第7.6話】 声の消えた家で、私は“ヨイ子”になった ――母が消えた静けさの中で、幼い私が選んだこと
子どもの頃、家の空気が急に変わったことはありませんか?
大人の事情で、笑い声が消えたり、声が小さくなったり――。
私の場合、それは「母の入院」でした。
家から母の声が消えたとき、幼い私は「ヨイ子でいなきゃ」と思い込んでしまったので
### 麺と湯気と母の働きぶり###
我が家は製麺業を営んでいて、毎日が湯気と小麦粉に包まれていました。
特に母は働き者。疲れていても弱音を吐かず、いつも厨房に立っていた。
そんな母が、高熱を出したのは大晦日の年越しそばの日。
それでも仕事をやめずにいた母は、その夜、ついに倒れてしまったのです。
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### 結核の疑いと、母の不在###
診断は肺炎、そして「結核の疑い」。
母は長期入院を余儀なくされ、家から母の声が消えました。
退院して家に戻っても、母は布団に横たわったまま。
話しかけても返事はうなずきか、かすかな笑みだけ。
家には「母の気配」だけが漂っていました。
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### 明るすぎる父と、幼い私の違和感###
一方、父は朝から演歌を熱唱。
北島三郎や石原裕次郎の歌声が湯気越しに響き渡り、家は妙に明るかった。
私は思いました。
-お母さんがこんなにつらそうなのに、どうしてお父さんはそんなに明るくできるの?
きっと、父なりのおまじないだったのでしょう。
家を保つための「明るさ」だったのだと思います。
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### 私のおまじない=“ヨイ子”###
そんな父を見て、私も自分のおまじないを考えました。
それは――「ヨイ子でいること」。
母に迷惑をかけない。
父を困らせない。
元気で明るい“しっかり者の娘”を演じる。
本当は甘えたかったし、泣きたかった。
でも、その気持ちは心の奥に押し込んで、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせていました。
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### 母の代わりを探して###
私は外に「母の代わり」を探しました。
担任の先生、近所のおばさん、優しい叔母。
声をかけてもらうたびに安心できたけど、肝心の気持ちはうまく言葉にできなかった。
今になって思う。
この時期に、私は子どもながらに――
・自分で頑張る力
・人に頼る力
・そして「耐える力」
を、自然と身につけていたのだと思います。
小学生の私は「お母さん大丈夫かな」と心配しながらランドセルを背負っていました。
遊びたい気持ちより、家を守る気持ちを優先して。
母の調子が良い日は、それだけで世界が明るく見えた。
あの頃の自分を思い出すと、ぎゅっと抱きしめてあげたくなります。
あなたは子どもの頃、“ヨイ子”を演じたことがありますか?
家のために無意識に背伸びしたエピソードがあったら、ぜひ教えてください。
【次回予告】
ここで外伝は終了し、本編に戻ります。
第8話――
あれだけ元気だった義母の体に、ついに“本当の病気”が見つかります。
……人生のツッコミどころは、まだまだ続くのです。




