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ルディ、師匠と屯所破り



気持ちの良い朝にルディはひとつ大きく伸びをすると、まだ布に移った体温を感じる低めのベッドを整える。

この部屋とは、しばらくの間お別れだ。


「マリーです。入っても?」


自分一人である程度の身の回りのことができるようになってから、マリーと顔を合わす機会は減った。今日は旅立ちということで、会いに来てくれたのだろう。


「いいよ」


中に入って来たマリーは、手に何かを持っている。


「これ、よろしければ持って行ってください」


渡されたのは、ノートとペンだった。

どちらもしっかりした作りで、値が張っただろう。


「いいの?」


「はい。学んだことをここに書いて、帰ってきたら是非お話しを聞かせてください」


にこり、と微笑むマリーは屋敷で数少ない癒しだ。


「ありがとう。たくさん書くよ。しばらく留守にするけど、マリーも身体には気をつけてね」


「はい。ルディも大きな怪我はしないように気をつけてくださいね。あ、あとシャロン様のお酒癖はちゃんと止めてあげてください」


マリーに言われて、師匠の酒癖の悪さを思い出してしまった。加えて負けん気が強いので、勝負に負けでもしたら面倒になるのは目に見えている。

弟子としてその共をしなくてはならないので、見て見ぬ振りはできないだろう。


「……それも修行だと思って頑張ります」


酒を飲んでガハガハ笑うシャロンを思い浮かべながら、ルディは言った。

マリーもそれに笑みを浮かべ、話を変える。


「いろんなものを見てきてください。屋敷には大人ばかりでしたから、外では歳の近い子とも会うでしょう。是非仲良くしてみてくださいね」


マリーの口調はいつも通りであったが、真剣な目をしていた。きっと気にしていたことだったのだろう。

ルディは前世の記憶を持っているため、精神的には大人なわけだが、「年相応」という言葉があるように、外見に合わせて心は若返ったように感じている。

ただ若返ったとは言ったが、マリーの言う通り大人に囲まれていたので、結局のところ普通の子供よりかは大人びていただろう。


「……わかった。機会があったら話してみるよ」


もう準備しないと、とルディはバッグにノートとペンを詰める。

服を着替えて持ち物の確認を済ませると、朝食を摂りに広間に向かう。

部屋に入ると、いつもと変わらず皆席につきながら配膳を手伝っていた。今朝は魚のフライが美味しそうな香りを漂わせて、机の上の皿に乗せられている。


「おはようございます。朝に揚げ物とは珍しいですね」


ルディは着席しながらサニアに言った。


「あいつは朝、揚げ物を食べると夜に酒を飲みたがらない。覚えておくといいぞ」


あいつ、とは名前を言わなくても誰のことだか察しがつく。シャロンのことだ。


「外で羽目を外すと、遠慮なく暴れるからな。この旅で一番心配なのは、屯所で勝負をすることより、酔ったシャロンが暴れ出すことだ」


「え……。師匠はそこまで酒癖は悪くないと」


ルディは怪訝な顔に変わる。


「外じゃ、柄の悪い男もいる。そうなったら放っておくんだぞ。巻き込まれたら面倒になる。師匠だろうが何だろうがその場から離れろ。自分の身を守ることは大事なことだ」


がしりとルディの肩を掴み、サニアは彼女に強く言い聞かせた。


「何してんだ?」


じっとサニアがルディを見つめていたところ、話題の中心の人物がやってくる。


「……自分の身を守ることの大切さについて再確認していたところだ」


サニアがいつもより少し低い声でシャロンにそう伝えると、彼女はふ〜んと鼻を鳴らし、たいして興味を示さずに席に座った。

合掌して挨拶し、サニアが箸に手をつけたのを合図に食事が始まる。

皆、朝食は昼と夜に比べたら静かなことが多いのだが、今日は比較的言葉を交わしていた。







「ルディ、呉々も気をつけるんだぞ。世の中には正しい奴らばかりじゃない」


屋敷の門の前で、サニアはルディに言う。

ルディは彼の目を見つめ、ハイとはっきり返事をした。


「持っていろ」


渡されたのは短剣だった。

少し驚いた顔顔で、ルディはそれを受け取る。


「使い方はわかるな」


ルディは頷く。

神妙な面持ちで、衣の中に隠すようにそれを身につける。

片手には、つい最近サニアからもらった槍。屯所までの道のりで、何があるかはわからない。彼女は背筋を伸ばし、気を引き締めた。


準備は整った。今回は演習も兼ねてルディもひとりで馬に乗る。


「行ってきます」


馬の腹を蹴り、ルディはシャロンの後に続いた。


早馬で8時間あれば最初の目的地—ハヲレに着く。旅の初めから、なかなかの速さで野を駆ける。

シャロンはあまり馬に乗るのが好きではないと口では言うが、ルディはついていくのでやっとだった。


こんなに長い時間、馬に乗ったことがなかったので、着いた頃には身体はヘトヘトになっていた。


「おーし。乗り込むぞー」


シャロンはそんなルディを全く気にかけないで、どんどん道を進んでいく。


「し、師匠……」


「ん?」


馬を降りたルディは、足がフラフラしており、とてもじゃないが戦えない。

最初から情けない姿を晒してしまい、彼女は落ち込んだ。


「悪い悪い。そういや、まだ慣れてなかったな。今日は見てるだけでいい。見るのだって修行のひとつだ」


「ハイ」


歩くペースを落とし、ルディに合わせるシャロン。


「ルディ。これからお前、自分のことは “オレ” にしろ。男のフリしといたほうが何かと便利だ。あたしも昔は男のフリして遊んでたしな」


ルディは頷いた。最近は、シャロンが武貴族のお嬢様として振舞っていたことのほうが気になる。スタイルが良いので、ドレスも着こなせるはずだが、それがうまく想像できない。

隣で歩く凛としたシャロンに、ルディはちらりと視線を移し、これから起こることに少しだけ心を躍らせた。



「頼もー!!」


シャロンは、返事も聞かずにズカズカ屯所の中へと突き進む。

彼女が誰なのか、そして「頼もう」の一言でこれから何が起こるのか理解した数人の隊士が、顔を青くした。


「全所に通達を出せ! 4860Nだ!」


(4860Nって……)


“シャロン” を当てた番号だろう。彼らは真剣そのものなのだろうが、ニヤニヤしている師匠の隣では、小学生の防災訓練に参加している気分だ。


「さーて。やるかー」


荷物をルディに渡すと、シャロンは肩慣らしに槍を振るう。


「まずはお前からな」


標準を定められた男は、次の瞬間には鳩尾に一撃を食らってその場にうずくまった。








「次!!」


夕食前の時間、ハヲレの屯所では女性の声が響く。


「腕立て100! 次!!」


「くそっ」


シャロンに負かされた男たちが、悔しそうな顔で言われたノルマをこなしていた。

深緑の瞳は、その奥に歓喜が見える。根っからの戦闘狂なのだろう。

無駄のない鮮やかな槍術に、男たちは顔を引きつらせている。

手合わせを始めて、かれこれ二時間が経ちそうなのだが、彼女はひとりで男たちを打倒していた。

ルディもまた二時間全く動かず、姿勢を正して、その雄姿を側で食い入るように見つめている。


「フウ。終わりか。まあまあだな」


中にはシャロンから一本取る者もいたが、ほとんどが彼女の餌食になっていた。

流石師匠、と心の中で喝采を送っていると、深緑の目がこちらを向いた。


「ん、じゃあ、あたしが負けた人数の10倍で、腕立てスクワット、腹筋な。ルディ」


それまでペナルティをこなしていた男たちが、一斉にルディを見つめるのがわかる。


「ハイ」


まさかここで自分に回ってくるとは思っていなかったが、ルディは嫌な顔ひとつせず、男たちに混ざって腕立てを始めた。

シャロンはというと、隊長に接待されて、どこかに行ってしまった。


ひとりで淡々と筋トレをしていると、声をかけられる。


「メチエル殿の弟子だっけか? お前も大変そうだな」


彼は素振りがペナルティらしく、剣を縦や横に振るっている。


「これも修行ですから」


ルディも腕立てをしたまま答える。


「おー。偉いな。今、いくつだ?」


「13です」


「13?! 若いな!」


彼が驚いた声は比較的大きかったらしく、他の隊士たちがこちらを気にしていた。


「そんなに若くて、メチエル殿との修行は辛いんじゃないか?」


「……それなりには。辛くないと強くはならないと師匠はおっしゃいます」


もういいか、と視線に言葉を込めて、使っている筋肉に意識を集中する。

真面目だなぁー、と彼は言うと、同じく黙って素振りを続けた。

そう言う彼こそ、ペナルティの素振りを言われた回数以上にこなしており、負けず嫌いなのだとルディは独断する。

歳はそこまで近くないが、彼も警備隊の中では若い方だろう。

何となく親近感が湧いたルディは彼に負けじと、回数を増やした。


「おーい。お前ら、いつまでやってる?」


ヒートアップしたルディと少年に、目を丸くしたシャロンが声をかける。

収拾のつかなくなった無言の競争に終止符が打たれた。


「……お前、なかなかやるな。オレはバーメル」


腕が上がらなくなったバーメルだが、歳上の意地で、腹筋をするのに地面に腰をついていたルディに手を差し伸べた。

ルディは快くそれを握ると、立ち上がる。


「俺はルディ。よろしく、バーメル」


絆が生まれた瞬間かと思われたが、明日の朝には出立だとシャロンに言われ、ルディは残念に思った。


「じゃあ、明日の朝なー」


立ち去るシャロンに、ルディはハッとする。つまり、自分のことは自分でどうにかしろということだ。


「案内してやるよ。ついてこい」


察したバーメルがルディに声をかける。

ルディはありがたかったが、頭の片隅にはある問題がチラつく。


(……女って、バレないようにしないとダメだよな)


出された夕食に、一日目にして屋敷のご飯が恋しく感じたが、今までが贅沢すぎたのだと自分に言い聞かせ、ルディはしっかり完食する。

風呂で汗を流したかったが、リスクが高すぎる。真夜中にこっそり身体を拭うことにし、それ以外は特に苦なく乗り越えた。


(まぁ、男の部屋ってこんなもんだよなー)


警備隊の下っ端は大部屋で寝泊まりしている。ルディもそこにお邪魔することになったのだが、むさ苦しい空間に思わず目を細めた。

ここで片付けてあげるのが女子としては満点なのだろうが、残念なことに、身体の疲労と置かれた状況からではそんなやる気は起きなかった。


端の方で横たわると、明日の移動に備えて早々に目を瞑った。







「起きろー」


男の声がかかり、ルディはゆっくり目を開ける。夜中に一度起きているので、二度目の目覚めだった。

まだ外が薄暗い中、隊員たちは活動を開始する。

敷布団をたたみ、肌着で寝ていた男たちは服に袖を通す。それがどこか疲れを感じさせるのは、昨日シャロンに与えられたペナルティのせいだとは誰も口にしなかった。中には集中的にしばかれた者もいて、彼らは文句も言ってもおかしくないとルディは様子を伺っていたのだが、女に負けたという現実が突き刺さっているらしく、自分の弱さをゆっくり咀嚼しているようだった。


「お前、もう次に行くんだろ?」


バーメルに話しかけられて、ルディはそちらに顔を向ける。


「そうだよ。本当に屯所破りをするだけみたいだ」


一日くらい残って指導を施すのかと思っていたが、そうではないらしい。ペナルティは与えるものの、後は自主性を問うようだ。

手合わせの最中、シャロンはあの深緑の目で相手を射抜く。見るからにその構えは修羅場をいくつも超えてきたような、圧と余裕を感じさせる。しかし、彼女が放つオーラはそれだけではない。戦うこと自体を、楽しみ、喜んでいるのだ。ルディはそこでふと、いつか前世で耳にした、スポーツマンがスポーツを辞めて鬱になるという話を思い出した。

きっとそれ無しに彼女の人生を語ることができないほど、戦闘とはシャロンの一部である。そんな人物に付いている自分も、これからどうなってしまうのだろうと不安がよぎったが、考えても仕方がないことだとそれ以上は思考しなかった。


「また来いよ。次会うときは、お前とやりたい」


バーメルは笑っていたが、その眼差しは真剣である。ルディは肯定の返事をすると、彼の袖から覗く腕に目を向けた。男らしく逞しいそれは、決してルディに手に入れることができないものだ。次会うときには、その差は歴然だろう。ひとつ、未来の彼と同等に戦えるとしたら、シャロンほど強い女になることだ。


「じゃあ」


出発の時間だ。ルディは軽く会釈すると、師匠のもとへと急ぐ。シャロンは準備を終えて、部屋で茶を飲んでいた。


「お、来たか。今日からはお前も屯所破りに参加だぞ。準備はいいか?」


楽しそうに話すシャロンに、ルディは「万全です」と笑い返したが、昨日の乗馬とペナルティで身体中は筋肉痛だ。シャロンはきっとそれがわかっていてルディに訊いている。ルディは痛みを態度に出さず、平然とした様子でシャロンのあとに続いた。








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