家庭科室の決闘(4)
「カミンスカ委員! そんな歩き方では頂上まで体力が持たないぞ!
山を舐めるんじゃない!」
ルデリットから益体もない指令を受けた4日後の早朝、あたしらはフル装備で山を登っていた。リーダーはゴールドバーグだ。ファエバ! どうしてこうなった。
「副会長の指示、先程から理にかなったものばかりですよ。
隊長はいい加減、真面目に任務に取り組んでください」
ジジから冷たいツッコミが入る。そうだよな、コイツはそういうヤツだ。
「ゴールドバーグ副会長は登山部の部長っすよ。
登山経験だけを比較すれば、自分らよりもずっとベテランっすわ」
昨日の朝、出張先から帰ってきたハカセが、ジジを援護射撃する。つうかハカセよ、お前なんかめっちゃ印象違うんだが? 以前なら「おお麗しの云々」って言うところだろ?
「言ってほしいですか、麗しのパトリツィア様?」
「いいや結構だ。こっちがお前の素だったってことか?」
「身も蓋もない言い方をすれば、その通りっすね」
あたしがよく知ってたハカセと違って、このハカセはどっちかというと寡黙で、言葉も飾ろうとしない。口調は軽めだが、雰囲気はわりと陰気。ズバリ言ってしまえば、完璧なまでのオタクだ。ファエバ! あの「軽薄でお喋りなハカセ」が、ただのキャラ付けだったとはね……
「しかしゴールドバーグが登山部ねえ。料理が得意なんじゃねえのか?」
「学園近隣には狼憑きが支配するこの山しかありませんから、長期休業期間に部員総出で登山旅行するそうで。無論、普段のトレーニングも欠かしていないっすわ。
趣味の料理については、いろいろあったとか。自分としては、本人が近くにいる場所でしたい話じゃないっすね」
「登山部が登山するってのがまず驚きだよ……」
廃墟テニス部がテニスをせず、オリガミ手芸部がオリガミも手芸もしない(シンディいわく「数学者の伝記を読む会」だそうだ。なんで?)というのに、登山部は登山する。もうちょっと一貫性がほしいところだ。
「警察部は警察権力を行使しますよ? 名称通りではない部活動のほうがレアケースかと」
またしてもジジから冷静なツッコミが入る。
いかんな、この座組。あたしがまるで孤立無援になる。
「カミンスカ委員! 無駄口を叩くと体力を消耗するぞ!」
……へーい。
「ハシシュはないですからね?」
マジでまだ何も言ってねえだろ、ジジ! つうか考えすらしてねえよ!
そんなこんなで楽しい無言の(ときおり「確保」とか「落石」とか「ロープ」とか大声が出るだけだ)山登りは続き、14時頃にはいったん休憩しようということになった。ファエバ! ハシシュが食いてえな……ハッ!?
ハカセと副会長がコーヒーを淹れる準備をしているのを横目で見ながら、あたしは改めてセンサー類のログをチェックする。頂上付近に微弱なイーサー反応がある以外、これといって注視すべきデータはない。天候も安定していて、急に土砂降りってこともなさそうだ。
つまり、あたしは、暇だ。
「隊長、コーヒーっすよ」
ぼーっと座っているあたしに、ハカセがコーヒーを差し出した。ありがたく、いただくことにする。シンディの淹れてくれるコーヒーも旨いんだが、ハカセが淹れるコーヒーはまた味が違って旨い。コーヒーってこんなにいろんな味があるんだな。
皆が黙ってコーヒーを飲んで休憩しているので、あたしは内心でちょいと気になっていたことを、ハカセに聞くことにした。もちろん、口に出して聞くようなバカなことはしない。小さなジェスチャーを組み合わせた、強化決戦兵士専用の身体言語での交信だ。
〈ハカセ、お前はどこに出張してたんだ?〉
〈ブライズ基地っすね〉
アザール! ブライズ基地は、あたしら第345親衛独立空挺聖女連隊第9中隊が駐屯していた、空軍基地だ。
〈まさかと思うが、あたしら的な何者かがそこにいる、とか……?〉
〈いなかったっす。そもそも第345親衛独立空挺聖女連隊が存在しなかったんすよ〉
〈どういうことだ?〉
〈それがわかれば苦労しねえっす〉
〈オーバーロード作戦はどうなった?〉
〈人類軍の最高機密っすからねえ。この学園の生徒会の名前を使っても論外でしたわ〉
〈わからん、ということが、わかった、か〉
〈まさに。自分らは死んだんですかね?〉
〈それがわかれば苦労しねえ〉
「そろそろ休憩時間は終わりだ、カミンスカ委員!
いまのペースを守れれば、18時過ぎには山頂に到達できるだろう」
あんたがいなけりゃあと1時間くらいで駆け上がれるさ……と思ったが、口にするわけにはいかない。あたしは曖昧な感じで頷くと一息でコーヒーを飲み干し、腰を上げた。
そんなこんなで道なき道を歩き続けること4時間、山頂はもう目と鼻の先ってところまでたどり着いた。たどり着いたの、だが。
「いやあ……こりゃスゲえ殺気だわ。殺気だけで人を殺せそうだ」
「ここまでとは思いませんでした。これが、ルー=ガルー……ですか」
徐々に日暮れの時間を迎えつつあるいま、山頂近くには明かりが灯っているのが遠目にも分かった。焚き火だ。外部環境モニタは熱源反応とイーサー反応を伝えてきているが、生き物が必ず発生させるいろんな音が、まるで拾えない。光学的な索敵にも反応はゼロ。ファエバ!
あたしは隣で双眼鏡を構えているハカセに声をかける。
「ハカセ、何か見えるか?」
「見えないっすけど、いるのは間違いないっす。
焚き火のあたりに視線を集中しようとすると、認識が阻害されるっすわ」
「お留守じゃねえなら問題はない。
おし、行こうぜ。ルー=ガルー様とご対面だ」
あたしらは気合を入れ直すと、高密度の殺意が充満した空気を胸いっぱいに吸い込んだ。訓練用の高比重液体プールでもここまでドロっとはしてねえなと思うくらいに、手足の動きにもたつきが出る。
それでもあたしらは必死の思いでクソ重な空気をかき分け、なかば這いつくばるような思いをしながら焚き火へと向かった。
焚き火は、大きなテーブル状の岩の上で燃えていた。テーブル状と言っても、あたしらサイズの生き物なら100人くらいは乗れそうなくらい、デカイ岩だ。冷たい風を遮るものは何もなく、一番星が光り始めた群青色の空はどこまでも高かった。
あたしは一旦、センサー類をすべてオフにした。ルー=ガルーが放つ情報量を正面から受け止めちまうと、あたしは一発で廃人になる可能性がある。いわゆるオバケだのなんだのを見て頭がおかしくなったという逸話の半分くらいは、恐怖が原因ではなく、物理空間にあってはならない情報の過剰摂取が原因なのだ。
あたしはどうかすれば挫けそうになる気力を振り絞って、大声を出した。大声を出すってのは、こういうときにはいつだって有効だ。
「偉大なるルー=ガルーの召喚に応じ、パトリツィア・カミンスカが参上した!
貴君の要件を伺いたい!」
巨岩の上を、一瞬の沈黙が通り過ぎた。
だが次の瞬間――焚き火の向こう側に、緋と灰色の殺意が具現化した。
それはもはや、「殺意」以外に表現する言葉のないものだった。
巨大で、圧倒的で、絶対的な、殺意。
緋色の瞳は世界を焼き尽くす炎を思わせ、毛皮の灰色は戦場の空の色そのものだ。
暴力と殺意の化身は、低く、唸るような声を出した。
「……足労をかけた。すまぬ。どうやら眠っていたようだ。
我はルー=ガルー。この山に住まう狼憑きの、長である」
狼憑きの、長。
狼憑きは、群れを作れるだけの社会性など持ち合わせない。にも関わらず「長」を名乗るということは、コイツは他を圧する暴力で狼憑きどもを従わせているということだ。
「……ふうむ。我の知る限り、我が孫の一人を殺したのは、2人の人間であったはずだ。
他の2人は何用で我が元を訪れたか?」
さてさて。ここはあたしが代表して説明を……と思ったが、なんとゴールドバーグは自力で自己紹介を始めた。マジかよ。ただの人間が、この殺意の渦の中で、意識を保ってるってだけでも異常だぞ?
「僕はヴィンス・ゴールドバーグ。フォージ城塞学園の生徒会副会長を拝命している。
先日行われたシルバーバレット作戦の、責任者の一人だ。
つまり、カミンスカ委員に、旧校舎に出現した狼憑きを殺害せよと命じた側の人間、ということになる」
そこまで言った途端、ゴールドバーグは糸が切れた人形みたいに、ゆらりと倒れた。頭を岩に打ち付ける寸前に、ジジが抱きとめる。ヘルメットはしているとはいえ、危なかった。
「……ふむ。すまぬな。その男は、やや肝が座っただけの、ただの人間か。
つい、興味が動いてしまった。だが、殺しては、おらぬ」
ファエバ! ルー=ガルーは、一瞬だけ、視線をゴールドバーグに向けたのだろう。それだけでもゴールドバーグを卒倒させるには十分だった。
「偉大なるルー=ガルー殿。私はアンドレア・ジェッダと申す者です。
遺憾ながら一つ前の戦いには参戦できませんでしたが、麗しの〈聖女〉パトリツィア隊長が征くところ、常に私も同行いたします」
ハカセはルー=ガルーに一礼すると、よそ行きの言葉で自己紹介を済ませた。ルー=ガルーはボソリと「司祭か」と呟くと、納得したようだった。
「よかろう。我がお前たちを呼んだのは、我の孫の一人を、お前たちが戦って殺したからだ。
我はお前たちに、問う。あやつは、強かったか?」
あたしはジジに視線を送る。ジジはゴールドバーグをそっと横たえると、立ち上がって答えた。
「間違いなく、強者でした。1対1の戦いであれば、私では勝てなかったでしょう。
ですが強すぎるとは感じなかったのもまた、事実です。
私は彼の攻撃を、最後まで捌くことができました」
ルー=ガルーは、大きく息を吐いた。谷間を突風が駆け抜けるときのような音がした。
「ならば問う。あやつは、全力を尽くしたか?」
あたしは少しだけ考えてから、答えた。
「いいや。あたしが、それを許さなかった。
あたしはあいつから、逃げるという選択肢を奪った。
得意な戦場を、選ばせなかった。
待ち伏せも、不意打ちも、させなかった。
あいつが一方的に全力を出せていれば、あたしらは死んでた」
ルー=ガルーは、もう一度、大きく息を吐いた。
それから、長い、長い沈黙があった。
あるいはその沈黙は、呪詛だったのかもしれない。
あるいはその沈黙は、祈りだったのかもしれない。
押しつぶされそうな静寂の果てに、ルー=ガルーのしわがれた声が、響いた。
「ありがとう」
次の瞬間、灰色の殺意は消え去った。焚き火だけが緋色に燃えていた。
あたしたちは交代でゴールドバーグを背負って、夜の山を降りた。誰も、何も言わなかった。




