第百六話「ミケのお店で晩ごはん。」
イグゼクス王国で隕石山を造って天音に叱られ、逃げるようにサーレルオード公国の『教授』アンセムの家へ戻った後。
天音に言いたいことの半分も言えなかったあたしは書庫に座り込み、ダンダンと床を叩いて八つ当たりした。
「がんばったのにー! すっごい全力でがんばったのにー! アンセムが余計なこと言うからー!!」
「ええ? ぼくのせいなの?」
「だって考えてみたら死霊を片づけるのに洞窟を壊しちゃったらとか、穴がダメなら埋めればいいんじゃないのとか、みんなアンセムが言い出したんだし!」
「ぼくはあれで良かったと思うけど、リオは妹に弱いんだね。まぁ、ちょっと落ち着いて。久しぶりにいい仕事したし、ミケの店で一杯飲もうよ」
「やだし! 飲まないし! あぁもう、天音があんなに怒るなんて思わなかった~」
呼ばれて飛び出て問題解決! あとは「お姉ちゃん、ありがとう!」で帰るだけ、のはずが、いったいなぜこうなってしまったのか。
現実はゲームみたいに簡単にはいかないものだと痛感しつつ考えてみれば、やはり「善良で無害な魔法使いの名案」を実行してしまったのがマズかったのだと思う。
あれは「外道で有害な人外魔法使いの迷案」、あるいは「悪魔のささやき」だ。
あの時、あの言葉さえなければ、おそらくもうすこしマシな解決策で対処していただろう、と思う。
……うん、たぶん。
……きっと。
……何かマシなのを考えついていた、はず!
しかし、こんなことは今さらだ。
何を叫ぼうがどう考えようが、過ぎた時間は戻らない。
床を叩くのにも疲れて、ため息まじりにつぶやいた。
「はぁ……。早く帰ってこないかなぁ、レグルーザ。エリーさんのごはんは美味しいけど、もうここで留守番するのイヤだよ……」
ぐったりしたあたしは、その後もしばらく書庫の床でぐだぐだしていたが、アンセムがどうしてもミケの店へ行ってお酒を飲みたいというので、しかたなく夕食をそちらでとることになった。
こっちは魔法で洞窟を壊したり隕石山を造ったりした消耗でお腹を空かせているというのに、カミラさんが外で食事をしてくると聞いたアンセムがエリーさんに「料理禁止!」命令を出したせいで、家でご飯を食べられなくなったからだ。
一人で勝手に行けばいいのに、なぜだかあたしを連れていきたいらしい。
「おう。よく来たなぁ、嬢ちゃん」
店では二股しっぽの三毛猫ミケがぷはぁと紫煙を吐きながら笑い、きらびやかでちょっときわどい踊り子の衣装を着たお姉さん達も歓迎してくれた。
「あら、いらっしゃ~い!」
「きゃ~、お館さまがいるぅ~!」
「お客さんのお嬢さんも一緒なのね。今日はゆっくりしていけるんでしょう?」
開店前の準備中といった様子の店内で、「お館さま」と呼ばれるアンセムはあっという間にお姉さん達に囲まれた。
姿だけ若い人外魔法使いはそれに慣れているらしく、抱きついてきたり頬にキスしたりと熱烈に出迎えるお姉さん達とそれぞれ挨拶を交わして答える。
「久しぶりに飲みたくなってね。ぼくはいつもの酒とつまみ、彼女には食事を頼むよ」
「はぁ~い! それじゃあ今日はお館さまとお客さまの貸し切りね。みんなでたっぷり楽しみましょ!」
その言葉にあたしが「貸し切り?」と首を傾げると、奥の部屋からキセル片手に二足歩行でほてほて歩いてきたミケが言う。
「ここはもともと『教授』の個人所有物でな。店は『教授』が来ない時、おいらたちのヒマつぶしでやらせてもらってる。だからほれ、持ち主が来たらこの通りよ」
ミケがキセルで指し示すその先には、お姉さん達に取り囲まれて姿が見えなくなりつつあるアンセム。
大歓迎されてるね、と頷いてから、「ん?」と引っかかった。
「ここがアンセムの個人所有物だっていうのはわかったけど、それってあのお姉さん達も“こみ”で?」
もちろん、と当たり前のように頷いたミケに、思わず顔がひきつった。
声を小さくして訊ねる。
「それ、つまり、あのお姉さん達はみんなアンセムのものってこと……?」
「昔はなぁ」
ミケはそう答えると、「まぁ座って話そうや」と舞台のすぐ前の席へあたしを連れて行き、自分もイスへ飛び乗ってから言葉を続けた。
「そのへんはちょいと事情があってな。この家にゃあもともと『教授』の恋人が住んでたんだが、今は娘みたいなもんが住んでんのさ」
「『教授』の娘? みたいなもの、って?」
「みんな血のつながりはねぇってことだ」
話、聞きたいかい? とキセルを吸いながら横目で問われ、うん、と頷く。
いろいろあって疲れたし、今はちょっと現実逃避したい気分だ。
ミケは「ありゃあどれくらい昔のことだが、もう忘れちまったが」と話し始めた。
「この国に住み始めた頃の『教授』は今ほど引きこもりじゃなかったんで、周りの人間とそれなりに付き合いがあってな。そん時、どういうわけだかラビーニャって女に一目惚れされたんだと。まあ、ラビーニャは顔も体も性格も、すこぶるつきのいい女だったもんだからな、『教授』も彼女のためにこの家を用意したんだが」
いつだってうまいだけの話はねぇもんだ、とミケは笑う。
「彼女に惚れてるクズ男がいてなぁ。そいつが手下を使って嫌がらせをしてくるようになった。そりゃもう、飽きもしねぇで毎日毎日。そんでも『教授』は身を隠して住んでる上、『魔法院』にも監視されてるんで表立って喧嘩を買ってやるわにゃあいかねぇ。そいでおいらの出番となったわけよ」
ふむふむ、と頷きながら、運ばれてきた食事をいただく。
野菜や魚と一緒にお米を炊きこんだパエリアみたいなものと、よく煮込まれた肉などを薄いパン生地で包んで焼いたもの、それに濃厚な味の果物ジュースっぽい飲みもの。
まずは果物ジュースを一口。
とろりとして甘いオレンジ色のそれはみかんに似た味がして、濃厚だけどほのかな酸味のおかげでのど越し良く、とても飲みやすい。
そうしてのどを潤すと、次はこうばしい香りのパエリアを食べる。
よく味のしみたお米や歯ごたえのある野菜が美味しく、きれいに骨を取り除かれた魚の身もやわらかく口の中でほぐれて他の具材とうまくからむ。
辛みのある木の実のようなものが入っているらしく、時々つぶつぶしたものを噛み砕くと舌にピリッときたが、その辛みはあまり後を引かないので食欲が増すばかりだ。
「おいらはこの家の門番として、嫌がらせしてくる連中を毎日追い返したり、ちっと痛い目にあわせたりしてやってた。『教授』は最初から最後まで連中のことにゃあ無関心だったし、おいらも下らねぇ嫌がらせするしか能のねぇ野郎どもなんざどうでもよかったから、本当にどうしようもなくなるまでそのまんまでもかまわなかったんだが。
しばらくするとラビーニャがキレてなぁ。この辺りの裏街を仕切ってたそのクズ男のところへ乗り込んでいって、これ以上ちょっかい出してくるんならタダじゃおかない、って言っちまったんだ。そっからはもう、戦争状態よ」
パエリアをいくらか食べたところで、あつあつの包み焼きに歯をたてる。
こんがり焼かれたパン生地が、ザクリといい音をたてた。
次いで奥から甘辛い味付けのされた肉のうまみをたっぷり含んだ汁があふれてきて、口の中いっぱいに広がる。
うまうま、はほはほ、うーまうま~、……あっ、あふっ、あふっ!
「さすがにこの頃になると『魔法院』の監視が四六時中べったりだったもんで、やっぱり『教授』は動けなかったんだが。代わりにエリーが出て、むしろ解決が早くなった。ありゃあ細っこい娘なのは見た目だけってぇ魔法生物だからな。クズ連中が軽々ふっ飛ばされんのに目ぇ丸くしちまってよぅ。おかしいったらなかったぜ。……て、おい嬢ちゃん、聞いてんのかい?」
聞いてる聞いてる、とこくこく頷き、果物ジュースを飲む。
あー、熱かった。
できたてで運ばれてきたらしき包み焼きは中心部分がまだかなりの高温で、うっかり口の中に入れてしまったせいで舌をやけどするかと思ったが、なんとかぶじに飲み込めた。
「そう急いで食うんじゃねぇぞ。話聞きながらゆっくり食ってりゃいいんだ。……そんで、どこまで話したっけな? ……ああ、そうだ、裏街のボスだったクズ男をエリーが叩きのめしたところだな。
まあ、そんなワケでここから叩きだされたクズ男の代わりに、別のボスが要るようになった。事の流れで『教授』に取り仕切ってもらえねぇか、なんて話も来たんだが、そんなもんに興味を持つような御方じゃねぇからな。結局は他の男をボスに立てて、そいつじゃどうにもならなくなったら『教授』っつうか、おいらかエリーが対応するようになった。そんでまぁ、ここにもちょいちょい客人が来るようになったんで、ラビーニャが茶を出すようになってな。そしたらそのうち、なんでか悪党のとこから逃げてきた女たちが集まるようになって、ラビーニャの一声でその娘たちもみんな『教授』の女だってことになっちまって」
そのままよくわからないうちにここは「裏街の裏ボスの家」兼「『教授』の女たちの家」になり、「ミケがヒマしてるし、みんなが集まって茶を飲む所なら店にしてしまおう」ということでお店になり、現在に至るのだという。
「そんなわけで、あの娘たちは『教授』のもんだが、実際のところは保護されてるだけだ。いい相手ができたら嫁いでくし、嫁ぎ先で何かあったらここに戻ってくる」
パエリアをジュースで流し込んで、意外と良いことしてるんだ、と頷いた。
「自分のことしか考えてない自己中心的な外道かと思ってたけど、行き場のない娘さんたちを保護するなんて、エライことしてるね」
「ラビーニャが死んだ後、一時は全員恋人にしてよろしくやってたけどなぁ」
「うっわサイテー。あの外道、やっぱりサイテー」
ミジンコの身長分くらい上がっていたアンセムへの評価は、ミケの一言であっさりとさらなる深淵のマイナスに転落した。
顔をしかめながら包み焼きをかじるあたしに、二股しっぽの三毛猫はキセルを吸って、ふぅー、と紫煙を細く吐く。
「なるほどなぁ。嬢ちゃんは一途な男がお好みか。もっと南の、砂漠や荒野に住んでる人間達のあいだじゃあ、家族をじゅうぶん養える裕福な男が何人かの妻を持つのは当たり前なんだが」
「そういう人に向けて言ったんじゃないよ。あたしはアンセムのことをサイテーって言ったの。恋人が亡くなった後、その家で女の人を何人も囲うって。マトモな神経じゃできないでしょ」
「ふーむ? 別の家を建てて、そっちでやってりゃあ良かったってことかい?」
いまひとつ会話のかみ合わないミケに、「そういう問題じゃない」と即答して、ため息をつく。
キセル片手に三毛猫は不思議そうな様子で首を傾げた。
「『教授』は研究の合間の息抜きを楽しんでたし、女達も厄介な男から守ってもらえて平和に暮らせるのを感謝してたんだ。さして問題があるとも思えねぇんだが。まぁ、そう気にしなさんな。『教授』はもうそういう息抜きのしかたには飽きたとかで、今は誰にも手ぇ出してねぇからな」
飽きたから手を出さなくなったのか。
あたしの中のアンセムに対する評価は、もう地の底から這い上がれそうにないよ。
「……今いるお姉さん達は、そういうの、知ってるの?」
「おぅ。知ってる知ってる。そんで、自分も恋人になりたがってんのがいる。ほれ、『教授』が来たのを見て着替えに行った娘っ子がいるだろ、いま上から降りてきたのだよ。あの衣装、見てみぃな」
うん? とキセルで指し示された方を見て、思わず目が点になった。
あまりの衝撃に真っ白になった頭で数秒、彼女たちをぽかんと見つめ、はっと我に返ると大急ぎで視線をそらす。
同性のあたしでも目のやり場に困る、いっそ全裸より恥ずかしいんじゃないかという衣装が存在するなんて、初めて知りましたが。
べつにぜんぜん、知りたくなかった……
「ミケ、いくらなんでもあの衣装で踊らせるのは、お店としてどうなの……?」
「おいおい、嬢ちゃん。見損なわないでくんな。おいらがあんなん着せて踊らせるもんかい。ありゃあ店のモンじゃねぇ。あの娘らの私物さ」
し ぶ つ ?
全裸より恥ずかしいあの衣装が、私物、だと……?!
もうあと何年か先でよかった未知の世界に、まさかこんなところでさらっと遭遇するとは。
最初に来たとき、“見るな聞くな”であたしを素通りさせたのはこのせいだったんだね、レグルーザ。
今ここにはいない彼に向けて「ありがとう」とつぶやいてから、「頼むから早く帰ってきて……!」とうめくように低くうなる。
けれどそうすぐに帰ってきてくれるわけもないので、あたしは視線を下に落としたまま食事の続きに戻った。
「ここの店の料理もなかなか美味しいでしょ、リオ」
そうしてもくもくと食べていると、ようやくお姉さん達の熱烈な歓迎から解放されたアンセムが、綺麗な絵付けのされたカップと皿を手に現われた。
コトリとテーブルの上に置いたその皿には、あたしが食べているのとは違う、黄色っぽいパン生地で作られた包み焼きが乗せられている。
それは何? と訊ねると、食べてみるかい? と返されたので、今さらアンセムに対して遠慮など無いあたしは一個いただいた。
しかしそれをパクッと口に入れたとたん、とんでもなく後悔する。
「ーっ!!」
思わず声にならない声で悲鳴をあげるほど、辛い!
舌が痛い口が痛いめちゃくちゃ辛いーっ!
ジタバタもがきながら手をのばし、とっさに掴んだコップの中身を口の中に流し込むあたしに、アンセムが言った。
「あ。それぼくの[竜の血]」
今日は厄日か……!
〈異世界六十一日目〉
ふにゃふにゃと柔らかく、あたたかな何かにすっぽりと包まれて目を覚ました。
何とも言えない居心地の良さに、ネコだったらのどを鳴らしたくなるような気分でふぁ、とあくびをして周りを見て。
「ふぁっ?!」
硬直した。
なんであたし半裸のお姉さんに抱っこされて見知らぬベッドで寝てんのーっ?!
しかも踊り子さん衣装のお姉さんが同じベッドに三人もいるーっ?!
そしてあたしも踊り子さん衣装着てるだとーっ?!
「あわわ、あわわわわわ……!」
大混乱している頭で、それでもなんとか熟睡中の美人なお姉さんたちを起こさないよう、そうっと起きあがろうとがんばる。
あたしを抱っこしているお姉さんが「うぅん……」と悩ましげに眉をひそめてもぞもぞ動くのに、思わず息を止めて硬直しつつ、どうにか抜け出そうとがんばる。
……がんばった!
「はぁ、はぁ、はぁ……」
まだ朝起きたばっかりだっていうのに、なんかもうくたくただ。
どうにかこうにかお姉さんたちのベッドから抜け出したあたしは、肩で息をしながら見知らぬ部屋を後にする。
廊下の窓からさんさんと朝陽がさす、見知らぬ家の中はとても静かでちょっと寒い。
ぶるっと震えて、なぜか自分も半裸に近い踊り子さん衣装を着ているんだったと思い出し、亜空間倉庫からマントを引っぱりだして上にはおる。
そして悪いことをしに忍び込んだわけでもないのに、ぬき足差し足忍び足でそろそろと進み、下へおりる階段を見つけた。
それを半分くらい下りたところでようやく、ここはミケの店だと気づく。
けれど何だろう、これは?
一階のお店の中の様子が、昨日と違う。
「幻術で、花を降らせてる……?」
手をのばして掴もうとしても、するりとすり抜けて舞い落ちていく無数の花の雨。
バラにガーベラ、かすみ草にパンジーと、多種多様な種類の花がくるくる回りながら天井から降って降って、ずぅっと降り続けている。
何だこれは、と首を傾げながら誰もいない店内を見回すと、中央にある舞台の上でひらひら動いている見覚えのある物を見つけた。
水上都市シャンダルからサーレルオード公国へ渡る時、船に乗せてくれたレグルーザの知り合いから貰った、蝶の形の魔道具だ。
しかし亜空間倉庫に放り込んだままだったそれが、なぜそこにあって、この花散る幻術の再生装置になっているのか。
「もしかして、アレか。前レグルーザが言ってた、[竜の血]であたしがオチた後に出てきたとかいう、別人格のせいか……!」
きっとそうに違いない。
となれば、起きた時の意味不明な状況も、今自分がこんな寒くて似合わない格好をしているのも、ぜんぶソイツのせいだろう。
いったい何をしたんだ、アレは。
何をどうしたらあんな状況で目覚めるハメになるんだ。
「お? 嬢ちゃん、起きたのかい。まだみんな夢ん中だろうに、お前さん元気だねぇ」
舞台から蝶の魔道具を拾いあげて怒りにぷるぷる震えていると、背後から急に声をかけられてびくっとした。
慌てて振り向くと、キセル片手の三毛猫がこちらを見て、にんまりと笑う。
「レグルーザの連れだから、こっちもお堅い同類さんだろうと思ってたが。どうしてなかなか、やるもんじゃねぇか。あれから上でも遊んでたのかい?」
思わず涙目で叫んだ。
「あたしは何もしてないから! 無実! ぜったい無実だよぉぉぉぉっ!」
おぉぉぅ、ぉぉぅ、ぉぅ……
叫び声はしりすぼみに消えていき、花の降る店の中でがっくりと膝をついたあたしに、ミケがぽかんと目を丸くした。