第四十一話「女神の啓示。」
〈異世界二十七日目〉
目が覚めるなりむっくりと起きあがり、膝の上にあった[琥珀の書]に気づくと両手でがしっと掴んだ。
ふるふると震える腕で、見た目より重いそれを頭上に振りあげ。
ソファの横の床に向かって、思いきり叩きつける。
鈍い音がして床がきしみ、ホコリが舞いあがったせいでくしゃみが出た。
掃除しようよ、バルドー。
隣の部屋で誰かが動く音がして、ドアが開く。
「大丈夫か?」と訊きながらこちらへ来ようとしたイールは、なんとかくしゃみを落ち着けようとしているあたしを見て、足を止めた。
「やめておけ、リオ。歯が折れるぞ。」
・・・なに?
「その本に食いついて噛み砕きたそうな顔をしている。」
そんなコトせんよ。
まずそーだし。
「・・・・・・わかった。落ち着いたら隣に来い。アデレイドが食事を用意している。」
うん。しばらくかかりそうだけど。
イールは数秒、うなずいたあたしの様子を見て、今はひとりにしてほしい、という望みを察してくれたようだった。
心配そうにこちらをのぞき込んでいるアデレイドをなだめながら部屋を出ていき、ドアを閉める。
せまい部屋でひとりになると、ほっとした。
手で触れることなく床の上に転がった[琥珀の書]を亜空間に放り込み、いくらか時間をかけて呼吸を整えながら、くたくたとソファに沈む。
頭が痛くて体がだるくて気持ちが悪くて。
気分はサイテー。
頭の中の歯車がズレている人の書いた魔導書なんか、読むもんじゃない。
やられた時は何がなんだかわからなかったけど。
魔導書がいきなり開いて飲み込まれた後、「記憶の逆流」なんてものが起きたのは、あの男の仕掛けた罠にハマったせいだったのだ。
相手の記憶を逆上ってすべてコピーした後、その精神を殺して体を乗っ取る。
それは「鍵をはずす」という正規の手段を踏み倒したために発動した、邪法な罠で。
もしあたしが途中で抵抗して弾きとばさなかったら、今頃ここにいるのは「あたしの記憶と姿を持った別のもの」だったのだ。
冗談じゃない。
乗っ取られてたまるか。
単純に知識量で精神を押し潰そうとしてきた[血まみれの魔導書]のやり方より陰険で、ものすごくムカついた。
が、悲しいことにそんな罠付き[琥珀の書]の後継となってしまったあたしは、他にも腹立たしいことこの上ない邪法をイロイロ覚えてしまった。
生きた人間を操り人形にする魔法とか(自我ありか無しかとか、やり方イロイロ)、暗示をかけて思うまま操る魔法とか、精霊を捕らえて力を搾り取る魔法とか、魔獣をムリやり服従させる魔法とか、複数の生き物を合成して新種の生き物「合成獣」を造る魔法とか。
もちろん、記憶コピーして体を乗っ取るという、あたしが獲物になりかけた邪法も修得した。
・・・・・・うん。
[血まみれの魔導書]と[黒の聖典]と[琥珀の書]の三冊があれば。
もう“闇”なんて使わなくても、立派な魔王がやれそうよ。
人間の国ぐらいなら、[琥珀の書]だけで乗っ取れちゃうかも?
やらんけど。
はー・・・・・・
あたしが欲しいのは、帰るための魔法なのに。
いちおう[呪語]と使えそうな魔法についての知識が習得できたから、まあ、それなりの収穫もあったわけだけど。
魔法使いウォードの娘だったらしい、「愛しのロザリー」とかいう女の子の記憶も一緒につっこまれ(しかもそこはかとなくアヤシイ香りのする記憶)。
罠にかかった時の記憶の逆流で、あたしにはまったく覚えのない、尻尾つき「サーレル」の記憶のひとかけらがポンと出てきたり。
もう頭が、ぐるぐるぐる・・・
そのまま眠りこんでしまったらしく、ふと気づくとベッドで寝ていて、ソファにイールがいた。
前の二冊の時と同じで、また熱が上がっていたらしく、ゆっくり休めるようバルドーがベッドへ移してくれたのだそうだ。
額に置かれた濡れタオルをかえてくれるイールに礼を言いながら、何があったのかと訊いてくるのに明日答えると約束して、一日休ませてもらった。
もー、魔導書なんていらん。
とか思いながら。
ぐってり寝た。
〈異世界二十八日目〉
ガシャン!と陶器の割れる音がして、目を覚ますと同時に飛び起きた。
何か、強大な気配が近くにある。
ソファで寝ていたはずのイールが、ドアを開けて隣の部屋へ行こうとしていた。
胸騒ぎがしたのでベッドから降りて後を追うと、キッチンにバルドーがいて、その奥にアデレイドがいた。
彼らからすこし離れた位置で立ち止まったイールの後ろで、あたしはアデレイドの様子に気づいて目を丸くする。
『星読みの魔女』が、あわい虹色の光に抱かれている。
強大な気配の元は、その光だった。
悪意や邪気は感じられず、とても穏やかな気配ではあるが、おそろしく力の密度が濃い。
はっと我に返ったイールが唐突に振り向いて、あたしの腕を掴んだ。
「リオ。息を止めるな。」
言われて初めて、いつの間にか息を止めていた自分に気づいた。
意識して深く呼吸する。
イールはそれを見ると、あたしの手を引いて奥の部屋へ戻った。
落ち着いて座っていられるような気分ではなかったので、ソファへ座れと示されるのに首を横に振り、立ったまま小声で訊いた。
「イール。何が起きてるの?」
「おそらく『星読みの魔女』が受ける、調和の女神の啓示だ。
常には『星読みの魔女』が望むことで未来を垣間見るが、まれに調和の女神の意志によって未来を見せられることがある。
今起きているのは、女神の意向による未来視だろう。
そうした時の『星読みの魔女』は、常より強い女神の力を受ける。近くにいてそれに当てられると、弱いものは一瞬で気絶するほどだ。
わたしもルシェリーが啓示を受けるのに初めて出くわした時は、知らず息をひそめていた。
すぐに呼吸を戻せたところを見ると、お前はやはり、力に対する耐性が高いな。」
あたしの魔力は純度が高いらしいから、たぶんそのせいだろう。
そんなことより。
「アデレイドはだいじょうぶなの?」
「『星読みの魔女』は、調和の女神に愛されし者。啓示を受けるのは精神と体力を消耗するそうだが、女神の力によって大事にいたることはない。ただ、ルシェリーは一時的に動けなくなっていたな。」
「バルドーは?」
「女神の力に当てられている様子は無かった。あれはおそらく、アデレイドが啓示を受けるところへ出くわしたことがあるのだろう。彼女の周りから刃物を遠ざけて、危険がないよう見守っていた。」
任せていいだろう、と静かに言われて、ようやくほっと息をついた。
話をしている間に、強大な気配はゆっくりと遠のいていっているから、啓示はじきに終わるのだろう。
いつからそうしていたのか、イールと手をつないでいたのに気づいて、きゅっと軽く握り返した。
「ありがとう」と礼を言って、手を離す。
イールはすこし驚いた顔をしたが、かすかに笑ってうなずいた。
一時的にでも動けなくなるなら、バルドーはアデレイドをベッドで休ませるだろう。
簡単にではあるがベッドを整えていると、トサッとかすかな物音がした後、重い足音がこちらへ近づいてきた。
強大な気配が消えている。
啓示は終わったらしい。
バルドーは苦しげに目を伏せたアデレイドを抱いて奥の部屋に来ると、そっとベッドに寝かせ、離れようとして細い指に袖を掴まれた。
うるんだスミレ色の瞳がどこか必死に見あげてくるのを、おおきな手でおおう。
「休め。・・・・・・落ち着くまで、そばにいる。」
アデレイドはおおきな手に目を隠されたまま、ほっとしたように息をついた。
えー、っと。
・・・・・・あたしら、お邪魔ですね?
あたしとイールは目を合わせてこっくりとうなずくと、忍び足で部屋を出てドアを閉めた。
[琥珀の書]の中身と女神がきました。そしてさりげなく(?)大人組の物語が進行中。でもこの二人、どっちも踏み込めないのでなかなか進展しない・・・。物語はハッピーエンドがいい!と思う縞白ですので。できるだけみんな幸せにー、とつぶやきつつ、続きがんばります。これから。ですので、次話の投稿はちょっと間が空くかもしれません・・・。