第一章・3話 〜夢でまた会えたなら〜
5年後。
「ドンドンバーガー2つに、メロンソーダの大が1つ、コーラの中が1つ。
以上でよろしいでしょうか?」
「あ、ポテトの大も2つ。テイクアウトで」
「かしこまりました。
では、1,240円になります」
財布から小銭を取り出すお客様の様子を確認しつつ、厨房へ向けて注文を通す。
「ドンドンバーガー2つ入りまーす!」
「あいよ〜」
厨房から店長の声が返ってきた。
「わたし、飲み物やるから。
おにいちゃんはポテトを用意してて」
隣で少女が張り切った声を出す。
ぶかぶかのエプロンを着た幼い少女は、その見た目に反し、
慣れた手つきでメロンソーダの大サイズをカップに注いでいる。
青年は少女に言われた通り、揚げたてのポテトを箱に詰める。
カリッと揚がったポテトの香ばしい匂いがふわりと広がる。
熱気を逃がさないように手早くポテトを箱に収め、紙袋の中へと入れた。
こちらも、慣れた手つきで用意する。
「バーガー、できたぞ」
「はーい」
厨房でバーガーを受け取り、こちらも紙に包んでポテトと一緒の袋に入れた。
最後に、少女からドリンク入りの袋を受け取り、注文の品がすべて出揃った。
「お待たせしました!」
プライスレスの笑顔とともに商品を手渡すと、
少女が隣で元気よく「ありがとうございましたー!」と声を上げる。
ドアベルがチリンと鳴り、客が店を後にした。
店内に静けさが戻る。
「ふぅ……」
青年は額の汗をぬぐいながら、時計をちらりと見る。
20時4分、すでに閉店の時間を過ぎていた。
「お疲れさん、店じまいにしよう」
店長が厨房から出てきて、シェフハットを脱ぎながら言った。
「はーい」
今日もこうして、何もない一日が終わっていく。
忙しくも単調な仕事。
決められた流れをこなしていれば、
時間は勝手に過ぎていく。
多くの人には退屈で詰まらない仕事だが、
青年にとっては悪くないことだった。
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「おにいちゃん、風呂入っていいよ〜」
濡れたショートヘアーをタオルで拭きながら、
1人の少女がのんびりした様子でリビングへ入ってきた。
まだ火照った頬が、湯上がりの気持ちよさを物語っている。
彼女の名前は「小林愛奈」。
ドンドンバーガー喬木町店・店長の1人娘である。
中学1年生でまだまだ遊び盛りにも関わらず、学校から帰ってくると自主的に店の手伝いをするしっかり者だ。
常連客からは「若女将」と呼ばれることもある。
しかし、そのせいで勉強はあまり得意ではない。
「うわ、また教科書読んでるの?」
一颯が彼女の教科書をちょっと拝借して読んでいると、
信じられないといった様子で声を上げた。
「うわって、逆に愛奈は読まなくて大丈夫なんですか?」
軽く問い返すと、愛奈は「うっ」と言葉を詰まらせる。
「わたしは‥‥‥ね、読まなくてもいいの。
高校卒業した後も、この店で働くから」
そう言いながら、愛奈は現実逃避するように教科書から視線を逸らす。
彼女のスルースキルには脱帽するばかりだ。
「ほら、一颯くんは早くお風呂に入って。
愛奈はちゃんと勉強しなさい」
不意に、パジャマ姿の店長がリビングへ入ってきた。
その渋い顔つきとは裏腹に、
熊さんがプリントされた可愛いパジャマを着ている。
「えー、働きすぎてもうヘトヘトだよ。
勉強は明日またやるから、今日はもうテレビ見る〜」
「そんなこと言わずに、はい、どうぞ」
愛奈はテレビのリモコンに手を伸ばしたが、
一颯はその手にスッと、教科書を添えた。
「もう、おにいちゃんのイジワルっ!」
恨めしそうな目を向ける愛奈。
しかし、一颯は笑顔でサムズアップを返す。
劣等非民である自分と違って、彼女にはチャンスがあるのだから、将来のことを真剣に考えて頑張ってほしい。
そのやり取りを眺めていた店長が、ふと何かを思い出したように言う。
「そういえば、今日は一颯くんのお母さんの命日じゃないか?
いいのか、お祈りしなくて」
「え、あぁ、そういえばそうでしたね。
お風呂に浸かりながら、手を合わせておきます」
一颯はそう言うと、そそくさと風呂の準備を始めた。
「えー、なんか薄情じゃない?」
母親の命日だというのに素っ気ない態度をとる一颯に対し、愛奈がテレビのチャンネルをくるくると変えながら苦言を呈す。
「そんなことないですよ。
親子の絆なんて、こんなもんです。
それに、僕の家族は店長と愛奈の2人だけですから」
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お風呂に肩まで浸かりながら、
一颯はあの日のことを思い出す。
5年前の2019年10月17日。
住んでいた家が火事で全焼し、その時に一颯は母親を失った。
病気を患っていた母親は、火の手から逃げることができなかったのだ。
消防隊が駆けつけた時には、家も、周りの林も、すべてに火が回っていた。
渦巻くように火の粉が舞い、全身に熱風が吹き付けるあの息苦しさも、
思い出とゴミの詰まった廃屋が炎によって崩れ落ちていくあの空虚感も、
炎に包まれながら手を伸ばす母親だったものの表情も、
今となっては遠い昔の記憶だ。
あの日を思い出すことは、ドラマを見ている感覚によく似ている。
まるで他人事のように思えるのは、きっと、あの日を境に自分自身の何かが変わってしまったからなのだろう。
火事の後、身寄りのない一颯を引き取ってくれたのが店長だった。
店長も同じ時期に奥さんを亡くしており、それ以来、店を1人で回していた。
まだ幼い娘の世話もしなければならず、人手がまったく足りない。
そこで、住み込みで働くことを条件に一颯を身請けしたのだ。
始めの頃ははただの労働力としてしか見られていなかったが、いつの間にか家族のような間柄になっていた。
店長にはとても感謝している。
だから、一颯は手を合わせた。
今のまま何も変わらない毎日が過ぎていくよう祈るために。
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長い髪を乾かし風呂場から出ると、
店長と愛奈がテレビで世界魔術競技祭の中継を見ていた。
「いいなぁ、私も魔術が使えたら、テレビに出て人気者になれるのに」
愛奈がそんなことをぼやきながら、羨望の眼差しで画面を見つめている。
ちょうど、競技祭の花形である魔術対抗戦が終わったところだった。
多くの記者団に囲まれながら、チームを勝利に導いたMVPが誇らしげな表情で質問に答えている。
「おにいちゃんも魔術が使えたら、こんな生活しなくてよかったのにね」
愛奈が振り返り、自嘲気味に言う。
「おい、こんなとはなんだ。
これでもパパは頑張っている方だろ」
娘に今の生活を馬鹿にされた店長が、
ちょっと悲しそうな表情を浮かべながら文句を返す。
世の父親というものは、娘の辛辣な言葉に打たれ弱いのだ。
なので、一颯はすかさずフォローをいれる。
「そうですよ、店長はよくやっていますよ。
貧民街から抜け出して、こうして立派な店を立ち上げたんですから」
「あ、あぁ、そうだな」
一颯たちが生まれ育った弱者を掃き溜めた街。
弱肉強食を是とするこの国の恥部とも言える貧民街から、
一颯たち3人は4年前に抜け出すことができた。
店長は今、庶民階級が集う住宅街の一角で店を開いている。
店といってもフランチャイズではあるが。
「まぁ、そう、よね。
あそこと比べたら、この町の方がずっと住みやすいことだけは確かだもんね」
愛奈もふと目を細め、どこか懐かしげな表情を見せた。
皆、昔を思い出して感傷に浸るような、しんみりとした空気が店内に漂う。
「では、明日も早いので僕はもう寝ます。
おやすみなさい〜」
一颯はそんな空気を断ち切るように、明るく就寝の挨拶をした。
物置部屋を兼用する一颯の就寝部屋。
小さな机の上に使い古されたヘアゴムを置き、
電気を消して敷布団の上に寝っ転がる。
一日中働きっぱなしだった肉体は、
すぐに眠りへと落ちていった。
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今日は特別、昔のことを思い出す1日だった。
そのせいだろうか。
久しぶりに、あの街が舞台の夢を見た。
場所は、あの踏切だ。
一颯は踏切から70メートルほど離れた道路の上で、
線路に立ち尽くす、あの日出会ったお姉さんを見ていた。
あの頃と何一つ変わっていない、いや、記憶から形成された夢なのだから、それは当たり前なのだろうけれど。
長く綺麗な黒髪を風に靡かせながら、後ろ向きでぼうっと立ち尽くしている。
ーーーカンカンカン。
けたたましい警報音が鳴り響く。
赤いランプもチカチカと点滅し、もうすぐ電車が来ることを知らせる。
(そこから離れて!)
叫ぼうとした。しかし、声が出ない。
まるで誰かに首を締め付けられているかのように。
手足も動かない。
まるで見えない鎖で縛られたかのように。
もどかしさに焦る間にも、時間は無情に進む。
警報音が響くなか、遮断機がゆっくりと降りていく。
ガタンゴトンと、遠くから迫る振動が地面を伝ってくる。
電車の警笛が、心臓が握り潰されたと錯覚するくらいに鳴り響く。
次の瞬間、無機質な鉄の塊が彼女の小さな体を弾き飛ばした。
血飛沫。肉片。血飛沫。血飛沫。肉片。
彼女を構成していた有機物が、思い思いの方向に飛び散る。
そして、それらと共に、もげた首が宙を舞い、
数回ほど跳ねた後に、コロコロと道路へ転がった。
ーーーあ
目が合う。
お姉さんは嗤っていた。
一颯は、硬直して動くことができなかった。
もう一度会えたら、言いたいことがたくさんあったのに。
頭が真っ白になってしまった。
ガタンゴトンと電車が過ぎ去っていく。
踏切の向こうに、見覚えのある、6つ眼の怪物がいた。