第一章・8話 〜風神東〜
〜風神東の視点〜
「東様、こちらの書類にサインをお願いします」
「前々から思ってるんだけど、これ、俺がやる必要あるん?
誰でもできるよね、それこそ十音花ちゃんにでも」
「サラッと私に仕事を押し付けようとしないでください。
こういうのは、建前が大事なんです。
責任者が最終決定をすることによって、現場の方々が安心して業務に集中できるんです。
何かあったとしても責任者が何とかしてくれる。
その安心感を与えるのも、上に立つ者の使命です」
「そんなもんかねぇ」
「はい、東様は一度、大きな責任を取ることで曲がった根性を矯正した方が良いと個人的には考えております」
「えー、やだよめんどくさい」
筑馬県庁の知事室にて、オフィスチェアをギコギコ揺らしながら男が答える。
男の名前は風神東。
大東陽帝国を指揮する風神家の一員であり、知事として筑馬県を統括するエリート中のエリートだ。
24歳と肩書きの割には若いが、実力主義の帝国において年齢は何の意味もなさない。
彼が知事を務めているのは、単純に実力があるからだ。
当の本人は知事なんて面倒くさい職務、今すぐにでも辞めたいと思っているのだが、仕事はそつなくこなせているし、実はこれでも融通を利かせてもらっている方なので、文句は言えない。
本来であれば、より責任の大きい、より面倒くさい役職を与えられるはずだったのだ。
あの手この手でゴネ倒し、最終的に了承したのが今の役職なのである。
「サインが終わりましたら、次は巴様との会食です。
7時から帝国第35ホテルで始まりますので、もうすぐ出発しなければなりません」
東の秘書、十音花がタブレットのスケジュール帳を見ながら淡々と告げる。
気まぐれ奔放な東の手綱を引く、なくてはならない存在。
東に対してよく毒を吐くが、東自身は退屈凌ぎにちょうどいいと考えているので、2人はかなり相性が良い。
「巴かぁ、彼女ちょっと目が逝ってるから怖いんだよねぇ。
持ってる術式は便利だから無碍にできないし。
いやぁ、モテる男は辛いね」
「いえ、巴様は東様にまったく興味ありませんよ。
巴様の関心はすべて、壺の中にあります。
東様に興味があるとしたら、それは材料としてですね」
「怖いこと言うね、十音花ちゃん。
まぁ、その通りだけど」
言いながら、東はテキパキと仕事をこなしていく。
すべての書類に目を通し、問題のありそうな物は弾いて、大丈夫な物だけサインをしていく。
数分のうちに束で手渡された書類の半分を確認し終えた。
ーーーコンコンコン!
「東様、緊急の報告です!」
突然、知事室のドアをノックする音と共に、部下の緊迫した声がドアの外から響いてきた。
東の経験上、こういう時は1対9の割合で、面倒な案件の方が多い。
それでも時々面白い案件もあるので、若干の期待を抱きつつ、外の部下に声をかけた。
「それは、面白い話か?」
「いえ、非常に面倒な報告です!」
「ーーーあぁ、そう、入っていいよ」
あからさまにテンションが下がる。
「失礼します!
先ほど金剛家のご子息、天士様が公務中に殺害されました」
「ぶふぅッ!
は、どういうこと、もう一回言って」
まったく予想外の出来事で、思わず吹き出してしまった。
「ですから、天士様が殺害されてしまったのです」
「待て待て待て、ちゃんと最初から説明してくれ」
東は手に持っていたペンを置き、真剣に部下の話を聞く。
思った以上に興味深い内容だった。
「つまり、テロリストを捕まえに行ったら、返り討ちにされたってことか?」
「はい、そういうことです」
話を聞き終えた東は、頭を抱えた。
天士に関する黒い噂を良く耳にしていたからである。
彼は極端な術式・民族主義者として有名だった。
罪のない者に濡れ衣を着せているという話もある。
相手は反幕府組織の一員らしいが、本当かどうか。
まぁ、天士を殺害できるだけの何かを持っていることは確かだから、本当にテロリストなのかもしれない。
どうやって殺害したのかは分からないが、おそらく奇襲でもしたのだろう。
金剛家の術式保持者と正々堂々戦って勝てるものなどそうそういない。
「それで、犯人はもう捕まったの?」
「いいえ、現在も逃走中とのことです。
現在、特別警察が総出で追跡しているようですが、未だ確保に至っておりません」
「マジか」
彼らもかなりの実力者揃いであるはずなのに、捕まえるのに苦労するなんて、どう考えてもおかしい。
可笑しい。
「東様、いけませんよ。
今日は巴様との会食を控えておりますから、茶々を入れる時間なんてありません」
目を輝かせる東に気づいて、十音花がすかさず牽制する。
「いやぁ、金剛家とは仲良くしておかないといけないし、ここは俺が出張って犯人を捕まえてやらんといかんでしょ」
「いいえ、特別警察の方々にお任せするのが筋です。
変に関わると、余計な業務が増えますよ。
それでもいいんですか?」
「こんな面白そうなイベントを逃したら、あとで絶対に後悔するだろ。
俺は絶対に行く!」
「そんな適当にスケジュールを決められてもーーー」
「十音花、命令だ。
どうにかしてくれ」
こうなった東は誰にも止められない。
十音花は深くため息をつき、仕方なく了承した。
年に一度あるかないかの我儘だ。
いつも言うことを聞いてくれているので、今日ぐらいは自由にさせてあげようと思った。
「よし、まずは現場へ向かおうか」
東は窓をガラリと開けて、窓枠に足をかけた。
「ちょっと、そんな所から出ないでください。
車を用意しますから」
「いいよ、走った方が速いし。
十音花ちゃんはスケジュール調整ができたら来てくれ」
そう言うと東は、窓から飛び出して行ってしまった。
知事室は3階にあるが、東はそんなの関係なしに、空を蹴り、ビルの屋上へ飛び乗って、あれよあれよと言う間に遠くへ消える。
知事室に残された2人は、顔を見合わせ、ため息をついた。