第百十話「嫌な予感ほどよく当たる。」
「何をボンヤリしているのですか! 今です! 相手が驚いている今こそ、たたみかけてこちらの流れに引き込むまたとない好機ですぞ姫さま!」
少女の細い腕にはりついた蛍光グリーンのトカゲが、一応ささやいているつもりなのか、先ほどよりも音量を落とした声でキーキー言う。
あたしもレグルーザも、確かにいきなり「一緒に生け贄になってください」などと初対面の少女に言われた驚きでぽかんとしているが、トカゲのその声を聞き逃すほどほうけているわけではない。
しかし彼らはそんなことまるで考えていないらしく、(いったい何なんだろう、この一人と一匹の珍妙なコンビは……?)とあたし達が眺める前で、少女はトカゲを見おろして困った様子で訊ねた。
「でも、フープ。ほかには何を言えばいいの? 必要なことはぜんぶ、お話ししておいてもらえるはずでしょう?」
どうやらこの子は、言われたことをそのままやっているだけらしい。
だから必要な指示を与えるべくビッタリくっついているのだろうトカゲが、また甲高いキーキー声でささやく。
「不測の事態というものです! 物事はいつもうまくいくとは限りません! 大きなことを成そうするものには、大きな問題がふりかかるものなのです! となれば後はそれぞれが力を尽くして目的に向かい邁進するほか道はございません! つまり自分の頭で考えるのです、姫さま! さあ、何か良さげなことを喋ってかの魔女を籠絡するのです!」
ちょっと君たち、その相談ぜんぶこっちに丸聞こえなんですが、と言う気も起こらない筒抜けっぷり。
しかしおかげで出くわして数分のあたしでも、このトカゲがろくでもないヤツだということはわかった。
となれば、やることは決まっている。
この蛍光グリーンを引っぺがし、あたしの“忘れもの”である彼女を保護しよう。
「ろ、ろうらく……?」
トカゲに言われた言葉の意味がわからないのか、理解はできるが具体的にどうすればいいか思いつかないのか。
どちらともとれない様子で困惑している少女に向かって、あたしはすたすたと歩いて近づいた。
背後からレグルーザが「おい」と声をかけてきたけど、小柄な少女とお喋りトカゲにそれほど脅威を感じなかったのか、ひとまずはあたしの好きなようにさせてくれるらしい。
声だけかけてきたものの、強制的に立ち止まらせようとする様子は無い。
なのであたしは遠慮なく少女の三歩ほど手前まで歩いていってぴたりと止まると、行動に出る前に確認をとった。
「そのトカゲは、大事なもの?」
いきなり近づいてきたあたしに驚いたようで、綺麗な赤い目を丸くした少女は、そのままの顔でこくりと頷く。
そうか、大事なのか。そうすると、引っ掴んでべりっと剥がすのはマズイだろうか、なんて考えていたのを察知されたのか、彼女が戸惑いながらも口を開いた。
「あの、フープは、姉上様のお言いつけでわたくしのつきそいをしてくれている、宮廷道化師で、あの、その、だ、だいじ、です……」
喋るのが得意ではないのか、言葉をつまらせながらも少女がいっしょうけんめいトカゲを守ろうとしているというのに、当のトカゲが文句をつける。
「姫さま、姫さま! 大事なところが抜けておりますぞ! わたくしめはトカゲではなくカメレオンにございます! カ・メ・レ・オ・ン! ここ、大事なところでございます!」
相変わらずささやき口調のキーキー声はこちらに丸聞こえなのだが、少女は腕にはりついたトカゲへ律儀に「はい、フープ」と頷くと、あたしの方に向き直って丁寧に言う。
「魔女さま、フープはトカゲではなく、カメレオン、です」
うん、聞こえてた。最初から最後までぜんぶ。
と、言ってやるのもなんだかかわいそうな気がして、あたしは「わかった、カメレオンね」と答えて後ろを振り返った。
彼女がこのお喋りな蛍光グリーンを“宮廷道化師”と紹介したのが気になったのだ。
「レグルーザ。この国ではトカゲ、……じゃなかった、カメレオンが人扱いされるんです、っていう新常識があったり?」
「するわけないだろう」
トラの獣人の姿をした常識人は即座に答えたが、少女とカメレオンを見ると、ちょっとつまって言葉を付け加えた。
「俺の知る限りでは、だが」
「そうだよね。ありがとう」
常識的で真面目な答えをもらえたことに感謝しつつ、また少女の方へと体の向きを戻す。
もし、この国ではカメレオンが人扱いされるのが常識だ、と言われたなら、もしかして生け贄という言葉にもあたしの知らない別の意味があったりするかもしれない、と一瞬考えたが、たぶん考え過ぎだろう。
常識人レグルーザがいてくれよかった。
勝手に思考の迷路に落ちるところだった。
「あ、あの」
レグルーザとの会話を終えたあたしが自分の方を向いたのを見て、少女は何か言いたげな様子だったが、きっとまた生け贄うんぬんの話だろう。
どんな儀式に使われる生け贄なのか知らないけど、あたしにはそんなものになる気なんてないし、当然、この子が犠牲になるのを黙って見逃すこともできない。
「うん、話は後で聞くからね。今はとりあえず、この屋敷から出ようか。あたしと一緒に来てくれる?」
嫌がったら眠らせて強制お持ち帰りするしかないけど、それって誘拐とかいうやつじゃないかな、と思いつつ訊ねる。
すると、予想外の答えが返ってきた。
「えっ? あっ、はい!」
「なんと?! な、なりませんぞ姫さま!」
速攻で食いついてきた少女と、驚き慌てながらも彼女を止めるカメレオン。
少女はカメレオンが止めるとは思ってもいなかったらしく、(どうして?)という顔で腕にはりついている蛍光グリーンを見る。
「でも、フープ。もう儀式の完成に必要な魔力をお持ちなのは、『銀鈴の魔女』さましかいないだろうって、みんなが言っていたではありませんか。それなら、わたくしは魔女さまと一緒に行かなければならないのでは?」
カメレオンが「とんでもない!」と飛び上がった。
「この屋敷から出るなど、なりません! 何のために大勢の魔法使いが苦心してこの屋敷にたくさんの魔法をかけたと思っているのですか! すべては姫さまをお守りする、ただそれだけのためなのですぞ!」
ああ、それで何かを隠すような魔法ばかりかかっていたのか、と思わず納得。
おそらく自動発動系の罠がひとつも無かったのも、守るべき彼女をうっかり傷つけたりすることのないように、という配慮からだったのだろう。
そうして、ふむふむ、と納得しつつ、この蛍光グリーンの説得は諦めよう、と結論した。
まあ、最初からカメレオンの意見は聞いていないのだが。
「〈眠れ〉」
あたしは風の精霊に協力を頼み、呪文を唱える声をお喋りフープにだけ届けてもらった。
魔獣というより魔法生物ではないかと思われる“人語を使うカメレオン”に対して、それが効くかどうかは一種の賭だったけれど、幸運にもあたしの勝ちのようだ。
「な、なりまふぇん、ひめひゃ……、……ぐぅ」
呂律の回らない舌で何やらモゴモゴ言いながら、宮廷道化師フープはあっさりと眠りに沈む。
当然、少女は驚いたけれど、眠っているだけだとわかると「どうして急に……?」と首をかしげながらも、視線をあたしの方へと戻してくれた。
すこし話しただけでも礼儀正しいとわかる少女は、会話する時まっすぐに相手を見る。
おかげであたしが呪文を唱えてカメレオンを眠らせたことに、気付かなかったのだ。
「もうしわけありません、魔女さま。フープは、いつもは、こんなふうにはならないんですけれど」
腕にはりついたまま眠り込んだカメレオンが落っこちたりしないよう、もう片方の手で抱くようにそっと支えてやりつつ、本当に申し訳なさそうな顔で少女が謝る。
あたしは心の片隅にある良心が罪悪感にチクチク刺されるのを感じつつ、「まあ気にしないで」と平然として答えた。
今はこの子の保護が最優先だ。
こんな、彼女に自分の口から生け贄になる話をさせるような危ない場所には、もう一時たりとも置いておきたくない。
「レグルーザ、帰ろう」
もうみんな連れ帰る気満々でいるあたしが、すこし離れた場所で様子を見ていたレグルーザに声をかけると、近づいてきた彼が訊ねた。
「その子をどうするつもりなんだ?」
「え? どうする、って言われても。とりあえず保護して、それから……」
……それから、天音のところへ連れて行かなきゃ。
「それから?」
レグルーザが言葉の続きをうながす声で我に返り、自分の頭の中にいきなり浮かんだ考えに戸惑う。
天音のところへ? どうしてここでいきなり天音が出てくるんだろう?
いまだ名前も知らない少女を見て、その姿が今よりもうすこし幼い天音にだぶるのを感じ、あたしは思わず顔をしかめて額を押さえた。
いったい何なんだろう。
体調は問題ないはずなのに、頭の中が奇妙にねじれている、この感じは。
「……レグルーザ、あたし、なんかおかしい」
この少女は天音と同じく、将来美人になること間違いなしの可憐な美少女だと思うけど、だからといって天音に似ているわけではない。
なのになぜか、あたしの頭の中でこの子は天音の姿にだぶり、しかも同じ枠の中に入っている。
それは、守るべき大事なもの、という枠の中だ。
「そうか。自覚があるのなら、いつもよりはまだましだな」
自分で自分の思考が理解できず、あたしはけっこう深刻に告白したのだが、レグルーザの返答は平然としたものだった。
なんだろう、この温度差。
彼は普段のあたしを何だと思っているのか。
「リオ、お前はその子を連れて先にミケのところへ戻れ」
思わず額に当てていた手を降ろし、むぅ、とふくれ面をしたあたしに、レグルーザはかまわず次々と指示を出す。
「ここをこのまま放置していくわけにもいかんから、俺は残って後始末をしていく。お前はミケに事情を話して、後は彼の指示に従うんだ。間違っても、その子を直接、屋敷の中に連れていくなよ」
くぎを刺されて、ん? と首をかしげる。
とりあえずレグルーザのあたしに対する扱いについての不満は横に置いておいて、質問。
「屋敷にいきなり連れてっちゃダメっていうのは、マナーが悪いとかそういう理由のほかに、何かあったりする?」
ある、と頷いて、レグルーザは目線で少女の腕にはりついたまま寝こけているカメレオンを示した。
「もしそれが本当に宮廷道化師で、彼女がただの愛称ではなく“姫さま”と呼ばれる地位にある者だった場合は……」
そこでいったん言葉をきると、「お前のことだからな、嫌な予感がする」と小声でつぶやき。
それってどういう意味? と疑問符を浮かべるあたしに続きを言う。
「彼らを屋敷に入れていいものかどうか、ミケの判断をあおぐ必要がある。『教授』には政治不介入の誓いがあるからな」
政治不介入の誓い?
そんなのやってたのか、と首をかしげつつも「わかった」と頷くと、あたしはまたレグルーザとは別行動をすることになった。
できればこれ以上のトラブル増加を防ぐためにも一緒に行動したかったのだが、彼がやりたいこととあたしがやりたいことが違うのだから、今はしょうがないと諦めるしかない。
「この屋敷は同じ都の中にあっても魔法街とちょっと離れてるけど、レグルーザもできるだけ早く来てね」
わかっている、と頷いたレグルーザに、影伝いに大広間の状態を見て変わりないことを教え、まだ気絶したままの少年を守っている〈全能の楯〉を解除してあたしがいた痕跡を消す。
レグルーザはすぐ彼を保護するだろうし、この屋敷にいたドクロ仮面達はだいたい倒され済みなので、もう必要ないだろう。
「じゃあ、また後で。気をつけてね、レグルーザ」
「ああ、お前もな」
そんな言葉とともにかるく頷きを交わすと、空間転移の呪文を唱え、不安げな顔であたし達の会話を聞きながら立ちつくしていた少女を連れてミケの店へ移動。
この店は夜しか営業していないので、昼間は人気がなくがらんとしている。
「ミケー、いるー?」
空間転移の魔法には慣れているのか、少女はさして驚いた様子もなく、ただ移動した先の状況を知るべくきょろきょろと辺りを見まわしている。
あたしは奥に声をかけながら、そんな少女を「おいでおいでー」と手招きして、ミケの部屋へと連れて行った。
「おう、嬢ちゃんか。いきなり部屋から消えたんで、何があったのか『教授』が気にしてたが……」
いつも通り、うず高く積まれたクッションの上にでーんと座ってキセルをくわえた三毛猫は、あたしの後ろから顔をのぞかせた少女を見ると、二股しっぽをぶらりと揺らした。
「おいおい、嬢ちゃん。そのカワイイお姫さんは、いったいどこからさらってきたんだい?」
「さらってきたなんて、人聞きの悪い。ちゃんと同意をもらって連れてきたし、これは保護だよ。で、話せば長いんだけど、発端はレグルーザの誘拐でね。今ちょっと、『神槍』による『聖大公教団』の拠点壊滅に付き合ってきたところ」
「ニャにがニャにやらよーわからんが、話してくれんのなら、まあ、座ってくれや。ほれ、そこのおひーさんも、座んにゃ」
人間以外の生き物が人語を話すことにも慣れているのか、少女は「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀して、すすめられた椅子にちょこんと座った。
この子は本当に、見れば見るほど、何が間違ってドクロ仮面の拠点で「一緒に生け贄になりましょう」なんて言い出したのかさっぱり分からない、いいとこのお嬢さんだ。
魔法慣れしていて、彼女自身にもいろんな魔法がかけられているところを除けば。
「レグルーザに、後はミケの指示を聞くようにって言われてるから、最初から話すね」
「おう、そうかい。そんじゃまあ、じっくり聞かせてもらおうか」
じっくり、と言ってもそれほど長い話にはならない。
少女の隣にある椅子に座り、アンセムの屋敷の書庫にいたら風の精霊が飛び込んできた、というところから始めてかんたんに説明する。
ミケは話を聞き終わると、ぷかりと煙を吐いて、「なるほどにゃあ」とあきれ顔で言った。
「そんでお前さんは、名前も知らんその子をおいらンとこへ連れてきたってわけかい」
あたしの隣で少女がハッとして、次いで気まずそうな顔になった。
今はじめて、自分がまだ名乗っていなかったことに気付いたのだろう。
「まあ、あたしだって名乗ってないしね。それに、そんなことより、とにかくあそこから出ることの方が先だと思ったから」
へいへい、とミケはあたしの言葉を聞き流し、隣に座っている少女の方へと視線を向けた。
「おひーさん、おいらはミケってんだ。おひーさんの名前は、なんてーんだい?」
「あ、あの、申し遅れまして、すいません」
声をかけられた少女が、ちょっと口ごもりながらも丁寧に言って謝る。
そして優雅な動作でゆっくりと頭を下げ、再び面を上げると、どこかおどおどした控えめな笑顔を添えて名乗った。
「わたくしは、ナウラ、ともうします」
続く家名が無いことに、おや、と思ったのはあたしだけらしい。
ぷはー、と紫煙を吐いたミケが、「ふーむ」とうなって、つぶやいた。
「ナウラちゃんか。二年前に亡くなった、大公家の十三番目の娘さんも、たしかそんな名前だったような……。ああ、そうそう、その子もおひーさんと同じ金色の髪をしてたとかで、亡くなったって話が伝わった時は一部で大泣きする連中がいたとか。この国の連中は、大なり小なり、初代大公が好きだからにゃあ。同じ色の髪をした子孫が亡くなったってぇのが、たいそう寂しく思えたんだろうにゃあ」
えっ、とあたしが隣を見ると、少女は悲しげに眉を下げてミケの言葉を聞いている。
三毛猫はキセルから灰入れにぽとりと灰を落とすと、次の煙草をつめながら訊ねた。
「お前さん、あの公女サマだろう。どうして今、生きてるんだい?」




