第百一話「そのへんはあたしの仕事。」
「住んでた村が魔物に襲われて、一人で逃げてきた男の子、かぁ……」
夜、アンセムの家の客間。
いつもの時間に連絡してきた天音から新たなる厄介事の話を聞いて、あたしは「うーん」と眉間にシワを寄せた。
世界五大聖域の一つである【風の谷】を訪れて風の大精霊と契約した天音は、今、イグゼクス王国の使者たちと会うべく来た道を戻る旅をしているところだ。
この使者というのは、王国の奴隷問題を解決したい天音をたきつけてまんまと旅立たせた、タヌキな宰相の部下たち。
勇者パーティに『星読みの魔女』アデレイドが合流したことに慌てた宰相が派遣したもので、合流したら天音を相手に苦しい交渉をさせられる予定だ。
しかし、もう間もなく会えるだろう、という所までたどり着いた今日の夕暮れ時。
野宿の準備をしていた天音パーティの元へ、傷だらけの男の子が飛び込んできた。
「ぼくの村が魔物に襲われてるんだっ! 助けてっ!」
彼はそれだけ言うと気絶してしまったので、天音はまずお供の青年神官アルフレッドに治療を頼んだ。
次に、第二騎士ヴィンセントと魔法使いルギーを周辺の偵察に出す。
そして今は残りのメンバーと偵察二人組の帰りを待ちながら、男の子の治療を見守っているのだという。
「で、次はどうするの?」
答えは聞かなくても分かるけど、いちおう確認。
案の定、天音は「もちろん助けにいくよ」と即答した。
「まだちいさな子が一人で森の中を走って、傷だらけで助けを呼びに来たんだよ。放っておけないし、きっとわたし達の所から近い場所に村があるんだと思うの」
だから自分達が助けにいかなければ、と天音はすでに決意している。
やっぱりか。
予想通りの展開に「そうかー」と頷きつつ、しかしあたしはちょっと引っかかっている。
タイミング的に、今ここで天音に方向転換させることでいちばん得をするのは、宰相じゃないだろうか。
風の大精霊と契約することで勇者としての資格を示した天音を相手に厄介な交渉をする予定を、これでいくらか先延ばしにできるのだから。
ついでに言うなら、正義感の強い天音を他のトラブルで釣る、というのもタヌキ宰相らしいやり口だと思う。
が、タイミング的になんか引っかかる、とあたしが考えているだけで、確証はない。
「んん~。……アデレイドは何て言ってる?」
困ったときの魔女頼み。
未来を垣間見たり過去を知ることのできる『星読みの魔女』なら、きっと傷だらけで助けを求めてきた男の子が宰相の手先かどうかも分かるはず。
あたしは一瞬、丸投げで期待したが。
「アデレイドさんは具合が悪いみたいで、今は馬車で休んでるの。バルドーさんに聞いたら、一晩休めば大丈夫だろう、って言われたけど」
心配、と沈んだ声で言う天音に気づかれないよう、そっとため息をこぼす。
体調不良じゃ、しょうがないね。
うん。誰にだって、調子が悪いときはある。
けれど、そうなると相談する相手がいないな、とあたしは無言で顔をしかめた。
こっちはレグルーザが仕事に行ったばかりだし、向こうのヴィンセントも偵察でお出かけ中となると、いつも相談している人たちが誰もいないことになる。
どうしよう、と考えて、どうしようもないか、と一秒もかからず結論した。
相談相手がいないのなら、自分でどうにかするしかない。
いつものことだ。
が、今はレグルーザと“勝手に一人で動いたりしない”という約束をしている。
天音のところへ行って様子を見てくるのは、約束を破ることになるだろうか?
考えてみる。
まず、天音はイグゼクス王国にいるから、会いに行くには当然サーレルオード公国にあるアンセムの屋敷から動くことになる。
けれどレグルーザは一時、天音の所にいたことがあるから、彼の知らない場所に行くわけじゃない。
それに、もしも助けを求めてきた男の子が宰相の手先じゃなかったら、うちの可愛い義妹のすぐそばに彼の村を襲った魔物の群れがいる、ということだ。
そんな危険を放置して、あたしだけ南の国でのんびりしているわけにはいかない。
うん。やっぱりちょっと、出かけてこよう。
「天音。これからそっち行くから、いったん通信切るね」
「えっ?! お姉ちゃん、こっち来られるのっ?」
びっくりした様子で、天音の声がはずむ。
天音のところへ行くだけなら、風の精霊が居場所を特定して伝えてきてくれるから、呪文一つで転移できる。
あたしは出かける支度をしながら短く答えた。
「あんまり長くいられないけど、すぐ行くから。また後で話そう」
「うん! 待ってるね!」
嬉しそうな天音の声を聞いて通信を切り、外出用の服に着替えて一階の台所へ行く。
すると夕食の片づけをしていたエリーが気づいて振り向き、何かご入り用でしょうか、と訊ねてきた。
「いえ、これからすこし出かけたいので。アンセムはどこですか?」
「申し訳ございません。お館さまは地下の隔離空間にいらっしゃいますので、ただ今どなたもお通しできないのです」
この屋敷には地下に隔離空間なんてものまであるのか……
いや、いまさら驚きはしないけど。
そこでアンセムが何をしているのかは、あんまり考えたくないなぁ、と思う。
「じゃあいいです。出かけるっていっても、すぐに戻ってくる予定だし。……あ。そういえば、この屋敷も魔法で隔離されてますよね? 出かけるのに転移魔法を使いたいんだけど、弾かれたりします?」
それは問題ありません、とエリーがすぐに答えてくれたので、ほっとする。
どうやらアンセムは自分が転移魔法を使うため、屋敷を隔離する魔法と衝突しないよう組んだらしい。
見た目は子どもだし、やること言うこと理不尽だけど、さすがレグルーザが一目置くだけの知識と実力の持ち主だ。
あとはあの性格さえなければ、素直に尊敬できる魔法使いなのに。
まあ、無いものねだりをしてもしょうがない。
頭を切り替えて、天音の方に集中することにする。
「それじゃ、行ってきまーす」
「はい。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
丁寧に一礼して見送ってくれるエリーに軽く手を振って、彼女の足元から「ホー」と手を振り返してくれるマンドレイク数匹に笑いながら、頭の中で魔法を組み立てた。
「〈空間転移〉」
魔法陣が展開し、一瞬視界がその輝きで埋め尽くされる。
けれど次の瞬間にはもう、夜闇に沈んだ森の中、勇者一行が野営する小さな空き地に立っていた。
「お姉ちゃーん! ひさしぶりだねっ!」
顔を見るなり飛びついてきた天音を抱きとめて、まずはどこにも傷がないことを確認。
問題なく健康そうなので、返事しながらひとまず安心して辺りの様子を見た。
「久しぶりー、だっけ? ここんとこ毎日話してるから、ずっと一緒だったような気がしてたなぁ。まあ、元気そうで良かった」
いつもと同じように、焚き火は天音一行とアデレイド一行で分かれている。
天音の焚き火のところでは、神官アルフレッドが例の少年らしきケガ人を世話していて、第一騎士のギルベールと馬車担当の騎士ロバート・ダウロが火の番。
アデレイドの焚き火のところでは傭兵ブラッドレーが火の番をしていて、アデレイドとバルドーは馬車の中にいるらしく姿が見えない。
あたしはブラッドレーと軽く手を振り交わして挨拶し、焚き火の前に座っていたアースレイ王子がこっちに気づくなり姿勢を正して跪き、なにやら祈りはじめたことについては見なかったことにして(ああ、なんかアレ、だんだん悪化してるような気が……)。
……あれ?
ふと、天音パーティの人数が足りないことに気づいて、首を傾げた。
「天音。オルガとラクシャスはどうしたの?」
「オルガは今、近くの川へ水をくみに行ったところ」
ラクシャスはその手伝いについていった、とのこと。
以前のワガママ放題な彼からは想像もつかないその変化に、ちょっと驚く。
少年メイドのオルガによる、黄金ネコ獣人ラクシャスの躾は順調らしい。
なるほど、と頷いて、これでざっくり天音パーティの動向を把握。
次はこちらに来た目的を果たすため、風の精霊と感覚をつないだ。
かなり疲れるから、あんまりやりたくないんだけど。
久しぶりに使う、“精霊の目”。
「お姉ちゃん、何してるの?」
相変わらず闇属性にはキビしい輝きっぷりを発揮している光の勇者サマな天音が、まぶたを閉じたあたしに訊いた。
そこでようやく、そういえば転移してきた時に飛びついてきたのを抱きとめたままだったと、遅まきながら思い出す。
けれど今へたに動いて精霊とのつながりが途切れるのも面倒だったので、そのままの格好で答えた。
「辺りの様子を見てる。すぐ終わるから、ちょっと待って」
あたしの背中で手を組んで、天音は「ふぅん?」とこちらの肩にもたれるように小首を傾げた。
「なんだか、不思議。こっちに来たのは一緒だったのに、お姉ちゃんはどんどんすごいことができる魔法使いになっていくね」
どこか寂しげに言ったかと思うと、うん! と急に気合を入れて「わたしも頑張らなくちゃ!」とはりきる。
いや、おねーちゃんとしては、君はもうじゅーぶんがんばってるから、少しは手を抜くことを覚えてください、と言いたいのだが。
言っても聞いてもらえそうにないので、ため息をついて飲み込んだ。
どうにもならないことは置いておいて、今やるべきことへ意識を切り替える。
感覚をつないだ風の精霊たちの目を通して、辺りの様子を見た。
星の数ほどの命を抱いてたゆたう琥珀の大地の奥に、アクアマリンの地下水脈が流れている。
白銀の風が吹くとエメラルドの草葉が揺れて、樹上からほとりと黄水晶の木の実が落ちた。
遠く、山々にこだまして響く獣たちの声を聞きながら、感嘆のため息をつく。
生きて鼓動する宝石たちの万華鏡は、夜に見ても美しい。
けれど、それが意味するのは。
「うーん……。良いニュースと悪いニュースのパターンだなぁ」
たまにちらちらと瘴気の汚れた色が見えるものの、村一つを飲み込むほどの魔物の大群が迫っている、という気配は無く。
天音が考えるほど、助けを求めてきた少年の村は近くないように思う。
「お姉ちゃん。良いニュースと、悪いニュースって?」
うっかりこぼした言葉を聞いて、天音が不思議そうに訊いた。
あたしはだいたい周辺の様子を見てから精霊たちとの繋がりを切り、いつの間にか目を覚まして(おさんぽ)というイメージを送ってきていたジャックを(いいよ、行っといでー)と送り出す。
そうしてようやく動けるようになったので、くっついたままだった天音から離れ、一緒に焚き火の方へと歩きながら答えた。
「良いニュースは、この近くに魔物はほとんどいない、ってこと。……あ。今、全部いなくなった」
うちのわんこは魔物がお嫌いらしい。
とくに何の指示もしていないのに、あたし達のいる焚き火からいくらか離れた所にある木の影を通り抜けて地上に出たジャックが、少し離れた場所をうろついていた数匹の魔物を踏みつぶして消滅させたことに気づいて、言葉を付け足した。
天音はよくわからない様子で首を傾げる。
「いなくなった?」
「うん。とりあえず今、この近くに魔物はいない。油断は禁物だけど、今夜はたぶん安全だと思うよ」
「えーっと、それは、ありがとう? かな?」
なんでそうなったのかまったく説明してないのに、天音は律儀にお礼を言う。
あたしはジャックがやったとわざわざ言う気もなかったので、「どういたしまして?」と同じく疑問形で返して話を続けた。
「で、悪いニュースは、あの男の子の村っていうのはそんなに近くなさそうだから、行くにはちょっと時間がかかりそうだってこと」
「……そうなの」
焚き火のところに着くと、天音は神官青年が世話している少年を見つめて、表情を曇らせた。
「まだあんなにちいさいのに。たった一人で森を抜けて、遠くまで走ってきたんだね。食べるものも、身を守るものもなくて、きっとすごく怖かったよね」
それなのに、この子は、と天音は強い眼差しで顔を上げる。
「一番に、お母さんとお父さんを助けてって、言ったの。自分のことじゃなく、家族と村の人達を助けてください、って」
うん、と頷いて応じながら、心の中で苦笑した。
人を疑うという習慣のない天音は、疲れきって眠る少年を助けると決心している。
自分で言った通り、食べるものも身を守るものも持たない彼がどうしてここまで辿り着けたのかという不思議に、陰謀を感じることはない。
やれやれだ。
けどそれは、まぁ、いい。
そのへんはあたしの仕事だ。
「わかった。それじゃあ、気を付けて行くんだよ。あたし今日はもう帰らないといけないから」
来るなり「帰る」と言いだしたあたしに、火の番をしていた第一騎士ギルベールが「お前は何をしに来たんだよ」とあきれた顔をして、天音は「えっ? もう?」と不満そうにくちびるをとがらせた。
何となく言い訳するはめになる。
「いや、今レグルーザが仕事に行っててさ。出かける時はとくに何も無かったから、留守の間はあたしはどこにも行かないって話にしてあったのね。天音のところに様子見に行くくらいならいいだろうと思って、今こっちに来ちゃってるけど。まあ、だからあんまり、長居はできないってことで」
と言っているのに、レグルーザの仕事というのは何だとか、今はどんなところにいるんだとか、色々と質問攻めにされてしばらく焚き火の前で話をする。
けれどそれが偶然、ジャックが彼らを発見するまでの、あたしの足止めになってくれた。
森の奥、天音たちからだいぶ離れた場所で火も焚かずに何かを食べている、二人の男。
ジャックが見つけて(なんかいるー)と知らせてきた彼らを、“闇”と感覚をつないだあたしは彼らの近くの影に視覚をとばして確認する。
これ、宰相の手下たちかな。
盗賊って雰囲気でもないし、ごく普通の旅人って感じでもない。
……確認、してみたいなぁ。
記憶を操る魔法とか知ってるし、拘束系の魔法とかも使えるし。
ああ、目の前にニンジンをつるされた馬の気分。
エサにつられたいけど、レグルーザとの約束を破るようなことはしたくない。
うーむ。としばらく考えて、結論する。
「天音。そろそろホントに帰るから」
「あ、うん。引きとめちゃってごめんね。レグルーザさんに、よろしく伝えてね」
「はいはい。帰ってきたらよろしく言っとくよー」
天音はまだちょっと名残惜しそうにしながらも、ようやく解放してくれた。
あたしは来た時と同じように頭の中で魔法を組み立て、バイバイ、と軽く手を振りながらそれを発動させる。
「〈空間転移〉」
そしてまた、森の中に出た。