第一章・10話 〜満月の夜に〜
「止まれ!
止まらないと撃つぞ!」
警官たちは警告を発しながら銃を構え、
ーーーバンッ!
一切の躊躇なく銃を撃ち始めた。
魔力によって強化された銃弾が、一颯の頬をヒュンと掠める。
(警告から発砲までの時間が短すぎるでしょ。
これ止まっても絶対撃たれてたじゃん)
『灼斬鋏』
当然撃たれたくはないので、警官の銃を真っ二つにする。
銃を失った警官たちは、呆然として立ち止まった。
多少の時間稼ぎにはなったか。
「ターゲット、現在、桜木テラス屋上を移動。
野町駅方面へビル屋上を伝い北上、追跡中の各班は対応を急げ!」
否。
警官たちは次から次へと、際限なく現れる。
「来たぞ!
全員、準備はいいか!」
前方100メートル先のビル屋上で、数十名の警官が待ち伏せしていた。
一颯の進行を食い止めるように、緩いカーブを描きながら一列に並んで銃を構えている。
(とりあえず、銃を斬って無力化しよう)
一颯は術式を練りながら、次のビルへ飛び移ろうと大きく跳躍した。
その瞬間、
「「「破雲睛槌」」」
ビルとビルの間隙に潜んでいた警官3名が、自身の頭上を跳ぶ一颯に対して特大の衝撃波を放つ。
3名の術者によって練りに練られた風属性の術式は、人間1人を30メートル上空まで一気に吹き飛ばすほどの威力を有していた。
一介の人間であれば、打ち上げられた衝撃だけで内臓に深刻なダメージを負っていただろう。
しかし、一颯は闘気を纏い肉体を強化していたため、その攻撃を無傷で受けきった。
「ッ!」
とはいえ、強制的に宙へ放り出されたことで、着地するまでの数十秒間は完全に無防備な状態となる。
これまで数え切れないほどの戦闘訓練、実戦を積んできた術者集団が、その隙を見逃すはずはない。
空中で身動きが取れない一颯に、すべての照準が集まった。
自身を追尾する銃口を視認した瞬間、一颯は空中で身動きが取れないまま、どう対処すべきかを即座に思案した。
今、真っ先にやるべきこと。
それは、闘気の出力を上げて更に肉体を強化することだ。
あの日、一颯が授けられたのは、固有術式だけではない。
特別な術式を発動するための絶大な魔力、そして、術式発動に伴う肉体への負荷に耐えるための膨大な闘気も同時に与えられていた。
闘気とは、魔力と対を成すもう一つのエネルギーである。
魔力が「魂の力」であるならば、闘気は「肉体の力」といえる。
強化したい部位に闘気を集中させることで、その部位の身体能力や耐久性を飛躍的に高めることができる。
とりわけ、物理的な攻撃に対しては極めて有効だ。
もちろん、銃弾を闘気で防いだ経験はまだない。
殺傷兵器相手にどれほど通用するかは未知だ。
だが、試す価値はある。
一颯は全身により強い闘気を張り巡らせ、銃撃に備えた。
と同時に、第二の策へと移行する。
闘気による肉体強化は、あくまで次善の策。
被弾することを想定した立ち回りなど不確実である。
最善を尽くすなら、そもそも被弾してはならない。
吹き飛ばされる直前、一颯は警官たちの銃を切断するための術式をすでに構築しており、術式の発動は目前だった。
残す工程は、指向性の付与(対象選択)ただ一つ。
衝撃波による横槍さえなければ、発砲される前に銃を破壊できた。
(警官との距離が離れすぎてるし、何より数が多すぎる。
発砲前にすべての銃を破壊することはできないだろう。
それなら、別のものを斬ったほうがいい)
一颯は瞬時にそう判断し、術式の対象を直前で変更した。
「撃て!」
指揮官の号令と同時に、待機していた警官が一斉に引き金を引く。
しかし、コンマ1秒早く、
『灼斬鋏』
一颯が術式を発動した。
対象との距離が近ければ近いほど、また、効果範囲の設定が粗略であればあるほど、指向性の付与にかかる時間は短くて済む。
自身の最も身近に存在し、尚且つ、適当に斬っても問題ない、銃撃を回避するにあたって障害となる物質。
一颯は、自身の落下方向にある『空』を斬った。
『灼斬鋏』は、あらゆるものを切断する術式だが、
「斬る」という行為はあくまで手段にすぎず、本質ではない。
この術式の本質は『拒絶』である。
その理由は、術式が生まれた瞬間の、一颯の母親に対する感情を鑑みれば容易に理解可能であろう。
一颯は自身の足元に広がる『空気』を切断、つまりは拒絶することで、空間に一瞬の真空を生み出した。
真空は周囲の大気圧に耐えきれず、瞬時に崩壊する。
その圧力差が一颯の体を引き付けるように、まるで真空砲のごとき加速を生み出した。
「目標消失! ターゲット、視界からロスト!」
スコープ越しの照準は、確かに一颯を捉えていた。
だが次の瞬間、彼の姿は忽然と掻き消え、
銃弾は揺らめく残火を突き抜けて虚空へと消える。
撃ち損じた警官たちが状況を把握できずに慌てふためく中、
一颯に魔術を放った警官3名は、一部始終を目撃したにも関わらず、彼ら以上に動揺していた。
突然、空が焼けたと思った次の瞬間には突風が吹き荒れ、突風吹き止まぬ間に、はるか上空にいたはずのターゲットが自分たちの目の前に瞬間移動していたのだから。
(一か八かで試してみたけど、本当に成功してしまった。
なんだろう、すごく不思議な感覚だ。
戦うためのインスピレーションが湯水の如く湧き上がってくる。
平凡に生きてきたこれまでの人生がすべて夢だったと思えるくらい、今、全身全霊が闘争を求めている)
着地した一颯は、目の前に立つ3名の警官を見据える。
3名とも表情が引き攣っており、動揺が伝わってくる。
「ッ!」
だが、彼らもプロだ。
長年の任務で鍛えた肉体は、常に最善を尽くすよう動く。
全員が一斉に、腰の小銃に手をかけた。
(より速く、より的確にーーー)
足止めをくらえばくらうほど、警備を強化する猶予を与えてしまう。
かといって無視して突き進んでも、追っ手の数が増え続ける。
だからこそ、
(ーーー立ちはだかるなら、容赦なく倒す)
一颯は跳躍し、最も近くにいた警官の顎へ膝蹴りを叩き込んだ。
顔が大きく歪み、脳が左右に揺さぶられる。
次の瞬間、警官は糸の切れた人形のように力なく倒れた。
(まず1人)
一颯が警官1人を倒す間に、残り2人は腰から銃を抜いた。
だが狙いをつける暇は与えない。
一颯は地面を蹴り、さらにビルの壁を蹴って方向を変える。
不規則な動きで撹乱し、間合いを詰め、
最後は重い一撃を叩き込み、3人まとめて気絶させた。
「こっちだ!この奥にいるはずだ!」
一息つく間もなく、新たな警官の声が近くで響いた。
一颯はすぐにその場を離れる。
標的がいるであろう警察本部を目指し、県都へ向かって進む。
行く手を阻む警官は、すべて倒して道を切り開いた。
現在の時刻は20時50分。
長官の息子を殺害してから、まだ三時間ほどしか経っていない。
一颯はすでに、県都に隣接する第2都市へ足を踏み入れていた。
ここまでは、道路標識や飲食店の電飾看板を頼りに進んできた。
しかし、肝心の警察本部の場所は分からない。
当然、スマホなど持っていないため、地図機能を使うこともできない。
(誰かに聞くのが一番だけど、一般人を巻き込むわけにはいかない。
どうしたものか)
そう考えながら走っていたその時だった。
ーーーダァンッ!
こめかみに、鋭い激痛が走った。
あまりの衝撃で足がよろめいた。
こめかみに手を当てると、指先が血で濡れる。
かなりの量だ。
(撃たれた?)
視線を上げる。
右200メートル先、ビルの屋上。
そこに、スナイパーライフルを構えた警官がいた。
闘気を纏っていたおかげで致命傷は免れた。
だが、痛みは容赦なく残り、鬱陶しさも増すばかりだ。
(あ、そうだ)
一颯の口元がわずかに吊り上がる。
(彼にしよう)
==========
狙いは完璧だった。
命中精度に魔力を費やすことで、狙い通りターゲットの頭部にライフル弾を着弾させた。
これで任務は終了。
上司から叱責される心配はなくなったと安堵する。
少年、否、背が異様に低いスナイパーは、立ち上がって戦果を確認する。
「まじかよ、なんで死んでないんだよ」
双眼鏡越しに見たターゲットは、地面に倒れることなく、2本の足でしっかりと立っていた。
こめかみから血を流しているので、命中はしたようだ。
ターゲットの移動速度が早く、威力よりも命中精度に魔力を費やしたのは事実である。
だとしても、武術士初心者が脳をぶちまけて死ぬくらいの威力はあったはずだ。
闘気だけで防いだとすると、ターゲットは武術士としてかなりの手練ということになる。
(天士坊ちゃんは魔術によって殺されたと聞いていたから、犯人の武術士としての実力はそこまでだと勘違いしていた。
あいつ、もしかしたら武術士としても師範代クラスはあるんじゃないか?)
ターゲットはこめかみに手を伸ばし、傷を確認する。
手に付いた血をじっと眺めたかと思うと、急に振り返り、
(ヤバい、バレた!)
ターゲットと双眼鏡越しに目が合った。
スナイパーは慌てて、その場から離れる。
一瞬しか確認できなかったが、ターゲットは自分を見て微笑んでいた。
吸血鬼のような、冷たい微笑み。
混血特有の端正な顔立ちをしていたが、かえってその美しさが、さらに恐ろしさを引き立てていた。
『小宮、聞こえるか!
犯人がお前の方へ向かって走り出したぞ!
早くその場から離れろ!』
仲間から再び伝令が届いた。
まさか、自分が標的になるなんて。
もっと高威力の弾丸を使っていれば良かったと後悔する。
「もう逃げてるよ!
アイツなんで生きてんだよ!」
「そんなの知るか!
見つかったら確実に殺されるぞ!」
階段を必死に駆け降りながら、仲間に愚痴をこぼす。
スナイパー、もとい小宮は闘気をあまり使えないので、ビルからビルへ飛び移ることができない。
律儀に1階まで降りる必要がある。
(ターゲットとの距離は200メートル。
絶対に追いつかれる。
仲間が来るまで、身を隠した方が良さそうだ)
途中で階段を降りるのを止め、どこかの部屋に身を隠そうと通路へ出た。
ーーーバァン!
通路に出た瞬間、少し先にある窓ガラスが炎を吹き上げながら爆散した。
「今夜は月が綺麗ですね。
おかげで、すぐに見つけることができました」
目の前に赤眼の青年、一颯が現れる。
「チクショウ!
見つかるの早すぎだろ!」
見つかるのが早いのもそうだが、それ以上に、ターゲットの移動速度が尋常じゃない。
もう少し猶予があると思っていたが、甘かった。
「ーーーん?子供?」
一颯が首を傾げる。
自分よりも身長の低い小宮を見て、子供だと勘違いした。
「子供ちゃうわ!とっくに成人しとるわ!」
「あ、そうなんですか、なんかすみませんでした。
でも、ちょうど良かった」
一颯は頭を下げた後、小宮へ向かって歩き出した。
(ヤバい、殺される!)
小宮は咄嗟に小銃を取り出し、一颯に向かって発砲する。
しかし、撃った弾は綺麗に真っ二つにされて、一颯を避けるように左右に飛んでいった。
そもそも闘気を纏った一颯に、小銃の弾が効く訳がない。
闘気を纏った相手に有効なのは。
小宮は必死に記憶を辿り、答えを導き出す。
「雷霆の鼓動、天地を裂く一閃となれ!『痹雷槍』」
詠唱を必要とする実用性の低い魔術なんて、学校を卒業してから久しく使っていない。
だが、闘気で防御力を底上げしている相手には、物理的な攻撃よりも魔術による副次的な効果の方が有効である。
(いくらなんでも雷を切断することはできないだろう。
当たれば感電して、少しは足止めできるはずだ)
銃の向けるように構えた2本の指から雷の槍が飛び出す。
命中精度だけは自信のある小宮の魔術は、期待通り、ターゲットである一颯に向かってまっすぐ飛んでいった。
しかし、
ーーーザシュ!
小宮の思惑を裏切るように、一颯の斬撃は魔術さえも両断してしまった。
まるで壊れたブラウン管テレビの画面のように、雷の槍がシュンと姿を消す。
(あ、完全に終わった)
望みを絶たれた小宮は、死の恐怖で足がすくみ、その場に崩れ落ちる。
一颯はそんな小宮を見下ろしながら、ゆっくりと手を伸ばした。
(チクショウ!
まだ、あの人に思いを伝えてないのに!)
ギュッと目を閉じて、死ぬ瞬間の恐怖と痛みに備える。
小宮の脳裏には、ある女性の笑顔が浮かんでいた。
「よし、では行きましょうか」
「は?」
気がつくと、小宮は一颯に抱えられていた。




