2.女たちの楽園
ミランダと名乗った修道女は、私が返事をする暇も与えずにさらに言葉を続けていた。
「あなたがヘレナね? 伯爵家の娘で、婚約者は侯爵家の跡取り息子マーティン。ここに来たということは、あなたは婚約破棄されたのね」
「は、はい」
どうにかそれだけを口にした。ミランダの迫力に圧倒されていたからでもあり、また彼女が私の事情を見事に言い当てていたことに驚いたからでもあった。
「どうしてそんなことを知っているのかって言いたそうな顔ね? あなたも今日からここの一員なのだし、教えてあげるわ」
それを合図にしたかのように、他の修道女たちが口々に、歌うように喋りだした。
「ここにいるのは不義を疑われた女性、不義を働いた女性、それに婚約破棄された令嬢」
「ここは追放された女たちの楽園なのよ」
「私たちは互いの持っている情報を包み隠さず話し合うの」
「そうやって私たちは秘密を共有するの」
「ここには最高のゴシップがたっぷり集まってるわ」
「だからあなたも、知っていることを話してちょうだいね」
「代わりに、私たちもあなたに色んなことを教えてあげる」
彼女たちはそう言いながらどんどん私の方に迫ってくる。逃げようにも、後ろから両肩を押さえ込まれていて立ち上がることすらできない。
一体何を話せばいいのか分からなかったが、私はただ黙ってうなずいた。どうやら、腹を決めなければならないようだった。
ミランダは話を聞きだすのがうまく、私は彼女に促されるままに色々なことを語り続けていた。話があの舞踏会のことになった時、周囲の修道女たちから一斉にざわめきが起こった。
「男爵家のミアって……あらあら、大変な子が出てきちゃったわ」
「あの若さで幾人も男をとっかえひっかえしてる子よね」
「他人の物ほど欲しくなるたちだって聞いてたけど、またやらかしたのねえ。だったらそのうち、またよその男になびいていっちゃうんじゃないかしら」
「でも、確かあの子って玉の輿狙いを公言してなかった?」
「そういえばそうだわ。だったら、もう彼女はマーティンを手放すことはないかもね」
「ご愁傷様、ヘレナ」
「気を落とさないでね。あんな子にひっかかるような男と、結婚しなくて正解よ」
修道女たちは私を取り囲んだまま、てんでにそんなことを話し続けていた。あちこちから絶え間なく浴びせられるそんな言葉に、私はただあっけにとられることしかできなかった。
彼女たちに悪気がないのはすぐに分かった。彼女たちは、私が持ち込んだ新たな話題――マーティンと私の婚約破棄――に純粋に興味を持ち、それに関連したことを喋っているだけなのだ。そして、私に心から同情してくれている。
社交界で噂されてさんざん嫌な思いをした後だというのに、彼女たちの言葉は何故か素直にすとんと胸に落ちていった。彼女たちが、私と同じように追放された女だと聞かされたせいなのかもしれない。
私が感謝の意を込めて頭を下げながらそんなことを考えている間にも、彼女たちの話はどんどん先へ進んでいった。
「でも、婚約破棄されて良かったんじゃない? ほら、マーティンの家って……」
「ああそうね、当主がちょっとまずい行いに手を染めてるんだったわね。たぶん、息子のマーティンは知らないでしょうけど」
「ちょっとどころじゃないわよ。このまま放っておけば家が取り潰しになりかねない行いよ」
「あの、それはいったいどういうことですか?」
聞き捨てならない言葉に、私は思わず声を上げていた。修道女たちは楽しそうに笑うと、私の方に顔を近づけてくる。どうやら彼女たちは、その秘密について話したくてたまらなかったらしい。
「いいわ、教えてあげる。あのね、あそこの家は……」
そうして彼女たちの口から語られた内容は驚くべきものだった。私はただ青ざめながら、口をぱくぱくさせることしかできなかった。もしこれが事実なら、確かに彼の家は危ないだろう。そんなところに嫁がずに済んでよかったと、そう思っている自分がいた。
ついこの間までマーティンの妻となり彼を支えていこうと思っていた筈なのに、我ながら薄情なものだと思う。
「でも、それならいずれミアもマーティンのもとから逃げ出すんじゃないかしら。あの子、そういうことをかぎつけるのはうまいから」
「そうねえ。もしかすると、またマーティンが泣きついてくるかもよ? ミアに捨てられたんだ、僕には君しかいないんだって。もしそうなったらどうするの、ヘレナ?」
「……想像もつきませんけど……こちらからお断りです」
私が眉間にしわを寄せたまま素直な気持ちを口にすると、周囲の修道女からいっせいに大きな笑いが湧きおこった。
「偉いわ、ヘレナ! その意気よ」
「そうそう。駄目な男は早めに見限っておかないとね」
そうして彼女たちのお喋りはさらに勢いを増していった。そのいつ終わるとも知れない楽しげな言葉の流れに飲み込まれながら、私はじっと耳を澄まし続けていた。
話が終わりあてがわれた自室に入った時、私はすっかりくたびれ果てていた。やたらと元気な修道女たちの熱気にあてられていたのもあったが、それ以上に情報の量が多すぎたのだ。淑女たちのサロンで交わされるお喋りの、優に十倍以上あっただろう。
旅の疲れもあって、私は寝台に潜り込むと夢も見ずに朝まで眠り続けた。久しぶりに、心安らかにぐっすりと眠れたように思えた。
修道院での生活は、思っていたよりもはるかに自由だった。修道服を着用すること。朝の礼拝には参加すること。男子禁制。決まりはその三つだけだった。
掃除や食事の支度といった基本的な家事をこなす以外は、全て自由時間だ。私は家事の心得はないので最初のうちはもたついたが、みんなが一から丁寧に教えてくれたので、すぐに慣れることができた。
そうして自由時間になると必ず誰かしらがお喋りのお誘いに来るので、一人きりで寂しい思いをすることもなかった。むしろ、今までの人生で一番賑やかな時間を過ごしていた。
ここでは行儀について口うるさく注意する者もいないし、周りの修道女たちは皆自由を満喫していた。家にいた頃よりもずっと開放的なこの環境に、私も少しずつなじんできていた。
「ヘレナ、あなたはもう少し男心について学んだ方がいいわね」
ミランダが不意にそう言ったのは、そんなある日のことだった。