4.彼氏?
4.
チャイムが校舎に鳴りひびくと、五分もたたない間に廊下には部活に行く生徒や帰宅する者でごったがえしていた。
この学校はかなりのマンモス校で、ひとクラス40人前後、それが13組まである。それが一年から三年まであるから、約千五百人もの生徒数になる。
そのうちクラブ活動をしている者は約五百人前後、残りの帰宅する者たちが廊下に溢れかえり、それが門までつづくことになる。
樹里はうんざりした目を廊下から教室に戻し、机の上に置かれている鞄を持ち上げ、立ち上がった。
教室には数人が残っているが、あらかたの人間は部活や帰路につこうと廊下に出ていた。
教室に残っているのは樹里と同様、人混みを避けようとして残っているか、友達とのおしゃべりに余念がない者だけだ。
樹里は腕時計に目をやった。四時十五分。廊下にいた人が徐々に空きはじめた。
いつもなら人が混んでいようが関係なく、チャイムが鳴るとすぐに帰る準備にはいるのだが、今日はそんな気持ちにはなれなかった。
昨日のことが頭を支配していた。土田継尚と名乗った男S。
もし、彼が言ったとおり、クリーチャーが現実の世界に現れたなら今頃ニュースになっているはずだった。
クリーチャーは化け物だ。夢で知っているクリーチャーは人並みはずれた力を持っていて、カオスを撒き散らしていた。
現実の世界に本当に現れたのなら、ニュースや新聞にそれらしいことが出ていてもおかしくない。
しかし、昨日あの男と別れて帰った後、ニュースや新聞、ネットに至って色々調べたが、それらしいことを見つけることは出来なかった。
やはり、彼が言ったことは嘘なのだろう。
でも、と樹里は思った。
彼が話した内容は樹里の夢と一致していた。
そして、どうやってわたしの夢を知り、何のために嘘をつく必要があるのか。
嘘だとしたら、本当に彼は何者で、どうしてわたしに近づいたのだ?
どうしてわたしが夢の中でVと呼ばれているのが分かったのだろうか。分からない。
そういえばSはクリーチャーだけでなく、メンバー個々の波動を見分けることが出来た。その力をもってしてわたしを見つけたのだろうか。
ということはわたしはVと同じ波動を、この現実の世界でも発しているのか。
いつしか彼の話を信じてようとしている自分に気づいて樹里は苦笑した。
いったい何を考えているのだ、わたしは。
「樹里ィ~。何やってんの」
突然の声に樹里は想念を破られた。戸口に昨年同じクラスだった麻美が立っている。
「別に。ただ人が空くのを待っていただけ」
樹里は誤魔化すように言った。
「そうなの。なんかぼーっとしてたからさ。久しぶりに一緒に帰ろうよ」
「そうだね」
樹里はそういって教室から出た。廊下には人がいなかった。
「顔が赤いよ、大丈夫。体調でも悪いの?」
麻美は心配そうに樹里の顔を見た。確かに昨夜から体が熱く感じていた。ただそれは体調が悪いのとは違う。いたって元気だったし、調子もよかった。ただ、熱を感じているのだ。
「そうでもないよ」
「病院に行けば?」
「大丈夫」
校門は人で溢れかえっていた。自転車や人で大きな流れを作っている。雨が続き、細い川が濁流したように、ひとつの出口を求めて人が動いている。
どうせなら、もう少し待ってから教室を出ればよかった、と樹里は後悔した。人の流れからなるべく逆らわないように歩いた。
校門から抜けるだけで、額にうっすらと汗をかく羽目になったていた。これが真夏ならシャツが体にへばりついていることだろう。
大通りに出ると人は散らばり、やっと普通に歩くスペースが取れた。
麻美はふぅとため息をついて、手を団扇かわりにしている。樹里もシャツをぱたぱたとはためかせて、風を送り込む。その風すら生暖かい。
大通りから曲がり角にさしかかったとき、樹里は足を止めた。
壁にもたれて少しうつむき加減に立っている男を発見した。樹里はひとつため息をついた。
「どうしたの。やっぱり調子悪い?」
麻美は立ち止まった樹里を心配して振り返った。それから樹里の視線を追って男を見た。
「知り合い?」
「いいえ。全然」
樹里は視線をはずさずに言った。
男の顔が上がり樹里を見た。やあ、というように手をあげる。麻美は、樹里と男の顔を交互に見て、肘で樹里につついた。
「彼氏? いつの間に作ったのよ。紹介しなさいよ」
麻美の勘違いを無視して、樹里は男に近づいた。
「ちょっと、何よ。どうしてこんな場所にあなたがいるのよ」
昨日、継尚と名乗った男は何も言わなかった。麻美は樹里の剣幕を見て慌てたように顔を強ばらせた。
「え? 彼氏じゃないの。もしかしてストーカー? 誰か助け呼ぼうか?」
継尚は麻美に向いて首を振った。わざとらしく、悲しい顔を作っていた。
「ジュリさんと話したいことがあるんだ」
「わたしはあなたに話すことなんてない」
樹里は冷たく言い放った。
わたしを見張るなんてどういうつもりだ。継尚は樹里に向き直って、少し笑みを浮かべた。
「Mの居場所が分かったんだよ」
「え?」
樹里の思考が一瞬止まった。
Mがいる?
夢の世界でなく、現実の世界に?
樹里というよりVが反応したようだった。Mがここにいる。
Uの事件以降、MはVとSを含む五人チームのリーダーとなった人物だった。組織の中でも優秀で、一目置かれていた存在だった。
会いたい。
不思議な感情が湧き上がっていた。
もう一度Mに会いたい。あって話したい。
それは樹里というよりもVの感情のようだった。
樹里はそんな自分の心を戸惑いながらも、なんでもないような表情を作っていた。
「これから行こうと思うけど、一緒に行かないか?」
継尚は問うような目で樹里を見た。
「知り合いなの? あなたたち」
訝しそうに麻美が言う。樹里は顔の前で手を合わせた。
「ごめん、麻美。ちょっと急用が出来たから。その……」
「……分かったわよ。彼氏と遊びに行くのね。それより明日、何がどういう事なのか、ちゃんと報告しなさいよ」
麻美は、がんばってね、と最後に付け加えて、ニヤついた表情をして去っていった。
何か勘違いしていると分かったが、樹里は止めなかった。
それよりもMの事が気になった。
本当にいるのだろうか?
いればどんな顔をしているのだろう。何をしている人物なのだろう。
何より私のことをVだと気づくだろうか?
いつの間にか自分をVだと疑わない、もうひとりの自分に気づいて樹里は驚いた。
落ち着け。嘘かもしれない。
しかしMに会いたいという欲求は、目の前に飴玉を置かれた蟻のように惹き付けられずにはいられなかった。
「どこにいるの? 私も行くわ」
樹里ははっきり答えていた。継尚は頷いた。
「そう遠くはないよ」
継尚は歩き出し、樹里も後に続いた。