7.嫉妬
7.
朝の優しい陽が、校舎に影をつくっていた。
教室にはすでに数人の生徒がいて、本を読んでいたり、お喋りをしている。机に鞄が置かれていて生徒がいないのは部活動の朝練がある連中だった。
樹里が教室に入ると、麻美が待ちかまえていたようにどこからか現れ、声をかけてきた。
「よう。樹里ィ~、昨日はどうだった」
ニヤついた麻美の顔が、振り返った樹里の目の前にあった。いつも遅刻ぎりぎりにくるのに、こんな時は決まって早いのだ。
「あのね、麻美。何か勘違いしてない。昨日会った男の人のことだけど……」
「いや~、いつの間に彼氏なんかつくってたのよ。全然気がつかなかったわ、私としたことが。しかも年上なんて。どこで知り合ったのよ。でも樹里の好みのタイプとは大分違うみたいだけど、ま、男は見た目じゃないっていうしね。もうやっちゃったの? ま、やってるわよね、普通。お金持ちなの彼氏?」
麻美の病気が始まった。人の話を全然話を聞いてない。
樹里はあきれてものが言えなくなった。こうなったら誰も止めることは出来ない。病気がおさまるまでは黙っていることに限る。
「わたし、玉の輿に乗るのが夢のなのよ。でもお金持ちだけじゃ嫌ね。時間もあって、三ヶ月に一度は海外旅行に連れて行ってくれるような人じゃなきゃ。それに……」
その後も麻美は休み時間ごとにやってきては勝手に話して続けた。結局、その誤解が解けたのは放課後になってからだった。
「な~んだ。てっきり私は樹里の彼氏かと思っちゃった。ま、そうだよね。考えれば、そんな雰囲気しなかったし」
「もう。勘違いしないでよ。前から知っている友達なんだから。まさか他の人に言ってないでしょうね」
「えっ? 何を?」
「わたしに恋人が出来たって」
「う、うん。い、言ってないよ」
麻美がしどろもどろになった。目が泳いでいる。
「ちょっと、言いふらしたの!」
麻美がごめんというように手を顔の前で合わせ、片目をつぶった。
「もう! みんなにちゃんと誤解をといといてよ。勘違いだって」
「分かってっるって。でも昔からの知り合いって、どこで知り合ったのよ。そんな話聞いたことなかったしさ。まさか何か隠してないでしょうね」
麻美はじろりと樹里を睨んだ。形勢逆転。樹里は少し慌てて言った。
「隠してないわよ、別に」
「ホントゥ」
「本当に」
「そう。それならいいわ。ねえ。今度、あの男の人の友達を呼んで一緒に遊ぼうよ。私、年上の彼氏がほしいと思っていたのよ」
「だから、そんなんじゃないって」
「でも、約束してよ。もしそんな話があれば私を誘うって」
「分かった。約束するから」
樹里は話しもそうそうに切り上げることにした。誤解も解けたことだし、いつまでも麻美につき合ってられない。
今日、継尚と行動を別したのは樹里なりに考えることがあったからだ。
樹里は腕時計を見て、麻美に別れを告げ、駅に急いだ。
電車に乗って、昨日訪れた高校の前にたどり着いた。今、校門から出てくる人はいない。
Mがまだ学校にいるかは分からない。昨日の時間から見て何かしらの部活動をやっている可能性は低い。でも可能性はなくはない。
自分が通っている学校に比べるとそれほど大きな学校ではない。部活をしているなら、グランドで見つけることが出来るかもしれない。樹里は少し迷った末、校門に入っていった。
グランドには野球部、サッカー部、ラグビー部と場所を分け合って練習をしていた。しばらく、辺りを探したがMの顔を発見することは出来なかった。
もう帰ったのだろうか。
あまり、うろちょろする事はためらわれた。制服が違う上に、探している相手の名前する分からないのだ。誰かにとがめられたら言い訳のしようがない。
確か彼女がイクトと呼んでいたが、名字が分からないし、何年生でどのクラスにいるのかも知らない。
樹里があきらめてグランドから出ようとしたときに、校舎の一角からひとりの男子生徒が出てきた。
イクトだった。樹里はおもわず身を潜めた。
その時、野球部の打った球が大きく弧を描き、外野手の頭を越えてイクトの前に転がっていった。外野手が帽子をとり、とってくれ、と言うように両手を大きく振る。
イクトはボールを拾い上げた。ぎこちない仕草で振りかぶってボールを投げかえした。イクトの手から放たれたボールは地を這うように飛んでいき、外野手、内野手の手をすり抜けてキャッチャーのミットに激しい音を立てて収まった。
野球部の全員が驚いたように、動きを止めた。受け止めた衝撃でキャッチャーが尻餅をついた。
それを見た樹里も自分の目を疑った。
何をしたのだ?
イクト自身も驚いてるように固まっていた。
それを見て樹里は確信した。
彼がMに違いない!
あんな力を出せるのはそれ以外考えられない。
なんとしても昨日のことを分かってもらいたい。わたしがVの記憶を持っていることを。そして自分がMの記憶を持っていることを。
イクトの後ろから、昨日の彼女が現れた。驚いている彼に、彼女はどうしたの? というような顔をしている。彼は、なんでもないよ、というように首を振って歩き出した。
樹里は素早く校門から出て、隠れる場所を探した。
彼女とはいつも一緒に帰っているのだろうか。
彼がひとりになるまで待とう、と樹里は思った。
彼女がいる前であんな話なんて出来ない。彼女がいれば彼はまた、彼女を守ろうとするだろう。そうなれば話をするどころではない。
でも理由はそれだけじゃない事も樹里は知っていた。
嫉妬。
少なからず何処かで嫉妬しているのだ。それは樹里というよりもVの感情がそうさせるようだった。
なんだか樹里は、自分がストーカーになった気分だった。
駅までふたりは並んで歩いていった。樹里も距離を保ちながら後を付けた。
ふたりは喫茶店に入り、時間をつぶすように話していた。昨日のような時間まで話すことなく、ふたりは早く切り上げた。樹里はほっとした。
電車に乗り、彼女は下車したが彼は電車に乗り続けた。今日は送っていかないようだった。
イクトがひとりになっても、樹里はすぐには声をかけなかった。いざ声をかけようとすると、どうすればいいか分からなかった。そして声をかけられない自分に理由を見つけた。
もし、家に帰るならそこまでつけよう。家さえ突き止めておけば、たとえ逃げられても、再び会うチャンスはつくれる、と。
イクトが電車から降り、樹里が続いた。少し距離をあけていた為、改札口を出たところで姿を見失ってしまった。
しまった!
慌てて角を曲がったところで樹里は足を止めた。しまった、と再び同じ事を思った。
イクトが待ち受けていたのだ。
樹里の姿を見ると、彼はめんどくさそうにため息をついた。
「また、君か。で、今度は俺をつけていたってわけ?」
樹里は慌てた。
「ちょっと。誤解しないで、こないだはあなたの彼女をつけたわけじゃないのよ」
「と、いうと最初から俺が目当てなわけ」
彼は冗談ぽくいったが、目は警戒している獣のように鋭かった。
「そういうことに、なるわね」
樹里は認めた。
「今日はひとりみたいだね」
イクトは樹里の後ろに目をやった。継尚がいない事を言っているのだ。
「そうよ。それがどうしたのよ」
「力ずくで、どうこうしようって訳じゃないんだな」
「そんなことはしないわ。それに、たとえ力ずくで何かしようにも勝てないって分かったわ。今日、確信した」
イクトがわからないという顔をした。樹里は言葉を続けた。
「あなたがMって確信したの。今日の野球部に返したボールを見てね」
イクトが驚いたように目を鋭くした。
「まるでストーカーだな」
吐き捨てるようにいった。
その言葉に心を抉られた気がした。しかし樹里は覚悟を決めた。
こんなことを言い争うためにここに来たのではない。
「話を聞いて、お願い。あなたが気分を悪くするのも分かる。でもあなたはMの夢をみたり、身体に異変を感じているはずなの。あなたはMの記憶を持っている。そして、その能力も。そうでしょ?」
「……『アストラル』とかいうやつか」
イクトが突如、組織名を言った。樹里は驚いた。
「……そうよ。思いだしたのね」
「いいや。昨日、君のおかしな連れが、言っていたことを思いだしただけだよ」
「そんな……。私は夢の中ではVと呼ばれていたの。昨日会った男の人はS。でもSと呼ばれていたときは女性だったんだけど」
「もう勘弁してくれないか。俺はMなんて名前じゃない。ちゃんと水澤郁斗って名前があるんだ。VとかS。NとかJなんて知らない。君が何を言っているのか分からない」
イクトは怒ったようにいった。
しかし樹里はイクトが言ったことを聞き逃さなかった。
彼は思いだしている。チームを組んだ五人のメンバーのコードネームを正確に知っている。
M・V・Sの他にN・Jがいたのだ。それは昨日、継尚も話してないことだった。
「嘘よ! 昨日Sは、NやJの事なんて一言もいってないもの。あなたは知っているのよ」
「じゃあ、何か思い違いしてたんだろ」
「NやJもわたしたちと同じように、仲間だったのよ。あなたは知っている。今日のボールを投げた時を思いだしてよ。普通、素人があんな球を放る事なんて出来ない。自分自身でも変化を感じているはずよ」
樹里は必死だった。なんとしても分かって欲しいという思いがそうさせていた。
イクトは黙った。いらだしげに奥歯を噛みしめている。混乱していることが樹里には見て取れた。
たぶん、昨日わたしや継尚に出会ったことによって、記憶を思いだすか、夢をみたに違いない。
そして、今日の出来事。そんなはず無いという考えと、もしやという感情が入り乱れているのだ。
樹里は願うような思いでイクトを見ていた。
お願い。思いだして。お願い。信じて。
しばらくしてイクトは視線を樹里に定め、首をふった。
「君たちの思い違いだ」
樹里はどうして、という思いが胸につっかえた。身体から力が抜けるのが分かった。
「でもクリーチャーが……」
樹里は自分でも弱々しい声だと分かった。
「もし、犠牲者なり事件が起こっていればニュースになっているはずだ。そんなのは聞いたこと無い」
継尚の話を聞いた時、樹里も同じ疑問を持った。
確かに事件らしいことはなかった。では、この記憶はどういうことなのだ。どう説明するのだ?
やはりわたしの頭がおかしいのか……。
樹里は言い返すことが出来なかった。
「もう会いたくない」
イクトは突き放すように言った。その言葉が樹里の胸に突き刺さった。
無言でイクトが去っていくのを樹里は力無く見送るしかできなかった。