第四十七話「愛犬は三ツ首。」
目の前には剣を持った真紅の騎士がいて、“闇”のなかにはこちらを見つめて無邪気にしっぽを振る三頭犬がいる。
どうしたものかと首を傾げたが、とりあえずケルベロスに敵意が無いことを確かめるべく、“闇”の手でそうっと背中を撫でてみた。
するとそれは気持ちよさそうに目を細め、低くのどを鳴らしながらパタパタとしっぽを振った。
敵意も警戒心も無いらしい。
けど、なんで?
よくわからないままイールに状況を話すと、「地上へ出てくるよう命じてみてくれ」と言われた。
あたしの命令に従うとは思えなかったが、イールには何か考えがあるらしい。
背中を撫でるのをやめて、お互いの間合いに入らないよういくらか離れた木陰を指さし、「あそこから出ておいでー」と呼びかけてみた。
ケルベロスは即座に応じ、“闇”のなかからあたしの指さした木の影を通って地上へと姿を現した。
レグルーザのホワイト・ドラゴンよりは小さいけど、ゾウくらいには大きいケルベロスを見て、イールはどこか楽しそうにつぶやいた。
「トカゲがドラゴンに化けたな。」
イールとケルベロスは、魔力を食われていた被害者と、魔力を食っていた加害者のはずだが、その声に険悪な色はない。
それどころか、イールは満足げにうなずいて言葉を続けた。
「ちょうど良いところに生まれてくれた。[竜血珠]は、これに守ってもらうこととしよう。
リオ、まずは誓約を交わしてくれ。」
いきなりそんなコト言われても、意味不明だからねー。
とりあえず、何がどうしてこの状況なのか、わかってるなら教えてください。
イールの説明によると、ケルベロスは北の大陸で魔王城の門を守る魔物として伝承に出てくる(そして勇者の仲間に倒される)が、南の大陸にはいない。
これはおそらく、本来の体が維持できずスライムもどきになった時点で、ほとんど死んだも同然だった三匹のシャドー・ハウンドが、あたしが“闇”に落としたことで別の存在として生まれ変わったもの。
瘴気は無いから、分類としては魔獣。
不安定な繭となっていた時に、ケルベロスが出てくるのかなーとわくわくしていたあたしの影響を受けたせいで、この姿になり。
早く生まれないかなーと望んで見守る視線を受け続けていたせいで、あたしを親のようなものとして認識している(刷り込み?)。
偶然が重なって生まれた、雌雄無き合成獣。
たっぷりと食らっていたイールの魔力によって、目は真紅。
生まれる場となった“闇”の力を飲んで染まった、毛並みは漆黒。
イールの魔力の質は火だから、“闇”を渡るだけではなく、おそらく火をあつかうこともできるだろうと言われたので、ためしに「火吹ける?」と訊ねてみたら。
三つのおおきな口が空に向けて開かれ、ゴウッと燃えさかる炎が吐き出された。
ありがとう。じゅーぶんわかったから、止まってください。
無言で手をあげると、ケルベロスは口を閉じた。
言葉を理解しているというよりも、あたしの考え(どうしてほしいかという望みのようなもの)を読みとって動いているようだ。
ああー・・・
そんなつもりは、なかったんだけど。
「・・・・・・イール。この子、あたしが連れてかないとダメかな?」
おとーさんから、「生きものを拾う時は、一生世話してやれるかどうか考えて、覚悟が決められた時にだけ拾いなさい」と言われているのだが。
(あたしはそういう動物に遭遇するコトはほとんど無かったのだが、天音がイロイロ拾ってくるものだから、飼いきれない動物の引き取り手を探すのに苦労した時期があって、その時に言われたのだ。)
この子を一生世話してやれる自信は、正直ひとかけらも無いです。
元の世界に連れて帰ったら、絶対に大騒ぎになるだろうし。
腰の引けているあたしに、イールは淡々とした口調で問い返した。
「これはお前に望まれたがために、お前の思い描く通りの姿で生まれてきたもの。
ゆえに同族は無く、雌雄無き身では番も得られぬだろう。
まだ生まれたばかりである今、自我があるようにも見えん。
リオ。そんなものを放り出せるのか?」
もっと皆様に愛される一般的な動物の姿を思い浮かべていれば、と手遅れなことを思いつつ、返す言葉もなくうなっているところへ「それに」と追撃される。
「ケルベロスはこの大陸にはおらず、伝承には魔王の配下と語られている。
野放しにしてはいずれ見つかり、危険なものとして討伐対象にされるだろう。そうなれば、抵抗すればするほど執拗に追われることになる。
どうしても連れて行けぬというのなら、ここで殺してやるのが最善の選択かもしれん。
しかし、お前がこれをそばに置いてやり、他のものに見つからないよう隠れていろと命じれば、そうした危険からは守ってやれるだろう。
誓約を交わしていない今でさえ、お前の望みに応じてこれほど忠実に動くのだからな。誓約を交わせば、命令に背くことはあるまい。
それにこれは、お前のそばにあって[竜血珠]を守るものとして役に立つ。
わたしの魔力をずいぶんとたくさん食らってくれたようだからな。わたしの力の結晶である[竜血珠]は、難なく受け入れられるだろう。」
「んー・・・。うん? [竜血珠]を、受け入れる?」
「額に埋めこむのが良いだろう。すでに身の内に取りこんでいる力が増強されるのだから、おそらく拒みはすまい。
そうして埋めこんでやれば、体の一部となる。後は命じずとも本能で守るだろう。
・・・ああ、埋めこむのに痛みを感ずることはないからな。それは案ぜずとも良いぞ。」
痛くないならいいのかなー?
でも、三つの頭のうち、一つは三ツ目みたいにされるのかー・・・
強面度がレベルアップしそう。
でもまあ、今はそれでなく。
イロイロ言われたが、とりあえずイールは「連れていかないなら殺すべきだ」という考えなのだと理解した。
うーん・・・
一生世話をしてやれる自信はやっぱり無い、けれど。
頭が三つあって、体がゾウ並みにデカいとはいえ、ちょこんと座ってこちらを向き、無垢な目をしてパタパタとしっぽを振る生きものを殺すことができるか?
答えなんか最初から出ている。
そんなのムリ。
そうしたらもう、覚悟するしかない。
深く息をついて不安を払いのけ、うん、とうなずいてケルベロスを見た。
「一緒に行こうか。」
あたしたちが元の世界へ帰る方法と、君が誰にも追われず暮らせる地を探しに。
ケルベロスは振っていたしっぽをぴたりと止め、返事をするようにウォン!と三重奏で鳴いた。
あー・・・、うん。
頭が三つあってデカくても、かわいいような気がしてきた。
連れてくと決めたからには、がんばって愛犬家になるから、よろしくねー。
「うむ」とうなずいたイールは、「わたしは[竜血珠]を作る。お前はその間にケルベロスと誓約を交わしておいてくれ」と言って、あたしの背中を軽く押した。
離れた方がいいようなので、そのままケルベロスの前へと歩いていったのだが、はたと気づいて振り向いた。
「イール。誓約って、魔法使いが使い魔と契約する、アレだよね?」
[琥珀の書]にちょろっと書いてあったけど、「血や髪など、身の一部を与え、名付けによって存在をつないだものを使い魔と呼ぶ」ってヤツだよね?
「ああ。やり方はわかるか?」
やり方はわかるんだけど、あたしにはネーミングセンスというものが無くてね?
どんな名前をつければいいのか、思いつかんのですが。
うーん、と考えこんで首を傾げると、ケルベロスの真ん中の頭が、つられたように首を傾げた。
なんか、動物が首を傾げる動作って、なごむねー・・・
「これからともに生きてゆくものだ。よく悩んで、納得した名をつけてやれ。」
イールはがんばれよと微笑んで、あたしたちから視線をはずした。
そして眉ひとつ動かすことなく、人よりも鋭そうな歯で自分の左手をガブッと噛み、流れ出てきた血を見おろして美しい旋律を低く歌う。
歌が始まるのと同時に、その血は真紅の魔力をまとって淡く光り、ふわりと浮きあがって手のひらの上の一点へと集まっていった。
浮きあがる血の量がだんだんと減っていき、傷口がゆっくりとふさがっていくのが見えて、あたしは声には出さず驚いた。
けっこー深い噛み傷に見えたけど、治るの早いなー・・・
手のひらの上で紅く光る血の珠は、イールの歌う旋律に従って明滅しながら、その光を強くしていく。
ほほー、と見物している場合ではないと、しばらくして我に返った。
すごくきれいな声で歌うものだから、どうにも惹きこまれてしまうが、今はそれどころではない。
イールが[竜血珠]を完成させるまでに、あたしはケルベロスと誓約を交わさねばならないのだ。
が、やっぱり名前が思いつかない。
「ケルベロスだし、ケルちゃんでいい?
・・・いや、黒いし、クロちゃんの方がいいかな?
それか、ブラック? は、呼びにくいねー・・・」
あたしの発想なんて、こんなモンだ。
ううーん、と反対側に首を傾げると、ケルベロスの真ん中の頭もこてんと反対側に首を傾げた。
ああ。
首を傾げるたびに、隣の頭がちょっと迷惑そうな顔するトコもかわいいよ。
・・・じゃなくて。
名前。名前ねー。
元の世界じゃあ、見かけたネコにはすべて「タマ」と呼びかけ、イヌには・・・
そうだよ。
ケルベロスだって、イヌの一種みたいなもんだ。
「ポチ?」
呼べば、三ツ首の魔獣はウォン!と鳴いた。
・・・・・・。
いやー。
君はかまわないみたいだけど、やめとこうか。
あきらかに似合わんし。
後でかならず「なんでケルベロスにポチなんて名前つけたの自分?」と、泣きそうな気もするし。
もちょっと、まともな名前を考えるよ。
まともな名前を・・・・・・
思いつける気がしない自分に、はぁー、と深いため息がこぼれた。
とりあえず「ポチ」はまぬがれました。なんとかそれ以外で、リオちゃんの思いつける範囲で名付けてもらいたいのですが。どんなものが出てくるのか・・・。ただいま作者も一緒にうなっております(笑)。名前つけるのって、むずかしーですねー。