フォージ城塞学園(2)
本日は5話投稿しています
……なのにあたしは、動けない。体が、動かない。あたしがやるべきことなんて、たった一つだ。侵入者までの距離を一気に詰めて、格闘戦で制圧する。話を聞くのはその後だ。ちゃんとお話をするためには、まずは暴力で上回らなきゃならない。戦闘教本は嘘をつかない。
それでもあたしは、動けない。何か猛烈な違和感があって、あたしに「今は動くな」と命令してる。ファエバ! このままじゃ奇襲にすらしくじるってのに!
マゴマゴし続けるあたしに対し、侵入者の動きは実にキビキビしていた。しっかり隠れているはずのあたしのところへと一直線に歩いてくると、床に転がっているあたしを見下ろす。チマっとした童顔女なのに、謎の迫力がある。
「もう! パティお姉さまは何もかもが最高のお嬢様ですけど、寝起きが悪いのと寝相が悪いのだけは弱点ですね! でもそこがチャームポイント! さあ起きてください! まずはコーヒーを淹れます! お姉さまは鏡台の前に座っててください! でも自分でお化粧しようだなんて思わないで! お姉さまはお化粧が下手っぴなのも弱点です! 髪型を整えるのもド下手ですから櫛にも触らないで! 服のセンスも最悪ですから、今日もネクタイはこのシンディが選びます! さあ起きて! 朝です! 登校の支度を始めますよ!」
対空機関砲も顔負けの速度で喋る侵入者に、あたしは完全に圧倒されていた。だから、気がつけば侵入者が差し出した手をとって起き上がり、鏡台(こんなデカイ鏡を何に使うんだ? しかもなんで無駄にピカピカしてる?)の前に置かれた椅子に腰掛けていた。鏡の中にいるあたしは、あたしが良く知るあたしだ。
いや――違う。そんな。そんな馬鹿な。
鏡の中のあたしの髪は、腰まで届くくらいに長い。それに色合いがおかしい。金色にピカピカ光ってる。こんな髪で戦えるか! いや、問題はそこじゃない。あたしは強化決戦兵士の服装規定どおりに丸刈りにしていたし、髪の色だってくすんだ茶色だった。どうしたらこうなる? それになんつーかその、胸囲とか腰囲とかがデカくて緩い。胴はしっかり締まったままなんだが……本当にこれ、あたしの体なのか?
悪態をつく余裕すら失って鏡を睨みつけているあたしの背後に、侵入者が立った。ごく自然に、華奢なカップを差し出してくる。これがコーヒー? 匂いが全然違うぞ? タギング機能を再起動し、チェック。【コーヒー】。微弱な毒性反応は、カフェインと糖だ。マジでこれはコーヒーらしい。恐る恐る、飲む。熱い。苦い。甘い。酸っぱい。旨い。ヤバい。ヤバいな。ハシシュが食いたくなる。だがハシシュは見当たらない。アゾール!
コーヒーを飲み終えたあたしは、ちょっとでも力を入れたら粉微塵になりそうな【コーヒーカップ】を、慎重に【鏡台】の上に置く。なるほど、このために鏡と机がセットになってんのか。壮大な無駄だな。その間も、侵入者はあたしの髪に【櫛】を通していく。ピカピカ色の髪が、一層ピカピカになっていく。ファエバ! 魔術か、これは?
ああ……そうか。この【洗顔料】とかいう洗浄剤と【タオル】であたしの顔を洗浄してから、【化粧水】とかいう謎液体と【ファンデーション】とかいう塗料を塗りたくっている侵入者が――ダメだ、頭がおかしくなりそうだ。タギング機能をオフ――ともあれこの侵入者が、魔術を使っている可能性はゼロじゃない。さもなきゃこの侵入者そのものも魔術で構築されているとか。
〈聖女〉に搭載されたセンサー類は、魔術を検知する能力には劣る。だからいまあたしが知覚している何もかもが魔術によって構築された仮想現実ないし幻覚であるという仮説は、「なんでそんなことを?」という疑問が残るものの、完全に否定はできない。
ただこの仮説は、途方もなく悪趣味、かつ絶滅したはずの禁呪を使う術士――具体的に言えば死霊術士の存在を肯定してしまう。
「さあて完成です、パティお姉さま! うーん、今日もシンディの技は冴えてますね! お姉さまは素が最高だから、ちゃんとお化粧すると女神様みたいになります! お姉さまもそう思うでしょう?」
相変わらずテンション高めな侵入者の名は、文脈からするとシンディだ。ちらりと鏡越しにタギング機能を使っても【シンディ】と表示されてしまう。
そしてあたしは、シンディという名前の、こんな顔をした女のことを知っている。
シンディはあたしの1歳下の〈聖女〉だ。いや、〈聖女〉候補生だった。10歳になったシンディはあたしに憧れて〈聖女〉の道を選んだが、3回めの強化手術に耐えられず、死んだ。
魔術は死の帳を越えられない。幻影術ですら、術士が死者と認識している人物の幻影は作れない。その壁を越えられるのは、根絶されたはずの死霊術だけだ。
「さあて、さすがのお姉さまでも、もうシャッキリしてきましたね? じゃあお着替えしましょう! 本当はお化粧の前にお着替えしてほしいんですけど! 起き抜けのお姉さまがシャンと立てるようになるまでにはすんごい時間がかかるから仕方ありません! はい、立ってください! 制服にお着替えしますよ!」
シンディに命令されるがまま、あたしは立ち上がった。鏡の中のあたしは、いまやカワイイ概念が完璧な形で具現化した身体だ。
あたしは深々とため息をつくと、メタクソに遅ればせながらも戦闘教本の1ページめにデカデカと書いてある鉄則を実行することにした。上官への報告だ。でも視界に表示されたのは【オフライン】という赤文字だけ。
ファエバ! じゃあなんでオンラインじゃないと機能しないセンサ類はちゃんと動いてるんだよ! ああもう、腹いっぱい、ハシシュが食いてえ……




