6.【クジラ】カシコイ、【クジラ】カワイイ、【クジラ】マモルモノ
潮風がへそを曲げることはなく、このひと月の航海はすこぶる快調であった。目指す《ティワリカ島》の目印となる灯台も、水平線より手前に目視できる。
目と鼻の先とも言える距離に《ティワリカ》の港がある。それなのに もう二日も、この海上に【一番星号】は足止めを食らっていた。
「現在、野生のバイコーン種の【クジラ】グループが《ティワリカ島》周辺海域を回遊しています。《ティワリカ》港の利用は見合わせて下さい」
海上に足止めされているのは【一番星号】だけではなく、一般の商船や旅客船さえ港に近寄らせてもらえない。後からやってきた小さな商船が【一番星号】の横をすり抜け、《ティワリカ》の港へ向かおうとしていた。
すると 滑り込むように一艇のボートが割って入り、商船の進路を塞ぐ。
「現在、野生のバイコーン種の【クジラ】グループが《ティワリカ》周辺海域を回遊しています。《ティワリカ》港の利用は見合わせて下さい」
ボートに乗った若い男女二人組が、拡声器を手に繰り返す。商船の甲板では 苛立つ男たちの怒号が飛び交っている。
「【クジラ】がいる程度で、港に入れねぇとはどういうことだ!!」
「バイコーン種なら危険はないだろう!? そこを通せ!」
「積み荷が腐ったらどう責任してくれるネ!? アナタ、弁償するカ!?」
ボート上の二人組に 轟々たる非難を商人たちが浴びせている。やれやれと呆れ顔で片割れの女が首を振ると、男の方は立てた親指を商船に向けた。
直後、二人組の乗っているそれと同じ紋章の入ったボートが何艇も現れ、見る間に商船を取り囲んでしまった。
「貴様らには慈しみの心がないのかぁ!!」
「【クジラ】さんたちが怖がります! そんな乱暴、しないでくださぁい!!」
「腐るような積み荷なんぞ、燃やせ燃やせ燃やしちまえーっ!!」
言うが早いか、ボート乗りたちは 次々と商船の甲板に火炎瓶を投げ込んだ。やがて甲板に火の手が拡がり、パニックを起こす商人たちを乗せた小さな商船は 逃げるように引き返していった。
「……まったく、乱暴な人たちですね。どうして言葉で理解してくれないのでしょう?」
「今の商船、見た限り乗客に嵐の民がほとんど居なかった。ゆえに皆、【クジラ】ほどの知能も持ち合わせていなかったのだろう。武力で解決するしか、なかったのだ」
同志のボートが親船に引き上げていく様子を眺めながら、拡声器を握った片割れの男は溜め息を吐く。
彼らはこの海を代表する【クジラ】愛護団体【パクスマーレ】の若き中枢、オレンジとライム兄妹だ。シャチ部族の嵐の民で、祖先は【クジラ】であったとの伝承から、一族を挙げて【鯨竜類】の保護保全を推進している。【鯨竜類】は皆 賢く愛らしい。殺したり食べたりなどと言語道断、人が護るべき存在である。
「しかしあの見慣れぬ船、二日前から ずっと居座っているな。そろそろ追い払った方が良いのでは?」
むっちりとしたボディラインに張り付くボディスーツに身を包み、潮風にプラチナブロンドを遊ばせている妹、ライムが 波に揺られて派手に煌めく帆船を睨んでいる。同じくむっちりとしたボディラインに貴公子然とした青いコートを羽織った兄のオレンジは、妹の肩にそっと手を置き、頭を振りながら微笑を浮かべた。
「ホエールウォッチングをしているのでしょう。彼らもきっと、【クジラ】を愛する同志です。放って置きましょう」
「そうか、同志か! ならば早速 奴らと熱く語らってくるとするか!!」
「私はたった今、放って置きましょうと 言ったはずですが?」
「すまん、兄上! 兄上の話 長いから、最後まで聞いていなかったのだ!」
【クジラ】に危害を加えるものでなければ、目クジラを立てる必要はない。
ひとまずは 彼らと共に【クジラ】の群れを見守るとしよう。
**
「パト、ティコは 何て言ってるよ」
海面に降ろしたボートの上で スナメリ種の飼い【クジラ】ティコの報告を、真剣な顔で年若い《水守》は受けている。状況を自分の中で整理してから、パトは【一番星号】から報告を待っている イセエビ部族の我らが船長に向き直った。
「バイコーンの子たちも 迷惑してるみたいですよ。そろそろ移動したいようですが、海上でドンドンパチパチやってるから 怯えちゃってて」
お疲れさま、と頭を撫でてから ティコを海中に帰す。ダンデにボートを引き上げてもらい、パトも【一番星号】の甲板に戻ってきた。
甲板には、退屈そうに欠伸を移し合いながら 荷箱に胡座をかいて海面を眺める レイネルとチョミィの姿がある。二人を冷やかしてからかうムームーの姿が見えないが、この様子だと見張り台で居眠りしていそうだ。
パトを連れて上がってきたダンデの影に気が付くと、口を尖らせたレイネルが声をかけてきた。
「なあ、キャプテーン。いつになったら進めんのー?」
乗組員が退屈しているだけではない、船の食料も消耗品も底が見えてきた。ダンデも船長判断として、そろそろ《ティワリカ》に着けたいところだ。
「ティコの斥候も終わったし、いい加減 動こうかと思う。バイコーンの連中には悪いが、少し脅かしてやらないとな」
「バイコーン?」
間髪入れずに返ってきたレイネルの問いに、ダンデの触覚がピクリと跳ねる。チョミィからは苦笑で、パトからは呆れ顔で 解説が返ってきた。
「【ニカククジラ】の俗称だよ。二本の牙が角みたいに伸びてる【クジラ】のこと」
「ティコの倍くらいの体長で、懐こくはないけど おとなしい子たちですよ」
「二人とも【クジラ】詳しいな」と感心するレイネルに、ダンデが軽く拳骨を落とす。「何しやがる」と向き直るより早く、「勉強しとけって言っただろ」と叱られた。
「この先も海で生きていくつもりなら、何が危険かくらい識っていなけりゃならない。その最たるモノが【クジラ】だろうが。……【パクスマーレ】のガキ連中は、そいつを理解してないようだがな」
ハン、と鼻で笑い、ダンデは望遠鏡を【パクスマーレ】の親船へ向ける。
「連中には、大好きな【クジラ】と 戯れてもらうとするか」
動きを見せる船旅に、勢い込んでレイネルも立ち上がった。
「お? やんのか!? あたしもチョミィも いつでも行けるぜ!!」
「えっ!? 僕はまだ何も言ってないけど!?」
「ムームーさんも混ぜてー!」
いつから聞いていたのか、生き生きした表情でお色気隊長ウーパールーパーも見張り台から滑り降りてくる。頬に木目の痕がついているところから、やはり居眠りしていたらしい。
「おっさん、痕ついてるぜ。顔 洗ってこいよ」
「お兄さん!! ……あらやだホントだ、美人が台無しじゃーん」
「ついでに装備 整えてこい。レイネル、チョミィ、てめぇらもだ」
「アイアイ、キャプテーン!(✕3)」
乗組員が戦闘態勢を整えるのを待ち、【一番星号】は動き出す。
まずは、挨拶を一発 ぶちかますところからだ。バイコーン種の【クジラ】の群れを囲うボートの一艇に、ダンデは狙いを付けた。
「【偽盟】で適当な一頭を味方につけます! 群れには当たらないように誘導しますんで、派手にくれてやってください!」
「おう、ありがとよ パト」
「えへへー」
子供らしくはにかんだ後、パトは小さな笛に思いっきり息を吹き込む。ムームーだけ 顔をしかめて耳を塞いでいたが、レイネルたちには何も聞こえない。
「あーもう、この音 苦手。何度 聞いても慣れないや」
「聞こえんのかよ、ムームー」
「《奏手》だからね。自分でも似たような発声 することもあるし」
【呪歌】の仕組みの一端を識り、なるほどとレイネルは納得する。対象は違えども、精神に干渉する技能として通ずるものがあるのだろう。
船上でそんなやり取りをしているうちに、ダンデの「ファイヤーッ!!」の声と共に砲撃が放たれた。着弾と同時に【パクスマーレ】のボートが一艇 弾け飛ぶ。
「って、キャプテン!? 人!! 人、乗ってましたよ!!」
粉々に吹き飛んだボートの残骸を指差し チョミィが抗議するも、ダンデは涼しい顔で次の弾の準備をしている。
「連中が言う通り、【クジラ】が助けてくれるんだろ」
攻撃されたことに気付いた他のボートが、【一番星号】へと 続々と向かい来る。顔色ひとつ変えない我らが船長に 半数ほど撃沈された辺りで、遂に親船が動きはじめた。
「よーし、動かせたな。ある程度 近づいたら、切り込み隊長 行って来い!」
「アイアイ、キャプテン!!(✕2)」
「えっ!? レイネル? ムームーさん?? 切り込み隊長って、どっちのこと!?」
「てめぇだ、チョミィ」
「何一つ 聞いてないですけど!?」
笑いどころのわからないダンデの冗談はともかく、この面子で暴れてこいとの指示が出た。過激な活動をしているが、【パクスマーレ】自体は賞金首ではないので 脅かしてくるだけでいいらしい。
「……あまり時間は掛けるな。船の武装だけ壊して、すぐ戻れ」
いやに真面目な表情で締めると、ダンデは切り込み部隊を送り出した。
「みなさーん! 行きはバイコーンたちに足場 作らせましたー! 背中を借りて行くと楽ですよー!」
「パト、グッジョブ!」
【偽盟】技能で一時的に【ニカククジラ】の群れを使役し、パトが【クジラ】の橋を架けてくれた。レイネルもムームーも 軽やかにその背を駆け抜ける。
「遅いよ、切り込み隊長!」
「ええ、だって、この子たち、僕が乗ると沈むんだもん!!」
急かすムームーに だいぶ後方からチョミィがぼやいて返す。ぷぎゅぷぎゅとバイコーンたちを鳴らしながら、ようやくチョミィも【パクスマーレ】の親船に辿り着く。振り返れば 足場を作っていたバイコーンたちは 皆、海中に沈んでしまっていた。
「……なんと酷い……」
甲板に侵入してきた【一番星号】切り込み部隊の前に、二つの丸い影が立ちはだかる「罪なき【クジラ】たちを足蹴にして 渡って来るなど……!!」。
「だから言ったではないか、兄上! 追い払った方が良いと!!」
「そうですね、私の判断ミスでした」
チョミィに負けず劣らずのむっちりワガママボディの嵐の民、シャチ部族の兄妹は あからさまに軽蔑の眼差しを向けてきた。
「海賊と言えど【クジラ】を愛する者であるなら、同志として見逃して差し上げるつもりでした。しかし我らは【パクスマーレ】! 【クジラ】を愛し、【クジラ】を護り、【クジラ】と共に生きる【平和の使者】!! その名をとくと脳裏に刻むが良い!! 全ての【クジラ】の守護者こと私の名はオレンジ……」
「ぅおのれ海賊!! よくも ちゃわゆい【ニカククジラ】たんの背中を 土に汚れた臭い足で踏みつけたなっ!! この全ての【クジラ】のつよーい味方、ライム様が成敗してくれるわっ!!」
兄 オレンジの長い口上が終わるのも待てず、妹 ライムが戦斧を手に斬りかかってきた。先手は取られてしまったが、レイネルは難なくそれを躱す。
「おいおい、あの お上品であたしみてぇに綺麗な船を見ろよ! どこをどう見りゃ海賊船に見えるんだよ」
「乗っている人間が、どこをどう見ても 海賊ではないか!!」
「言われてるぜ、ムームー」
「絶っ対、ムームーさんのことじゃなぁい!!」
「でも【一番星号】での海賊経験者は、ムームーさんだけですよね」
「チョミィくん、なんで知ってるの!?」
「キャプテンにもパトくんにも聞きましたよ」
「マジかよ、あたし聞いてねぇ」
「他人様の船まで乗り込んでおいて、身内の話で盛り上がるなっ!!」
大振りに薙ぎ払われる戦斧を避けつつ「そうだった」と レイネルも我に返る。目的は【クジラ】馬鹿どもをコテンパンに伸すことではなく、船の武装の破壊だ。
「レイネル、ライム様とやらの相手は任せていい? 僕は大砲とか見つけて壊してくる!」
「よっしゃ、任せろ! チョミィも頼んだぜ!」
「海賊どもめ、我らが船で好き放題させてたまるか!! 兄上っ!!」
船の武装解除に踵を返すセイウチ型ムチムチボディの前に、青いコートのシャチ型ムチムチボディが立ち塞がる。
「君も知恵ある嵐の民ならば、どれほど己が愚かな行いをしているのか 解るはずです! ホエールレッツラー!!」
「何その掛け声……ちょっと何言ってるか――解る気もないね。レイネルを守るために必要ないモノは、《ヤンカラ島》に置いてきたからさ」
「きゃあー! チョミィ、カッコ良すぎてシビれちゃうー!!」
「そうか??(✕2)」
チョミィとレイネルの通常運転を知らないオレンジとライムは、遠目に見ても判るほどに困惑している。意図せずしてできた隙に、チョミィはオレンジの足元を払い転がした。無様に倒れ込んだオレンジを、そのまま思いきり蹴押して ムームーのもとまで滑り込ませる。
「ムームーさん、パス!!」
「はぁい、おいでませぇ」「ヒィィィ、年増!!」
両手を広げて待ち構えるムームーの前で 直角に方向転換し、オレンジは積まれていた荷箱に激突した。あれは自爆、自分はまだ何もしてないと納得させ、チョミィは知らぬふりでその場を後にした。
「ギャハハハハ!! チョミィにムームー、ナイス連携!」
「なんと汚い手を使う連中だ! 小っちゃくてちゃわゆい 幼き娘しか受け付けない兄上を、あんな遊び慣れてそうな年増にパスするなど!!」
「あんたの兄貴が幼女趣味とか知らねーし。やっぱチョミィしか勝たんわ」
当たれば痛い戦斧でも 力任せで雑把な攻撃なら、レイネルには止まって見えるぜ案件だ。ただ、ライムのムチムチボディの防御は厚い。決定打となる一撃が なかなか決められずにいる。
それでも、チョミィが【パクスマーレ】の親船の攻撃用装備を無力化するまでの時間を稼げれば、戦果としては十分なはずだ。【パクスマーレ】の他の構成員は、ダンデとパトが【一番星号】から 遠距離で足止めしてくれている。もうしばらくの辛抱だ――……
「時間切れだ!! 野郎ども、すぐに戻れ!!」
パトの水守術により潮風で増幅された、ダンデの切羽詰まった声が 一帯に響いた。レイネルたち【一番星号】の乗組員だけでなく、【パクスマーレ】の構成員にも動揺が走る。
「珍しいな、キャプテンがあんなに焦ってんの」よそ見をするレイネルに、ここぞとばかりにライムは高々と戦斧を振り上げた。が、それと同時に大きく船が揺さぶられる。バランスを崩したライムの手から、真後ろに戦斧がすっぽ抜けた。
これは、パトの水守術による海面の動きとは違う。
「捕食者が来やがった! 間違いない、アイツらは……っ」
【チェバの女王号】でさえ小柄に見えるほどの長大な巨躯、黒くぬらぬらと そして白く妖しげに、凶々しく波間に蠢くそれは、
「……『オセロ』と『デスデモーナ』だ!!」
因縁の魔物、黒の【クジラ】と白の【クジラ】であった。
【NPC設定 ファイル その1】
[チェリオ・グラフトン]36歳 男性
・霧の民 バジェットガエル系部族
・バトルジョブ(推定)《奏手》
・オトナになっても少年の心を忘れない、純真と純潔を守り続ける漢たちの集う【チェリーガイズ海賊団】の船長。所有する船の名は【チェリンカ号】。
・純真と純潔が信条ゆえ、海上や港で はしたなくイチャつくカップルを発見すると 既婚未婚に拘らず襲撃を繰り返していた。死傷するような被害は出していなかったため 迷惑行為により指名手配され、賞金がかけられた。