6.一日目
6.
神谷は依頼を受けた翌朝から行動に移した。
朝五時に起きて熱いシャワーを浴びた。寝汗を洗い流し、体の細胞のひとつひとつが起きていくのを確かめる。その後、五分ほど顔にシャワーをあてた。頭が徐々に目覚める気がする。軽く髭を剃り、風呂からあがった。
朝食はとらなかった。そのかわりお湯を沸かし、ブラックのコーヒーを入れた。
コーヒーを飲みながら、昨夜の見せられた資料を思いだしていた。
28歳の独身。恋人はいない。名は宮田圭一。
写真で見たときは、もう少し若く感じた。数年前にとられた写真だったのかもしれない。
ワンルームのマンションで暮らしていて、朝六時に起床、七時には仕事に向かう。電車を乗り継ぎ、夜八時まで会社で残業。それからコンビニによって晩ご飯を買ってから帰宅。
依頼された人物は平均的な男という感じだった。そこからあの組織に繋がるようなものは感じさせない。
データを見る限り、なぜ消されるようになったのか分からなかった。しかし、仕事は仕事だ。依頼されればそれを成し遂げる。それだけのことだ。
コーヒーを飲み終えると、服を着替えて車に乗り込んだ。
神谷は、朝六時にはターゲットのマンションについた。車では目立つ場所にマンションはあったため、近くのパーキングに置き、宮田が出てくるのを待つことにした。
六時半に動きがあった。エントランスから私服の男が出てきた。
てっきりスーツ姿の宮田が現れると思っていた神谷は少し驚いた。それに資料による、いつもの時間より早い。
今日は仕事のはずだ。何かの理由があって休暇を取ったのだろうか。
神谷が考えているうちに宮田は駅のほうに向かって歩き出した。宮田は駅にはいると、会社に向かう方向とは逆の電車に乗り込んだ。
神谷はひとつ後ろの車両に乗り、宮田を連結部越しに観察した。宮田は何かを考えるように車窓から景色を眺めている。二十分ほどで目的の場所に着いたらしい。
車両から降りて、駅から出た。宮田は尾行されていることなど少しも考えていないのだろう。一度も振り返ったり、警戒するそぶりもなく歩いていく。
神谷は一定の距離をとりながら後をつけた。目的の場所が分からなかった。休暇を取ったにしても、どこかに遊びに出かけるという雰囲気はなかった。
宮田は午前中の間ひたすら街を歩き続けた。マンション、住宅街、オフィス街と立ち寄っていたし、人を探しているのかと思ったが、辺りを見渡している様子はなく、耳を澄ますように時折立ち止まるだけだった。そして何も聞こえないと分かると再び歩き出す。そんな風に見えた。
昼になると宮田はファミレスに入った。神谷は中に入らなかった。素早く辺りを見渡して、宮田の姿が見える場所を探して腰を下ろした。目立たなく、なおかつ目標の姿が見える場所を一瞬で見極めるには経験がものをいう。
神谷は煙草を吸って宮田が出てくるのを待つことにした。待つことにはなれている。何時間も待つことはこの仕事では当たり前のことだった。
煙草に火をつけて二、三口をつけたときに、宮田が携帯電話を取り出して誰かと連絡を取りだした。
五本目の煙草に火をつけたとき、宮田の前に男が座った。
携帯で連絡を取った人物かもしれない。しかし、どんな人物か物影が邪魔をして分からなかった。
その男は少し宮田と会話をして何かを手渡した。名刺入れのような小さなケースだった。
宮田はそれを受け取ると内ポケットに閉まって、立ち上がった。宮田の表情が少し緩んだ。笑ったのだろう。宮田は伝票ともって席を離れた。
神谷はドアの近くに移動して、宮田が出てくるのを待った。
宮田がファミレスから出てくると、駅のほうに向かって歩き出した。
神谷は少し躊躇した。どんな人間と会っていたのか顔だけでも確かめたかった。しかし男は出てこなかった。
ターゲットは宮田だ。宮田と会った男ではない。神谷はそう切り替えて、すぐ宮田の後を付けた。
それからの宮田の行動は午前中とさほど変わらなかった。
電車に乗ってある駅まで行き、人を捜しすように街を歩き続けた。
何をしている?
なにか目的があるようには見えない。
先程の男にあう為にわざわざ仕事を休んだのか?
宮田が立ち止まった。神谷も不自然にならないように人の流れに逆らうことなく立ち止まって、ショウウインドウ越しに宮田をみた。宮田は男から受けとった小さなケースを内ポケットから取り出し、蓋を開けた。そこからなにやら錠剤のようなものを取り出し、口に含んだ。そしてケースを元に戻し、何事もなく再び歩き出した。
ドラッグでもやっているのか、と神谷は思った。
あの男は非合法の薬のバイヤーか何かだろうか。しかし、あのような形で取引をするとは考えられない。あまりにも危険すぎる。
薬を飲んだ宮田にも変わった様子はなかった。
しばらくして陽が落ち、街灯がちかちかと蛾を誘惑するように点滅しはじめると、宮田はある住宅地の場所で立ち止まった。
いつものように何事もなく歩き出すのだろうと思っていたが、今度は違った。
聞こえない声を聞くように立ち止まっていた宮田が、一軒家の前に近づき表札を見た。それから二階の窓から漏れる明かりに目をやった。宮田の目の色が変わった。しかしそれも一瞬だけだった。すぐに普通の目に戻り、宮田は歩き出した。
何かがある、この男には。
神谷の中で何かが訴えていた。それは感覚的なものでしかなかった。しかし、宮田に対する当初の感じたものからは変わりつつあった。
消されるだけの理由があるのだ、宮田には。それが何かは分からないが。
しかし、依頼主が今回に限って、わざわざマンションまで来たのだ。ただごとではない。
まだ、期限までには時間がある。もうしばらくは消さずに泳がすのもいいかもしれない。
神谷は、宮田が電車に乗って自分のマンションに戻るのを見届け、部屋の明かりが消えるまでじっと観察していた。