を見ながら、言った。
「アデレイド。わたしの封印が解けたら、勇者のもとへ行くと話していたな?
お前の協力を得られるか否かは、勇者だけでなく、勇者の姉であるリオの未来にも大きな影響を与えるだろう。
どんな話であれ、お前がわたしに言うべきことではない、と判断するなら、わたしは無理に聞くつもりはない。
だが、もしその話がお前の生死に関わることなら、リオには話してやってほしい。」
心ここにあらず、という様子でこっくりとうなずいたアデレイドは、なぜだかずっとあたしの方を見ていて、イールの言葉をまともに聞いていないようようだった。
迷い、混乱しながら、何かを手探りしているような目をして言う。
「わたくしの未来視に、リオさまが現れたことはございませんでした。
勇者さまのお姿は何度か視ましたのに、血のつながらない義姉とはいえ、異世界からの来訪者であるリオさまがまったく現れないというのは、おかしなことです。
それにわたくしだけではなく、殿下の窮地を予見した母も、殿下を助けられたリオさまの姿をとらえることができず、「意識を失った子どものいる二人連れ」と申しました。
そして、『星読みの魔女』が未来視のなかで姿をとらえることができない存在が、かつてただひとつだけあった、と伝え聞いております。」
何が言いたいのかな? と首を傾げつつ聞いているあたしに、アデレイドが訊ねた。
「リオさま。サーレルオードという名に聞き覚えはございませんか?」
「サーレルオード? って、南の国の名前だよね?」
聞き返すと、アデレイドはすこし考えて、質問を変えた。
「では、サーレルと呼ばれたネコのことは?」
問われてふと思い浮かんだのは、[琥珀の書]の罠にひっかかった時、逆流してきた記憶の最後に現れた声。
サーレル、と。
優しい声で名を呼びながら、男の人にしては指の細い手が、そっとあたしの背中を撫でてゆくのに。
ぶらりと勝手に、しっぽがゆれた。
・・・あのしっぽ付きサーレルは、ネコなのか?
何と言えばいいのかわからず、答えにつまったあたしを見て、アデレイドの顔から混乱が消えた。
どこか確信に近い口調で問う。
「二代目勇者、テンマ・サイトウさまと同じ世界からいらしたのではありませんか?」
「うーん・・・。絶対とは言えないけど。同じ世界っぽいかなー?」
空飛ぶ船には『パンドラ』なんて名付けてるし、名前だけ聞くと日本人じゃないかと思うし。
首を傾げながら答えたあたしに、さらに何か言おうとしたアデレイドを、イールが鋭い口調で止めた。
「待て、アデレイド。先走るな。」
「ですが、もしそうなら・・・!」
「わたしが思っている通りのことを言おうとしているのなら、その先は竜人の伝承に関わる。違うか?」
もどかしそうな顔をしながらも、反論できないのかアデレイドは口を閉じた。
そこへ、いつもの穏やかさのかけらもない、厳しい表情でイールが問う。
「当代『星読みの魔女』は、一時の感情で竜人との約定を破るのか?」
かすかな怒りをふくんだ厳しい眼差しは、凍りつきそうなほど冷たい。
そういえば、古竜と獣人は「約定を守ることを重視する種族」だと、アデレイドから聞いた気がする。
その間に生まれたという竜人も、約束については厳しいらしい。
強烈な冷気を真っ向から叩きつけられたアデレイドは、息をのんで先より青ざめたが、なんとか声を出して答えた。
「・・・考えがいたらず、申し訳ございません。」
数秒の沈黙の後、イールはうなずいて謝罪を受け入れた。
「この話については、わたしが国へ戻りしだい元老院に申し出る。しかるべき時を待て。」
アデレイドはイスに座ったまま、きれいに一礼した。
「お待ちしております。」
張りつめていた空気がすこしゆるんで、あたしはほっと息をついたが。
・・・・・・あれ?
今の話、これで終わり?
ちょっと待ってー。
君たちが納得しても、あたしはスッキリしてないよ?
不満をこめてイールを見ると、先ほどまでの冷気をまるで感じさせない微笑みとともに訊かれた。
「わたしの妻になる覚悟をするか?」
ああー。
二代目勇者の最後の話か。
竜人の皇族だけに伝えられてるって話だったけど、『星読みの魔女』にも伝えられてたんだね。
でも、他のひとに話すのは竜人の許可がないとできない、ってとこか。
うーん。
今の話、そこにつながるのかー・・・
アデレイドがしてきた質問や、今までに聞いた話から、竜人の伝承とかいうモノの内容も、アデレイドが「こうじゃないか」と思ってることも、なんとなーくだけど、予想はできる。
サーレルっていうのは、たぶん初代勇者が連れてた黒ネコの名前。
で、『星読みの魔女』が未来視できない唯一の存在だった。
北の大陸で死んだって言われてるけど、実は生きてて、魔王を倒しに来た二代目勇者と会い、彼を元の世界へ戻すのに関わった。
けれど二代目勇者を元の世界へ戻しても、サーレルはこの世界へは帰らず、なんでか人間に生まれ変わった。
そしてそのまま二代目勇者の故郷である世界で育ち、三代目勇者が召喚されるのに巻き込まれて、お帰りなさーい。
それが、あたしだと。
・・・・・・本気ですか?
生まれ変わりを信じる仏教を知ってるから、発想としてはわかるけど。
自分の前世なんて真剣に考えたことなんか無かったから、ぜんぜんピンとこない。
それに、二代目勇者と一緒に消えた相手は、魔王だったはずだ。
この予想だと、魔王もあたし達の世界へ行っちゃってるはずだけど、そんなものが出たなんて聞いたことない。
てことは、この予想はハズレ?
・・・・・・うーん。
とりあえず竜人の伝承について、待てば話してくれるというのなら、今は深く考えず待とう。
ため息まじりに「お待ちしておりますー」と答え、そういえば最初はこんな話じゃなかったような? と思い出した。
「それで、アデレイドの『守り手』はどうなるの?」
訊ねると、アデレイドはだいぶ落ち着いた様子でびしっと背筋を伸ばした。
「わたくしは母から、ひとつの予言を与えられております。
「あなたが最後の『星読みの魔女』になる」と。
今までは、わたくしが後継者を産むことなく死ぬ、という意味だと受け取っておりました。」
それで道連れに殺すことになってしまうと思って、バルドーの望みを断ったのか。
考えながら聞いていると、アデレイドは「ですが」と言葉を続けた。
「リオさまのお話を聞いた今、この予言は違う意味を持つのではないかと考えられるようになりました。」
違う意味?
もしあたしがサーレルだったら、何かあるの?
いまいち理解できず聞いていると、すごい冷気を叩きつけられたばかりなのに、アデレイドは揺らぐことなくまっすぐにイールを見た。
「この予言を知るものは、亡き母とわたくし一人。
無用の混乱を招かぬよう、これまで沈黙を守ってまいりました。
ですが、わたくしの死ではなくこの予言が成就する可能性が出てきた今、必要な方々にはお伝えしたく存じます。
伝承の許可を申し出られる時には、どうかこの予言をともに、元老院の方々へお伝えください、殿下。」
無言でうなずいたイールに目礼したアデレイドは、次にあたしの方を向いて真剣な眼差しで訊く。
「リオさま。ヴァングレイ帝国より先の伝承の許可がおりますまで、わたくしの同行をお許しいただけませんでしょうか?」
はーい。
最初からそのつもりだったし、一緒に行くよー。
今までなんだか流されちゃってたけど、これからは「リオさま」じゃなくて、「リオ」って呼んでね。
・・・で、バルドーはどうなるの?
今回えらい長くなってしまいましたが、とりあえず『星読みの魔女』がパーティに入りましたー。それにしても、旅立ちまでもうちょっとのはずが、「もうちょっと」ってどれくらい? という状況に・・・。まあ、いずれは動くはずなんで。トンボが飛んでるのを見て、早く涼しくならないかなー、とつぶやきつつ、ぽちぽち進めていきますー。