3.依頼人
3.
ある一角に、雑貨ビルが林立する中でひときわ目立つマンションがある。
闇に光を投げかけているその建物は、バブル崩壊とともに捨てられたものを、IT関連の会社で成功した今のオーナが建てたもので、賃貸として貸し出しているものだった。
そのマンションの向かいの壁にへばりつくように車が止まっているのを見つけ、神谷は足を止めた。
その車は外灯の光に入らないよう停めてあった。車体は黒く、フロントガラスは遮光シールが貼られ、中の様子をうかがうことができない。
神谷には、それが何なのかすぐにわかったが、無視することに決めた。
車の後部にさしかかると、後部席からふたりの男が降り立った。どちらもダークスーツに身を包んでいる。
ダークスーツに身を包んだ男たちは道を遮るように、神谷の前に立ちはだかった。ひとりはまだ若く、神谷と同じまだ20代後半に見えた。
もうひとりは初老を迎えるぐらいの男だった。初老の男とは何度か会ったことがあったが、若い方は初めてだった。
若い男は神谷に睨むような視線を向けている。
神谷はその視線をすっと外しマンションに足を向けた。それを押さえ込むかのように、神谷の肩に手がかかった。
肩に掛かった腕を振り払い、極力抑えた語調で言った。
「こんな所で何の用だ」
神谷の声を聞くや否や、男の顔がすっと青ざめた。もうひとりの初老の男が鷹揚に頭を下げた。
「すいません。電話をさしあげたのですが、繋がらなかったものですから……」
頭を上げた初老の男と目があった。謙虚な態度をとっているが、眼を見ればただの爺じゃないということは誰でもわかる。
神谷の胸中で不安が広がった。
「こんなところでは何なので、とりあえず車にお乗りください」
初老の男がいった。
ここで反抗しても何もならない事は分かった。神谷は車に乗り込んだ。
後部席は向かい合って座る形になっていた。リムジンのような形だ。後部席と運転席の間には強化プラスチック・プレートがはめ込まれている。至近距離からの銃弾を受けても貫通することはないだろう。プレートは黒く、後部席の方からは運転手をみることができない。たぶん、マジックミラーのようになっているのだろう。
初老の男が向きあうように座ると、ゆっくり車が走り出した。
若い男は、神谷と少し距離を置いて座っている。
「で、用は何だ」
神谷はポケットからたばこを取り出し、ジッポで火をつけて言った。若い男が顔をしかめたが、かまわなかった。
「本来なら、電話で場所を指定してもらうのが約束ですが、今回時間がないのでご了承ください」
初老の男が言った。
このような形で男たちとあうことは今までなかった。いや、あってはならなかった。
仕事の場合、まず相手が電話番号を留守電に吹き込んでおく。この電話番号は毎回変わる。留守電を聞いた神谷が折り返し電話をし、場所を指定する。そこで仕事の打ち合わせをするという方法を今までとっていた。
今の時代、メールや電話で仕事を決めることがあるようだが、神谷は今まで顔を合わしてしか仕事をしなかった。今回は事前の連絡も無く、いきなり家まで来ていた。今まで無かったことだ。
神谷は舌打ちをした。
初老の男は足下にあるアタッシュケースを膝の上に置き、開いた。そこには数枚の紙や写真、本に混じって拳銃がある。そこから紙と写真を一枚ずつ取り出し神谷に渡した。
「今回は、この人物です。前回同様、顔が分かるようにしといてください」
ちらっと写真に目を移した。若い男だった。といっても25、6歳といったところか。
「こいつが何かしたのか」
「それは、あなたに関係ないことです」
初老の男は冷ややかに言った。
神谷は舌打ちをして、たばこの灰を車内に落とした。
こいつらと仕事をするのは3度目だった。仕事の内容は、いずれも暗殺だった。この組織がどういったものなのかは知らない。
素性の知らないものの依頼など受けないのだが、以前から仕事を請け負っている人物の紹介で知ることになった。そこから繋がりが出来たのだ。
この組織に、下手に首を突っ込むことは自分の命取りになる、と神谷は感じた。だから付かず離れずの距離を保っていた。
神谷は写真と資料に眼を落とした。写真にはまだあどけなさが残っている男が写っていた。
次に紙に目を向けた。写真の男の事細やかなデータがかかれている。身長、体重といった身体的特徴から、体を洗うのは右腕からといった、本人すら知らないであろう事まで書かれていた。
その他、ここ一週間の行動記録が書かれている。人間の行動パターンはある程度限られてくる。それらを知っていると、仕事をするタイミングなどを逃すことはなくなからだ。
暗殺する男の資料がここまで作られているところを見ると、仲間うちでの争いかもしれない。
神谷は一通り目を通すと、初老の男に紙と写真を返した。初老の男は資料を受け取ると、スーツからジッポを取り出し、紙に火をつけた。 ある程度全体に火がいくと、サイドウインドウを下げ、紙を外に放り投げた。
「それで、後処理のことですが、これはこちらでしますのでお任せください」
この組織と仕事をして、神谷が殺した者達が、世間に露見したことはなかった。神谷が仕事をした後すぐ、連絡を入れる。連絡を受けた組織は死体をどこかに持っていくことになっている。
「期限は?」
「五日です」
その言葉はものも言わせぬ口調だった。つまり期限は守れ、と言っているようなものだ。
初老の男は、若い男に目で合図を送り、封筒を受け取った。それを神谷に渡して言った。
「とりあえず100万用意しました。後はそちらの仕事が終了次第、いつものように振り込みます」
初老の男は咳を一つすると、それが合図だったかのように車がとまった。
話は終了したということだろう。
期限が五日というのは、いつもより短い時間だった。
神谷が車から降りるとマンション前だった。初老の男は窓から顔を出した。
「では、よろしくお願いします」
念を押すように初老の男は言った。
神谷は走り去った車の姿が見えなくなると、短くなったたばこをふっと吹きだし、足で踏み消した。