第三十一話「葬送。」
自称「北の帝国の第七皇子」に従う気はカケラも無かったが、何も言わずに名前だけ教えた。
彼のことは「イールヴァリード」といちいち呼ぶのが面倒だったので、略称で「イール」と呼ぶことになった。
イールはあたしの名前を聞くと、まずこう訊いた。
「リオ。メイジーとスーリは無事か?」
それが一緒に捕まっていた四人の女の子のうちの、二人の名前だと聞いて何も言えなくなった。
黙って首を横にふるのに、そうか、と低くつぶやいてうつむき、イールは奥歯をぐっと噛む。
すべての声を押し潰そうとするかのように口を閉ざした少年に、あたしはしばらくして息をつき、そっと訊ねた。
「あの子たちの家を知ってる?」
イールは長い沈黙の後、自分の知っていることをぽつぽつと教えてくれた。
二人とも孤児院育ちで、家族はいないと言っていたこと。
それぞれ別の孤児院から、あの魔法使いの男に引き取られてきたこと。
名前のわからない二人は、メイジーとスーリより先にいて、逃げようと暴れたために禁じられているはずの魔法で自我を縛られ、人形のようにされたと聞いたこと。
メイジーとスーリはいつ自分たちがそうされるのかと怯え、従順なふりをしながら、それでも逃げる方法を探して考えて、必死に生きのびようとしたいたこと。
狂える男に捕えられている間、ずっと鎖で縛られ、檻に閉じこめられたイールを見つけると励ましてくれ、きっと何か方法があるはずだと言い続けていたこと。
感情をふくまない淡々とした声で言いながら、かすかにふるえるちいさな体のなかでは、嵐のような想いが荒れ狂っているのが伝わってきた。
そうして話を終えると、あたしの顔を見て言った。
「声を殺して泣く女を見るのは、嫌いだ。」
まっすぐに前を向いて、ゆれる森の緑を睨んだまま、あたしはうなるように答えた。
「じゃあ、みるな。」
イールはじっとあたしを見あげていたが、やがて無言で視線をそらした。
腕輪に“闇”ごと喰われて一時的に抜けていた感情が、今また、あざやかによみがえっている。
怒りとか悲しみとか悔しさとか。
いろんなものの混じった呼び名の知れないその嵐は、ゆっくりと遠ざかるのにいくらかの時間を必要とした。
声が出せるようになると、あたしは顔をぬぐって訊いた。
「イール。どうやって弔ってあげるのがいいと思う?」
「遺体があるのか?」
「うん。四人ともさらってきた。」
「でかした!」
イールは急にぴしりと背筋をのばした。
どうやってさらってきたかなど、訊きもせず。
「わたしの“初源の火”で送ろう。あの娘たちがただ朽ちるのは、我慢ならん。」
空にかざしたほそい指の先で、パチパチと魔力が踊った。
そしてどうやって知ったのか、向こうに川があると指差し、そこへ連れて行けと命令してきた。
・・・君、膝の上に乗っけてるだけでも、わりと重たいんだけど。
あたしにそこまで担いでいけと?
「わたしがどれほど手荒に扱われたか、それほど聞きたいか?」
ああー・・・
なんかもう、イロイロあきらめた。
たぶん、レグルーザの前から逃げたことで、今まであたしを縛っていた何かがゆるんでもいたのだろう。
ヤケになっているつもりはないが、あたしはとくに葛藤もなく“闇”と感覚を同調させて近隣の空間を掌握し、イールが示した方向に川を見つけると、また“闇”を渡って誰もいない綺麗な川辺に移動した。
呪文を詠唱することもなく、黒い幕のようなものをかぶった一瞬で空間を転移したことに、イールは驚いたようだった。
しかし開きかけたその口は、あたしが四人の女の子たちを“闇”から地上へ戻すと、すっと閉じられてかたく引き結ばれた。
あたしはイールを近くのおおきな石の上へおろして座らせると、川べりに寝かせた女の子たちのもとへ歩いていった。
腕の血は止まっている。
頬を濡らしていた涙はかわいている。
そして、二度と目覚めない眠りに閉ざされたその顔は、悲しみと苦しみと恐怖にこわばっている。
近くにしゃがみ、ひとりの額にかかった髪をそっと払おうとしたけどうまくできなくて、自分の指先がふるえていることにようやく気づいた。
両親の棺に、白い花を入れた時のことを思い出す。
十年前、わたしは交通事故で一度に両親を亡くした。
当時はまだ幼かったからなのか、誰に何と言われても「死」というものを理解しようとせず、葬儀の間もまったく泣かなかったのだとずいぶん後で聞いた。
年齢のせいか、精神的なショックのせいか、断片的な記憶しか残ってないので、そんなことを言われても当時の自分が何を考えていたのかなどわからないのだが。
ただひとつ。
まぶたを閉じた両親の棺へ花を入れる手が、どうしようもなくふるえていたことだけを。
どうしてかずっと、覚えている。
「リオ。」
イールに呼ばれて、そばへ戻る。
彼はこれから、彼女たちを送るために“初源の火”というのを熾すという。
けれどそれは魔力を糧に燃える火で、今の自分の力では足りないかもしれない。
だからあたしの血を彼女たちの額につけておけ、と命令してきた。
従えなかった。
あたしの血は純度の高い魔力を含んでいるから、確実に彼女たちを送るのに必要だと言われても。
理屈としてはわかる、が、どうしても心がうなずかない。
イールの熾す火がきちんと燃えるように、「あたしの血」をかけろというそれは。
もうじゅうぶんひどい目にあった彼女たちを、この上あたしの血で汚せというの?
動かないあたしに焦れたのか、それならもっと血を寄こせと言うので、短剣で指先を切って差し出したら呆れた顔をされた。
君が寄こせと言ったんだよ。
イールはため息をついてあたしの手を掴むと、血のしたたる指を口に含んだ。
魔力を食われるのにまたトリハダが立ったが、今回はイヤだとは思わなかった。
そうして冷静になってみれば、エイダが魔力を食べるのを喜び、戯れの延長のような態度でそれを味わっていたのに対し、イールは乾いたのどを潤すために水を飲んでいる、という程度に考えているようだと気づく。
魔力を食うものにも、それぞれ違いがあるようだ。
しばらくして指を離すと、イールは苦い口調で「深く切りすぎだ」と言った。
手がふるえていたせいで、思ったよりざっくり切れたようだ。
そういえば、最初に噛まれたところもまだ血がにじんでる。
・・・あ。
わざわざ新しい傷を作らなくても、ここからあげればよかったんだ。
バカだな、自分。
改めて傷口を見るとじくじくとした痛みを感じたが、口を閉じたまま、亜空間から取り出したハンカチを二つに裂き、傷の上をきつく巻いておいた。
おかーさんに教えてもらった、圧迫止血。
「始める。」
石の上で座りなおし、呼吸を整えて集中しはじめたイールから、数歩離れた。
イールは胸の前で手のひらを合わせてしばらくじっとしていたが、やがてその手をゆっくりと左右に開いた。
手のひらの中にあいた空間に、ぽうっと灯った白い火は、またたく間におおきくなってイールの両手を包みこむ。
魔力を糧に燃えるその不思議な火を、イールは両手ごと前に突き出して命じた。
「葬送。」
白い火がグワッと膨れあがって四人の女の子たちを飲みこむのと同時に、閃光弾がさく裂したような光が爆発した。
そのまぶしさに反射的に目を閉じたあたしは、しばらくしてまぶたを開き、唖然とした。
女の子たちがいた空間が、その下の石ごとえぐり取られたようにぽっかりと消えている。
あの白い火は、どれほどの高温だったのか。
川の水がそのくぼみに流れ込んできたが、えぐられた地面に触れた先から蒸発していき、あっという間にすさまじい量の水蒸気が立ちのぼった。
濃い霧のようなその水蒸気は、生きもののようにうねりながら視界をおおう。
白くぬりつぶされた世界に、イールの声だけが静かに響いてきた。
「ヴァングレイ帝国は神と決別した者たちの末裔。ゆえにわたしは祈りの言葉を持たない。
だがたとえ持っていたとしても、お前たちを救わなかった西の国の女神に、わたしは心から祈ることはできなかっただろう。
光の女神に祈りを捧げていたお前たちに、まずそれを詫びておく。
お前たちは己の咎なく立たされた苦境で、折れることなく勇敢に戦った。
戦士の国の皇子として、わたしはお前たちの強き心を讃え、この想いとともに送る。
メイジー。
スーリ。
それに、名も知らぬ二人の娘よ。
お前たちの名も、呼んでやれれば良かったのだが・・・
戦士の剣を心に持つ、勇敢な娘たち。
静かなる冥府へ迷いなく行き、安らかに眠れ。
お前たちの優しき魂は、永久にわたしの記憶へ刻まれた。」
イールの声が消えてしばらくすると、誰かがその言葉を聞き届けてうなずいたかのように、強い風が吹きこんできて霧が払われた。
黙とうを捧げていたあたしが顔をあげると、その白いもやのなかに何を見ていたのか、イールは目を細めて空へ流れてゆくそれを見送り。
崩れ落ちるように倒れた。
題名通り、今回は静かな話になりました。同時にこの世界の宗教観が、すくなくとも北の国と西の国では違う、というのもちらっと出てきましたが。戦士の国式なお見送りの後、皇子が気絶してしまったのでそのへんは後回しで。次回は久しぶりの休息が、とれる、かなー?
6月30日、わかりにくい部分がありましたので、リオちゃんの両親についての回想を書きなおさせていただきました。・・・まだわかりにくいようでしたらすいません(汗)。