第三十二話「謎の美女と野獣。」
お医者さん!
意識を失って倒れたイールを抱え、あたしは“闇”を渡って王都へ戻った。
レグルーザの元へ戻るという選択肢は頭に無かった。
天音を頼って王城へ連れて行くという選択肢は、「封印」とか「戻ったら殺される」とかいう厄介で物騒な会話と、西の国の女神を拒む葬送の言葉を思い出して消えた。
だから自分の知るなかで一番大きな街である王都で、医者を探すことにした。
どこかの裏通りの物影からそのまま飛び出そうとして、ふと気づく。
イールの髪と目はあざやかな真紅で、自分の黒い髪と目の色を変えている幻影の魔法はいつの間にか消えている。
いかん。
どっちもこの国じゃ滅多にない色だから、ものっそい目立つ。
落ち着け。
深呼吸をして。
まず、茶色の髪と緑の目という、王都で一番多い色の幻影を自分とイールにかぶせた。
そして袖がチリと化して崩れてしまったせいで、腕輪をはめた左腕がむき出しになっているのに気づき、亜空間から防寒用の上着を取り出してはおる。
この腕輪を誰にも盗られないよう、何かで隠しておきたかったのだ。
あたしの怒れる“闇”を喰らった不思議な腕輪。
なつかしくて愛おしいこれを、手放す気はない。
思ったより重たいイールの体を抱きなおし、外から見えないよう“闇”を使って落ちないよう支えながら、表通りに出る。
そうしてあたりをよく見渡せば、そこは捕まったラルアークを助けてレグルーザと初めて会った、治安の悪い歓楽街だとわかった。
とにかく王都を目指して“闇”を渡ってきたので、どうしてここに出たのか自分でもよくわからないが、良い選択とはとても言えない場所だ。
市場や宿屋がある普通の大通りに行った方がいいと思い、もう一度“闇”を渡ろうと裏通りに戻りかけたところで「待ってください!」と呼びとめられた。
まわりに人影がなかったので、あたしのことだろうかと振り向くと、黒いベールで顔を隠した女の人が、走って来たのか息をきらせて近くの壁に手をついていた。
黒づくめで顔見えないって。
なんとゆーか、アヤシイひとです。
よし、逃げよう、と思い、そろりと後ろに下がりかけたところで、今度は「お願い!その方を助けたいんです!」と叫ばれた。
彼女が示す「その方」というのは、どうもイールのことのようだ。
しかし、イールがここにいるのは偶然あたしがここに出たからで、誰に指示をされたのでもない。
それなのに、どうして待ち構えていられたんだろう?
警戒心バリバリで「人違いじゃありませんか?」と訊くと、こちらに近づきながら「そう思っていただいてもかまいません。ただ、どうかお医者さまを紹介させていただくだけでも」とねばる。
なぜだか必死な様子だが、完全にまわりが見えなくなっているわけではないようで、近づかれたぶんあたしが下がると、彼女はすぐに足を止めて胸の前で手を組んだ。
「お願いです」と言う声は落ち着いているが懸命で、こちらを見つめるスミレ色の瞳は潤み、組んだ手は力を入れすぎて血の気がなくなっている。
天然アイドルの義姉をやっていると、人を見る目がよく試される。
どこへ行ってもあらゆる人の興味を引きつけてしまうため、善人顔してとんでもない悪人だったりするヤツまでまとめて一網打尽にされて、ふらふらと逆ハーレムに加わってきてしまうのだ。
しかも天音本人は基本、無邪気で無防備で面倒見の良い性格なので、相手の悪意を想定してニュアンスを読め、というのは不可能に近い(たまに本能とかカンで見抜くが)。
結果、そうした害虫を見極めて駆除するのは、あたしの生活の一部となっていた。
早めに駆除しとかないと、ソイツが起こすトラブルに天音ごと巻き込まれて、たいへん面倒くさいことになるのだ。
・・・うん。
この人は、だいじょうぶ。
そうして必然的にみがかれた目が、彼女に害意や悪意は無いと判断した。
それなりの警戒は必要だが、自分の目まで疑っていては何もできなくなる。
果てしなくアヤシイが、いざとなったらまた逃げればいいわけだし。
なんかあたし、今度はイールの事情に巻き込まれたっぽいなー、と思わなくもなかったが。
とりあえずスミレ色の瞳にうなずき、「お医者さんのところへ連れて行ってもらえますか」と頼んだ。
全身でほっとして「はい」とうなずき、案内してくれるのについて行く。
歩きながら占い師の「アデレイド」と名乗った彼女は、歓楽街をすこし外れた裏街の、ごく普通の民家のドアを叩いた。
そうして出てきたのは、金色の髪とひげが伸び放題のモシャモシャで、しかも酒くさい大男というアデレイド以上にアレな人物だったが、イールに気づくと半分酔っぱらったように眠たげだった態度を一変させた。
あたしの腕から意識の無い少年をさっと取り上げて奥へ運び、診療台のようなものに乗せて手早く様子を見ると、これまでどこかに閉じ込められていて、鎖につながれていたのだろうとあっさり見抜く(鎖のアトが手足とのどに残っていたので、これはあたしでもわかるが)。
そして、まともに食事を与えられていなかったようだと言って、おそらく疲労と栄養失調だろうと診断した。
どちらも命にかかわるほどの重症ではないので、安静にしてきちんと手当てをすれば大丈夫だと聞き。
あたしは無意識に、イールが寝かされた診療台のそばにへたへたと座りこみ、顔を伏せていた。
良かった。
この子は死なないでいてくれる。
気絶する前ははっきり喋っていたし、大きな外傷はなかったし、呼吸がおかしいわけでもなかったから、おそらく命にかかわるような重症ではないだろうと。
思ってはいたけれど、いちおう医者だという大人からそう言われた瞬間、意外なほど緊張していたのが一気に崩れたようだった。
だって、この子と一緒にいた四人は、死んじゃったから。
へたりこんで動かないあたしのそばへ来て、「バルドーに任せておけば大丈夫ですから」とアデレイドが言った。
医者だと紹介した男に対する信頼と、女性特有の優しさがこもったその声に、さらに安心した。
が、いちおう。
影伝いに近隣の空間を掌握し、危険がないかどうかを探った。
結果、ゴチャゴチャといろんなものがあったが、この家にはバルドー以外の人間が住んでいる様子は無く、得体の知れない薬品のようなものはあるが、武器のたぐいも無さそうだとわかった。
探っといて言うのもなんだけど、裏街に武器無しで、よく生きてんなー・・・
あれか?薬っぽいのが実はけっこーな武器になるのか?
・・・じゃ、なくて。
とりあえず今は、彼らに任せよう。
うずくまったまま「ありがとうございます」と、かすれた声でつぶやいた。
そうして、すこしだけ休ませてもらおうとまぶたを閉じたら、いつの間にか眠りに落ちていた。
〈異世界二十四日目〉
目を覚ますと穴のあいた毛布があった。
かたいソファの上で寝ていたのに気づいて何でだろうと首を傾げ、起きあがると向かいの壁際に置かれたベッドの上に、ぐっすりと眠りこんだイールを見つけてようやく状況を理解する。
謎の占い師アデレイドが紹介してくれた看板のない医者、バルドーの家だ。
うん。
イロイロと思うところはあるし、ツッコミたいところもあるけど、今はスルーしとこう。
大事なのはふたりとも生きてるってことだ。
・・・・・・生きてるよね?
ソファから離れてイールのそばへ行き、手を伸ばして呼吸を確かめた。
息、してる。
ほー、とぺったり座りこんだら、なんだかいい匂いがするのに気づいてお腹がなった。
どうも、この匂いで目が覚めたみたいだ。
そーいえば、昨日は朝ごはんしか食べてなかったなー。
思い出したらよけいにお腹がすいてきたので、とりあえず上着を亜空間に片づけ、左腕部分がなくなっている服を別のものに替えて、部屋を出た。
かたいトコで寝てたせいか、ちょっと体がこわばってて、足元がふらついた。
ここはちいさな家で、隣は廊下なしの続き部屋だった。
それはいいのだが。
その部屋の中央にある四角いテーブルの前、ギシギシきしむ木のイスに座った金色のモシャモシャ頭の大男は、酒ビンに口をつけてラッパ飲みしていた。
朝っぱらから酒か、このヤミ医者。
この人に任せてだいじょーぶだろーかと、いまさら心配になったが、かろやかな足取りでキッチンの方から現れた銀髪美女に「あら、起きられたんですね。具合はいかがですか?」と親しげに訊かれたので、知り合いじゃないよなと記憶をたぐりながら「どちらさまでしょーか?」と首を傾げた。
ゆたかに波うつ銀髪をひとつに束ねた綺麗なその人は、スミレ色の瞳でくすりと優しく笑い、「アデレイドです」と答えてくれた。
あー・・・
昨日は黒いベールで顔が見えなかったからねー。
いちおう謝りながら促されるままバルドーの向かいに座り、アデレイドの用意してくれたごはんをいただいた。
素朴な味付けでほとんど肉は無く、野菜ばかりだったが、とてもおいしかった。
アデレイドにそう言うと、ほめてくれてありがとうと素直に喜んでくれたが、ちらりと隣を見て、誰かさんはお酒ばかり飲んで料理を味わってくれないので、自分の料理の腕がだんだんわからなくなってきていたところだ、とこぼした。
遠まわしに黙って食べていることを批難されたバルドーは、知らん顔で酒を飲んでいる。
女の人に料理作ってもらったら、とりあえずほめとくもんだよーと思ったが、もちろんあたしは何も言わなかった。
それにしても。
銀髪美女で占い師だとかいう、謎なアデレイドと。
金髪モシャモシャで酒飲みの大男な、ヤミ医者バルドー(看板無しの民家の奥に診療台とか薬品とかが揃ってるから、たぶんヤミ医者・・・かなー、と)。
地で「美女と野獣」がやれそうな二人は、どういう関係なんだろうか。
バルドーのために料理をよく作ってるみたいだし、アデレイドはこの家のどこに何があるのか、訊かなくてもわかっている様子でてきぱきと動きまわっている。
この家には、バルドー以外の人間が住んでいる様子は無かったはずだが、はて?
見ているだけではさっぱりわからなかったので「恋人?」と訊いてみたら、ひげの奥でにやっと笑ったバルドーが「そう見えるらしいぞ?」とアデレイドに言い、銀髪美女はほんのり頬をそめて「ただの知り合いです!おかしなこと言ってないで、もう休んでください!」とあたしを叱った。
どうしてあたしが叱られるんだろーか?
とは思ったが、いちおうあたしも女だ。
恋人になる一歩手前で、アデレイドがうろうろしてるのを、バルドーが様子見てんのかなー、という感じは察した。
まあ、ただのカンで、実際は違うかもしれんけど。
というか、料理上手な銀髪美女の相手が「何でコレ?」と訊いてみたい気がするけど。
首を傾げてバルドーを見ると、医者には見えない酒飲み男はまだにやにやしていたが、それ以上アデレイドをからかおうとはせず、お前も昨日は熱を出していたから、今日は寝とけとあたしに言った。
あー。
なんか体がふらつくなーと思ってたら、熱が出てたのか。
お腹すいてるとか、かたいトコで寝てたせいじゃなかったのね。
でもべつに、風邪をひくようなことはしてないし、そもそも元の世界じゃめったに風邪なんかひかなかった健康体なんだけど。
肉体的な疲労だろうか?ストレスとか、精神的なショックとかのせい?
・・・うん。
きっと肉体的な疲労です。
あたしの精神に、「ショックを受けたから発熱しよう」なんていう愁傷さは無いだろうし。
いまさらそんな可愛らしさは期待してないから、だいじょーぶだよ自分。
オトナの事情に首をつっこみたいとも思わなかったので、まだちょっと赤面しているわりと純情らしいアデレイドに追い立てられるまま、奥の部屋へ戻ってイールのそばに行く。
そして少年が異常なく熟睡しているのを確認して安心し、穴あき毛布に包まってかたいソファに寝転んだら、いつの間にか眠っていた。
どこででも一瞬で寝られるのは、数少ないあたしの特技のひとつだ。
学校の中庭にあるベンチはもちろん、ある程度の太さがあれば木の上でも平気(天音に見つかると「落ちてケガでもしたらどうするの?!」って涙目で叱られるんだけど、落ちたコトないよー?)。
そんなわけで、イールの看病は、献身的なアデレイドに全面的にお任せ。
あたしは一日、眠ってはふと目覚め、食事をいただいてはまた眠った。
時折。
家の外を子どもが騒ぎながら走っていったり、表に誰かが来てバルドーと話す声が聞こえたり、頬にかかった髪をそっと払ってくれる優しい女の人の手を感じたりした。
レグルーザは今、どうしてるのかなー・・・
天音、ケガとかしてないといーんだけど・・・
イールの厄介事に巻き込まれずに、北の国の話、聞けないかなー・・・
ぼんやりと、いろんな言葉が浮かんでは、まどろみの中に消えてゆく。
静かな時間が、うつらうつらと過ぎていった。
ようやくの休息で、作者もほっとしてたりします。イロイロ放りっぱなしなのを気にかけつつ、一日寝てるリオちゃんでした。元の世界ではしょっちゅう昼寝してた子なのに、この世界に来てからわりと動いてたので、だいぶ疲れがたまってたのかも。今日はお休み。明日からまたがんばるお話は、これから書くので・・・。ちょっと更新がゆっくりになりそーです。