5.馬鹿みたい
5.
電車に乗って三つ駅を過ぎたところで、二人はプラットホームに降りた。その車内の間はなにも話さなかった。駅構内から出ると、昨日の自分の行動と今の身の変わりようを思い出して、樹里はいい訳のように言った。
「私、別にあなたの言っていることを、信じたわけじゃないから。ただちょっと興味があるだけよ」
継尚は少し笑って頷いた。
「それでもいいさ」
それから十五分ほど歩いたところで継尚は立ち止まった。高校だった。『司馬高等学校』と校門の壁に書かれている。
「高校生なの?」
樹里は不思議な感じがした。Mが高校生だなんて。夢で知っているMは大人だった。年齢的には今の継尚の方が近い。髪の長い、清潔感のある好青年という感じだった。それが現実では高校生だ。うまくイメージすることが出来なかった。
「そうだよ。君と同じで」
継尚はなんでもないように言った。継尚にすればVも高校生なのだ。別に不思議には感じないのかもしれない。
「もうこんな時間よ。まだ学校にいるのかしら」
樹里は腕時計をみていった。17時を少し回っている。部活に入ってなければもうかえっている可能性もある。
「波動を感じる。まだ中にいるよ」
継尚は校門から目を離さずに断言する。
もし継尚がSの記憶、能力を持っているのなら、Mの波動を感じることが出来る。そして本当にMの記憶を持っている人間を見つける事が出来たなら、継尚の話した馬鹿げた物語を信じられるのではないか?
「そうだったわね。あなたの言うとおりなら、波動とやらで見つけることが出来るのね。それでわたしの居場所を見つけたの?」
「そうだよ」
継尚とその高校生は、わたしを担ごうとしている可能性もある。
もしそう感じたらすぐさまに立ち去ろうと、樹里は決めた。
「ねえ。その高校生は男なの、女なの」
「わからない。実際見たこともないんだ。僕とは逆で、現実では女性って事もあり得るわけだ」
「こんな時間まで何をしているのかしら?」
「さあ。部活か何かだろう。ここで待つか、Mが動くまでどこか店にはいるか」
「ここで待ちましょう」
樹里は言った。
校門から出てきた数人の生徒が、違う学生服を着ている樹里とその隣にいる男を興味深そうに見ながら通り過ぎていく。
目立ちすぎていた。やはりどこかで時間をつぶそうか。そう思い始めてたころ、継尚が顎をあげて合図した。
「あれだ。彼だよ」
男子生徒が校門から出てくるところだった。背は高そうだった。夢のMと違い髪はそれほど長くなく、さっぱりしている。彼を見た瞬間、劇的に何かを感じるかと思っていたが、意外にも何も感じなかった。
それにMの纏っている、何とも言えないオーラのようなものは感じなかった。
あれが本当にMなのか。とてもそうは見えない。
樹里は自分でも驚くほどがっかりしていた。
「イクト。待ってよ」
男子生徒に駆け寄っていく女子生徒が目に入った。イクトと呼ばれた男子生徒は女子生徒を振り返り、微笑みかけた。それを見たとき樹里の中で激しい何かが駈け抜けた。頭がぼーとし、顔が熱く感じられた。
Mの顔と男子生徒の顔が重なった。顔は全く違うのに、あの微笑みはMのそれだった。
間違いない。Mだ! Mがいる!
継尚はぼーっとしている樹里に、どうしたという顔を向けた。
「映画、見に行く約束でしょ」
女子生徒は男子生徒に追いついて横に並んだ。
「分かっているって。遅いんだよ」
男子生徒はぶっきらぼうに言ったが、そこには親密な雰囲気が感じられた。
彼女だろうか、と樹里は思った。
樹里は、彼らが話しながら横を通り過ぎるまで動かなかった。
「どうしたの。行ってしまうよ、彼」
継尚の言葉に樹里は我に返った。
「え、ええ。そうね。後をつけましょう」
「後をつける? どうして?」
「彼女がいる前で、あんな話なんて出来ないでしょ」
そうか、と継尚は頷いた。樹里と継尚は少し距離をあけて二人の後を付けた。
Mには彼女がいるのか、樹里はぼーっと思った。
ふたりは近くの映画館に入り、その後ファーストフードを食べ、小一時間ほど話していた。樹里と継尚はふたりと同じ店に入り、観察し続けた。
どうして他人がイチャついているのを見なければならないのだ、と樹里はだんだん嫌になっていた。
こんなにも尾行がつらいものだとは思わなかった。
既に日は沈み、街灯が点り始めていた。時間が経つにつれて樹里は、正直もうどうでもいい気分になってきていた。
どうして私はこんな所にいるのだろう?
こんな事をしていったい何になるのだろう?
男がMであろうが、クリーチャーがどうであろうが、自分には関係ないことのように思えてきた。そう思うと自分のやっていることがばからしく感じた。
もう帰ろうか、そう思ったときに、やっと男子生徒が動いた。
「帰ろうか」と男子生徒が彼女に言ったのが聞こえた。
女子生徒はまだ名残惜しそうだったが、送っていくからという男子生徒の言葉に女の顔がうれしそうに笑った。
ふたりは電車を乗り継ぎ、男子生徒は彼女を家の近くまで送り届けた。そして彼女にバイバイをして踵を返して、もと来た道を戻り始めた。
やっと終わった。樹里はため息をついた。
声をかけるなら今しかない。でも、あまりにも不自然な気がした。
なんて声をかければいいのだ。そう逡巡しているうちに男子生徒はどんどん近づいてきた。
樹里と継尚はどうしていいのか分からず、曲がり角で身を隠した。しかし男子生徒は何故か駅のほうに戻らずに、ふたりが隠れたほうに向かってきた。そして角を曲がり継尚の目の前に立ちどまった。
「何か用?」
男子生徒が継尚を見据えるように言った。予想外の行動で樹里は何も出来なかった。
黙っている樹里たちに挑むように、男子生徒は言葉を続けた。
「人の後をつけ回して、どういうつもりだ」
「いや、ごめん……。怪しいものじゃないよ」
継尚が申し訳なさそうに言う。
「十二分に怪しいと思うけど。ずっとつけていただろ⁉」
「……気づいていたんだ。いつから気づいていたの」
樹里の言葉に男子生徒はこちらに顔を向けた。どこか野性味のある強い眼をしていた。
「映画館を出たあたりから。で、答えてろよ。何か用があるのか?」
実際、どう説明すればいいか分からなかった。向こうから話しかけてくるとは想像もしてなかったし、ただでさえ馬鹿げた話なのに、今、話をしても理解してもらえるとは思えない。
まして私自身、どうやって説明すればいいのか分からないのだから。
黙っている樹里に男子生徒は念を押すように言う。
「用がないなら、もう行くけど。二度とつけ回すようなことはしないで欲しい。俺の事も彼女の事も」
その言葉を聞いて、樹里は男が女を送り届けた理由が分かった気がした。
彼女の安全を一番に考えたのだ。つけられているのが自分か彼女か分からない。その為、彼女を送り届け、わたしたちに話しかけてきたのだ。
俺は分かっているぞ、下手なことはするな、というように。
樹里は何とも言えない気分になった。
何やってるんだろ、わたし……こんな事をして……。
「そうもいかないんだ。君の力を貸してもらいたいんだ」
黙った樹里に代わって、継尚は言った。
「何を言ってる?」
男子生徒は目を細めた。
「君は夢の中でMと呼ばれている、もしくは、その記憶を持っている。そして『アストラル』という組織に属している。その中にSとVと呼ばれている人間がいたはずだ。憶えてないかい?」
男子生徒の顔は依然としかめたままだったが、その表情が微妙に変化したように見えた。
何かを思いだすように少し目が動いた気がしたのだ。
しかしそれも一瞬だった。すぐさま警戒するような、訝しむような目つきになになっていた。
「僕はSという人物の夢を見てるし、彼女はVという人物の夢を見ている」
継尚の言葉に男の顔が樹里に向いた。
お前もこのおかしな奴の仲間か、という感じの目つきだった。
樹里は何も言うことは出来なかった。
「現実の世界にクリーチャーが現れたんだ。ほっとくわけにはいかない。僕たちだけでは倒すことは出来ない、力を貸してくれないか」
継尚の言葉に男は首を振って、歩き出した。やってられないとばかりに。
「待って」
樹里は言ったが男は立ち止まらなかった。そしてそのままどんどん歩き続け、闇に消えていった。
あれが当たり前の反応だろうな、と樹里は思った。
いきなりあんな事を言われても分かるはずがない。
再び、樹里は自分の行動に疑問を感じた。
いったいわたしは、何をやっているんだろうか。馬鹿みたい。
「やはり、まだ早かったかな」
継尚の呟きが聞こえた。
見えなくなった男の姿を探すように、通りに目を向けていた。
樹里は継尚の言葉が気になった。
「やはりって?」
「彼の波動は君に比べるとまだ弱い。思いだしている夢、というか記憶が少ないのかもしれない」
「どういうこと?」
「『L・D』(夢の世界)の記憶を思いださないと、強い波動は現れない。確証はないけど」
「じゃあ、彼は自分がMだった頃の夢もみてないの?」
もしそうならどうやって説明をすればいいのだ。
ただ信じろというにはあまりにも突飛すぎる。私自身もそうなのだから。しかし樹里の疑問を継尚はすぐさま退けた。
「それはないと思う。彼が少しでも思いだしてくれてないと、僕は彼を見つけることは出来なかっただろうし。それに、ひとつ言っておくけど『L・D』の記憶を取り戻すのは夢だけじゃないよ。僕は起きている間に、思いだしたことの方が僕は多い」
「え? どういう風に思いだしたの?」
「うまく言えないけど、突然、記憶が目の前に現れるんだ。映像だけじゃなく、匂いや、時には痛みすら感じるようなものだよ。頭の中で追体験しているような感じかな」
わたしもそんな風にしてVの記憶を追体験することがあるのだろうか。
「あなたはどの程度、夢の記憶を取り戻しているの?」
継尚は考えるように少し遠くを見つめた。
「すべてではないよ。まだ分からないことの方が多い」
樹里も断片的なものしか思いだしていない。
いったいVはどんな人生を送ったのだろう。
思いだしているのは限られた時間の中だけだった。それも断片的なものでしかない。
「彼はMの記憶を取り戻すと思う?」
「さあ。分からない。でも今日、僕たちと会って、何か思いだすきっかけになったかもしれない」
樹里と継尚はどちらからともなく歩き出した。
本当に彼はMの夢を見ている人物なのだろうか?
再び樹里は疑いを持ち始めた。
それとも、やはり継尚の全て作り話ではないのか?
わたしは継尚に担がれているのかもしれない。でもなんのためにそんなことをする?
どうやって私の夢を知った?
それに、あの男が微笑んだときに感じたMの存在。あれはどう説明する?
実はVとMは恋人だった時期があった。それは他のメンバーには知られていないものだ。いや、もしかしたら気づいていた人間はいたかもしれないが、VもMも誰にも言っていなかった。
「ねえ。あなたはその力をいつ発揮することが出来るようになったの?」
樹里は試すように継尚に訊ねた。
「わからない。こないだも話したかもしれないけれど、記憶はずっと以前から持っていたんだ。だけど、波動を感じたのは最近のことなんだ」
「あなたが力を持っているということは、私にもあるってことよね。つまりVがやっていたような事も出来るってこと?」
「そうだね。そうでなければクリーチャーは倒せない。でも『L・D』のようにはいかないと思う。Sのときは、もっと遠くまで波動をキャッチすることが出来た。けれど今の僕には限られた範囲だけしかわからない。それは君にも当てはまると思う。つまり『L・D』ほどの力が出せるとは思わない」
継尚が担ごうとしているようには思えなかった。
では、本当にクリーチャーが現れたらどうすればいいのだろう。
私自身、そんな力があるとは疑わしい。
その上、限られた力しか出せないとすればクリーチャーなど倒せないのではないか。
そこで思いだしたことがあった。チームを組んだのは計五人。
Mの他にも、後二人の仲間がいたのだ。その記憶を持っている人間がいるかもしれない。
「他の仲間はいないのかしら?」
「まだ分からない。街をうろついて探しているけれど、今ところは……」
そういって継尚は首を振った。
つまり、さっきの男子生徒(本当にMだとすれば)のふたりだけでクリーチャーを倒さなければならいということか。しかしあの感じだと力を貸してくれるのは難しいかもしれない。
いつの間にか樹里と継尚は駅に着いていた。
「今日はもう帰ろう。なにも出来ることはないしね」
継尚は言って、立ち止まった。
「明日は街で他の仲間が見つからないか探してみる。君はどうする?」
「学校があるから」
樹里は少し考えてから断った。継尚は携帯電話を取り出した。
「携帯の番号を教えておくよ」
継尚は樹里の携帯に番号を送った。樹里はそれを登録した。こちらからは送らなかった。どこかでまだ信用し切れていない部分があったからだ。
「なにかあれば連絡をして」
継尚はそんなことを意に介さないように言った。
「わかったわ」
「僕は家までは送らないよ。君のほうが僕より強いはずだからね」
継尚は笑って、手を振って踵を返した。
確かに、わたしがVのようになれれば、相手が普通の人間ならどうって事はないだろう。
わたしにそんな力が出せれば、だが。
樹里は継尚の背中を少し見送ってから、駅に入っていった。