第百話「連係プレーでフラグ回収。」
「これって当てればいいの? 外したほうがいいの?」
いきなり始まったコイン当てゲームの答えを待つアンセムの前で、あたしは空中に浮かぶ半透明な三毛猫に訊いた。
ぷかー、と紫煙を吐いて、ミケが答える。
「どっちでも好きにすりゃあいいと思うが。外れたら『教授』が喜びそうだなぁ」
神崎さんの暗号、もとい彼が残した魔法研究資料の解読をぜんぜん手伝ってくれないアンセムの、喜ぶことをしたいという気分じゃない。
それならこっちにする、と目の前に差し出された二つの手のうち、右側を指さす。
「あたり~」
アンセムが両手を開きながら言う。
コインは確かに、あたしが指さした手の中に握られていた。
「リオは目がいいね。最初からぼくがどっちでコインを持ったか、分かってた」
「そりゃ、あれだけ分かりやすく握ってくれればね」
あまりにも分かりやすく指を動かすからフェイクかもしれないと思っていたので、肩すかしをくらったような気分で答えると。
「ミケ、そういうことだから」
美味しそうに目を細めながらキセルを吸うミケに、上機嫌な笑顔でアンセムが言った。
「客人が当てたから今日は会わないよ」
あれ? と思ったのは、どうやらあたしだけらしい。
ミケはまた、ぷかー、と紫煙を吐きながら答えた。
「ふむ、そうかい。そんなら客には、その言葉のまんま伝えておこうかね」
最初からその客人のことが気に入らなかったらしいミケは、にんまり笑ってふぅと消えた。
ミケの半分透き通ったような姿がなくなり、あたしは平然と昼食のサンドイッチをぱくつくアンセムを睨む。
「ちょっと、アンセム。自分の家でワガママするのは勝手だけど、無断で人を巻き込むのはやめてくれない?」
アンセムはなぜだかちょっと笑って、口をもぐもぐさせながらあたしを指さした。
「え、なに? どういう意味?」
こっちは何を言いたいのかさっぱり分からないのに、アンセムは説明しようともせず、あたしを指さす謎のジェスチャーを繰り返す。
そしてサンドイッチを食べ終わると、「さて」と立ち上がった。
「それじゃ、ぼくは君の魔導書の解読に戻るから。リオも続きに戻ってね~」
……どこまでマイペースなんだろう、この人。
小柄な体にはおったサイズの合わない白衣のすそを引きずり、アンセムはぶらぶらと歩いて部屋を出ていく。
その背中をため息混じりに見送って、まだ食べかけだった自分のサンドイッチをかじった。
やれやれ。
いきなり意味不明な会話に巻き込まれたあたしも迷惑だけど、彼の気まぐれで面会を断られた客にとっては、もっと理不尽だっただろう。
さっさと研究を終わらせて、この居候生活から抜け出さなければ、次は何に巻き込まれるか想像もつかない。
そこで昼食を終えると、ごろりと横になって休憩したいところを我慢して、あたしはまた研究資料を読む作業に戻った。
夕暮れ時。
「リオ。……すまん、邪魔をしたか?」
街から帰ってきたレグルーザが、書庫のドアを開けて声をかけてきた。
いつの間にか資料に集中していたらしく、その声に顔を上げて、もう日が落ちかけていることに驚く。
「や、いいよ。おかえり、レグルーザ。何かあったの?」
最近は夕食の時に顔を合わせて話すことが多かったのに、彼がわざわざ書庫へ来るのは珍しい。
何か起きたのかと思って訊ねると、レグルーザはぶらりとしっぽを揺らした。
「今日、知人と会ってな。ひとつ仕事を引き受けてもらえないかと、頼まれた。今も仕事中だと言ったんだが、手強い魔獣の討伐任務に苦戦していて、どうにか協力してもらいたいと繰り返し言ってくる」
彼には世話になったことがあって、断り続けるのが心苦しかった、と沈んだ声で言う。
なるほど。
義理堅いレグルーザのことだから、あたしのことさえなければ、きっとこころよく引き受けていた仕事なのだろう。
「じゃあ、引き受けてあげたらいいよ」
ここ数日、書庫にこもりきりだったあたしは、一緒にレグルーザの足も止めさせていたことを申し訳なく思いつつ言った。
「資料読むのにまだしばらくかかりそうだし、他に何も無ければ、その間はここから動かないから。あたしがこの家にいるうちは、レグルーザも安心して出かけられるでしょ?」
「……ああ。ここが安全であることは確かだ。お前がアンセムの元にいるということについて、別の意味での不安要素はあるが」
レグルーザは何とも言いがたい様子で答えた。
確かに、そこはあたしも同意する。
気まぐれで理不尽なアンセムは、次に何をするか分からない。
それに対していつまでもやられっぱなしになっていると、「これくらいのことならいいのか」と変な学習をされて、迷惑度が上がっていく可能性がある。
だからそうならないように、そろそろ仕返し&警告として何かイタズラをしてやろうかと考え始めているところだ。
まあ、不老不死の魔法についての研究が落ちついたら、今度はあたし達が元の世界へ帰る魔法の研究を手伝ってもらう協力者 (予定)なので、それほどヒドいことはしない。
「だいじょーぶ。ほどほどに仲良くやっとくから」
レグルーザをイタズラに巻き込む気はないので、ひらひら手を振って軽い口調で答える。
彼は迷うように低くうなった。
「そうか。いや、しかし。やはり……」
「うーん? レグルーザがそんなに迷うってことは、時間のかかりそうな、難しい仕事なの? ひょっとして、ここからすごく遠いところ?」
それならレグルーザかホワイト・ドラゴンに、風の精霊の守護をかけておこうか、と思いつく。
風の大精霊と契約しているあたしが乗ると、ホワイト・ドラゴンにも風の精霊たちが助力してくれるので、ものすごく速く、快適に飛べる。
だからあたしが乗らなくても同じように助けてもらえるよう、風の精霊に頼んでみたらどうだろうか。
「移動速度が上がるし、空の上でも息苦しくなくて、快適になるよ?」
そこで考えたことを話して、宣伝してみたのだが。
「俺のことは気にしなくていい。頼まれている仕事も、移動距離や相手の魔獣については問題ない」
じゃあ何が問題? とますます首を傾げると、レグルーザはひとつため息をついて、判断を下したようだった。
「わかった。では仕事を受ける。二日か三日で戻れると思うが、もしもそれ以上かかるようであれば、ギルド経由でこの家に連絡を入れる」
リオ、と呼ばれたので、はいな、と答えた。
レグルーザはちょっと脱力して言う。
「お前は……、まあ、いい。“あの”アンセムのそばでもいつもの調子でいられるのは、お前の強みだ。いいか、俺が戻ってくるまで、おかしな事件に巻き込まれるんじゃないぞ」
「いつも好きで巻き込まれてるわけじゃないし、もちろん気をつけるつもりだけど。それにしてもレグルーザ、今、すごくフラグっぽいこと言ったね」
この世界はかなり分かりやすく典型的なファンタジーRPG系だから、もしもレグルーザが今のセリフを『勇者』天音に言ったなら、ああ、彼が出かけた後で何か次の事件が起こるんだな、と予想できただろう。
が、幸運なことに相手はあたしで、しかも特殊な魔法によって守られた『教授』アンセムの家に滞在中だ。
さっきみたいに迷惑な気まぐれに付き合わされることはありそうだけど、魔導書の継承も終わっているし、さすがにそう何度も命の危険にさらされるようなことは無いだろう。
ゲームの無いこの世界の住人であるレグルーザは、当然ながら“フラグ”なるものを知らず、それは何だと訊いてきたけれど、説明するのは難しかったので聞き流してくれと答えて話を変えた。
「それで、いつ行くの?」
「できるだけ早い方がいいだろうな。討伐対象の魔獣は手負いで、追いつめられて凶暴化しているという話だ。これ以上の被害の拡大を防ぐためには、一刻も早く手を打たなければならない」
そうと決まればレグルーザの行動は素早かった。
まずはアンセムに話を通し、彼に仕えてこの国に長く暮らす魔法生物、門番で店番のミケに事情を話して情報提供を頼む。
「サンドワームの退治か。また、ずいぶんと面倒な仕事を頼まれちまったなぁ」
「大型の魔獣で、確かに手強い相手だった記憶はあるが。そこまで面倒だったか?」
「ああ、お前さんはしばらくこの国に来てねぇからな。知らなくて当然か」
ミケは片手に持ったキセルから紫煙をくゆらせながら、珍しく真面目な口調で語った。
「おいらは噂を聞いてるだけで、実際に見てるワケじゃねぇんだが。どうも最近、この国でも魔物が増えてるらしい。今までこんなに魔物の話は聞かなかったんだが、聖域へ続く南の大砂漠のあたりでも出るってんで、みんなピリピリしてやがる」
レグルーザの見送りでもしようかと、彼の後について回っていたあたしは、思いがけない情報にぴくりと眉を上げた。
聖域へ続く砂漠に、魔物?
聖域は天音が行かされそうな場所だから、できるだけ危険は排除しておきたい、と思って様子見に行った西の聖域【風の谷】で。
思いがけず大量にひしめいていた魔物相手に大型の攻撃魔法をぶっ放し、なぜだか闇属性の風の大精霊と契約してしまったことは、まだ記憶に新しい。
まさか、南の聖域【火の砂漠】も同じ状況だったりする?
サーレルオード公国は魔大陸からいちばん遠いから、魔物被害は少ない、と聞いていたはずなのに。
「聖域は大丈夫なの?」
我慢できず、会話に割って入った。
天音が行かされそうな場所だから気になる、というのも大きいけれど、今やこの世界の住人にはあたしの個人的な知り合いも多く含まれている。
レグルーザをはじめとする彼らに危険がおよぶ可能性があるなら、そしてそれを排除できる力が自分にあるなら、災いの芽は早めにつんでおきたい。
しかし。
「そりゃ分からんよ、嬢ちゃん。みんなも気にしちゃいるが、なにしろ聖域には誰も入れねぇからな」
知りようがねぇんだから、しかたあるめぇ、といつもの調子に戻ってのんびりと答えたミケに、出鼻をくじかれて勢いを失った。
どうすればいいのか、戸惑ったところへレグルーザの冷静な声が響く。
「リオ、出かけるついでにそれも調べてくる。俺が戻るまで待て」
彼は短く確認した。
「約束したことを覚えているな?」
もう一人で勝手に動いたりしない。
「うん、だいじょうぶ」
覚えてるし、約束を破るつもりもない、と頷くと、レグルーザはなだめるようにぽんとあたしの背をたたき、ミケの話を魔獣の件に戻した。
「ミケ、先の魔獣のことだが。具体的にどう面倒になっている?」
「だから、魔物さ。サンドワームはもともと大型で強い魔獣だろう? 普段なら瘴気にのまれて魔物化するようなことはねぇ。が、討伐されそうな時は別だ。傷ついて疲れたところに瘴気を浴びたら、さすがにサンドワームでもひとたまりもない。魔物化してさらに厄介な敵になっちまう」
ただ大型の魔獣を倒せばいいというのではなく、思ったより大変そうな仕事らしい。
けれどレグルーザは「そうか」と頷いただけだった。
今の話で何かに納得したらしい。
あたしは「あれ?」と首をかしげた。
「レグルーザ。そういう仕事って、珍しいことじゃないの?」
「西のイグゼクス王国や南のサーレルオード公国は魔物が少ないからな。他の国に渡らない者たちにとっては珍しいだろうが、魔物の多い北や東はそうはいかない。とくに大陸最北端のヴァングレイ帝国では、討伐中に魔獣が魔物化するなどよくある話だ」
ほへぇ、と驚きつつ感心していると、レグルーザはひとりごとのように続けた。
「それで皆が慌てていたんだな。南は昔から魔物の出現が少なかったせいで、瘴気から身を守る備えに甘いところがある」
各人の備えが薄かったことも問題だが、それ以上に対策を怠っていた『傭兵ギルド』の失態でもある、としぶい顔。
そんな彼に、うず高く積まれたクッションの上からミケが言った。
「そんならお前さんがどうすればいいか教えてやりゃあいい。……まあ、ぶらっと立ち寄っただけのランクSがそんなこと口にしようもんなら、次にどうなるかはお察しだがなぁ」
くっくっく、とミケは意地の悪い含み笑いをして、おいしそうにキセルを吸った。
あたしにはどんなことになるのかお察しできなかったが、先よりさらに苦い顔になったレグルーザを見れば、きっとすごく面倒なことになるんだろう、というのは分かった。
彼はどうも巻き込まれ体質的なところがあるから、このまま行かせるのはなんだか心配だ。
「レグルーザ。ここの人たちのことは、ここの人たちが何とかするしかないよ。どうしても助けてくれって頼まれたところだけ仕事したら、あとは任せて帰ってきてね」
思わず口を出すと、レグルーザは分かっている、と苦笑混じりに頷いた。
「仕事をして、情報収集をしたら戻る」
そして、「行ってくる」と出かける彼の背を「いってらっしゃい」と見送り、あたしは風の大精霊の名を呼んだ。
「シェリース。レグルーザとホワイト・ドラゴンを、お願い」
返事の代わりに優しい風が頬を撫でてゆき、白銀の輝きが一瞬、レグルーザの足下に散った。
その夜。
夕食をすませてから書庫へ戻ってまた資料を読んでいたら、窓も開けていないのに銀色の風が吹いた。
背に埋まった[風の宝珠]を通じて、天音の声が響く。
「お姉ちゃん、ちょっと聞いて欲しいことがあるの」
いつもと違うその様子に、これは厄介事だな、と察する。
なるほど。
レグルーザが立てたフラグを天音が回収して、風の精霊経由でキッチリあたしも巻き込まれる、という仕組みのようだ。
この世界の“お約束”系に対する安定感、ハンパないなぁ……
「お姉ちゃん? 今、忙しいかな?」
それにしてもなんという連係プレー、と思わず遠い目をしてため息をついていたら、返事をもらえなかった天音に心配された。
「や、何もやってないから、だいじょうぶだよ」
こんなところでこの世界のおかしな安定感にガックリしていてもしょうがない。
あたしはどんなトラブルに巻き込まれたのか、天音の話を聞くことにした。
「それで、今度はいったい何が起きたの?」