第四十五話「封印が解けたら。」
イールと手をつないで転移した先は、魔法の練習で来た時と同じ。
ローザンドーラの近くの、森の中を流れる川のそば。
手をはなして辺りを見渡したイールが、先日四人の女の子の葬送の場となったところであることに気づき、短く黙とうをささげるのを見守った。
下流はすこし前に騒がせてしまった上、まだロック鳥がいてエンカウントしたりすると面倒くさいので、向かうのは上流。
バルドーとアデレイドに何も言わず来てしまったし、イールは急ぎだと言うので、できるだけ早く済ませたい。
すこし歩いた先で大きめの石を見つけてイールに座ってもらい、その後ろに立って言った。
「じゃあこれから封印解いてみるねー。」
イールはとくに緊張した様子もなく、「頼む」とうなずいた。
封印と三匹のシャドー・ハウンドに挑んでいる最中に、魔獣や魔物とエンカウントするのは避けたいので、“闇”と感覚をつなげて影伝いに周囲の空間を掌握する。
さいわい、近隣の空間に危険な生きものはいないようだったが、何かが近づいてきたらすぐわかるよう、感覚は“闇”とつなげたままにしておいた。
そうしてまず、あたしがイールにかけていた、幻影の魔法をはずす。
髪の毛と目の色を変えていた魔法が無くなると、金色の混じったあざやかな真紅の髪が陽射しをはじいて、ちょっとまぶしい。
目を細めてイールの首の後ろにあるイレズミのような[呪語]を見おろし、その上に手をかざして呪文を唱えた。
「〈呪文展開〉」
刻み込まれた[呪語]がぽうっと光り、かざした手をふわりと空にあげると、イールにかけられた魔法を構成する呪文が引き出されて空中に浮かんだ。
イールの魔力を封じる魔法と、魔力を喰らうものを閉じ込めてくっつける魔法が、丁寧な構成で組み上げられている。
その呪文の中には、かなり注意して見たつもりなのだが、罠を仕掛けられている様子が無かった。
過激派地下組織っぽい『黒の塔』の魔法使いがやったにしては、ずいぶんと素直な構成の魔法だなー?
不思議に思うが、まあ、イールの強運が発揮されたのだろう。
気にしないことにして、一つ目の魔法にとりかかった。
「〈切断〉」
魔力を喰らうものをくっつけた魔法の根幹を切り、わずかに開いたその隙間へ、魔力を帯びた指を入れる。
「〈分解〉」
糸をほどくように、魔力を帯びた指で魔法を解きほぐした。
煙が風にとけて消えるように、空中で光る呪文が崩れてゆく。
これで三匹のシャドー・ハウンドが解放されるはずだ。
警戒して見ていると、崩れてゆく呪文の中から、大きな赤黒いカタマリがずるりと出てきた。
う、へー・・・・・・
何と言えばいいのか、言葉が思いつかないそれは。
赤黒くもやもやとしたスライムのようなモノなのだが、所々に犬っぽい鼻先や脚、耳や尻尾が突き出ていて、ひくひくと動いている。
魔法で閉じ込められてる間に、三匹のシャドー・ハウンドがぐちゃぐちゃに混じったのか?
触るのがどうにも嫌だったので、誰も見てないのをもう一度確認してから“闇”を使ってソレの端を掴み、ぐいっと引っ張って放りだした。
デカくて重たいソレはゾウくらいの大きさで、“闇”の手に放られて数歩向こうにべちゃっと落ちる。
不気味にうごめく姿がまた不気味で、のわーと鳥肌をたてていると、その赤黒いカタマリは何を思ったのか襲いかかってきた。
動きが先ほどエンカウントしたスライムより早いところが、また。
何これホラー?
〈呪文展開〉を維持したまま、防御魔法を構築して呪文を唱える。
「〈火の壁〉」
「楯」と違い、「壁」は完全に一方向にのみ展開する防御魔法だ。
あたしの前の空中に出現した燃える炎の壁は、不気味な物体の突進を阻み、その身をジュワッと焼いた。
どこからか耳障りな悲鳴をあげたソレは慌てて後退し、逃げようというのか影の中へもぐったので、あたしはそこよりもさらに深い“闇”へ落して閉じ込めた。
捕獲完了。
“闇”の中でソレがどう動くか、できれば様子を見たいがそんなヒマは無さそうだ。
一つ目の魔法を〈分解〉したイールの封印が不安定になって、空中に展開している呪文が明滅している。
二つ目の魔法にとりかかった。
「〈切断〉」
イールの魔力を封じる魔法の根幹を切り、先と同じように隙間へ魔力を帯びた指を入れる。
「〈分解〉」
丁寧に編まれた一本の糸が、するするとほぐれていく。
そうして数秒、イールの身にかかっていた魔法は解けて消えた。
イールは〈分解〉の瞬間、何かに耐えようとするかのように前かがみに体をまるめたが、魔法が完全に消えると急に立ちあがった。
腕を大きくひろげ、顔を天に向けて。
竜人の咆哮がとどろく。
あたしは体の奥へ直接響いてくる、強烈な声に圧倒された。
そして次の瞬間、咆哮と同時に少年の体から噴き出してきた、真紅の炎にはじき飛ばされた。
正確には、火山の噴火のような勢いで噴き出してきた炎が巻き起こした突風に、文字通り吹っ飛ばされたのだ。
あたしは地面に叩きつけられる前に、とっさに“闇”へもぐって避難する。
そして視覚を地上へとばし、イールの様子を見た(吼える声を聞くとまた圧倒されてしまいそうなので、聴覚はとばさなかった)。
イールの小柄な体から噴出する猛火が、渦を巻きながら燃えあがっている。
服はその火で燃え尽きてしまったらしい。
渦を巻く炎の間から素肌が見えたので、イールの正面に置いていた視点を後方へ移した。
彼は燃え盛る炎のなか、吼えるように天をあおぎながら、体をゆっくりと変化させていた。
小柄な少年だった体が、どんどん成長しておおきくなってゆく。
封印が解けたので、元の姿に戻るのだろう。
とくに手出しする必要は無さそうだと判断して、イールのまとう炎が森に飛んだりしないか見守りながら、“闇”のなかで起きている異変へと目を転じる。
グロいホラー系のスライムもどきだった先ほどのアレが、ちょっと見ない間に黒い繭と化しているのだ。
元が魔力を喰らう魔獣だったせいか、力そのものである“闇”を喰らいながら、繭の隙間から赤黒いものを吐き出している(煙みたいな赤黒いモノは、“闇”のなかでは存在を保てないようで、吐き出されるのと同時に消滅している)。
きれいな水を飲んで、毒素を抜こうとしているかのようだ。
このまま“闇”の中にあれば、こちらもおそらく自力で何とかするだろう。
イールの服をどうしようかなーと思いつつ、こっちの黒い繭からは何が孵化するのだろう、とヒマな頭で考える。
繭は一個だし、三匹のシャドー・ハウンドが完全に混ざって、一つのものになるのだろうか。
となると、三頭犬でも出てくるのか?
スライムもどきになっても襲いかかってきたヤツなので、孵化したとたんにまた襲われそうな気もするが、動けない繭のうちに潰しておこうとは思わなかった。
まあ、襲われても、たぶんなんとかなるだろうし。
何が生まれるのかわからない卵とか繭って、わくわくする。
イールの炎がおさまるのが先か、黒い繭が孵化するのが先か。
のんびり見守っていると、二十代前半くらいの青年の姿になったイールが先に炎をおさめ、荒い呼吸でがっくりと片膝をついたので、地上へ戻ることにした。
おや?
いつの間にか、見覚えの無い深紅の鎧とマントをまとっている。
服については心配しなくてよさそうだ。
「イール、だいじょーぶ? 何か要る?」
ひどく疲れた様子で座りこんだイールは、声をかけるとゆっくりと顔をあげてこちらを見た。
おー・・・・・・
美人さんがいます。
怜悧な美貌のなかで、ムダに色気のある切れ長の眼が素敵ですねー。
でも顔色は悪いなーと様子を見ていると、イールは腕を伸ばして手を差し出した。
「リオ・・・」
変声期過ぎた青年の声で、そんなふうに名前だけ呼ばないでほしーですが。
というか、そのポーズは「お手」?
・・・あ。違う。わかった。
魔力が足りないからわけてくれ、のポーズだ。
体は戻ったが、魔力の回復は遅れている、というところだろうか。
つまり、また指先切らんといかんのね。
なんかこの流れ、慣れてきたなー・・・
「ちょっと待ってー」と言いながら短剣を引き抜いたところで、ぐったりと座りこんでいたイールが急に動いた。
片膝をついて体を起こし、短剣を持ったあたしの手を掴んでぐいっと引っ張る。
その力は思った以上に強く、あっさりとバランスを崩してあたしはイールに向かって倒れこんだ。
危ないと思った瞬間、手に持っていた抜き身の短剣は“闇”に落としたので、誰もケガをすることはなかったのだが。
イールの膝の上に横座りする形で着地したあたしは、彼がまとう頑丈な鎧でしたたかにお尻を打ち、鈍い痛みにうめいた。
・・・・・・うう。アホなことした。
短剣ごと自分も“闇”に避難すればよかったのに、とりあえず刃物を遠ざけることしか頭になかった。
「リオ? ケガをしたのか?!」
いくらか焦った声で言いながら、イールは「どこをケガしたんだ? 短剣はどうした?」と探そうとする。
あたしは「だいじょーぶ。お尻ぶつけて痛かっただけ」と答え、短剣は安全な場所に移したと教えて、やや怒りのこもった目でイールを見あげた。
「いきなり何すんの。危ないでしょ?」
「危ないのはお前だ!」
一声叫んだイールは、そこで力尽きた。
膝の上のあたしを両腕で抱き込んで、ぐったりと背中をまるめる。
やっぱりエネルギー不足だ。
「ちょっと指切ろうとしただけだよ。魔力が要るんでしょ?」
言えば、厳しい口調で叱られた。
「女が、自ら身を傷つけようとするな。」
・・・こんな時にそんな気遣い発揮せんでも、と思いますが。
そもそも君、初対面で噛みついてきたひとだよね?
「その責任ならば、いつでも取るぞ。」
やぶヘビでした。
だいじょーぶです。
もう跡形もなく治ってます。
「そうか・・・。傷は、残らなかったか。」
ほら無傷でしょーと手を見せると、ほっと息をつくような声でそう言ってから。
「・・・残念だ。」
ぽつりとつぶやいた。
いやー・・・
きれいに治って良かったと思います。
「そんなことより、イール。くっついてるだけで魔力ってわけられるの?」
「生き物の持つ魔力は、意識を向けているものの方へ流れる。
お前は今、わたしの身を案じているだろう?
ゆっくりとだが、わたしに向かってお前の魔力が流れ込んできている。」
説明を終えると、イールはふーと息をついて肩の力を抜いた。
効率が良い魔力のわけ方が「傷口から血とともに魔力を飲む」というだけで、布越しとか鎧越しに触れているだけでも、多少はわけられるらしい。
そーなのか、とうなずいて、イールが早く回復しますよーに、と思いながらおとなしくしていた。
それにしても。
つい先まで、膝の上に乗せられるくらいちいさかったのは、イールの方なのに。
完全に体格差が逆転してしまったというのが、なんだか変な感じ。
しばらくしてすこし回復したらしいイールが、ふといたずらっぽく笑って言った。
「リオ。最も効率の良い魔力のわけ方を、知っているか?」
問われて思い浮かんだのは、伝説の武器[形なき牙]に宿る、見た目は美女で中身は残念という雷の上位精霊、エイダ。
彼女は魔力をわける方法を二つ示したが、あたしは血によるわけ方を選び、もう一つの方は「論外」と却下した。
「聞きたくないから言わなくていいよ。」
イールはなんだ、知っているのか、と言って、では次に効率の良い方法を教えよう、と続ける。
教えてくれんでいいよー、と軽く返したあたしの顎に指をかけて、遠慮するな、とささやきながら上を向かせた。
イールと視線が合う。
間近から見た彼の目は、たぶん、今まであたしが見たなかでも特別きれいな、紅と金。
一瞬、見とれたけれど。
「二番目に良い方法は、くちづけだ。」
言いながらゆっくりと降りてくる唇を、手をあげてぺしっと叩くようにおおう。
反射的に動いたあたしの、そんな反応に、イールが驚くことはなかった。
手のひらの下で、その唇がかすかに笑むのを感じとる。
体を抱きかかえる腕の力はゆるく、唇を寄せる動作は遅く。
戯れるように近づきながら、拒絶する手段と時間を与えることで、あたしの反応を見たのか。
今まで何となく感じていたことが、その余裕を見てはっきりとした言葉で頭に浮かび、わきあがってきた怒りにつき動かされて、うなるような声で言った。
「イール。あたしを取り込もうとしないで。」
手をおろしながら言えば、いつになくトゲトゲしい態度のあたしに、イールは微笑みを消した。
「魔法使いに囚われていたのを助けたから?
手に噛みついたから?
あたしに向ける剣は持たないと言ったから?
それとも“初源の火”を持つ竜人の皇族として受け継いできた、たくさんの伝承のせい?」
イールが唇を開きかけるのに、首を横に振って止める。
最初に感じた怒りが勢いを失い、あたしはどうしてか、悲しくなっていた。
先より低い声で、ゆっくりと言葉を続ける。
「答えを教えてもらいたくて聞いたんじゃない。
ただ、イール。考えてみて。
あたしの望みは、天音と一緒に元の世界へ帰ること。
それだけなんだよ。」
帰る方法を探して動きはするが、この世界の事情に首を突っ込む気はない。
だからイールの都合で「保護」しようとされても、うなずけない。
そして、何よりも。
「ただの手段としてこういうコトされるのは、やだよ。」
言いながら、顎に当てられたままだった指を掴んで、引き下ろした。
あたしは恋でも愛でもない理由から近づいてくるひとを、理屈や計算で受け入れられるほど大人な「女」じゃない。
そんな戯れに応じて遊べるような余裕は無いし、軽くいなせるほどの経験も無い。
イールが腕をといたので、立ちあがって離れた。
川を流れる水の、涼やかな音色に耳をかたむけ、深く呼吸をする。
そうして、ささくれだって荒れた気分を、意識して落ち着けた。
すこしして、背中を向けたままのあたしに、イールが言った。
「リオ。わたしは戯れやただの手段として触れようとしたわけではない。
だが、お前が不快だと感じたのなら、謝る。」
すまなかった、と言う声になだめようとする色はなく、ただ静かで真っ直ぐだった。
そこに誠実な謝意を感じ取って、あたしの頭はいくらか冷えた。
そして、頭がちょっと働くようになると、ふと思いついた。
「イール。あたしの力を危険なものだと警戒してるなら。」
“闇”を使うあたしが道を踏み外すことを案じて、手綱を取ろうとしたのなら。
振り向いたあたしを、ゆっくりと立ちあがったイールが見おろす。
深紅の鎧とマントをまとう長身痩躯。
“初源の火”を持つ竜人の皇子であり、ヴァングレイ帝国の次期皇帝候補のひとり。
今はもうひとりの次期皇帝候補との、命がけのトラブルの渦中にあるという。
いろんな思惑や、面倒くさそうな事情を持ったひと。
でも。
あたしに剣を向けないと言った、その言葉は信じられる。
それに、あたしの知らないことをたくさん知っているし、何より気になる二代目勇者の話の続きを、まだ聞けてない。
顔をあげてその目を見つめ、一拍。
ドクン、と心臓が一度鼓動する間で腹を決め、言った。
「導き手になってくれない?」
ようやく封印が解けましたー。とういうわけで、外見年齢は逆転。おにーちゃんになったイールのさっそくの行動は、リオちゃん的解釈でこんな方向へ転がりました。恋愛小説を書ける方を尊敬する今日この頃でございます・・・。
今回は読者さまへのお知らせが一つ。
括弧(“”とか「」とか[]とか)が多いこのお話ですが、作者、どうにも考えが足らず、使いこなせておりませんで申し訳ないのですが。今まであだ名というか、二つ名を“”でくくってたのを、組織名のくくりで使ってた『』に変更したいと思います(組織名も引き続き『』でくくります)。
『星読みの魔女』とその『守り手』について、二つ名というか、称号として扱いたい、というのがその理由です。
こんなトコで報告してすみません(汗)。できるだけ見落としのないよう気をつけて修正しますので、どうぞご理解のほど、よろしくお願いいたします。