商業出版を経験した私が、なぜなろうでペンネームも変えて小説を書くかについて
みなさまごきげんよう。もしくは初めまして。くろつです。
突然ですが、ブラッディチャイナタウンっていう漫画があるんです。
中華街を舞台にした作品で、私、以前から中華街大好きなんですよね。わざわざ飛行機乗って遊びに行くレベルの好きさ加減。
なので、中華街を舞台にした作品ということで興味を惹かれて読み始めたんですけど、なんだか、何度も、読んでしまう。ふとした時に読みたくなる。
そして読んでると安心感があって、目が気持ちいい。
で、この人の物語がどんどん好きになって、ふと検索してみたところ、著者さんのnote記事があったんですね。
そこには本作を書くことになった経緯が書かれてました。
これを読んで私は本当に胸が痛くなったし、自分がされたことを思い出して泣きそうになりました。
思い出さないようにしていた当時のことが次々に浮かんできてしまい、久しく飲んでいなかった安定剤を飲みました。
そう、私も過去に自分の担当編集者さんに、似たようなことをされてたんです。
その漫画の著者さんが経験された数々のことは、ここには記しません。
ですが、記事を一読して、相当つらい思いをされたことは想像がつきました。
ご本人はさらりと書いてらっしゃいますが、多分実際には、書いてある以上のことがあったはずです。
基本的に私は、エッセイでも小説でも、読んだ人が気持ちよくなってくれる、いい気分になってくれるものを書きたいと思っているし、その方針は今後も変わりません。
なので、過去自分が経験した上司からの首絞め事件(被害届提出済み)のことも詳しく書いていないし、過去に自分が経験した、飲食店での薬物混入による性被害についても書いていません。
そんなこと聞いても、怖いでしょう? そんな話を聞いたら人が信じられなくなりそうじゃないですか? って思うからです。
なので今回このエッセイを書くにあたってとても悩みました。
これは読んだ人が気持ちよくなってくれるエッセイとは言いがたいからです。
基本スタンスの真逆もいいところ。
でも、前述の著者さんが書かれた記事を読んで私はこう思ったんです。
自分がされたことの数々はできれば忘れていたい。
でも、怖いから、思い出すのも嫌だからっていう理由で黙っている人が多ければ多いほど、理不尽なパワハラはなくならない。
賛同の拍手を送りたかったんだと思います(noteの扱い方がわからないのでできませんでしたが……)。
あなたが勇気を出して書かれたことに、私は心から賛成するし応援しますって言いたい。
そして及ばずながら、私もあなたの勇気に続きたい。
そういう気持ちでした。
でも、書籍化を目指して頑張っている人も多くいるこのサイトで、こんな不安にさせるようなことを書いてしまってもいいのかな? っていう気持ちも本当でした。
だって、ものをつくる人って多かれ少なかれ繊細です。
自分に向けられたものでなくても、他者の悪意に敏感だったりもします。
傷つけたくない。
なので、信頼のおける、ホストをしている恋人に相談しました。
「どうするのが正解だと思う?」
と聞いたら、数々の修羅場をくぐってきた彼はこう答えてくれました。
「お前がやりたいなら俺は応援する。お前が勇気をもらったように、お前も誰かを助けてやれるなら素敵なことや。ただお前は無理しすぎるところあるから。できる範囲でやってごらん」
◇◇◇
私がその編集者とご縁を持ったのは、私が某新人賞で賞をとったことがきっかけです。
「受賞作とは別に、こういうテーマのものを書いてみませんか? キャラの年代は十代後半で、枚数はこれくらいで」
とのご提案を受けて書きました。
その作品は既に出版され、印税も支払われています。
いいですね、続けて書いてみましょうと言っていただきました。
しかし、問題はここからでした。
まず、次作を書いてメールで送っても、読んでくれるのが何週間も後。
一応口頭で、前作のキャラを使って連作短編の形式で一冊出しましょうというお話だったのですが、その時点で契約書は交わされていませんでした。
「今はとにかく書いて下さい」
と言われ、短編(四百字詰め原稿用紙換算で五十枚前後のもの)を何本も書いては送りましたが、とてもお忙しい方だったのでしょう、その数週間の間、受け取ったかどうかの連絡もありませんでした。
そして書いては送る中で、多くの物語が没になったのですが、没にされた明確な理由を告げられることもありません。
「ご自分で考えて下さい」
とメールには書かれていました。
「没の理由が理解できないなら、何本作品を送っていただいても時間の無駄だと思います」
ともありました。
書こうとしている方向性が合致しているのかどうかすらわからない中、こちらからの質問に対しても答えはなく、解釈次第でどちらにも受け取れるような言い回しのメール文面が数週間後に送られてくるため、ひとつ質問したら、次は疑問点が三つに増えているような状態で、こちらとしてもだんだん質問をしづらい気持ちになっていきました。
その編集者さんは野球ファンだったらしく、野球のたとえが多かったところもつらい部分でした。
「私は野球をまったく知らないので、野球のたとえはやめていただけませんか?」
とお伝えしても野球のたとえはなくなりませんでした。
一例をあげると、
「あなたは言うなればトレード要員なんですよ」
前後の文章を読んでも、私にはどういう意味なのかわかりませんでした。
褒められているのかけなされているのかすらわかりません。
トレード要員ってなんですか? と聞いたところで、返事がかえってくるのはおそらく数週間後でしょう。
調べてみると、トレードとは交換するという意味のようでした。おそらく他球団の選手と自分の球団の選手を交換するってことなのでしょう。
どんな場合にトレードが行われるのか、私が調べた範囲ではわかりませんでした。
店舗で買い物をする際に現金やカードで支払いをするように、欲しいものと等価交換できるなら、トレードっていい意味合いの用語なんじゃないの?
でも、この人が私を褒めるって考えにくいよな?
っていうか、私、小説を書くために時間を使いたいんじゃなかったっけ?
野球用語を調べるために何時間もなにやってんだろう?
などとぐるぐる考えて、当時行きつけだったカフェの男性店長にそのメールをプリントアウトして持って行きました。
彼はちょうど編集者さんと年代が一緒だったので通じる部分があるかと思ったんです。
読んでくれた店長のアンサーは、
「俺、こいつの言ってることよくわかんねえわ」
でした。
「あなたの作品がファジィだとか言ってるけど、俺に言わせれば、こいつのメールのほうがよっぽどファジィだね」
そしてその編集者さんは、有名作家さんとどんな話をしたか、どなたのどんなパーティに出席したかということをほぼ毎回、私宛のメールに書いてきました。
そこにどういう意図があったのかわかりません。
あなたもそういう立場になれるように頑張りましょうねという激励の意味があったのかもしれません。
ですが私はその編集者とのやりとりをするうちに、いい作品を書こう、面白い作品を書こうではなく、この編集者にどんなメールを送るのが正解なのか、って考えるようになっていきました。
そして、その編集者さんとのご縁が切れたと同時に、私は物語が書けなくなりました。
書きたいと思えないし、誰のどんな本を手に取ろうとも思えない時期がしばらく続いて、
「いや、それでも私は小説が好きだし物語が書きたい」
そう思えるようになるまで半年かかりました。
私が物語を書くのは、かつて自分が物語に救われてきたように、誰かの気持ちを少しでも良いものにするためであり、物語を通して頑張っている人の背中を押すためです。
長い時間をかけてそこを再確認して、誰かに気に入られるための物語ではなく、自分が本当に書きたいものが書けるように、誰にも見せない物語を私はリハビリのように数年間書き溜めていました。
そんなある日、私は偶然目にしたんです。
ある人がなろうで異世界薬局を読んでいるのを。
私はMENSAというグループ(って言っていいのか?)に入っていて、相手も同じMENSA会員の人でした。
それ面白い? って聞いたら、面白いよーって答えてくれました。
実はそれまでにもなろうのことは名前だけ知ってたんですが、
「なろうってどんなサイト?」
って知人に聞いてみたところ、
「読者は男性が多くて、ハーレムものとかが人気で、仕事に疲れた男性がストレス解消に現実逃避をするところ」
って返事が返ってきたんですよね……。
でも後日MENSA会員が読んでるのを実際に見て、そっかー、聞いてたのとは違って、いろんな物語を書く人がいるんだなって思いました。
そこからは、あれよあれよと今に至ります。
作品を書けば誰かが見てくれるし、面白ければポイントという形でフィードバックもしてくれる。感想も書いてくださったりする。
これってものすごく嬉しいし、なによりもありがたいことです。
ここでタイトルなのですが、普通は、デビュー済みの作家が作品をネット公開するなら、既出のペンネームでやると思うんです。
そのほうが過去作の宣伝になりますから。
でも私はそれをやりません。
理由は、そのペンネームを使うことで二度とその編集者と関わりを持ちたくないからです。
多分相手は私のことなど忘れていると思います。
とても忙しいし、何十人も担当しているとおっしゃってましたから。
でも可能性が低いとしても、私はもう自分の作品をその人の目に触れさせたくない。
同じ思いを二度と味わいたくありません。だから当時のペンネームは使わず、新たな名前でここで自由に、本当に書きたいものを書いています。
だからこそ、ご縁があって私の物語を読んで下さるかたがいるなら、本当に本当に嬉しい。
あと最後になりますが、なんだかんだ言って、駆け出しの作家ってとても立場が弱いと思います。
自分の作品を世に出せるか出せないかの時に、しかもその権限を握っているのが相手だっていう時に、なかなか、
「それっておかしくないですか?」
って言えないです。
なので、いつか書籍化したいなと思っている人は、心の片隅に覚えておくことをお勧めします。
なにかあったら、必ず同業の誰かに相談すること。
「こんなこと言われてるんですけど、これって普通でしょうか?」
とか、
「これって理不尽じゃないですか?」
とか、そういうことを聞ける横のつながりを持つことです。
作家と編集者に限らないですが、上司と部下でも、その他の人間関係でも、変だなおかしいなって思ったらすぐ相談! 自分ひとりで抱えない! のスピリットでいきましょうぜ!
そしていつの日か、誰もが、心ある素敵な編集者さんと巡り会えますように!