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プロローグ・2話 〜母親〜

 お姉さんと別れ、母親がいる廃屋に帰った後。


 一颯はお姉さんに買ってもらったご馳走を母親に渡したが、

 母親は喜ぶどころか、飯を持ってくるのが遅かったと一颯を蹴り飛ばした。

 とても酷い話だが、一颯にとっては日常の出来事である。


 お姉さんの買ってくれたご馳走を、

 母親はまるで獣のように、手掴みで平らげていく。


 そんな母親を見ながら、

 一颯はお姉さんが最後に言った言葉を思い出していた。


『一颯君にも、帰るべき場所があるでしょ?

 大丈夫、親子の絆はとっても強いの。

 一颯君のお母さんも、きっと一颯君を愛しているわ』


(本当に、お母さんは僕のことを愛しているのだろうか?)


 そんな疑問が頭をよぎる。

 お姉さんの言葉を否定したいわけではなかった。

 むしろ、一颯はその言葉を信じたいと思っていた。


「……何見てんだ、クズが」


 突然、母親の低い声が静寂を切り裂いた。

 貪るように食べていた手を止め、獣じみた鋭い目でこちらを睨んでいる。

 一颯はハッとして、視線を落とした。


「ごめんなさい」


 条件反射のように、一颯はそう呟く。

 母親の言葉はいつも鋭く、痛い。

 でも、それが胸の奥まで突き刺さるのは、ただ罵倒されるからではない。

 心のどこかで、まだ期待してしまう自分がいるからだ。


 本当に、お母さんは僕のことを愛しているのだろうか?


 この問いに、答えがほしくて。

 一颯は、思い切って聞いた。


「ねえ、お母さん……僕のこと、愛してる?」


 母親は手を止めた。

 ぐちゃぐちゃと咀嚼していたものを飲み込んだ後、

 ゆっくりと、一颯に目を向ける。


 そして、ひと呼吸置いてから、


 「……は?」


 まるで、意味がわからないものを見るような目で一颯を見つめた。


「お前のせいで、あの人はわたしのもとを去ったんだ。

 お前みたいなクズを、愛せるわけないだろ」


 当然のように告げられ、一颯は返事ができなかった。


 お姉さんの言葉は嘘だった。

 そう確信した瞬間、胸の奥が強く痛んだ。


「おい、それはなんだ?」


 母親は何かに気づいたように言った。


 一颯は無意識のうちに、自分の髪を結んでいるヘアゴムに触れていた。

 お姉さんがくれた、小さな贈り物。

 優しかったお姉さんの存在を感じるために、手が勝手に動いていた。


「これは、その‥‥‥」


 一颯は言葉を濁した。

 だが、母親はすでに目を細め、ギラついた視線を向けていた。


「そんな無駄なものを盗んでいる暇があったら、

 もっとはやく飯をとってこいよ!」


 怒声が飛ぶ。

 次の瞬間、母親の手が伸び、一颯の髪を乱暴に引っ張った。

 髪が数本抜け落ち、鋭い痛みを覚える。

 そして母親はそのまま、

 一颯から無理やりヘアゴムを奪ってしまった。


「か、返して!」


「こんなもの、切り刻んで捨ててやるよ!」


 母親は机の上にあった鋏をつかむと、

 冷たく光る刃を鳴らした。


ーーージャキン!


 その時だった。


 これまで少年を苦しめていた、ありとあらゆる感情。

 悲嘆、失意、懊悩、孤独、憂鬱。

 それらすべてが嘘のように消え去り、

 代わりに、


 幼少期特有の純粋無垢で、

 それゆえに際限を知らない、

 人間性を変えるほどの苛烈な憤怒が、

 少年の魂魄を包み込んだ。


 と、同時に。

 時空が歪み、時が停止し、この世のすべての運動が止まる。


「まっこと、すばらしい憤怒だ。

 この世の不条理に消えゆく運命を背負った落胤らくいんよ、

 貴様の願いを言え。

 余が、その願いを叶える力をくれてやる」


 6つ目の怪物が、一颯の前に現れてそう言った。

 



==========




 少年は、母親の持つ鋏を見ながら願った。


『なんでも切れる鋏が欲しい。

 親子の絆でさえも切り裂けるような』


 怪物は続けて質問を投げかける。


『なら、それをより具体化しろ。

 すべてを切るには、何が必要だ?』


 すべてを断ち斬るために必要なもの。


 少年が自分自身の答えに辿り着くのに、

 そう時間はかからなかった。


 少年の隠れ家である廃工場。


 経営難により閉鎖される半年前まで、

 工場内では様々な鋼鉄製品の加工が行われていた。


 バーナーから噴き出す超高温の炎が、

 無数の火花を散らせながら硬い鋼鉄を切断していく。


 商店街の子どもたちが楽しんでいた花火のように美しく、

 職人が一人孤独にモノづくりと向き合う姿勢が厳かで、

 寡黙な鋼鉄が少しずつ形を変えていく様に、

 少年はすっかり魅入っていた。


 その作業を見ている時だけ、

 少年は自分を縛るすべてのしがらみを忘れることができた。


 だから、


『すべてを切るには、炎が必要だと思う。

 炎があればどんなに硬いものでも思いのままに焼き切ることができる』

 

 少年の言葉を聞き、怪物は笑みを浮かべる。


『それなら簡単だ。

 余は悪魔、地獄の商人である。

 貴様の願いに答え、地獄の炎を纏う鋏をやろう』

 

 刹那、怪物の人差し指が少年の右目を貫いた。

 少年はあまりの痛みに、叫びながら後ろへ転がり飛ぶ。


 転がりながら、失った右目を手の感触で確認する。


 不思議なことに、すでに痛みは引いていた。

 本当に目玉を貫かれたのか疑問に思ってしまうほど、

 その痛みは一瞬のうちに去っていった。


 少年は恐る恐る、母親の鏡台に自分の顔を写す。


 失ったはずの右目に、

 真紅の瞳が燃えるように輝いていた。




==========




 2019年10月17日。

 筑馬県下原郡啼鷹村において、一件の火災が発生した。


 火事で燃えたのは人里離れた林の中の廃屋で、

 廃屋を不法に占拠していた1人の外国人女性が亡くなった。


 亡くなったのが不法移民ということもあり、

 警察は杜撰な現場検証の末、

 火災の原因を『火の不始末』と断定。


 亡くなった女性には1人の息子がいたが、

 その少年は、村で飲食店を営んでいたとある家族に引き取られることになる。


 後日。

 その家族と少年は、極貧層が集まる啼鷹村を離れ、

 より立地の良い喬木町へ転居した。


 転居先では新しい店も構えて、

 慎ましくも幸せな生活を送ることになる。




ーーー5年後。

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