第百八話「フラグ一つにトラブル二つ。」
〈異世界六十二日目〉
『教授』アンセムに手伝ってもらって大量の資料を読み終わった翌日、あたしは朝ごはんを食べ終わるとすぐ書庫にこもった。
イスに座ると机に自分のアイデアを書きつけておいた紙を置き、山積みにされている資料を片っ端からひっくり返しながら見比べチェックをしていく。
そうしてしばらくすると、頬づえをついてため息まじりにつぶやいた。
「このアイデアも試し済みかぁ」
アンセムの姉で、父親の魔法によって不老不死になったカミラさんを元の体に戻すための方法を考えているのだが、思いつくアイデアはたいていもうアンセムか二代目勇者の神埼さんが試している上に失敗している。
それはもう、「これだけ失敗しているのに、よく諦めずにいられるな」と感心するのをはるかに通り越して、ひたすらに研究を続けるその執念に背筋が寒くなるレベルの実験数なので、資料をあさればどこかに似たようなアイデアをもとに試行錯誤した記録があるのだ。
「うーん……」
これはちょっと、困ったなぁ。
さすがに同じ世界の出身なだけあって、神崎さんのアイデアとあたしの思いつくことはよく似ている。
その神崎さんのアイデアが全部失敗に終わっているということは、あたしの思いつきについても同じような結果になる可能性が高い。
「アンセムはカミラさんをただ単純に元の体に戻すんじゃなく、“今のカミラさん”を元の体に戻したがってる。つまりカミラさんの記憶というか、意識を欠けさせるようなことはダメ。
だから最大の問題は、体と意識をどう切り離して、体の方を正常な状態に戻すかっていうところになるけど。体と意識を切り離すっていう点で、もう、人の手にはあまる領域だよなぁ。
カミラさんの体にかかってる不老不死の魔法を解除する、っていうのも、けっこうな難題だっていうのに……」
頬づえをついたまま机の上に広げた資料を睨み、「ううむ」とうなる。
お酒を飲んで別人格状態になったあたしが「神さまじゃないとできない」と言ったそうだけど、それも頷けるほど難しいことだ。
「そもそも意識って体の中のどこにあるの? 神崎さんは脳にあると考えて、脳を保護しながらそれ以外の身体部分から魔法を取り除こうとしたみたいだけど。魔法が複雑に絡み合いすぎてて、脳だけ保護することができずに失敗、ってパターンが多いし。やっぱり魔法を解除するには、体まるごと、一気になんとかするしかないっぽい?」
しかしそうなると、意識の保護、カミラさんをカミラさんにしている何かを、体から一時的に取り出しておく必要があるように思える。
けれど、体から意識だけを取り出して保護するって、いったいどうやればいいんだろう?
「うーむ。こりゃ神語の出番かなぁ? カミラさんにかかってる魔法は古語で組まれてるし、アンセムも神崎さんも古語で実験してるけど。意識を精神とか魂と考えるなら、魂をあつかうのは神聖魔法の領域のような気がする。……あー、でも、神聖魔法はいまひとつ使い勝手が悪くて細かい調整きかないし、代償がなぁ」
めまいがしそうなほど数多くの実験を積み重ねてきているアンセムだけど、その資料の中に、神語を使っての試みはほとんど無かった。
「……古語は現象を操る言語で、神語は世界を記述する言語。古語の魔法を使う時に必要なのは魔力で、神語の魔法を使う時に必要なのは、世界への愛、か」
ふと、先日のアンセムの言葉を思い出す。
神語の魔法を使う時に世界への愛が必要、というのは相変わらずさっぱり分からないけれど、この言葉からアンセムが神語を使った実験をしなかった理由はなんとなく理解できる気がした。
「カミラさんを不老不死にする魔法は古語で組まれてる。つまり、この世界の理の中で、不老不死の魔法は成り立つ。だからそれを解除する魔法も、古語で組めるはず、ってとこか。
まあ、世界を記述する言語を使って軽はずみに理に干渉すると、後でどんなしっぺ返しを喰らうかわからないし、カミラさんの身の安全を考えると迂闊に手を出せない領域ではある、よねぇ……」
しかし古語を使った魔法での実験は、もうアンセムと神崎さんとでやり尽くした感がある。
だからアンセムはあたしを引きいれて、新たな発想が出てこないかと期待してるんだろうけど、こっちからすれば無茶ぶりもいいところ。
「ああ……。改めて考えてみると、とんでもないのを引き受けちゃったよ……」
ううむ、とうなりながら頬づえをついていたあたしは、頬からずるずると上にすべっていく手でとうとう頭を抱えた。
安全性を優先して、すでに実験し尽くされている古語を使った魔法で、それでも何とかできないか探り続けるのがいいのか?
新たな可能性を求め、その危険を承知した上で、まだあまり触れられていない神語の魔法を開拓してみるのがいいのか?
……と、考え込んでいた、その時。
扉も窓も閉め切ってある書庫の中に、何の前触れもなく風が吹いた。
「天音?」
ぱっと顔を上げて義妹の名を呼ぶ。
しばらく風の宝珠を使って連絡を取り合っていたから、風が吹くと反射的に天音の顔が頭に浮かぶようになっていた。
けれど、天音からの返事は無く、背中に埋め込まれている宝珠の状態もいつもと同じ。
そこまで考えたところで、そういえば今は天音と話すことはできないんだった、と思い出した。
天音が天空シリーズの楯を手に入れて勇者的にレベルアップしたら、なんかよくわからないけど風の宝珠経由での会話ができなくなったのだ。
でも、それじゃあ、この風は?
「シェリース?」
次に思い浮かんだ闇属性な風の大精霊の名を呼ぶも、これも空振り。
書庫の中に風を巻き起こしている小さな精霊たちが、慌てたようにくるくると舞い踊っているばかりで、シェリースが現れる様子はない。
「天音でもシェリースでもないってことは、……あっ」
ちょっと考えて、ようやく思い出す。
「レグルーザに何かあった?!」
つい先日、『傭兵ギルド』で頼まれた仕事をしに行く、と言って出かけるレグルーザの見送りの時、風の精霊に彼とホワイト・ドラゴンのことをよろしくお願いします、と頼んでいたのだ。
まさかレグルーザに何かあるとは考えていなかったものだから、思い出すのに時間がかかってしまった。
彼が出がけに立てていったフラグは天音が回収したし、まさかレグルーザ自身の方でも回収するなんてことが起きるとは。
フラグ一つにつきトラブルは一つで十分なんですが、二つもトラブル回収してくるとか、この世界のフラグ回収能力の高さはいったい何なんだろう。
もしかして、そういう世界の理みたいなものがあったりするんだろうか。
と、驚きのあまり変な方向に考えが転がりかけたけれど、今はそんなことしてる場合じゃない。
ガタンッ、とイスを倒す勢いで立ち上がったあたしが片手をのばすと、空中をてんでばらばらに飛び回っていた小さな風の精霊たちが集まってくる。
指先に触れる彼らと風の宝珠を通じて意識をつなぎ、どこからともなく響いてくる声を聞いた。
「待て!」
強く鋭く、誰かを止めようとしている。
レグルーザの声だ。
「……た。それなら……」
けれど、はっきりと言葉が聞き取れたのは最初の一言だけで、続く声は風の渦巻く音で途切れてよく聞こえない。
いったい誰と、何を話しているんだろう。
わからないのをもどかしく思いつつ、まぶたを閉じて途切れがちな声に耳をすませた、のだが。
「……う。……いや、……は」
ああもう! 何も聞こえん!
と、あたしが放り出すのは早かった。
「レグルーザが今どこにいるか、わかる?」
聞こえないものを聞こうと頑張るのをスッパリ諦めると、風の精霊に訊ねながら、亜空間倉庫に手を突っ込んで白魔女の衣装を引っぱり出す。
中の服まで着替えているヒマは無いから、とりあえず革製の長靴に履き替えて、白いとんがり帽子と銀の仮面、美しい白銀の毛皮で作られたマントを装着して完了。
同時進行で風の精霊が教えてくれたレグルーザの現在地を目標に、(あれ? 意外と近くにいるっぽい?)と頭の中で疑問符を浮かべつつ、魔法を構築して呪文を唱える。
「〈空間転移〉!」
鳴かぬなら、鳴いてるやつのところへ行っちゃおうぜ、ホトトギス!
(もはや字余りどころの問題じゃないなコレ)
というわけで、白魔女に変身するとすぐさまアンセムの屋敷から魔法で飛び出した。
レグルーザとの、一人で動くな、という約束は、その彼の元へ行くんだからいいだろう、と考えておく。
風の精霊が大慌てであたしのところへ飛んでくるような緊急事態が起きているなら、きっとレグルーザだって怒るどころの状態じゃないだろう。
そしてこちらとしても何が起きているのか本当にわからない状態で突撃するので、出来る限りの準備はしておこうと、いつも耳につけているイヤリングに触れる。
今回は杖として、ご協力よろしくお願いします、ルナ姉さん。
心の中でつぶやいて、主人の求めに応じイヤリングから杖へと形を変えた[幻月の杖]を手に握ると、ちょうどいいタイミングで空間転移の魔法陣が消え、見慣れない部屋に降り立っていた。
すぐ近くで「ギャッ」と悲鳴をあげて誰かが転び、同時にガチャガチャと金属がこすれるような音が響く。
「おっ、お前?! 今、どこからっ?!」
レグルーザの現在地を目指して転移した先は、見知らぬ屋敷の大広間のようだ。
家具を壁際に寄せて中央に空間をあけたそこで、鋼鉄の口輪をはめられたレグルーザが太い鎖で手足を縛られて床に転がされ、三人の男に取り囲まれている。
あたしの転移魔法に驚いて転んだのはレグルーザを取り囲んでいるうちの一人で、金属がこすれる音は、鎖で縛られているのに彼が起きあがろうともがいたせいで響いたもののようだ。
そして、そんな彼らから離れた場所には、ぐったりと倒れ伏した少年の首もとに抜き身の短剣を突きつけている男が。
「……!」
鋼鉄の口輪をはめられたレグルーザが、それでも何か言おうとしていたが、残念ながら聞き取れないし、何を言いたいのかもわからない。
そしてとりあえずあたしは、その男達を見た瞬間、これを使おうと決めた魔法を頭の中で構築した。
口と手足を拘束されながらも諦めず抵抗しているレグルーザの耳を“闇”の手でそっとふさぎ、同じく“闇”の力で倒れる少年に突きつけられている短剣が彼を傷つけないようにしてから、[幻月の杖]に魔力を流して呪文を唱える。
「〈眠れ〉」
白銀の杖からキラキラと光の粒子が散り(未熟者の証。はいはい、未熟者がここにいますよー)、ドクロ仮面に緑の服という、何度見ても下っ端やられ役なお揃いコスチュームを身にまとった『聖大公教団』の男達が、その場でバタバタと倒れて眠りに落ちていく。
サーレルオード公国の都に到着した日、広場で一人休んでいたあたしを無理やり眠らせて連れて行こうとした連中が、今日は逆に問答無用で眠らされていくその姿に、ちょっと溜飲が下がった。
こっちは襲われた被害者だというのに、こいつらのせいで役人に「『聖大公教団』からの脱走者じゃないか?」と疑われ、危うく逮捕されるところだったのだから、いまさら話なんか聞くつもりはない。
動くもののいなくなった部屋で、首に短剣を突きつけられていた少年が無事でいることをちらりと見て確認すると、あたしはレグルーザの耳をふさいでいた“闇”の手で、彼を拘束している口輪と鎖を引き千切るようにして壊した。
ガシャン、ガシャン、と太い鎖や口輪だったものの欠片が床に落ちて散らばり、耳をふさがれていたおかげで眠りの呪文を聞かなかったレグルーザが、ようやく自由になった体を起こす。
「さて、と」
聞きたいことは色々あるが、ひとまずこれで救出ヒーロー的なお仕事は終わっただろう。
じつに速やかでスムーズに完了したことに、ふむん、と満足げに頷いたあたしは、それでは最後の仕上げをしようと高らかに両手を広げてレグルーザに言った。
「助けに来たよ、お姫さま!」
我ながら良い仕事したし、次は感謝のハグのシーンだよね!