”エンジェル”というホストクラブに、本物の天使が入店したら恋が芽生えました。
俺はアリー。職業は天使。
まー階級で言えば下から2番目だけど。一介天使からやっと一つ位が上がったんだ。
俺らは神の真言葉を人間に伝える役目。架け橋的な?一般的にはアークエンジェルって呼ぶんだよ。なんか地下アイドルみたいだろ?
「暇だなー」
「うるせー。とっとと仕事しろよ。ミカエルさんに怒られるぞ」
仲間の天使が言った。こいつは俺の1番の親友。名前はイール。
ミカエルさんて言うのは、皆さんご存知のアークエンジェル界の神!って言うとちょっとややこしくなるけど、まーボスってこと。
アークエンジェルって下から2番目の階級でしょ?そのボスって大したことないんじゃない?なんて思ったら大間違い!
ミカエルさんをはじめ、ガブリエルさん、ラファエルさん、ウリエルさんの四大天使は、アークエンジェルの中でも階級を超えた、とてつもない力を持ってるんだ。別格ってやつ。
「仕事ったって、俺達がどんなにここから神の真言葉を伝えようとしても、あいつら全然響いてないじゃん?」
「まあ、昔に比べると、最近は地上の人間達、荒んできてるよな」
とイールが言った。
「これさ、みんな大音量で音楽聴いたりしてるから、俺達の言葉届いてないんじゃねーの?なんか難聴の人増えてるって天界テレビのニュースでやってたよ?」
「俺らは耳じゃなくて、心に語りかけてるから難聴関係なくないか?」
あ…細かいことは気にすんな。
「ちょっと下に降りて、直接布教してこようかな」
出張申請すると下界に降りられる。俺は地球儀をイールに渡して言った。
「はい!回してー!」
と俺が言うと、イールは渋々地球儀を回した。俺が射った矢は、とあるとこに刺さった。
「にほん?じゃあちょっとそこに行ってくるわ」
「おい!アリー!待てよ。手続き無しで行くと怒られるぞ!」
「代わりに手続きしといてー!よろしくー」
上の方の神様に近い天使は、ちょっとわけわかんない姿をしていることが多い。あ、怒らないで。
俺ら下級天使は、人間と関わりやすくするため、見た目は人間だ。羽根は生えてる。生えてるというか、実際は鳥みたいに腕が羽根みたいな感じで、かっこいいけどちょっと怖い。
背中に大きな白いやつがあるのは、みんなが創り出した想像だったりする。
でも最近はそれに合わせて、イメージチェンジしていってるみたい。どっちみち地上では見えなくなる。下級と言っても、下に近いところ、つまり地上に近く、人間に近いから下と言うらしい。能力が低いわけではないんだぞ。
「ここは…大阪?」
そうだ!天界テレビで見た!大阪って美味しい食べ物多いんでしょ?大阪周辺は関西って言って、人も気さくで観光するとこも多いって。
「何からしようかなー!まずはたこ焼き食べるか!」
お金の心配?それは大丈夫。天界での仕事で稼いだお金を、地上の降りた場所の通貨に、自動的に換金される仕組みになってるから。便利だよねー!
俺のシミュレーションでは、地上の時の流れで、半年くらいは居られる計算。イールにも半年の出張で申請してもらってる。
でもせっかくだから、ここで仕事するってのもありだな。半年って考えると住むとこもいる。どーするかなぁ…
「ねぇ?お兄さん?」
「ん?」
俺は呼び止められて、たこ焼きを頬張りながら振り向いた。
「お仕事探してない?お兄さん美形だからすぐに人気になると思うんだー。いいお店紹介するよ?」
「仕事かー。ちょうど探してた!お店?なんのお店?たこ焼き屋さん?」
「なんでもあるけど、たこ焼き屋さんはないかな。お兄さんならホストクラブがいいんじゃない?俺、ミナミでスカウトやってる湊って言います。お兄さんイケてるから、最近人気急上昇中の、クラブエンジェルどう?規模は小さめだけど働きやすいって評判だよー」
エンジェル。俺にピッタリじゃん。
「じゃあそこで。あ。そこ住むとこあります?」
「寮のこと?あるよー!綺麗で出来たてなのに、家賃安いからきっと気に入るよ。最初は相部屋だけど、No.6以上になると、自分だけの部屋が手に入るから頑張って。詳しいことはオーナーか代表か店長か、まー面談した人に聞いて?」
「はーい」
俺はクラブエンジェルに案内された。店は営業開始前だった。
「すみませーん!さっき連絡した、スカウトの湊でーす」
「おー!中に入ってー」
と声が聞こえた。お店も出来たてなのか、キレイだった。ん?グラスを拭いてる男の子がいる。ボーイってやつか?
ふとその子が顔を上げた。…すんごい綺麗な顔だなー。ボーイさんもあんな美形なんだ。
お!胸元に十字架のペンダント。もうすでに信者じゃん!と思っていると、奥の部屋から
「こっちこっち!」
と手招きする男の人がいた。
「湊君、ありがとう!またよろしくね!」
とその人は湊さんにお礼を言い、湊さんは封筒をもらって帰って行った。
「俺はオーナーの早川秀です。こっちは代表でNo.1のレン。今日同伴だから、まだ出勤してないけど、No.2で店長のリュウがいて、さっきカウンターにいた子見た?あの子はNo.5のエル。君の名前は?あと歳ね」
歳か。いくつが妥当なんだろう?天使には歳なんてないからな。
「俺はアリーです。歳は…ハタチ?聞いてもいいですか?」
「何?」
「オーナーと代表と店長って何が違うんですか?」
「オーナー、まあ俺だけど。俺はグループ全部を経営してる、まあ社長みたいな。うちはグループ3店舗あって、全部1人で見るのは大変だから、それぞれにNo.1が店の代表になってる。イベントとか店のコンセプトとか今後の展開を話し合う時の代表って感じ。そこで決まったこととかを下の子に伝えたり、また、下からの意見を上に上げるのがそれぞれの店のNo.2の店長でNo.3が副店長。うちのグループはそんな感じのシステムかな。水商売は初めて?」
「はい!」
「すぐに慣れるよ。うちはなるべく働きやすいお店にしたいから、困ったことがあったら、代表か店長か教育係に言って?俺に直接でもいいよ!」
とオーナーの早川さんが言った。
「可愛い顔してるから人気出るんじゃない?」
とレンさんが言う。
フロアに連れて行かれると、さっきグラスを拭いていた男の子を、早川さんが呼んで言った。
「エル、今日からうちで働くアリーだよ。そういやハーフ?」
「まーそんなとこです。アリーはニックネームみたいなもので、友達とかはみんなそう呼びます」
「なるほど。源氏名もそのままアリーでいいか…だって!アリー、こっちはうちのNo.5のエル。お前の教育係な。歳は2人ともハタチだったな。仲良くやれよ」
「よろしく。エルです」
「よろしくお願いします!」
エルか。ということは天使かな。
天使の名前にはミカエルとか、ラファエルとかエルってついてることが多い。これは”神の〜”って意味がある。
彼は十字架のペンダントしてるし。顔立ちも綺麗だ。でもオーナーも代表も耳とか腕に十字架の装飾をつけてた。さすがエンジェルって名前の店だけあって、みんな神様の真言葉をしっかり聴いてるんだな。
「じゃあ、細かいとこ説明するよ?」
「うん!…じゃなくて、はい!」
「いいよ。普段はタメ口で。同い年だし。でも店始まったら、1番下っ端だから、俺やみんなとも敬語で話してな」
「うん」
エルの説明によると、お店はABCの3つのチームに別れてて、No.1のレンさん、No.2のリュウさん、No.3タケルさんがそれぞれのチームのリーダーで、レンさんの下にNo.6ツバサさん、リュウさんの下にNo.5エル、タケルさんの下にNo.4ハルさんがついてるらしい。
スタッフの男の子は全部で今のところ15人。だいたい1チーム5人ずつ。
俺の教育係はエルだから、チームBのリュウさんの下ってことか。リュウさんてどんな人だろ。
「寮、希望だったな?」
「うん」
「俺と同じ部屋にしてもらったから、帰りにまた説明する」
「あれ?No.6からは1人部屋もらえるって、スカウトの湊さんが言ってたのに、エルは相部屋なの?」
「うん。今まで1人部屋だったけど、家賃折半になるから、相部屋にしてもらった。新人と一緒なら、色々教えられるし」
「…お金困ってるの?」
「いや、困ってるっていうか、俺芸術系の大学行ってて、学費稼がなきゃだから、ちょっとでも稼ぎが多い方がありがたい」
「へー。すごいね。親には、頼めないの?」
「両親は、俺が高校卒業する少し前に事故で死んだ。いいよ。俺のことは。アリーは?なんでホストの仕事?お金困ってるようにも見えないし、歳は同じだけど、学生にも見えないよ?」
「俺は…自分の信じてる世界の良さを、みんなにもわかって欲しくて…なんて言うんだろ。難しいな。ホストやりたかったわけじゃないよ。美味しいたこ焼き食べたら、たこ焼き屋さんで働きたいなーって思ってたんだけど、湊さんに声かけられて、ホストにならない?って言われて。それも面白そうだったからここにきた。自分の知らない世界を、もっと知りたいからかな」
「そっか。ちょっとよくわかんないけど、自分探しってことか?」
「そうかも。そういやエルはどうしてさっき開店の準備してたの?あーいうのって普通はボーイって呼ばれる人がするんじゃないの?」
「あー。それも説明しなきゃだな…基本的にはボーイってのはいない。全部自分達でやるんだ。チームで2週間ごとに当番が回ってくる。メインは新人がやるんだけど、基本的にはNo.1から新人のアリーまで全員が対象。でも同伴が入ってる時は免除。それはNo.1でも、アリーでも条件は同じ。オープンは19時だから大体18時前には当番のチームの子はみんな来るよ。俺は今日は、大学が早く終わって、湊から新人来るって連絡もらったから、ちょうどいいと思って早く来た」
「へー。湊さんは知り合い?」
「うん。中学からの同級生」
「たまに俺の部屋で飲んだりするから、またゆっくり話せるよ。ほら、準備の続きしよう」
それから当番のB班の子が出勤してきた。エルは俺を紹介してくれた。
リュウさんはお客さんと一緒にお店に来る、同伴ってやつだから21時くらいになるって。
お店にはみんなの写真が飾ってある。その写真を見てみんなの顔を覚えていた。
簡単なお酒の作り方や接客を、エルに教えてもらった。その間僕らが準備するからと、同じチームのケンさんとアツシさんが言ってくれた。
営業開始前のミーティングで、オーナーが俺を紹介してくれた。
「今日から入るアリーだ。水商売も初めてだそうだから、みんな困ってたら助けてあげてな」
「はい!」
「じゃあ始めようか」
お店の入り口の電気をつけた。それと同時に女の子が入ってくる。本当に最近人気のお店なんだなー。俺はエルに聞いた。
「俺はどうしたらいい?」
「新人はまず先輩の席にヘルプでつくんだ。うちのチームの新人は基本的にみんなリュウさんのヘルプ。それで名前と顔を覚えてもらう。うちの店は永久指名だから、担当がいるお客様は無理だけど、新規の方の指名がもらえるように頑張って」
他にもエルがいうには、リュウさんほどの人気ホストにもなると、数十人のお客様がいるらしい。同じタイミングでお客様が来店することもあるって。
担当ホストは、各テーブルを順々に回らなくてはいけないから、お客様の席を外さないといけなくなる。お客様が一人になった時、その相手をするのがヘルプの仕事なんだって。
そんで、ヘルプが飲み物や食べ物の準備をすることで、担当ホストを接客やトークに集中させるという意味もあるんだって。
あと新人ホストにとっては練習の場でもある。ヘルプに入ることで、ホストの仕事の一連の流れを覚えられる。そして先輩ホストの接客術や、必要なテーブルマナーや会話を学べる。
俺たちはリュウさんやエルのフォローをしながら、接客の勉強をするってことだ。
今日はエルにくっついて勉強するって。リュウさんが来たらリュウさんのフォローはチームの先輩のケンさんとアツシさんが入る。もしそれでもヘルプが足りなくなったら、俺達が入るって事でってオーナーが言ってた。
「エル!」
とエルを呼ぶ声がした。エントランスの方を見ると、女性が2人立っていた。
「いらっしゃいませ。会いたかったですよ。琴子さん」
「私も!」
とその人はエルに抱きついた。ハグとかはありなの?
その隣でお連れの女の人がもじもじしている。
「お連れ様はお友達ですか?」
「そう!友達の愛ちゃん。ホストクラブ行った事ないって言うから連れてきちゃった」
「そうですか。じゃあ楽しい時間をプレゼントしないとね。こちらへどうぞ」
と席に誘導した。
「俺からも紹介したい人がいるんだ。アリー」
と俺を呼んで、向かいの席を指差してちょいちょいっと手招きした。
「琴子さん、愛さん。彼、今日から入店した、アリー君。仲良くしてあげてくれますか?」
「うん!お店入った時からちょっと気になってたの!見たことない美形がいるなって!ね?」
と琴子さんが言うと、
「うん。絵画から出てきたみたい」
と愛さんが言った。えへ。と照れていると、
「かわいー!!」
と琴子さんに頭をなでなでされてしまった。エル…怒ってないかな?と顔を見た。
「琴子さん。俺にはそんなことしてくれたことないのに。ずるいな。アリーだけ?」
とエルが言った。こういうのは本気で思ったこと言ってるのかな。
「何?今日は甘えんぼうキャラなの?いつもクールなエルらしくないけど、でも可愛いから許すー!飲もうか!」
と2時間くらい楽しく飲んで、琴子さん達は帰って行った。
「どうだった?初ヘルプ」
「エルさん。ありがとうございます。俺、勉強になりました」
とグラスとかを片付けながら俺は言った。
「アリーは小柄な方だし、色白で中性的な雰囲気があるから、一人称は俺より僕の方がいいかもな」
そんいうもんなの?と思っていると、カウンターに男の人が近づいて来た。
「おはよ。俺リュウね」
あ!チームのボスだ!天界で言うとミカエルさんみたいなもんだよな?嫌われないようにしないと…人間は挨拶ちゃんとしないとダメって、天界テレビで言ってた。それにしてもリュウさんて写真より実物の方が繊細な感じだな!
「おはようございます!アリーです!今日からよろしくお願いします!」
とめっちゃ大声で挨拶した。気付くとお店のスタッフもお客様もみんなこっちを見ている。
しばらく沈黙があったあと、
「ははは!」
とレンさんが笑ったのをきっかけにみんなが笑い出した。
え。恥ずかし…
「うん。よろしく。一緒に頑張ろうな」
そう言いながら微笑んだリュウさんの笑顔はとても柔らかかった。このお店の人達の笑顔、好きだな。
「リュウさん。いい人ですね!ちょっと緊張したけど」
と僕が洗った皿を、隣で拭いていたエル見て言った。
「うん。良い人だよ」
と僕の目を見た後、お客様の所へ行ったリュウさんの背中を見ながらエルは言った。
???
エルの表情がさっきまでと違う。どうしたんだろ。リュウさんと何かあったのかな?
僕は他のチームのボスや、ヘルプの動きも見て勉強していた。今日は月曜日だからお客様は少ない方なんだって。それでもやっぱりNo.1〜3の3人は指名のお客様の相手で1日を終えた。凄いな。
「お前、見かけによらず、体育会系やねんな」
とレンさんが笑いながら言った。関西弁?
「レンさん!関西弁!いいですね」
とレンさんの手を掴んで言った。
「まあ大阪生まれ大阪育ちやからな。それにしても男に褒められてもなー」
とレンさんは笑った。
みんな天使みたいに笑うんだな。先輩達もみんなフォローしてくれるし、ここの人はみんないい人そうだ。楽しい半年になりそうだな。
仕事が終わった後、早川さんに呼ばれた。
「初日、終わってどうだった?」
「楽しかったです!みんないい人だし」
「それはよかった!続けられそうか?」
「はい!」
「良かった。じゃあ少しだけ注意点がある」
「はい」
「禁忌事項があってな。それをするとうちの店を辞めてもらうことになってる」
「はい」
「まずは他のスタッフのお客様を取ってはいけない。うちは永久指名だからな。エルから聞いたか?」
「はい」
「あと、スタッフ同士の私的な諍いもダメだ。俺らはチームで動いてる。2人同士の問題では済まなくなるからな」
「はい」
「あと、お客様に対してだ。これが1番大事だからな。大前提だが、お客様はお前たちとの時間を楽しむために、頑張って稼いだお金を払ってる。そのことを忘れちゃいけないよ?だからと言って、お客様と恋愛関係になるのはダメだ。もちろん枕も。わかったらエルと寮に行って、案内してもらいな」
「はい」
寮は歩いて30分のとこにあった。自転車?ってやつに乗ればすぐだって言ってた。給料入ったら買いに行こうかとエルが言ってくれた。帰り道、色々エルと話した。
「ねぇ?枕って何?」
「ぐふっ…急になんだよ」
エルは飲んでた水を噴き出しそうになりながら聞いた。
「いや、帰る前早川さんに呼ばれて、禁忌事項があるって聞いて。それでお客様との恋愛はダメだって。もちろん枕もダメだって言われたけど、枕って何かなって、ずっと考えてた」
「あー。枕営業のことな。簡単に言えば、身体の関係を持って、お客様を捕まえるってことだ」
「恋愛関係とは違うの?」
「ちょっと違う。純粋なアリーには難しいかな?」
と笑って頭をぽんぽんってされた。
「とりあえず、お客様とは適切な距離を保てってことだ」
「ふーん。わかった。エルって、大学行きながら、その学費稼ぐために働いてるんだよな。えらいな」
「みんなそんなもんだよ。留学したいからお金貯めてるとか、独立したいから頑張ってるとか」
「親はどうして亡くなったの?」
「可愛い顔して、結構ズバズバ聞くんだな」
「ごめん。話したくないならいいよ」
「昔、家族で旅行に行ったんだ。そしたら飛行機事故に遭って。俺も怪我はしたけど、命は奇跡的に助かった。生存者も何人かいたけど、なかなか悲惨な事故だったみたい。保険は降りたけど、会社やってた親父には借金があって、それ返したら相殺されて、せっかく大学も決まったのに、授業料高いし払えないなって。親も死んじゃって、自暴自棄になって、俺も死んどけばよかったって思って、たまたま見つけたビルから飛び降りようとした。そん時に助けてくれたのが、早川さんとリュウさんだよ」
「へー。そうなんだ」
「リュウさんは俺らの2個歳上で、早川さんとは前に同じ店で働いてて、稼げてはいたけど、店のオーナーのやり方が合わなくて、独立したとこだったって。俺を助けた時に、一緒に働こうって。入学金と俺がハタチになるまでの学費は、俺らが貸しておくからって。独立したとこで、自分達も大変だったのに」
「恩人ってやつか」
「そうだな。って俺、喋りすぎたな。着いたぞ」
綺麗なアパートだった。早川さんが店のスタッフのために建てたアパートらしい。
エルは部屋に案内してくれた。ちょっと広めの寝室の両端に、シングルベッドが置いてある。真ん中には箪笥が背中合わせで置いてあって、壁の役割をしていた。
ダイニングテーブルと椅子が4つ。キッチンとお風呂とトイレ。2人で住むには十分だ。
「どっちがいい?」
「じゃあ右で」
「うん。じゃあ俺、前の部屋から荷物運ぶから、先に風呂入ったりしてて」
「いや、手伝うよ」
と言ってエルの部屋についていった。
そんなにたくさんの物はなかったが、運び込んだ物の中にスケッチブックが沢山あった。
「見ていい?」
「いいよ」
中を見てみると、天使の絵がいっぱい描いてあった。なんかこの絵…
「お前に似てるだろ?最初店に入って来たアリーを見てびっくりした」
「うん。なんで天使の絵がこんなに?」
「俺、天使に会ったことがあるんだ。事故の時、俺のことを癒してくれた天使をずっと書いてる」
思い出した。アリーを助けたのは僕だ。ラファエルさんと僕は、あの事故の現場にいた。僕達は治癒の力を持っている。ラファエルさんはもっと凄いけど、僕も微力ながら応援に行った。その時助けたのがエルだったのか。
「へー。凄いな。天使を見たことあるなんて」
今はまだ天使ってことは黙っておこう。
「明日は講義だからもう寝るよ」
とエルは言った。
次の日はリュウさんのヘルプに僕とエルは付いた。ケンさんは同伴だった。アツシさんは開店してすぐに自分のお客様が来店した。エルの接客を見ながら勉強していた。
リュウさんのお客様は真里さんと言って、芸能関係の会社をしているらしい。2人の女性を連れて来ていた。
「アリー。俺らの酒作ってくれる?」
「はい!」
僕は水割りを作った。
「昨日から入った、アリーって言うんだけど、ちょくちょくヘルプできてくれるから、これから仲良くしてあげて」
とリュウさんは言った。
「よろしくお願いします」
と僕は微笑んだ。
「えー!可愛いー!」
とみんなが言った。そーいやレンさんも言ってたな。男に可愛いは褒め言葉なのか悩んだが、とりあえず笑っといた。
今日もお客様はひっきりなしだった。
「ふー」
時計を見た。深夜2時。最後のお客様が帰って行った。
「お疲れ」
エルに言われた。
「お疲れたー」
「そーだな」
って笑いながらエルが言った。
「帰ろうか」
「うん」
2人で並んで帰った。
家に着くと珍しくすぐに眠ってしまった。天使は寝なくても大丈夫だと思ってたのに。よほど疲れたのかな。
店に来て1ヶ月くらい経った。
ある金曜日、ミナミの街をうろついていた。
お昼時。サラリーマンやOL、主婦や学生、平日でも結構人は多いんだな。
買い物したりして、時計を見ると17時過ぎだ。そろそろ店に向かう準備をしようと思い、寮に戻るため振り返ると、そこに愛さんが立っていた。
「やっぱり!アリー君だ」
「愛さん!お仕事帰りですか?」
「うん。今から友達のお店に飲みに行くの。アリー君もどう?」
「でも俺これから店の準備しなきゃだから」
「友達のお店行った後、同伴するならいいんじゃない?」
「でも、愛さんは琴子さんのお連れさんだから、エルさんの担当になるんじゃ?」
「それは関係ないと思うよ。私は私なんじゃないかな?私も詳しくはわからないから、一回、エル君かオーナーさんに聞いてみればいいかも」
「わかりました。電話してみます」
早川さんに電話をかけた。
「もしもし。早川さん?アリーです。実は…」
経緯を話した。途中愛さんに電話代わってもらったりしながら話をすると早川さんからのOKが出た。
「じゃあ行こうか!」
と愛さんは僕の手を引いて、とあるお店に連れてった。お店の看板に、”Spring has come.”って書いてある。
「ここは?」
「ここは、私の友達が経営してるニューハーフのショーパブなの」
ニューハーフ?ショーパブ?なんだろ?初めて来た。僕たちはビールを頼んだ。
「ほら。始まった!あれが友達のマリアちゃん」
マリアって。そんな…!どんな顔すればいい?緊張して舞台に視線を向けた。舞台に上がって来たのは、マリア様とは似ても似つかぬ…ごめんなさい。僕が知ってるマリア様よりも、気持ちワイルドな…おにいさんだった。
「マリアって…」
と言いかけた瞬間、衝撃が走った。想像を遥かに超えていた。歌、ダンス、おしゃべり。どれをとってもそこにいる全員の心を釘付けにしていた。
パフォーマンスが終わって、マリアさんはお客さんのテーブルをまわった後、僕達のいたテーブルにも来てくれた。
「あら、愛!可愛いお客様を連れて来てくれたのねー」
「うん。アリー君て言うの。エンジェルって言うホストクラブ知ってる?そこの新人さんなんだ。私アリー君の担当第1号になったの」
「エンジェル知ってるわー!今人気よねー!羨ましい。じゃあ私は2号にしてもらおうかしら。いいのよ!私2号でも」
「?」
「アリー君困ってるよ。この後同伴なの。まーさっき偶然会って急に決まったんだけどね」
「よし!私も行くわ!」
「お店はいいの?」
「私の出番は終わったもの。あとはチーママにまかすわ。2時間くらいして戻ってくれば大丈夫よ」
2人はそう言ってお店まで来てくれた。マリアさんのお店から、エンジェルまでは歩いて15分くらいだった。
お店の扉を開けると、いらっしゃいませー!とスタッフのみんなが声をかけてくれる。
僕はエルの姿を探した。エルは自分の担当のお客様と談笑していたが、入り口に立つ僕の姿を見てニコッと笑った。心の中の、良かったなって声が聞こえた。その時、
「マリアって誰!?私、真里なんだけど!もう帰る!」
と大きな声が聞こえた。僕はマリアさんと見つめあってしまった。叫んだのはリュウさんのお客様の真里さんだった。芸能関係の会社やってるって言ってた人だ。入ってすぐの時、僕とエルでヘルプについた。今日は1人で来たみたい。リュウさんは困った顔をしていた。周りにもちょっとピリッとした空気が流れる。
「ごめん。今のは違うんだ…」
「何が違うの?名前間違えるなんて最低じゃない!」
え?怒ってる理由はそれか。僕なんか、イールと一緒にいすぎて、ガブリエルさんにしょっちゅう間違えられるけど。裏からこそっと声が聞こえた。マリアってリュウさんの彼女だろ?お客様と彼女の名前間違えるなんて、リュウさんらしくないな。
天使は地獄耳なんだ。ややこしいって?まー細かいことは気にしちゃダメだよ。
うーん。どうにかしなきゃ。僕はリュウさんのヘルプなんだ。なんとか助けないと…
そうだ!うまく行くかわかんないけど…ともう1度マリアさんと愛さんの顔を見て微笑んで、リュウさんのそばに駆け寄った。
「真里さん!ごめんなさい。リュウさんがマリアさんって間違って言ったの、僕のせいかも…」と頭を下げたあと、上目遣いで言った。
「アリーは今来たんでしょ!関係ないじゃない!」
「少しだけ聞いてもらえます?僕、今日初めて自分のお客様がついたんです。めっちゃ嬉しかったんですけど、同伴しよって言われて、テンパっちゃって。それでさっきリュウさんに電話して相談したんです。マリアさんを連れて行くのはどんな店がいいか?マリアさん喜ばせるためにはどうしたらいいか?とか。マリアさんて今日同伴することになった僕のお客様なんですけど。リュウさんも優しいから、真里さんが来る直前まで僕の相談に乗ってくれてて。だからごめんなさい!僕があまりにもマリアさんの名前連呼したせいじゃないかと思うんです。それでリュウさんの調子を狂わせてしまって。ヘルプ失格ですよね…」
とリュウさんの方を見た。
苦し紛れかもしれないけど、何もしないよりマシだった。
リュウさんは心配そうに僕を見ている。
「どうせ、適当なこと言って誤魔化すつもりでしょう?」
「違うんです。ほんとに…」
と言いかけた時、身長180センチを超えるのゴツいマリアさんが僕の頭をぽんぽんし、愛さんが僕の腕を組みながら、
「私達の推しが、何かご迷惑かけたかしら?」
と素敵に登場した。
「愛さん、マリアさん」
と僕は2人を見た。すると真里さんは
「本当に?マリアさんてあのマリアさん?Spring has come.の?」と言って驚いていた。
「あらー?私のこと知ってるのー?」とマリアさんが聞くと、
「もちろんですよ!大阪で芸能関係の会社やっててSpring has come.のマリアさん知らないなんて有り得ないです!」
と真里さんは言った。え。マリアさんてそんな凄い人なの?
「ミナミの母に会えるなんて!」
と言ってテンションが上がっていた。なんじゃい、ミナミの母って。父じゃないんかい。
「じゃあこれで、嘘ついて誤魔化したわけじゃないって、わかってもらえたかしら?」
「もちろんです!ところで…ご迷惑かけたお詫びに、代金は私が持つので、席ご一緒できませんか?」
と真里さんが提案した。
「愛。どうする?」
とマリアさんが言うと、
「私はアリー君がいいならいいよ!」
と愛さんは言った。
「はい!是非!ミナミの母の話も聞きたいですし!」
と僕が言うと
「しょーがないわねー!飲むわよー」
と言ってリュウさん達のテーブルについた。なんとかなったんだよな?
マリアさんがミナミの母って呼ばれるようになったのは、お店に来たスタッフやお客さんを、時々占ってたんだって。
タロットとか水晶とかそんなの使うんじゃなくて、なんかスピリチュアルな力が少しあるって愛さんは言ってた。
占ってほしいって言われて、お金貰って占うんじゃなくて、この人こういうのが見えてるから、伝えておいた方がいいなって思った人にだけ、話すくらいだって。
真里さんは占ってってお願いしてた。仕事のトラブルに気をつけなさいって言われて、それが当たってたみたいで、リュウさんによしよしされている。もう大丈夫みたいだな。
真里さんはお騒がせしたお詫びって言ってシャンパンを入れてくれた。
2時間くらいお話したところで、真里さんは先にお店を出た。リュウさんは見送りに行った。
「アリー。苦肉の策だったけど、何とかなって良かったわね」
とマリアさんが言ってくれた。
「うん。リュウさんを助けたいって気持ちが伝わって来たよね」
と愛さんも言ってくれた。
「お2人が助けてくれたおかげです。本当にありがとうございます」
本当に良かった。2人がいい人で。そしてリュウさんの力になれて。
2人が帰る時、リュウさんとエルも見送りに来てくれた。
「本当、ご迷惑おかけしてすみません。せっかくアリーの初同伴だったのに、それも邪魔してしまって…すみませんでした」
とリュウさんは深々と頭を下げた。
「俺も何もフォロー出来なくて、すみません。お2人のおかげで助かりました」
とエルが言った。
「ごめんとか、すみませんとか、そんなのいいわよー!代わりにハグしてちょうだい!」
と冗談っぽくマリアさんが言った。僕は
「マリアさん!ありがとう!」
と言ってマリアさんに抱きついた。
「あらー!推しのハグいただきました!」
とマリアさんが言った後、愛さんが
「ハグっていうより、パパに抱きつく息子って感じだね」
って言った。まーそう見えなくもない。
「愛さん!愛さんもありがとう!」
と僕は愛さんにもハグをした。
「愛さんに出会えたこと、神様に感謝するよ!」
というと、愛さんは
「あぁ。これでしばらくアリー沼にハマりそうねー」
と言った。沼?僕の沼?まーよくわかんないけどいいや。
そう言っていた横でマリアさんはちゃっかりリュウさんとエルとハグをして、自分のお店に戻って行った。
リュウさんは少し疲れた顔をしていたけど、僕に向かって笑顔で言った。
「アリー。助けてくれてありがとう」
と言った後、ハグをした。そのリュウさん越しに見えたエルはどことなく悲しそうだった。
それからしばらくしたある日、僕は営業前にリュウさんと愛さんと一緒にマリアさんのとこに行った。オープン15周年のイベントをやるって言ってた。沢山のお花が飾ってある。真里さんのお花もあった。早川さんもお花を出してた。僕達もお花を渡して席に着いた。いつも以上に豪華なショーだった。リュウさんはお客様との約束があったから、帰り際にマリアさんと少し話をして早めに店を出ていった。
「愛さんはマリアさんとどうやって知り合ったんですか?」
「あー。5年くらい前にね。初めて付き合った彼氏に振られたの。大学のときから合わせて5年以上付き合って、お互い社会人になって、私は結婚も考えてた。でも彼は部長さんの娘さんとお見合い結婚することになったって。急にね。しがみつくのも嫌で、あっさり受け入れたけど、やっぱり忘れられなくて、帰りに橋の上でどうしようか考えてたら、”そんな男追いかけても時間の無駄よ”ってめっちゃデカい男の人に後ろから声をかけられたの」
「それがマリアさん?」
「そ。それで話聞いてもらってるうちに、涙止まらなくなっちゃって。そしたら、うちに来なさいって。店を出る頃には泣き顔を笑顔にして帰すからって。でも本当にマリアちゃんのショー見たら楽しくって。そっから時々お店に寄ったり、プライベートでお酒飲んだり、食事したり」
「へー。仲良しですね」
「うん。マリアちゃんがね。もしあんたが、もう男と恋愛したくないって思ったら、言いなさいって言ったの。私がもらってあげるからって。ちょっと嬉しかったなー」
でもマリアさんって…
「マリアさんは男の人が好きなんじゃないんですか?」
「んー。マリアちゃんはね。性別で好きになる人を決めてないの。友情も恋愛も、心がこの人って思った人と、付き合ってきたって」
そーなのか。
「2人はソウルメイトってやつですか?」
「アリー君。そんな言葉知ってたんだねー。でもそんな感じかも。少なくとも私はマリアちゃんが好きだよ。それは私も心がこの人って思ったからだろうね。アリー君のことも好きだからね!癒されるし。そろそろエンジェルに移ろうか?」
と言って愛さんはマリアさんと話をしに行った。マリアさんは僕の方を見て笑顔で手を振ってくれた。
エンジェルに着くと今日は大変だった。金曜日でお客様も多くて嬉しいけど大忙しだった。エルも指名のお客様が来ていたし、あまりお店でも話せなかった。
深夜2時。ケンさんとアツシさんは抜け殻のようだった。レンさんがついでだからってみんなをタクシーで送り届けてくれるって。みんなお酒も沢山飲んでいた。エルに
「帰ろう」
と言われて荷物をまとめていると、リュウさんが言った。
「お前らの寮で飲み直さないか?」
「いいですね!」
と僕が言うと、こいつまだ飲むのかって顔でエルが見た。
寮まで歩いて帰ると、家の前で大量に酒の入った袋を持って湊さんが待っていた。
「エル!アリー!おつかれー!」
隣のリュウさんの姿に気付いた湊さんはぺこーっとお辞儀をした。
「もしかして3人で飲み直す感じですか?俺邪魔っすか?」
と聞いた。リュウさんは答えた。
「邪魔じゃないよ。湊と飲むのも久しぶりだな」
「わーい!じゃあ4人で飲もー!」
と僕が言って、湊さんと腕を組んで部屋に連れてった。
4人でダイニングのテーブルを囲み話をした。
「そういえば、エルって本名?」
とエルに聞いた。
「違うよ。好きな画家からとった」
へー。みんなそんな感じで名前考えるのか。
「湊さんは下の名前?」
「そうだよー。湊って呼び捨てでいいよ。同い年だし、エルの友達は俺にとっても友達だしな!」
いつのまにか友達になってた。でも嬉しかった。
ずーっと話をしてた。グループの他のお店のこととか、昔リュウさんがいたお店の話とか、早川さんやレンさん、ほかのスタッフのこと、湊がスカウトをやり始めた理由や失敗談。エルも講義がなかったし、朝まで飲んだ。最初に脱落したのはエルだった。自分のベッドに倒れ込む。あんまお酒強くないんだって。次は湊だった。僕のベッドを貸してあげた。リュウさんと2人になった。
「アリーはお酒強いんだな。見た目、可愛らしい天使みたいな顔してるのに…」
とリュウさんは僕のほっぺに手を添えて言った。マジ天使なんで、酔っ払うとかっていう概念はないんです。
とは言えなくて、えへへっと笑って誤魔化した。
「リュウさんもさすが!強いですね!まだ飲みますか?僕、グラスに氷入れてきますね」
と言ってキッチンの横の冷凍庫を開けて、2つのグラスに氷を入れた。その時後ろに気配がして振り向くと、リュウさんが立っていた。
「待っててくだされば、僕が持ってくのにー」
とグラスを持って言うと、リュウさんはグラスを取り上げて、キッチンに置くと僕にキスをした。
「ん…」
更に腰に手を回してさらに引き寄せる。
「…どうしたんですか!急に」
とリュウさんを押し退けて尋ねた。
「俺、お前といると心が安らぐんだ。それに他の人と話してるの見ると、心がざわざわする。たぶん好きになったんだと思う」
はい?心が安らぐのは、きっと癒しの力のせいですよ…とも言えない。お客様との恋愛はダメ。じゃあ従業員同士なら…?ってそっちの方がダメだよな。つうか違うだろ。リュウさんには恋愛感情は持ってない。
「まー、よく言われるんですよ。癒し系だね!とか。だからじゃないですか?それに僕、男ですよ。何よりリュウさんにはマリアさんて彼女さんがいるんでしょ?彼女さんが悲しむことしたらダメですよ!」
「そうだな…ごめん。ていうかマリアのこと知ってたのか?」
「普通なら、リュウさんがあんなミス、するわけないじゃないですか?あの時誰かが、マリアって確かリュウさんの彼女じゃなかったっけ?みたいな話してるのがちょこっと聞こえたんで。それだけです」
「俺がマリアと別れるって言ったら、俺と付き合うこと考えてくれるか?」
なんでそーなるの?リュウさんはいい人で尊敬もしてるけど、つきあうとかはわかんない。天使だもん。
「僕、人を好きになったことないんです。だから好きってどんなのかわからない…大好きな友達や仲のいい仲間はいるけど、愛とか恋とかはわからないんです」
いや、むしろ神の真言葉によりみんなを愛してるから、特別なのはないってことよ。アガペー。
「俺、マリアとは別れようと思って。あの日もちょっと別れ話して、それがこじれて動揺してた。最初なんで別れたいと思ったのかわからなかった。でもあの日気付いたんだ。他の人に心を奪われたんだって。アリー、お前にだよ」
「え…」
あの時の動揺は僕のせいなの?
「だから考えてみてほしい。少しでも可能性があるなら、俺頑張るから」
「けどリュウさん。やっぱり…」
「頼む!少しでいいから考えてくれないか?すぐに無理だって言わないで欲しい。困らせてるのわかってる。でも頼む…本気だから…」
と僕の肩に頭をつけて、声を震わせながらリュウさんが言った。その時、
「うう」
とエルのうなる声と、起きる気配がした。
「今日はもう帰るわ。また夜に店で」
と言ってリュウさんは帰って行った。
「あ、りー?」
「どうした?エル?」
「きもちわるい。」
「ち、ちょっと待って」
僕はエルをトイレまで運んだ。
「ううぅ」
店でもこんなになるまで酔っ払うことないのに。なんかあったのかな。背中をさすりながら考えた。
「どうした?こんなになるまで飲んで…嫌なことあった?水持ってこようか…」
と立ち上がると、エルは僕の腕を引っ張って
「いい。いかないで。ここにいて」
と言った。ドキっとした。今日はなんかよくわかんない日だな。みんな僕ににどうして欲しいんだろ。とりあえず背中をさすってやると楽になったみたいだ。癒しの力は二日酔いにも効くらしい。湊もさすってやると起きるかな。
「ありがとう。もう大丈夫」
ほんまかいな。
これは早川さんが教えてくれた関西弁。
知らんけど。も使えるって。
「そう?じゃあちょっと湊の様子も見てくるから椅子座ってて」
湊に近寄り、背中をさすりながら起こした。
「湊?もうすぐお昼だよ?家帰って寝たら?」
「おはよー。お昼?そーいや腹減ったな」
「…お前は単純でいいな」
「なんて?」
「なんもない」
「お昼食べたら仕事行くわー」
「今日休みなんじゃないの?」
「なんかアホほど呑んだ割には、俺今日めっちゃ元気やわ。なんか今日いけそうな気がする!」
「知らんけど…」
「はは。関西弁。アリーが関西弁使うの可愛いな」
と僕の唇をつまんだ。酔ってるな。湊までそんなん言うのはやめてくれ。
「まーやる気があるのはいいけど、あんま無理するなよ」
「アリー、やさしー」
と言って抱きついてきた。お前は違うよな?そんなんじゃないよな?
「アリーも一緒に牛丼屋行く?」
「エルのお粥作るから、家で適当に作って食べるよ。ありがとう。また一緒に飲もう」
「じゃあまた来週来るわ」
「それはちょっと早くない?まあいいか。待ってるよ」
湊を送り出したあと、冷蔵庫を見た。あ、梅干し。梅干しのお粥にしよ。
キッチンでお粥を作っていると、なんか視線を感じる。ふと振り向くと、椅子に座っているエルが、携帯で僕の写真を撮りながら見つめていた。
「なんだよ?何で写真なんか?あ、ちょっと見せて」
僕、写真に写るのかな。後で見た時、光の玉とかに見えてたら、みんなビビるだろうから確認しておきたかった。あ、大丈夫っぽい。
「なんでこんな潰れるほど呑んだんだよ?」
「んー…昨日…ってか今日か。ずっと、お前リュウさんと湊にばっか話しかけてた。俺の話、全然聞いてくんなかった。アリーから俺に話しかけたの、エルって本名?ってやつだけ」
拗ねてるのか。
「同じ家に住んでるんだから、エルとはいくらでも話せるだろ?」
「そうだけど…」
まだ辛そうだな。
「まだ頭痛い?」
「うん。少し」
「ちょっとじっとして」
目を閉じてエルのおでこに、自分のおでこをくっつけた。
「え、何?」
とエルは言ったけど、痛みが消えていくのを感じたのか、驚いていた。
「すごい。もう痛くない」
「だろ?天使なんだからそのくらい…」
しまった。つい口走ってしまった。なんか誤魔化そう。
「もう痛くないなら、お粥食べれるだろ?」
と言って作っていたお粥を、茶碗によそってエルに渡した。自分も食べようとした時、
「知ってたよ」
とエルが言った。
「何が?」
「アリーが天使だってこと」
「まだ酔ってる?」
「もう酔ってない。今まで確信はなかったけど、背中さすってくれた時に気づいた」
「どうして?」
「さっき背中さすってくれた時、飛行機事故の時と同じような感覚になった。ポカポカするっていうか。痛みとか苦しみが吸い取られていくみたいな…あの時俺のこと助けてくれたのもやっぱりアリーだったんだな」
話さないつもりだったのに、結局バレていたのか。
「どうして言ってくれなかったんだ?あのスケッチ見て、気付いたんじゃないのか?」
「うん。気付いたけど、信じてもらえるかわからなかったし。エルは自分だけが生き残って、自殺しようとしたくらい自暴自棄になったって言ってたから。助けて欲しいなんて思ってなかったのに、助けられて迷惑だったかなって。だから言えなかった」
「今は大学にも行けて、仲間もいて、楽しくやってるよ」
「でも、時々悲しい顔するだろ?」
「それは…」
「何?」
「お前が他の人ばっかり見てるから…俺は最初に店に来たお前を見た時から、俺の天使だって思って、アリーだけを見てたのに。でも全然気付かないし」
「どういうこと?エルはいつもリュウさんを見てただろ?」
「違うよ。違わなくもないけど。最初アリーが店に来た日、カウンターで片付けしてたアリーに、リュウさん、自分から挨拶しに来ただろ?俺が知る限り、そんなことされたやつ、他にはいない」
「たまたまじゃない?」
「たまたまじゃないよ。お前に助けてもらった時もハグしたり、アリーもリュウさんのこと慕ってるみたいだったから、このままだとお前のこと取られちゃうと思った。それで気になってリュウさんの動向を見てたんだ」
そんな中学生みたいな。
「今日だってアリーは湊ともイチャイチャしてたし。その前はリュウさんとも…」
「見てたのか!?」
「聞こえてただけ!湊はまぁ酔ってたし、あれだけど…リュウさんとはキスもしてた。そんなん見れるわけないだろ」
「それはリュウさんも酔ってたからだろ。なんだ?ヤキモチってやつか?」
「そ、そーだよ!悪いか。早く2人を離したくて寝起きなフリして起きたんだよ」
おいおい。どういう展開なんだよ。
「エル?自分が何言ってるかわかってるのか?」
「わかってるよ!相手が男だって、好きになっちゃったもんはしょーがないだろ?」
「いや、そこじゃなくて!や、そこもだけど。俺は今天使なんだっていう話をしてたんだぞ?それにさっき、リュウさんとの会話聴いてたならわかるよな?俺には愛とか恋とか人間が持つような感情がわからないんだよ?」
「それなら…わからせてやるよ」
と言って立ち上がると、エルは向かいに座っていた僕の顔を引き寄せてキスをした。
「どう?リュウさんの時と何か違った?」
とエルが聞いてきた。
もー今日はなんなの!?みんなしてなんか変だよ。でもなんか心臓の音がすごい…って、心臓とかいう概念はあんのか?
「こんなのダメでしょ?」
「何が?」
「お客様との恋愛はダメなんだろ?従業員同士なんてもっとダメだろ!?」
「さあ、わかんない」
「さあ、わかんないって。もう!ちょっと早いけど…先に店行くわ!二度寝して遅刻するなよ!」
もうわけわかんないよ。時計を見た。まだ15時だった。
「はー」
とりあえず、食い損ねたお粥の代わりに、コンビニでおにぎりを買って公園にいた。
「アリー?」
と声をかけられた。出勤前のマリアさんだった。
「お、おはようございます」
とベンチから立ち上がって、お辞儀した。
「おはよう!すんごい溜息ついてたけど大丈夫?飲み過ぎ?」
「まぁ」
「じゃないみたいね。恋の悩み?」
「え?」
「当たりかー。推しの恋。応援すべきよねー」
「そんな…」
「で?相手は?愛?じゃあないわね。リュウ?と…エルか」
「こわ!なんでそんなの…」
「わかるかって?そうね。見えちゃうから。あんたがいつか帰っちゃうことも」
「!」
びっくりした。帰るって田舎に帰るとかって意味じゃないよな。
「それも、見えたんですか?」
「うん。出会った時から背中に。ほら、ついてるでしょ?白いのがね」
愛さんが言ってたな。マリアさんには、スピリチュアルな力があるって。もうこうなったら…
「今、お時間ありますか?ついでに全部聞いてください!」
全部話した。自分は天使で、布教活動として地上に来たこと。半年したら出張を終えて帰ること。僕には治癒の力があって、昔、飛行機事故で助けたのがエルだったこと。昨日飲んだ後、僕のことを好きになったから、付き合ってる彼女と別れたら自分と付き合って欲しいとリュウさんに言われたこと。それをエルも聞いてて、エルも僕を好きだと言ったこと。2人にキスされたこと。なんか話してる途中で自分でもパニックになった。
「2人のどっちにも、なんの感情もないなら、もうさっさと上に戻るのが早いけどね。他の国に行っちゃうとか」
「いや、天界地球儀回してここ当てちゃったんで、申請した半年間はここを出られないんです」
「天国も意外とお役所仕事は融通きかないのね?」
とマリアさんは笑った。
「それか3人で話し合ったら?最悪殴り合いになったら私が止めてあげるわよ。でも私には、あんたはエルには特別な感情を持ってるように見えるけどね」
「…それは昔あいつを助けたからじゃないですかね。付き合うとかどうとかってよくわかんないです」
少し早いけどお店に着いた。奥からなんか声がする。
「俺、アリーが好きです。彼女とちゃんと別れて、もう一度自分の気持ちを伝えるつもりです。認めてもらえますか?」
とリュウさんの声がした。僕はドアの外で聞いている。
「まあ、お店の禁忌事項には、従業員同士の恋愛禁止とは書いてないからな。認めるも何も、俺にはどうすることも…」
と早川さんが話した時、後ろに気配がした。エルが立っている。エルは僕を見ながら少し緊張した顔で扉を3回ノックした。
「はーい」
早川さんの声。
「失礼します」
とエルが中に入る。思わず一緒に中に入った。リュウさんと早川さんがこっちを見た。
「ちょっと今リュウと個人的な話してるから、もうちょい外で待っててくれる?」と早川さんが言うと、エルは言葉を返した。
「すみません。お邪魔して。でも僕にも関係あることなんで」
こいつ何を言い出すんだ?
「えっとー、つまり?」
「俺もアリーが好きってことです」
こういうの見たことある。天界テレビで地上のドラマ見た時に言ってたー。修羅場ってやつでしょ?
「なるほど。えっとーこういうときはー」
と早川さんが困っていると、扉が開いてレンさんが入ってきた。
「お前らがぐちぐち言うてもしゃあないんちゃう?結局はアリーが誰を選ぶかやろ?なあ?」
と僕のアゴをくいっとあげて、今までこの眼で落ちなかった人はいないんじゃないかってゆうくらいの眼差しで僕を見ながら聞いてきた。レンさん、頼む。この状況で煽らないでー。
「まぁそれもそうか。アリー?アリーは誰が好きなん?」
と早川さん。誰がって。この中の誰かを選ぶ前提なの?
「僕は…ちょっとわかりません。とりあえず失礼します。先に店の準備しとくんで」
と言って部屋を出た。あぁぁぁぁ!みんなどうしちゃったのー!これが声に出ていたかどうかは覚えてない。
気を紛らわす為に、ひたすら店の開店準備に精を出していた。
「だいぶテンパってたな。お前らのせいで、あいつ辞めないかな?大丈夫かな?」
4人の顔はひきつっていた。
琴子さんが今日はエルに会いに来ていた。珍しく少し遅い時間だった。琴子さんに呼ばれて、僕はヘルプにつかせてもらっていた。
「愛が最近ちょこちょこ来るんでしょー!アリー君担当第1号になったって喜んでた」
「はい!ありがとうございます。琴子さんが引き合わせてくれたおかげです」
と僕はウイスキーの水割りを出しながら言った。
「そんなんもこんなんも全部ご縁だからねー」
「縁?」
「そーよー。アリーが私と知り合ったのも、愛とかマリアさんと知り合ったのも、もちろんエルと知り合ったのも、何かの縁なのよ。関わりとかめぐりあわせってことね」
「めぐりあわせ…」
エルを見た。僕がエルを助けたのも何かの縁?そしてエルの前に再び現れたのも、何かの巡り合わせってことなのかな。
「どうした?」
「ううん。僕とエルが出会ったのは、めぐりあわせなんだって!」
俺は嬉しくなってエルに言った。
「…はぁぁぁ。ヤバい」
「何?気分悪い?」
「いや、そうじゃない。大丈夫」
「ちょっとお兄さんたち!私ほったらかして、何自分達の世界入っちゃってんのよ」
と琴子さんに言われて
「ご、ごめんなさい」
と僕は謝った。
「まあ、俺の天使にあんな笑顔であんなこと言われたら、そらヤバいってなるわねー」
「ちょっと琴子さん!誰にも言わないでって言ったじゃないですか」
と慌ててエルが言った。
俺の天使?どういうこと?
「エルが可愛い。アリーはさ、エルのスケッチブック見たことある?」
「あります」
「めっちゃたくさんあるでしょ?あれ全部おんなじ天使の絵なの!引くでしょ?」
「え?あぁ。まあ…」
「しかもアリー君、その天使と自分、似てると思わなかった?」
「少し思いました」
「でしょ?私も初めてアリー君に会った時、あまりにもスケッチブックの天使にそっくりで、びっくりしちゃった!」
「琴子さん。その辺で勘弁してください」
「何言ってんの。話はここからよ!アリー君が初めてお店に来た日、珍しくエルから電話が来たの。普段、営業電話かけてくることないから、どうしたのかと思って出たら、琴子さん!僕の天使にやっと会えました!って泣くのよー」
「琴子さん。もうそこまででお願いします。っていうか泣いてはいません」
「うそ。泣いてたよー」
それからも琴子さんは、全部話すまでお喋りが止まらなかった。
大学に行き始めたエルは、時間があれば絵を描いていた。ずっと同じ天使の絵を。
琴子さんは元々出版社勤務だったのが、数年前、ウェブ漫画の配信の会社を立ち上げた。仕事の行きや帰りにエルを見かけることがあって、あまりにもおなじ天使の絵を書いてるから、気になって声をかけたのが出会いだって言ってた。
話をすると、自分が事故に遭った時、助けてくれた天使の顔を、忘れないようにずっと書いてるんだってエルは言ったって。
学費稼ぐために、ホストのバイトしてるって知って、時々飲みに来てくれるらしい。
閉店の時間までひたすら話をして、琴子さんは気分良く帰って行った。ぐったりしたエルとは対照的だった。
今日はケンさんとアツシさんがリュウさんのヘルプに入っていたから、ほとんどリュウさんと会話することはなかった。ちょっとホッとしていた。
片付けていると、僕は早川さんとレンさんに呼ばれた。
「開店前に話してたことだけど。禁忌事項に従業員同士の恋愛はダメって書いてないから、そこはお前たちの自由にしてくれていい。リュウを選ぶか、エルを選ぶか、まさかのどんでん返しでレンを選ぶのか、それはアリーが決めればいいよ」
とちらっとレンさんを見て、早川さんが言った。
「お前のことは可愛いし好きだけど、俺の好きはあいつらの好きとは違うからな?」
とレンさんが笑いながら言った。
「わかってますよ。さっきのもちょっと煽っただけで、本気じゃないでしょ?」
と僕も笑顔で返した。
「ただスタッフ同士の私的な諍いはダメだと伝えていたと思う」
と早川さんが言った。
「はい」
「もし、お前たちがそのことで揉めて、周りに影響が出るようなら、俺達は対処しなきゃいけない」
対処…なんか辛い言葉だな。
「…多分大丈夫です。今日1日仕事してわかったことがあります。もし2人にそのことを伝えて、わかってもらえなかったら、僕がここを去ります」
「…俺はみんなのことが好きだ。家族みたいに。だから誰にも欠けてほしくないと思ってる」
「はい。ありがとうございます」
僕は片付けに戻った。リュウさんは、先に帰ったみたいだった。話したいことがあったのに。そして エルと一緒に寮に帰った。
「琴子さん、ほぼ全部話して帰って行ったな」
「でも、楽しく飲んでくれたみたいだから良かったです」
「いつもより来るの遅かったな。無事に帰れたかな」
「優しいね」
「あの人は俺の1番だから」
それは1番大切な人ってこと?僕に告白したくせに?僕は2番てことか。そーいや、マリアさんが言ってたな。いいのよ!私2号でもって。
「僕は…2番じゃやだな…」
と無意識につぶやいていた。ハッとしてエルの顔を見る。驚いた顔のエルと目があった。
「いや、今のは違うくって」
「何が違うの?」
「あの…」
と返答に困っていると、エルは微笑んで言った。
「アリーの1番は愛さんだろ?俺の1番は琴子さん。琴子さんは初めて俺が担当したお客様ってこと。勘違いした?俺が1番好きなのはアリーだよ」
「へー、そうですかー」
と家が近づいたから先に走って帰った。
誰かが家の前でうずくまっていた。リュウさんだとすぐにわかった。
「そんなとこでずっと待ってたんですか?入ってください」
後から来たエルもびっくりしていた。
「どうぞ座っててください。あったかい飲み物出しますから」
と言って僕は人数分のコーヒーを淹れた。
先に帰ったと思ってた。まさか家の前で待ってたなんて。
「話したいことがあって」
とリュウさんが口を開いた。
「僕もです」
エルは僕達のことを見ながら黙っていた。
「マリアと、ちゃんと彼女と別れた。俺はお前が好きだ。お前が手に入るなら、何を失っても構わない」
すごい殺し文句だ。
「リュウさん、僕、リュウさんのこと好きです。でもそれは愛とか恋ではないと思います。人を好きになったことがないと言った僕には、何が愛か、恋するとどんな気持ちになるかわからない。でも今日早川さんに、俺はみんなが好きだ。家族みたいに思ってるって言われて、僕はリュウさんのことは、尊敬してるし好きだけど、それは家族みたいというか、仲間として好きなんだって気付きました」
「…」
リュウさんは黙って話を聞いてくれている。
「そして琴子さんと話をして、わかったことがあります。会いたかった人に会えたことが、すごく嬉しかったり、会えないと悲しかったり。頭に焼き付けるように、その人を思い出したり。普段見せない姿を見て嬉しくなったり。もっと笑顔が見たいって思ったり。その気持ちを全部恋と呼ぶなら、僕はエルに恋をしてる。だからごめんなさい。リュウさんとは付き合えません」
「そうか。薄々気付いてはいたけどな。どうしても伝えたかったんだ。もしエルがお前を泣かすことがあれば、俺がいつでも奪いに行くって、宣戦布告の意味もあったしな。困らせて悪かったな。もしエルに泣かされたらいつでも俺んとこ来いよ?」
「リュウさん、ありがとうございます」
というと少しぬるくなったコーヒーを、一気に飲み干して
「じゃあな。また店で」
と言って帰って行った。
「なに?」
じっと見つめるエルに問いかけた。エルは僕のことを抱き締めて言った。
「俺のこと好きなの?ほんとに?」
「そうだね。エル以上にそばにいたいと思ったり、笑顔が見たいと思ったりする人はいないから。これが人間が言う恋ってやつで、好きってことなんでしょ?」
「うん」
「それにしても僕のこと、俺の天使って言ってたなんて。しかも会えて嬉しくて泣いたんでしょ?」
「泣いてない…」
「琴子さんが泣いてたって言ってたもん」
「泣いてない」
とエルは言って、僕を自分のベッドまで抱えて連れて行った。
僕に触れる手はあったかくて、心地よかった。天界にいた時にはなかった感覚。
「エル…」
「春樹」
「え?」
「俺の本当の名前。だから今は春樹って呼んでよ」
「春樹…」
「アリー。お前はもう本当に俺だけの天使だからな」
と言ってキスをした。そのあと僕は春樹の全てを受け入れた。
昼過ぎに目を覚ました。エルも目を覚まして僕におはようと言った。いい天気で散歩に出かけた。人も多かった。公園の前を歩いていると、男の子が膝を擦りむき泣いていた。僕はその子を立たせて、
「お兄ちゃんが痛くないようにしてあげる」
と言って膝に手をかざすが、痛みは消えた気配がない。傷も癒えない。何かがおかしい。そう思っていると、
「ご迷惑かけて、ごめんなさいねー。」
といってその子のお母さんが連れて行った。
「エル…僕、癒しの力がなくなった」
「え?」
「あの子の痛み、とってあげられなかった」
「何で急に?」
「たぶん…いや何でかな。ちょっと調子が悪いだけかも」
理由はわかっていた。人間と交わったこと。それが理由だろうな。昔にも人間の女性と契りを結び、堕天使となった天使がいたと聞いた。そのことをエルに言うと、責任を感じると思って言わなかった。
「なぁエル。もし、このまま癒しの力が戻らなくて、二日酔いすら治せない、ポンコツ天使のままでも好きでいてくれる?」
「うん。お前が悪魔になったとしても、ずっとお前だけを愛してるよ」
「よくそんなキザなこと言えるなー?」
「ほら、俺、ホストだから」
とエルは笑った。
僕が地上に来て、だいぶ時が経った。そういえばエルは、一緒に住み始めてから、もう天使の絵を描かなくなっていた。もうすぐ帰らなきゃいけないな。エルにも話をしないと。そしたらあいつ、また狂ったように僕の絵を描くのかな。でも僕の癒しの力は戻っていない。このままだと天界に帰ることはできないかもしれない、と考えていた。
「今日、夜は鍋にしない?湊も呼んで」
今日は日曜日だ。基本的には日曜日はお店は休みだ。イベントがある時なんかは開けるけど。
僕達は材料を買いに外へ出た。
帰ってくると湊が家の前で待っていた。
3人で酒を飲みつつ、鍋をつついていると、
「で、2人は付き合ってんねやんな?」
と湊が言った。
「なんで?」
と僕達は声を揃えて言った。
「だって、アリーはエルがずっと探してた天使だろ?」
「知ってたの?」
と僕は聞いた。
「事故の時、天使を見たとか言って、ずっと同じ人の絵を書いてるからさ。たぶん同じ飛行機にたまたま乗ってた男の子を天使と勘違いしたんだと思ってた。そしたら自分の前を、その絵の男の子そっくりな人が通り過ぎてったじゃない?これはもう声かけるしかないと思って。で俺はお前に声をかけて、エルのいる店に連れてったわけ」
なんだ、僕のこと本当の天使だと知ってたわけじゃないんだな、とホッとした。
「もうそっからは、誰が見ても…アホが見てもわかるくらいエルはずっとアリーを見てるし、アリーの話ばっかするし、リュウさんにアリーを取られたらどうしようって泣くし」
「マジか」
と、俺はエルを見て言った。
「泣いてはない!」
と言いながらも、エルは恥ずかしくて下を向いてる。
「まあでも幸せそうでいいじゃん」
と焼酎を飲みながら湊が言った。楽しいな。エルがいて、湊がいて、みんなで鍋つまみながら酒飲んで。ここにイールがいたらもっと楽しいと思う。あいつもきっとみんなと仲良くなれると思うんだ。
「イールに会いたいなー」
と俺は心の声をそのまま出してしまっていた。
「え?」
と驚くエル。湊はニヤニヤしながら聞いて来た。
「イールって誰?元カノ?それか元カレ?」
「あっ。えーと…イールは親友。エルと湊みたいな。最近連絡取ってないからどうしてるかなって。久しぶりに、会いたいなって思っただけ」
なぜかちょっとテンパってしまった。
「おい。エル。大丈夫か?お前の天使が元カレとヨリを戻したがってるぞ」
「友達だろ?そら会いたいだろ…」
「余裕なフリして眉間に皺寄せてるんじゃないよ!」
と言って湊はエルの眉間にデコピンをした。
「いた!」
「やっぱり楽しいな!」
それを見て俺は笑って言った。やっぱりイールも一緒に降りてきたらよかったなー。
深夜0時を回る頃、湊は帰って行った。朝までいればいいのにって言ったけど、2人の熱い夜を邪魔したくないからとか、訳わからんこと言ってた。
キッチンで片付けていると、エルが俺を後ろから抱きしめて来た。
「どうした?」
「俺だけの天使って言ったのに…」
「何が?」
エルはまた俺を連れて、ベッドに寝かせると、俺の唇をなぞりながら言った。
「本当のところ、イールって誰?」
「だから親友なんだって。いつも一緒に仕事してたんだよ」
「へー。いつも一緒に?」
「またヤキモチ?本当に、友達なんだってば…」
「キスしていい?」
「いつも何も聞かずにするくせに…」
「イールの方がいいなら俺のは嫌かなって…」
とまた言い始めたから、俺からキスしてやった。
「春樹。わかった?」
「うん。ごめん」
と言うと春樹は優しく俺を抱いた。
2時間くらいして電話が鳴った。
「もしもし。湊?起きてたよ。え?財布?あー…あった。途中まで届けるよ。あのコンビニの前らへん?わかった」
部屋に財布を忘れたらしい。エルに電話したけど、電源切れてるって。
「ちょっと湊の忘れ物届けてくる」
「わかった」
部屋にあった湊の財布をつかんで家を出た。しばらく行ったとこで、自分の財布も携帯も、家に置いて来たことに気付いたけど、コンビニまで届けるだけだからと思ってそのまま向かった。15分くらい行ったところで、向かいから湊がこっちに手を振っている。信号が青になって、湊はこっちに走って来た。その時、一台の車がブレーキをかけずに横断歩道に突っ込んでくるのが見えた。
「湊!危ない!」
ドン!
轢かれそうになった湊を突き飛ばした。代わりに車が当たった衝撃で僕は吹っ飛んだ。
湊、大丈夫かな。うっすらと道路の端に倒れている湊が見える。生きてる。
「早く、助けに行かなきゃ…」
湊の元に這っていこうとした。思うように動けない。やっとのことで湊の手を握った。
力はまだ戻ってないかもしれない。それでも、少しでも湊の傷を癒さないと。そう思って精一杯願った。その時、
「アリー!」
エルが僕の携帯と財布を持って、後を追っかけて来てたみたい。めっちゃ泣いてる。
「エル?湊、大丈夫…?」
「たぶん。大きな怪我はないみたい。お前のおかげじゃないか?」
「そっか…なら…よかった…」
「とりあえず救急車呼んだから」
「うん…あっ」
僕が見ていた先に、イールが立っていた。
「…バカだな。お前は。人間に恋をして、力を失って、助けて、そして…」
イールはそう言いながら泣いていた。僕、死ぬの?天使なのに?
「死神か?」
とエルが聞いた。
「俺はイール。そいつの…友達だよ。そして死を司る天使」
「あんたがイール?死の天使?」
「悪いけど、アリーは連れて行くよ」
「ちょ、ちょっと待って!どこに…」
「さあ、天国か地獄か」
と言うとイールは僕を連れて行った。
目を覚ますと天国にいた。イールの顔が怒ってるような悲しんでいるようなそんな顔…
「僕、どうなったの?」
「お前は神の為に生きる者なのに、人間に心を奪われた。そのことに怒った神がお前の力を奪ったんだ」
「やっぱり…」
「今、お前をどうするか考えてる。このまま消えてなくなるか、もう一度一介天使からやり直すか。それか…」
「そっか。お前にも迷惑かけたな」
「ほんとにな…」
「あのあとどうなった?」
「見るか?」
天界には、過去、現在、未来を見られる鏡がある。
イールがそれを持って来てくれた。僕が消えたあと、
湊は救急車に乗せられ、エルの付き添いで病院へ。
打撲とかすり傷で済んだようだった。
車を運転していた人は、運転中に急な心臓発作を起こしたらしい。病院に運ばれたが亡くなったみたいだ。
事故の日から湊は自分のせいで、僕が死んだと思って落ち込んでいる。それを励まそうとしているエルや愛さん達の姿が見える。僕はイールに頼んだ。友人を失ったあの人達の心を救ってほしいと。
エルは僕が消えたあの日から、ずっとまた同じ天使の絵を描き始めた。
いや、羽根がないから天使ではないな。
湊は事故の後、スカウトをやめて、エンジェルで働くことになった。元々人手が足りない上に、僕がいなくなったことで、忙しくなったから人を入れてほしいと言われた湊は
「自分が働きます」
と言って仕事を始めた。
天界と地上の時の流れは違う。僕への審判が下る日。
地上では、もう1年が経っていた。
「君には一介天使からもう1度やり直してもらう。そしてもう2度と、仕事以外では地上には降りられない。いいね?」
とラファエルさんに言われた。
「寛大な処分をありがとうございます。申し訳ないんですけど…僕、お願いがあるんです…」
ここは、大阪ミナミの一角にある、ホストクラブ”エンジェル”
オープン前の店の前に立っていた。
店に入って声をかけた。
「あのー。すみません。スタッフ募集されていると聞いたんですが…」
「あー中に入ってー」
奥の部屋から声がする。オーナーの声か。
ノックをして中に入る。
「おまえ…」
オープンの時間が迫ってくる。オーナーがみんなを集めて紹介してくれた。
「今日から新人が入ることになった。仲良くしてやってくれ。おーい?」
と呼ぶ声がして、ネクタイを締めながら、みんなの前に出て行った。
「アリーと言います。これから、よろしくお願いします!」
僕の顔を見た湊が泣き崩れた。僕はそんな湊を抱きしめて言った。
「お前が無事で良かった」
みんなびっくりしていた。サプライズ成功だった。エルは今日、琴子さんと同伴らしい。僕が店にいたらどう思うかな。
しばらくして、エントランスのドアが開いてエルが入ってきた。今日は愛さんと出来ることなら、マリアさんにも来てもらえるか聞いてほしいと、早川さんがエルに言っていた。愛さん達は後から行くと返事が来たみたい。
「いらっしゃいませ」
とみんなが声をかける。その中に僕もいた。まだ気付いてないみたい。エルが琴子さんを席に誘導する。
僕はすぐに声をかけた。
「ヘルプにつかせていただくアリーです。よろしくお願いします」
座ろうとしていた琴子さんは、僕の姿を見て
「きゃー!」
と叫んだ。お化けー!とか言われるかと思ったけど、僕に抱きついて泣いていた。
エルはもう…なんて言うのかな。放心状態?って感じだった。しばらくして僕がお酒を作っていると、愛さんとマリアさんが入ってきた。
「いらっしゃいませー」
とみんなが言った。マリアさんは誰かを探しているみたい。そのあと僕と目が合って、愛さんに耳打ちした。愛さんはそれを聞いてこっちを見て、僕と目が合ったあと気を失った。
帰り、みんなを見送りに行って、愛さんと琴子さんをタクシーに乗せたあと、僕はマリアさんをマリアさんのお店まで送って行った。
「お帰り」
とマリアさんは言った。
「ただいま。ご心配おかけしました」
と返した。
僕が消える前、マリアさんとエルだけは、僕が天使だと知っていた。車に轢かれたのに、体が無くなってると辻褄が合わないと、みんなにも色々とフォローしてくれたらしい。お店に着くと、店に入る前に、マリアさんが言った。
「後ろのそれ…まぁいいわ。またお店に行くわね」
「…はい。色々とありがとうございます」
店に帰ると、店は閉店し片付けをしていた。
早川さんが
「片付けはこっちでやっとくから、エル、新人に寮の案内してやって」
と言った。寮に着くと昔いた部屋に案内された。今はエルがそこを、1人使っているらしい。
なぜか僕の荷物はそのままだった。
「荷物、なんでそのまま?」
「捨てられないよ。何一つ」
「もう僕は消えていなくなったのに?」
「それでも無理だ」
と泣きながらエルは僕を抱きしめた。店ではずっと我慢してたみたい。
「今度はどれくらいいるの?」
「なんで?」
「半年で帰る予定だったってマリアさんに聞いたから。それであの時3人で鍋しようとか言い出したのかって。だから今回も期限付きかもって」
「やっぱり泣くんだな。今度はずっといるよ」
「え?」
「帰るとしたら、春樹が死ぬ時。だからずっと先だよ」
あの時、僕はラファエルさんにお願いをした。
「あなたには一介天使からもう1度やり直してもらいます。そしてもう2度と、仕事以外では地上には降りられない。いいですね?」
とラファエルさんに言われた。
「寛大な処分をありがとうございます。申し訳ないんですけど…僕、お願いがあるんです…僕の堕天を許してもらえませんか?」
「おまえ…」
イールは驚いていた。でも心のどっかで、僕がそう言うと思ってたんじゃないかとも思えた。
「神への反逆ですか?」
とラファエルさんが言った。僕は首を横に振った。
「僕は今でも神の者です。これから先も神を愛しています。ですが地上で時間を過ごすうちに、愛される喜びもたくさん知ってしまった。神以外にずっと一緒にいたいと思う人が、できてしまったんです」
「あなたは堕天しても長く生き続ける。でも彼は死にます。一緒に居られるその時間は、一瞬のように感じますよ。その一瞬のためにあなたはここを去るのですか?」
「はい。一瞬でも彼のそばにいます。そして彼が死ぬ時は、僕が連れて行きます」
「そうですか。意志は固いのですね」
「今まで本当にありがとうございました」
「お元気で」
と言ってラファエルさんは僕のおでこにキスをした。
涙が止まらなかった。
「イール…今までありがとう」
「…バカだな。お前は。人間に恋をして、力を失って、助けて、そして…地獄に堕ちることを、自ら選ぶなんて」
「イールがいたから楽しかったよ。怒られても悲しくても一緒に頑張ってきたから。ここを離れがたいと思うのは、お前がいるからだろうな」
「アリー…やっぱいい。行ってこい」
「ありがとう」
泣いているイールの声が聞こえる。その声を背中に感じながら、僕は堕天し悪魔として生きることにした。
「まーそういうこと。だからお前が死ぬまでよろしくな」
と僕は言った。
「よろしくって…」
「僕が悪魔でも愛してるって言ったじゃん?」
「うん。言ったよ」
そう言うと僕を抱きしめた。
「あ。悪魔と契りを結んだら、死んだあと地獄行きに
なっちゃうけど、それでもいい?今ならまだ間に合うよ?」
「お前が連れてってくれるなら、地獄でもどこでも行くよ」
「また、キザなセリフ」
「ほら、俺、ホストだから」
と春樹は笑った。
物語に出てくる登場人物名、施設名、設定は全てフィクションです。作者の妄想によるものであると、ご理解ください。