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やる気のない無能な王子は身の程を弁えているようです

作者: 今紺 軌常
掲載日:2023/01/25

 第一王子ブラッド・グレンヴィルは無能だ。

 正妃によく似た端正な顔立ち、美しく輝くプラチナブロンドの髪に王家特有の深紅の瞳、肢体は神話の神々の彫刻のように美しく引き締まった筋肉に覆われている。どんな人間をも虜にしてしまうような完璧な容貌をしているが、その中身は大変お粗末なものだった。

 享楽的で努力を嫌い、無責任で利己主義、国やその地で生きる民に興味などなく、自分が楽をして恵まれた生活をおくることしか考えていない。そして、そんな自分を上手く隠すことすらできないのだ。

 だから、学園の卒業パーティで婚約者ではなく見目が麗しいだけの男爵令嬢をエスコートしていても、パーティの最中に自身及び側近たちの婚約者を呼びつけたとしても、誰一人驚く者はいなかった。


「マロン・チャドウィック、キャメル・アメリオ、そして、我が婚約者ローズ・ベニントン。前に出よ」


 そう高らかに声を上げたブラッド殿下の腕にはモモア男爵家の庶子であるチェリーが引っ付いている。薄紅色の髪と瞳をした非常に愛らしいこの美少女をブラッド殿下が寵愛していたのはこの学園に通う者なら誰でも知っている。チェリーはその美貌により、殿下だけでなく殿下の側近であるレイブン・クロード公爵令息、アッシュ・ハイマン伯爵令息をも手玉にとった、と学園の生徒たちは思っている。ブラッド殿下だけでなく、レイブンにも、アッシュにも婚約者はいる。婚約者がいる身でありながら他の女を侍らせるなんてと苦言を呈する側近もいたのだが、殿下もレイブンやアッシュも聞き入れることはなく、苦言を呈した側近はブラッド殿下を見限り距離を置いている。

 そして、ストッパーもいなくなり、いつかやらかすだろうと皆に思われていたブラッド殿下がことを起こしたのがこの卒業パーティということだ。

 ブラッド殿下とチェリーの後ろにはレイブンとアッシュはもちろんのこと、不本意ながら殿下の側近でもない俺、アビス・アイネソンも立っている。会場中から愚者を見下すような視線を一心に受け、思わずこぼれそうになるため息をぐっと呑み込んだ。


「お呼びでしょうか、殿下」


 人の輪から出てきた三人の令嬢。おろおろと不安げな二人の令嬢と違い、全く動揺した様子の見えない黒髪の令嬢が声を上げる。彼女はローズ・ベニントン公爵令嬢、殿下の婚約者だ。ブラッド殿下と同じ深紅の瞳は怜悧に輝いている。

 ブラッド殿下は全く以て王の器ではない。しかし、ブラッド殿下の母である正妃は隣国から政略結婚で嫁いできた王女であり、その第一子とあれば尊重しないわけにはいかない。ブラッド殿下を支えられるようにと、先王の妹が降嫁した筆頭公爵家の長女であり幼い頃から神童と持て囃された才女ローズ嬢が婚約者として据えられた。そのおかげで何もかも足りないブラッド殿下は王太子とされているのである。


「ああ、汝らに話を聞きたい。理由は、分かっているな?」


 ブラッド殿下からの問いかけにローズ嬢はすぐには答えず、後ろに控えている二人の令嬢を振り返る。二人の令嬢―レイブンとアッシュの婚約者であるマロン・チャドウィック侯爵令嬢とキャメル・アメリオ伯爵令嬢は怯えるように首を横に振っていた。それを見たローズ嬢はブラッド殿下に向き直り、彼女らの代わりに口を開く。


「彼女らは何も心当たりがないようですわ、殿下」

「呆れました、速やかに己の罪を認めることもできないのですか」

「貴様、殿下の御前で偽りを述べるつもりか!」

「レイブン、アッシュ、そう熱くなるな。ふむ、チェリーを前にして、すぐに謝罪をするのであれば情けもかけようと思ったがこれではな。アビス、この者らの罪状を述べよ」

「承りました、殿下」


 ブラッド殿下に促されて一歩前に出て殿下の横に並ぶ。ちらりと横目で覗いたブラッド殿下はいつも通りの優雅で美しい笑みを浮かべている。その腕に引っ付いているチェリー嬢は大きな瞳に涙を浮かべているが、優越感から零れる嘲笑が抑えきれていなかった。その歪んだ笑みは見なかったことにして、手元の罪状が書かれた紙束に視線を直す。


「マロン・チャドウィック侯爵令嬢並びにキャメル・アメリオ伯爵令嬢、貴女らにはチェリー・モモア男爵令嬢への侮辱罪、器物破損罪、暴行罪、殺人教唆罪の疑いがかかっている」


 絶句している二人の令嬢を余所に、俺は二人が行ったとされるチェリー嬢へのいじめというには度を越した行いを詳らかにしていく。

 取り巻きを引き連れながらチェリー嬢に暴言を吐いたとか、チェリー嬢の私物を壊したり捨てたりしただとか、足を引っかけて転ばせたり階段から突き落としたりだとか。挙句の果てにはならず者を雇って彼女の命を狙っただとか。そのどれも確かな証人や証拠が揃っている。


「ま、待ってください! 確かに彼女の貴族として相応しくない行いに苦言を呈したことはあります。けれど、決して暴言と言える類のものではありませんし、ましてや他のことは一切身に覚えがございません!」

「マロン様の仰る通りです! 証人や証拠というものも信用なりませんわ!」

「往生際の悪い……」

「この期に及んで保身に走るなど、恥はないのか!」


 やった、やっていない、と口論がヒートアップする側近二人とその婚約者たちを眺めていたチェリー嬢が、あれ、と首を傾げる。何度かブラッド殿下とローズ嬢を交互に眺めてから、ブラッド殿下の袖を引いた。


「あの、あの、ブラッド様? 私をいじめたのは、マロン様とキャメル様だけじゃなくて、ローズ様もなんです」

「チェリー、ローズは君をいじめてなんていないよ。他人から悪意を向けられて疑心暗鬼になっているんだね、可哀想に」

「いえ、そんな違います! 私は確かにローズ様にいじめられたんです! 酷い言葉を投げかけられて、みんなからも孤立するように仲間外れにされて」

「ローズがそんなことをするはずがないだろう? 今回のマロン・チャドウィック嬢とキャメル・アメリオ嬢の証拠を集めてくれたのはローズなんだよ」


 ブラッド殿下の言葉に会場中の視線がローズ嬢に集まる。誰もが驚愕の表情を浮かべているが、特に驚いているのはマロン嬢、キャメル嬢、そしてチェリー嬢だろう。


「ろ、ローズさま、そんな、どうして……? 私たち、チェリー嬢に婚約者を誑かされた、同士だったでしょう……?」

「仰っている意味がよく分かりませんわ、マロン嬢。たとえ婚約者を他の女に誑かされようと、罪を犯すのはよくありませんわ」

「きさ、き、きさま、よくも、よくも私たちを罠に嵌めましたわね!!!」


 呆然としているマロン嬢も尻目に、激高したキャメル嬢がローズ嬢に殴りかかろうとした瞬間、脇に控えていた近衛兵たちが速やかに彼女らを取り押さえた。呆けて何も言えないマロン嬢と、依然ローズ嬢への恨み言を吐き続けるキャメル嬢を拘束し、彼らはあっという間に会場から姿を消した。


「ブラッド、様……? わたしを、王妃にしてくださるのですよね?」

「王妃? チェリーが? あっははははは、なんだそれは、面白い冗談だな」


 貴族の令嬢がまるで塵芥のように手荒に近衛兵らに連れていかれる異様な光景。それを前に、震える声で問うたチェリー嬢の質問をブラッド殿下は笑い飛ばした。ブラッド殿下は自身の腕にまとわりついていたチェリー嬢をやんわりと引き離すと、ローズ嬢の元まで歩み寄りその肩を抱く。ローズ嬢はそれに嫌悪感を示すでもなく、かといってチェリー嬢に自身の方が愛されているなどと居丈高な態度をとるわけでもなかった。


「チェリー、私はローズが婚約者であるから王太子なのだ。母の後ろ盾もあるが、それだけで王太子になれるほどの器ではない、そのことは薄々感じているだろう? ローズとの婚約を破棄すれば廃嫡は免れない」

「チェリーさん。私は殿下に寵姫を持つことを制限するつもりはありませんの。私が言いたい事、分かりますわよね?」


 ほう、と悩まし気なため息を零すローズ嬢は老若男女を魅了するほどに妖艶で美しい。しかし、対するチェリー嬢はいっそ憐れなほどに青ざめている。


「私を、どうするつもり……?」

「どうする? どうもすることはない、心配するなチェリー。俺はお前を愛している。それをローズも認めてくれているんだ。何も心配することはない。そうだろう、ローズ」

「ええ、もちろんでございます、ブラッド殿下。チェリーさん、貴女が“寵姫”として弁えている限り、私は何もいたしませんわ」


 ローズ嬢は朗らかな笑みを浮かべている。しかし、彼女の言葉は裏を返せば、寵姫以上の待遇を望むのであれば先程の令嬢と同じように有無を言わさず罪を着せると言っているに等しい。彼女らに無実の罪を着せたチェリー嬢であれば、その言葉の重みをしっかりと感じることができるだろう。


「待て! なんだ、この茶番は」


 今にもへたり込んでしまいそうなチェリー嬢を見守っていた群衆は、新たに声を上げた人物に視線を移す。

 有象無象の中から抜け出て来た美丈夫。鈍く輝く銀色の髪、真っ赤に燃ゆる深紅の瞳をした彼はフレイム・グレンヴィル殿下。この国の第二王子であり、側室を母に持つブラッド殿下の同い年の弟である。


「兄上は結婚前にも関わらず寵姫を召し上げる予定なのですか? ローズのような素晴らしい婚約者がいるにも関わらず? 正気とは思えませんね」


 フレイム殿下はローズ嬢の前に膝を着くと、その右手をすくい上げて唇を落とした。それだけでも分かる洗練された身のこなしはまさに理想の王子様と言ったところだ。


「ローズ、美しく聡明で、誰よりも国のことを深く想う貴女のことを愛している。貴方とであればこの国をもっとより良くしていけると思うんだ。どうか、貴女をお飾りの王妃にしようとする愚兄ではなく俺の手を取ってほしい」


 見目麗しい王子の熱烈な求愛に、周りの令嬢らは羨ましげな熱っぽいため息をついた。けれど、当のローズ嬢は穢らわしい物の触れたかのようにその手を払うと、凍てつくような眼差しをフレイム殿下に向けた。


「兄の婚約者に向かってそのような言葉を向けるだなんて正気ですか?」

「婚約者をこんなにも蔑ろにしているんだ、そんな奴に義理を果たす必要はないだろう」

「フレイム殿下、貴方は何を仰っているのですか。私とブラッド殿下は国王が望まれて婚約を交わしたのです。それをお互いの気持ちだけで破棄するだなんて、そんな不敬なことをできるわけがありませんでしょう? それに、私はブラッド殿下のことを愛していますわ」


 美しい顔を歪め不快感を露わにしながらフレイム殿下を見つめていたローズ嬢は一転、ぞくりとするほど魅惑的な笑みを浮かべてブラッド殿下を見上げる。その瞳が愛に浮かされた甘いものではなく、美術品を品定めするように冴えていたことは貴族としてまともな教育を受けている者には分かるだろう。しかし、この場でそんな命知らずな指摘をできる者などいない。


「私もお前のことを大切に思っているぞ、ローズ」


 この後に及んでリップサービスだとしても『愛してる』も言えないブラッド殿下は極めて素直な人だと思う。大切に思っているのもローズ嬢自身ではなく、ローズ嬢の存在で保証してもらえる自分の豊かな生活のことだろう。


「まあ、ローズは魅力的だからな。私の婚約者であると分かっていても気持ちを抑えられなくなるのも理解できる。そしてここは学生最後のパーティの場だ。今回のフレイムの一連の言動はなかったことにしよう」

「寛大な判断、大変よろしいと思いますわ殿下。皆さまも、フレイム殿下が兄であり王太子であるブラッド殿下のことを愚兄と呼んだ上、その婚約者である私に求婚をしたなんて愚行お忘れになさってくださいませね」


 ローズ嬢が声高に伝えた言葉の本心が『フレイム殿下につけば容赦はしない』という意味であることは誰にとっても明らかであった。その上、ブラッド殿下のことを愚兄と呼んだことへの当てつけのように、一連の言動を愚行と言い切られたことにフレイム殿下は顔を真っ赤にした。それが羞恥であるのか怒りであるのか分からないが、周囲の空気も自身に冷ややかな様子なのを悟ってか、失礼しましたと消え入るような声で呟いた。そのまま逃げるように会場を出ていく彼を呼び止められる者などいない。


「それにしても、スピネル。どうして貴方はブラッド殿下のお傍にいないのです?」


 顔色の悪い美青年と表情の硬い美少女が人込みの中から出てきた。ローズ嬢に瓜二つの青年は彼女の双子の弟、スピネル・ベニントンであり、その横には彼が今日のパーティでエスコートをしていた類まれなる美少女がいる。月明りのように嫋やかに輝く柔らかな金糸の髪、深紅の大きな瞳は目尻が跳ね上がり猫のように愛らしい。華奢だが凛と背筋を伸ばした姿は淑やかで神々しささえ感じる。手足の先まで一切のくすみもない新雪のような真っ白な肌は頬だけがほのかに薄紅色に染まっており、そのことが唯一彼女は天使などという幻想の存在ではなく血の通う人間であると教えてくれる。彼女こそがこの王国の宝、第一王女のルージュ・グランヴィルであり、アイネソン伯爵家の次男でしかない俺の婚約者である。

 どうして王女がしがない伯爵家の次男と婚約を結んだかと言えば、偏にそれだけ誰もブラッド殿下に期待していなかったからに他ならない。正妃の娘であり、ブラッド殿下より二つ下の妹であったルージュ様は見目麗しい利発的な王女であった。このような優れた王女である、政治的には他国の王族への輿入れや国内の有力貴族への降嫁が望ましいことは自明の理である。しかし、王太子である兄のブラッド殿下は愚鈍だった。もしも彼が問題を起こした場合は側妃の息子であるフレイム殿下よりも、正妃の娘であるルージュ様を女王とした方が良いと考える貴族も多かった。その気持ちを王が酌んだ結果、ルージュ様に王家の結婚相手としてギリギリ許される相手だが婚約破棄しても大きな問題にならない相手―つまりは俺と婚約を結ばせることにした。ブラッド殿下が王になっても、ブラッド殿下が廃嫡になりルージュ様が女王になっても、どちらに転んでも俺はルージュ様と婚約を破棄されて、ルージュ様は俺よりももっと高貴な方に嫁ぐか、王配をもらい受けるというのが暗黙の了解であった。

 ルージュ様は卒業生ではないが、兄二人が卒業するということで王族の代表という形で卒業パーティに参加していた。本来ならば俺がエスコートをしなければいけないところ、致し方ない事情でスピネルにエスコートをお願いした。


「貴方はブラッド殿下の側近候補のはずでしょう? それなのに、どうしてブラッド殿下の傍を離れ、ルージュ殿下のエスコートをしているのですか?」

「ローズ様、スピネル様を責めないであげてください。私が一人でパーティに参加しようとしていると知ってスピネル様がエスコートを申し出てくださったんです」


ローズ嬢が笑みを深くしていくのとは対照的に、スピネルはどんどんと顔色が悪くなっていく。見かねたルージュ様が間に入ると、実に不思議そうにローズ様は首を傾げた。


「ルージュ殿下には婚約者がいらっしゃるではありませんか。ここにいるアビス様がそうでしょう?」

「私はブラッド殿下からマロン嬢とキャメル嬢の悪行を暴くようにとの下命をいただきまして、そちらに尽力するとルージュ様のエスコートをすることが難しくなると判断しました。そのため、ルージュ様には陳謝した上で他の方にエスコートをしていただくようにお願いいたしました」

「そうだったのですね。ですが、ええ、おかしいですわね。アビス様はルージュ殿下の婚約者であれどブラッド殿下の側近候補であるとは存じませんでしたわ」

「私はブラッド殿下の側近候補ではございません。しかし、ブラッド殿下が罪のない者が理不尽に虐げられていると心を痛めておられたのです。そこで殿下の憂いを取り除こうと考えるのは臣下として当然のことでしょう」


 白々しい俺の言葉にローズ嬢は頬に手を当てて感嘆したように微笑む。見え透いた芝居であるが、貴族にとってはこのような建前が何よりも大事であるのだ。


「とても素晴らしいお考えですわ。けれど、それならば尚更どうして側近候補のはずのスピネルは何もしていないのかしら?」

「ちが……その、僕は家のためを思って……」

「家のためを思って……何かしら? 我がベニントン公爵家のために貴方は何がしたかったの?」

「その、だから、ベニントン公爵家はより王に相応しい方に仕えるべきだと思って……ルージュ様! ルージュ様ならば分かっていただけますよね⁉」


 スピネルはブラッド殿下がチェリー嬢のための断罪と称してローズ嬢と婚約破棄をすると思ったのだろう。そうなった場合、王位継承権はフレイム殿下かルージュ様に移る。もしもルージュ様が女王になると決まったのなら、王配は侯爵家以上から選ばれるはずだ。スピネルはきっとその中で一歩有利になりたかったのだろう。だから、ベニントン公爵家の方針を聞かず勝手にブラッド殿下を見限り、ルージュ様に近づいた。

 ルージュ様は隣に寄りそうスピネルを見上げ、ブラッド殿下を見て、その隣に並ぶローズ嬢を見て、そして最後に後ろに佇む俺を見た。一瞬だけ困ったように瞳が揺れたが、すぐに自信に満ち溢れた表情に戻ると、よく通る声で告げる。


「スピネル様、エスコートを申し入れていただいたこと感謝しております。けれど、この国の王太子はブラッド第一王子であり、私ではありません。公爵家子息ともあろうものが、それ以外の者を『より王に相応しい方』などと軽々しく仰るものではないのではなくて?」

「そ、そんなつもりはなくて、僕は、ただ……」

「ルージュ殿下、愚弟への告諭有難く存じます。非礼はベニントン公爵家を代表してお詫び申し上げます。此度の件において厳しく処分いたします」

「構いません、顔を上げてください。ブラッドお兄様も仰っていらしたでしょう、学生最後のパーティの場ですもの。多少の非礼には目を瞑ります」

「殿下の慈悲に感謝いたします」


 ローズ嬢からの謝罪を鷹揚に受け入れるルージュ様を見てブラッド殿下は満足気に頷いている。周りの人々も二人のやり取りに釘付けで、真っ青を通り越して真っ白な顔色で震えているスピネルは誰にも見えていないようだ。


「将来の姉妹が仲睦まじくて、私も実に嬉しい。さあ、パーティを中断させてしまってすまなかった。今夜は無礼講だ、皆の者ほどほどに羽目を外して楽しんでいってくれ」


 ブラッド殿下の言葉で一人、また一人と会場の中心で起こった騒ぎから離れ、やや浮足立つような空気はありつつも先ほどまでの和やかな卒業パーティの様子に戻っていった。

 スピネルは公爵家の者たちにパーティ会場から連れ出されたようで、俺は婚約者として一人になってしまったルージュ様にダンスを申し込み、楽しいパーティを過ごしたのだった。




「やる気のある無能が一番厄介なのよね」


 卒業パーティから数日後、王城の一室で俺とローズ嬢はお茶をしている。身分に差はあるが、同じ王家の婚約者としてこうして二人で話す機会は度々あった。そして、そのようなときに周りに控える従者は全てローズ嬢の息がかかった者であるため、多少不都合なことを話しても問題はないのである。


「フレイム殿下はお勉強ができるだけの頭でっかちの理想論者でしょう? 机上の空論ばっかりでちっとも現実が見えていない。その上、自分が誰よりも優れているなんて驕り高ぶって、私が求婚を受け入れると信じ切っているのだもの。馬鹿にするのも大概にしていただきたいわ」

「あのどう見ても勝算がない状況で求婚できる胆力は素晴らしいと思いますけどね」

「相変わらず嫌味がお上手ね。正しく状況を把握できないところも王の素質がないっていうのに、本人だけは気づいていないのだもの、無能の自覚くらい持ってほしいわね」


 卒業パーティでのフレイム殿下の振る舞いを見て、第二王子派だった有力貴族は離れていくだろう。ブラッド殿下に比べて優秀だと担がれていたが、大勢の貴族の前であのような愚行を犯し、ベニントン公爵家と敵対したのだ。ブラッド殿下と負けず劣らずの無能であると印象付けてしまったし、第二王子派にはベニントン公爵家がフレイム殿下に鞍替えすることを期待している者も多かったからその者たちもフレイム殿下を見限るに違いない。


「スピネル様はどうされるので?」

「愚弟は遠縁の男爵に養子に出すわ。後継者教育を施していたけれど、公爵家の器ではなかったのよね。その癖、野心だけは一人前でルージュ殿下に近づくんだもの。いつ私の見えないところで問題を起こすかと冷や冷やしていたわ」

「ええ、本当に。ルージュ様に言い寄る姿を見る度にどうしてやろうかと腸が煮え繰り返っていました」

「うふふ、貴方がスピネルにとんでもない冤罪をかけて断罪する前に穏便に済ませることができて良かったわ。スピネルだけならいいけれど、ベニントン家にまで汚名がついたら困ってしまうもの」

「私も一時の感情に流されてローズ嬢と敵対することがなくて良かったです」


 公爵家の跡取りとしても足りないスピネルは、ブラッド殿下の側近候補でありながらルージュ様の王配を望んだ。俺としては誰がどのような野心を抱こうが知ったことではないが、ルージュ様に近づくことは許しがたかった。どのような手を使ってでも失脚させてやろうとしている俺を止めたのがローズ嬢だ。あのまま暴走していたら、俺はベニントン公爵家に泥をかけた人間としてローズ嬢に息の根が止まるまで追い詰められていただろうから、冷静になれて良かった。


「ベニントン家の跡取りは弟のアップルに任せることになったわ。良い家に婿入りさせる予定だったから跡取りなんて面倒だって本人は乗り気じゃないんだけど、スピネルより遥かに優秀だし、私の言うことをよく聞いてくれるから我が家は十全ね」


 ローズ嬢は紅茶を一口飲み、満ち足りたように微笑む。リラックスしたように見えるが、きっとその頭の中では自身の立場を盤石にすべく目まぐるしく次の手を考えているのだろう。


「では、弟君に婚約者を見つけなければならないんですね。ああ、婚約者と言えば、レイブン様とアッシュ様にも新たな婚約者を見繕わねばなりませんね」

「二人にはうちの派閥から良い令嬢を幾人か候補に挙げているわ。フレイム殿下と愚弟を失脚させるだけじゃなくて、側近候補の婚約者を家ごと排除できたのは喜ばしい誤算ね」


 ブラッド殿下の側近候補であるレイブンとアッシュの婚約者たちは後ろ暗い商いで私腹を肥やしていた貴族の令嬢だった。決定的な証拠がないために見逃されているのをいいことに、金に物を言わせて側近候補の婚約者として納まっていた。

その婚約者たちはブラッド殿下の寵愛を受けるチェリー嬢を不当に貶めたとして、令嬢だけでなく家にも咎がいった。沙汰はおって決まるが、この件をきっかけに家宅捜索が行われて家自体の不正も見つかるかもしれず、罪の重さがどれほどになるかは分からない。


「レイブンとアッシュも快く私に協力してくれて助かったわ」

「罪を犯している家の婚約者かローズ嬢か、どちらにつくことが貴族として正しい行いか、また自分に利があるかは明白ですからね」

「貴族の誇りでも利己主義でも、どちらでも構わないわ。私にとって有益ならば」


 レイブンとアッシュは自らの婚約者がチェリーを害していないことを知っていた。けれど、それにのって婚約破棄をしたのはチェリーが好きだったからではない。そうしてローズ嬢に取り入ることで将来が約束されると知っていたからだ。


 今回の騒動は全てローズ嬢の手のひらの上だった。

 ブラッド殿下がチェリーを気に入ったことにいち早く気が付いたローズ嬢は、チェリー嬢を使って王太子の座を狙っているフレイム殿下、ベニントン公爵家に不利益を生じさせそうな弟スピネル、ついでに側近候補の婚約者たちを失脚させることにした。

 チェリー嬢がでっち上げた婚約者たちの冤罪の証拠を作り上げる。そして、ブラッド殿下に証拠を渡せばあとは彼が勝手に断罪を始める。

 ブラッド殿下よりもよっぽど優秀なレイブンとアッシュはそれがローズ嬢の企みだと気付いただろうが、このことについては無実でも婚約者の家は清廉潔白ではないためすぐさま切り捨てた。

 卒業パーティの前にフレイム殿下やスピネルの周りでブラッド殿下が婚約破棄をするらしいと噂を流しておいた。そうすれば、フレイム殿下は王位を得るためにローズ嬢に近づこうとし、スピネルは恐れ多くもルージュ様に卒業パーティのエスコートを申し入れた。

 あとは卒業パーティで大勢の前でフレイム殿下とスピネルの無能さを知らしめれば、ローズ嬢の計画通り二人は地位を失うことになった。


「やる気のない無能は良いわ、全部私の思い通りに動いてくれるもの」

「将来も安泰ですか」

「ええ、その通りよ。玉座に座るブラッド殿下の後ろで私が全てを握るわ。この国で私以上に王位に相応しい人間はいないもの」


 ローズ嬢は誰よりも聡明で、高貴で、その身に相応しく傲慢であった。

 野心ではない。当然、自分が上に立つべきだと認識しているだけだ。そして、それは誠に正しく、彼女よりも上手に人を、国を動かせる人間はこの国にはいないだろう。


「だから、貴方も安心してね。ルージュ殿下と婚約破棄はさせないから。ルージュ殿下には王家が所有する公爵家を継いで女公爵になっていただいて、貴方は彼女に婿入りしてもらうわ」

「ローズ嬢のお心遣いに感謝いたします」

「貴方のためだけじゃないわ。ルージュ殿下は私の次に王位に相応しい方よ。それほどの方を他国に嫁がせるなんて大きな損害だし、無能を婿にしてはあの方の才能を潰してしまうかもしれないし。それなら、やる気はなくとも有能であることが分かっている貴方が婿になった方がいいだけよ」

「ローズ嬢に有能だと思っていただけるなど、光栄の極みです」

「ご謙遜なさって。今回の証拠をでっち上げたのは全部貴方じゃない。あの令嬢らがチェリー嬢に手を出していないなんてみんな知っていても、あの証拠には一つも穴がなくて有罪にせざるを得なかったそうよ。……全く、その能力を使うのが、ルージュ殿下のためだけというのが惜しいわ」


 ローズ嬢の言葉に曖昧に微笑む。彼女に褒められるほど自分が優秀であるという自信はない。それにルージュ殿下のためというより、ルージュ殿下と一緒にいたい自分のため、というのが正しい。


「申し訳ありません、そろそろ退席させていただきます」

「あら、思っていたより長々と話してしまったわね。引き止めてごめんなさい」

「いいえ、良いお話ありがとうございました」


 約束の時間が近づいてきたので、優雅に微笑むローズ嬢に一礼して部屋を出る。

 通いなれた部屋の前、馴染みの騎士に挨拶をして彼女付きの侍女に促されて部屋に入る。


「王国の宝、ルージュ殿下にご挨拶申し上げます。お招きいただき恐悦至極に存じます」

「大げさな挨拶はやめて、私に説明することがあるでしょう」


 下げていた頭を上げると、ソファに座りむっと口角を下げたルージュ様と目が合った。そんなむくれた顔も愛らしくいつまでも見ていたいと思うが、ルージュ様が怒っているのはよろしくない。


「ルージュ様、お許しください。俺は貴女と離れたくないだけだったんです! フレイム殿下もスピネル様も必要以上に重い罰は受けませんし、婚約破棄された令嬢たちも家が罪を犯していたのは事実、チェリー嬢は今後一生囲われるでしょうが、そもそもご自身が望んでのことですし、悪い扱いはされないはずです」

「ええ、ええ、そうでしょうね。無辜の民を傷つけるようなら私は許さない。貴方は私に嫌われるようなことはしないものね」

「その通りです! 俺は貴女に嫌われてしまったら生きていけません」


 ルージュ様の足元に跪くと嫋やかな左手を取り、恥も外聞もなくその手に縋りながら弁明をする。俺の必死の様子にルージュ様はため息を零される。


「それならば、予め私にも相談してくれても良かったのではなくて?」

「ルージュ様の手を煩わせたくなかったのです。本当は貴女のことを巻き込まずにすべてを終わらせたかった、卒業パーティだって俺が貴女をエスコートしたかった。けれど、それでは徹底的に潰せないからとローズ嬢があのように謀ったのです」

「ローズ様は相変わらず苛烈ね。それで? 貴方がただでここまで付き合ったわけではないのでしょう?」


 呆れたように促すルージュ様の言葉にパッと笑顔を浮かべてしまう。今は口約束の段階だがローズ嬢から俺とルージュ様が共に過ごせるように計らうと言ってもらった。彼女はルージュ様が言うように苛烈で、自身の邪魔になる者には容赦しないが、自身の行いに責任を持ち約束を反故することをよしとしない。彼女はやると言ったらやるのだ。


「ローズ様はブラッド殿下のご即位後、ルージュ様には女公爵となっていただいて、俺が夫として支えられるようにするとお約束いただきました!」

「まあ……私のいないところで私の将来を決めてしまったのね」

「あ、そ、ああ! も、申し訳ありません!!」


 俺にとっては何よりも望んでいた未来。だが、ルージュ様のご意見も聞かずに決めるなど不敬であるし、勝手な人間など嫌いと言われても仕方ない。頭から血の気が引いて、どうしていいか分からず床に頭を擦りつけるようにして謝罪する。


「ああ、もう、アビス、落ち着いて。意地悪が過ぎたわ。怒っていないから顔を上げて」

「ごめ、ごめんなさい、おれ、勝手なことを……ごめんなさい、ほんとうに、ああ、お願いです、嫌わないで」

「嫌わないわよ、もう。貴方が私を思って暴走して勝手をするのはいつものことだもの、ほら泣かないで」


 顔を上げた俺の頬を優しく撫でて涙を拭ってくれる。困ったように苦笑される顔は慈悲に溢れ女神のように美しい。


「私もアビスと一緒にいられる未来は嬉しいわ。だから、貴方の選択は怒っていない」

「本当ですか? 俺と同じように、思ってくださっているのですか」

「思っているわ。私はこの国が何よりも大切、だけど、同じくらい貴方が大切で愛しているの。だからね、国のために動く私を貴方が支えてほしいの」

「ルージュ様……! 俺も何よりも誰よりも貴方を愛しております。貴女のためならばこの身など惜しくありません、どのような脅威からもお守りし、支え続けると誓います」

「ありがとう、心強いわ」


 今度は褒めるように頭を撫でられる。嬉しくてその手にすり寄れば犬みたいとくすくすと笑われる。ルージュ様に笑ってもらえるのなら犬でもなんでも構わない。

 ルージュ様は撫でる手を止めると、ふっと笑顔を消すと真剣な顔をなさった。


「ローズ様は私よりもずっと賢く、人を操ることに長けていて、誰よりも王位に相応しい方だと思う。そして今は国のためになることを為してくれている。けれど、もしも将来、あの方が国の害になることがあれば、私と一緒に戦ってくれる?」

「ええ、もちろんです、どんな犠牲を払おうと貴女に尽くします」


 俺はルージュ様さえいれば国がどうなろうと構わないけれど、ルージュ様はそうじゃない。ルージュ様の心を占めるのが俺だけでないことに狂おしいほどに嫉妬してしまうが、そんな気高い彼女だから好きになったのだ。たとえ勝ち目がなくても、ルージュ様がローズ嬢を討ちたいというなら俺は全力を尽くすだろう。

 地獄だろうと共に歩くという気持ちを込めてルージュ様の手の甲に唇を落とした。




 アビスが出て行ってしばらくすると、ブラッド殿下が部屋に訪れた。

 ブラッド殿下が席に着くと、控えていた侍女が静かに紅茶を差し出した。ゆったりとした動作で一口紅茶を飲むと殿下は口を開いた。


「待たせてすまなかった」

「構いませんよ。それより、チェリー嬢はどうです? 落ち着きましたか?」

「ああ、寵姫なら王妃としての仕事もせず、ただ私に愛されていればいいと分かってくれたようだ」


 チェリー嬢は卒業パーティの一件で完全に私とブラッド殿下に怯え逃げ出そうとしていた。想定の範囲内だったのでさっさと捕縛して王宮の一室に監禁した。時間をかけて逆らわないなら悪いようにはしない、望むような豪華な生活をさせてやると理解させるつもりだったが、もう納得したらしい。思っていた以上に図太い娘で手間が省けた。


「そうそう、宝飾品もローズの言う通りイミテーションを渡したが気づかずに喜んでいた。今まで本物の宝石を贈っていたのは無駄だったなぁ。やはり、ローズは何でも正しい」

「民から頂いた大切なお金ですからね、無駄な出費は抑えるに限ります」


 自分から贈っておいて無駄だったなんて下種な言い分だが、ブラッド殿下からチェリー嬢への無駄遣いがなくなるのは有難い。チェリー嬢が宝石の価値など分からない娘で良かった。これなら普通の寵姫よりもお金がかからないし、浮いたお金は新しい政策に回せる。国の発展のために行いたい業務が次から次に頭に浮かんで、思わず笑いがこぼれてしまいそうになる。


「上機嫌だな、ローズ」

「分かりますか? うふふ、ブラッド殿下が良き寵姫を見つけてくださったおかげで、国はより良い方向に向かいそうですわ」

「そうか、ローズが言うならそうなのだろう。お前以上に国をよくできる者はいない」


 ブラッド殿下の言葉には答えずにっこりと微笑んでおく。自分でも自分より国をよくできる人間がいるとは思わない。だが、この場には私の息がかかった侍従だけでなく、ブラッド殿下付きの者がいる。万が一にも不敬だと言われるような発言はできない。


「殿下、愛しておりますわ。一緒に国を支えていきましょうね」

「ああ、もちろんだ」




 その後、王妃ローズは腐敗した貴族を潰し、国を大胆に改革し、苛烈ながら賢妃として歴史に名を遺した。

 それを支えたのは王ではなく王妹の女公爵夫婦だったそうだ。

 影の薄い王が「後世に名を残すより、今を楽しみたい」と笑っていたことは、どのような書物にも残っていない。


ブラッド・グレンヴィル

無能な自覚がある無能な王子

楽して生きていきたいので自ら進んでローズの傀儡になった

満足のいく楽しい生涯を過ごした


ローズ・ベニントン

自分以上に国をよくできる人間はいないと思っているからブラッドを傀儡にすることにした公爵令嬢

やる気のない無能は駒になるからいいが、やる気のある(しかも無能の自覚がない)無能は邪魔でしかないので嫌い


アビス・アイネソン

ルージュのこと以外全てが無気力な伯爵家次男

普段は微笑を浮かべる冷静沈着な青年だが、ルージュの前では情緒不安定


ルージュ・グレンヴィル

女王の器の第一王女

国をこよなく愛しており、ノブレス・オブリージュを遵守する根っからの王族

私情より公務を優先するが、唯一の例外はアビスである


チェリー・モモア

ヒロイン志望の男爵家の庶子

ブラッドとローズの所業にビビり倒したが、最終的に豪華な生活ができればいいと思い、それなりに楽しく生涯を過ごした


フレイム・グレンヴィル

やる気と野心のある無能な第二王子

ブラッドを見下しており、自分の方が王に相応しいと思っていた

ブラッドが即位後、ローズに厄介払いとして同盟国の年の離れた女王の後夫として送り出された


スピネル・ベニントン

やる気と野心のある無能な公爵家子息

ローズに対抗意識を燃やしているが相手にされていないどころか、家に不利益をもたらす不良物件と思われている

遠縁の男爵家で細々と暮らす


レイブン・クロード、アッシュ・ハイマン

ブラッドの有能な側近たち

ブラッドのことは無能だと思っているが、ローズの有能さを目の当たりにしているのでブラッドを見限らなかった

チェリーには惚れておらず、ローズが用意した婚約者と仲睦まじく添い遂げた

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― 新着の感想 ―
[気になる点] なろう特有の塵
[一言] ブラッド王子ってある意味有能な怠け者では? 自分がいかに楽するか追求した結果が有能で実質王になりたかったローズに丸投げですし、 側近も親が付けたにしても有能なので固めて丸投げ出来てますし、寵…
[良い点] ブラット殿下、無能を自覚しているがゆえの有能な婚約者への丸投げ、お見事(笑) [気になる点]  ローズ嬢、これ、恋愛なんかより国を良くすることに夢中な人だ!  素晴らしいけど、恋愛脳の人間…
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