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ルディ、師と修行へ



庭の木で鳥がさえずり、風は撫でるように葉を揺らす。


「もっと腰を落とせっ」


「ハイッ」


カン、カン、と槍を模した木の棒が打ち合う音が不規則に響き渡った。ルディは汗を浮かべながら、師の指導に必死に応える。


「おらっ。どうした! 避けてばかりじゃ倒せないぞ!」


女性にしては背の高いシャロンから降り注ぐように繰り出される槍術に、ルディはなかなか攻められずにいた。模擬槍を使っていても、シャロンの技は速さも強さも変わらない。当たれば真っ青な痣になる。それどころか、あたりどころが悪ければ気を失う。実際に何度も膝を着いた。

海に飛び込んで顔を叩かれたのは、可愛いものだった。

ちなみに、修行の一環なので、怪我は当たり前だと自分からサニアに言って聞かせたので、彼女の怪我でシャロンとサニアが口論することはなくなっている。

怪我を怖がっていてはいつまで経っても相手を倒すことはできない。

途切れかける集中力に、声を発して自分に喝を入れ、彼女は食らいついていった。


「おふたりとも、昼食の時間になりますよー」


縁側から声がかかり、シャロンが終わりの合図をする。


(また今日も一本も取れなかった)


模擬戦の稽古が始まって数ヶ月。自分もそれなりに槍を扱えるようになったと思っていたが、それは単なる思い込みに過ぎなかった。前世の記憶があるといっても、特別才能がある訳ではない。経験の差は縮まる様子を見せなかった。

焦るな、とルディは自分に言う。今の自分はそれなりに経験を積んではいる。あとは時を待つしかない。それは仕方ないと諦めるのとは別の話だ。

自分なりに出した正論だと思う解決策だったが、それはその日のうちに打ち砕かれることになる。


昼食を食べている最中だった。長くて低い食卓の前世で言うお誕生日席に座ったサニアと、その斜め隣に座るシャロン。


「あ? なんだ、あいつらまた調子に乗り始めたのか?」


シャロンの投げかけにサニアは頷く。


「警備隊も、平和すぎると気が緩む」


困ったものだと溜息をついた。

どうやら、治安の良い南領では警備隊が怠けてしまうらしい。職務を放棄している訳ではないが、緊張感を捨ててはいけない。


「“あれ” をやったのも7年前になるからな」


サニアはちらりとシャロンを見た。


「あー、あれか。もう7年も経ったのか。早いな」


あたしも歳を重ねてる訳だ、とシャロンは眉間にしわを寄せる。


「あれですか……」


オブゼや、他の大人たちが懐かしそうにしているが、ルディにはなんの話だかわからない。


「あの、“あれ” って?」


思ったまま、疑問を口に出すと部屋が静まった。


(え、何? 訊いてはいけないことだった?)


助けを求めて大人たちを見るが、彼らは顔を合わせてくれない。


「丁度いい。ルディを連れてシめて回ろう」


ひとりだけいつも通りなシャロンからの提案を聞き、顔を青くした男たち。中には食事を喉に詰まらせ咽せる者も。


「ま、待て、シャロン。何もルディを連れて行かなくてもいいだろう?」


サニアは慌てて彼女を止める。


「別にいいだろう? ルディに全員相手させるとは言っていない。早く強くなれるし、南領のことを知るのにいい機会だ」


シャロンの答えに反論しようとしても言葉が見つからず、黙り込んで顎に手を添えるサニア。


「師匠。シめて回るって、つまり?」


「そのまんまさ。各屯所を回って勝負をする。女のあたしに勝てない奴は、ペナルティとして色々やってもらう。抜き打ち試験みたいなもんさ」


何事もないようにパクリとご飯を食べて咀嚼するシャロン。


「……屯所って確か、拠点所だけでも50以上あったような」


「たった50だ。あたしひとりでやって5ヶ月。お前を加えれば3ヶ月で終わるだろ」


そうと決まれば出発の準備だな、とシャロンはニヤリと口角を上げた。

事情をわかっている男たちは、皆なにかを悟った面持ちで静かに食事に戻るのだった。



***



「準備出来たか、愛弟子よ」


昼に決定した遠征の件はすでに準備が始まっていた。ルディの為だと言いくるめられたサニアの他に彼女を止められる者はいなかった。

明日の昼には出立すると宣言したため、ルディは慌てて支度をしていたところだった。

いつになく機嫌の良い師匠に、ルディは嫌な予感がしていた。普段の彼女なら “愛弟子” など絶対に口にしない。

まるで子供のいたずらに仲間を引き入れているような口ぶりで、シャロンは始終ニコニコしている。

出かける時は翌日の朝に準備をしていたはずなのに、今回は遠足を楽しみにしている子供のように前日に準備を整えているし、それをわざわざルディに伝えに来たかと思えば、部屋に居座って南領の地図を楽しそうに眺めている。


「まずは何処から可愛がってやろーか」


不穏な言葉が聞こえて、ルディは恐る恐るシャロンを振り返る。

彼女の目はまさしく獲物を見つけた捕食者のそれだ。


(か、狩だ……)


自分がこれから彼女と行動をともにすることに不安を覚える。

前世で言うところの「道場破り」に近いことをしに行くのだ。言葉を知っていても、実際に自分が乗り込む身になるとは思ってもみなかったし、今でも夢心地で、自分はただ師のお供をするだけだと願っている。


「まずは〈ハヲレ〉だな」


最初の獲物を決めたらしい。

シャロンは地図に1と数字を書き入れる。

ハヲレ地方は南領の北東に位置する。赤の神木が生えるインペリオ山の丁度上あたりだ。

今いる屋敷は中心から少し外れた南西寄りだ。何もハヲレから行かなくてもいいだろうとルディは思った。


「〈ナトゥール〉からではないんですね」


戦いたくてウズウズしているのに、ここから一番遠い場所にする必要はあるのかと、遠回しに訊く。

シャロンはちらりとルディを一瞥すると、深緑の目を細めた。


「ちゃんと連絡網が機能しているか確かめたい。五つの海町の連携は問題ないと思うが、ハヲレはまた別だ。〈境界人〉たちについての問題がある。これはカイジン以上にナイーブな話だ。連絡にミスがあっては困る」


淡々と述べられる答えに、ルディは緩みかかっていた頬に力を入れる。

馬鹿なことを訊いた、と彼女は反省した。

師匠は決して戦闘馬鹿ではない。なんの考えもなしに気分で物事を決めるような事はしない。

かつて「南の戦姫」として、大量のカイジン相手に先陣を切って戦い抜き、生き抜いた人だ。

身近にいると忘れがちだが、シャロンとはそういう人物である。


「……〈南東の境界人〉ですね。南領とはここ数年、友好関係だと聞きましたが」


ルディは話を切り替えた。遊ぶために旅に出るのではないのだ。学んだことがいつ役に立つかわからない。


「まあな。だが、彼らを一括りに考えてはいけない。〈南東の境界人〉の中にも、異なる民族がいる。有力民族とは交易が盛んだからある程度の様子がわかるが、最悪なのは犯罪集団が息を潜めていることだ」


これが厄介なんだ、とシャロンは続ける。


「境界人は原則領籍を持たないから、領の警備隊はよっぽどの理由がなければ手を出すことができない。領境は全く違う社会だと思った方が賢明だ」


境界人とはその名の通り、東西南北の領地の境界に住む者たちをいう。中央領との境には存在しないが、北東・南東・南西・北西のそれぞれに領籍を持たない民族たちがいる。

その歴史を振り返ると、始まりは、境など持たなかったフェルネ大陸に目に見えぬ境界線を引いたことだった。

分断された先住民たちは抵抗を露わにし、領境では争いが絶えなかった。

争いを減らす為に境をつくったというのに、新たな火種を撒いたとは何という皮肉だろうか。

今は時が経ち、彼らの生活地帯の確保が認められたのだが、独自の文化を持つ民族たちに、各領地からの詮索は無用という暗黙の了解が生まれた。

一部の境界人たちは、やっと居場所を確保できたと領政府の対応に満足したが、他方ではかつての生活地域は我々のものだとして、境界地域を広げようとする活動もある。


「そして、境界人たちは排他的な印象を持たれがちだが、そうじゃない。彼らはどちら付かずの人間に対して至って寛容だ。それは黒か白かの二択に迫られることの辛さを知っているためだと言われる。彼らは自分たちの存在と居場所を認めてくれる者に、決して敵意を向けたりしない。だが、そこで困るのは、各領地で犯罪を犯した者が紛れ込むことだ」


なるほど、とルディは話を理解した。


「そうなると、領政府側は手出しができないと」


「その通り。だから、境界人たちとは常に友好な関係でいたい。今のところ南領は〈南東の境界人〉と〈南西の境界人〉の有力民族とは良い関係でいるから、向こうのお偉いさんに犯罪者のリストを渡したりして対策を取れている。少なくとも民族内に紛れ込むことは難しいだろう」


「では、気をつけるべきなのは、領境に身を隠し、境界人を装う者たち、ということですね」


シャロンが首肯する。

「まあ、それも境界人たちに任せることになってるんだけどな」と呟くと、彼女は喉が渇いたと騒ぎ出す。


「ルディー、喉が渇いた。酒持ってこーい」


「またお酒ですか? 飲みすぎると肝臓を悪くするんですよ。水飲んでください、水。そこに水差しありますから」


地図を広げる机の脇にある水差しを指すのだが、シャロンがじっとルディを見つめる。

自分に注げと言われているものだと思い、ルディは仕方なく準備をする作業の手を止めて腰をあげた。


「どうぞ」


コップを手渡すが、黙ったままのシャロンに首をかしげる。


「どうかしました?」


「……いや。前から思ってたが、お前は医学に詳しいな」


ルディは肩をわずかにあげる。

前世では教養レベルの知識でしかなかないので、褒められるようなことではない。


「……壊すことを学ぶなら、直すことも学ばないと、と思ったまでですよ」


そこで、前世の幼い時の夢は医者だったことを思い出した。小さな頭では、医者という職業がどんなものかをちゃんと理解していた訳ではなく、痛いところを治してくれるすごい人だと思っていた。

結局大人になって選んだのは、警察官という、人を制するための武器を所持する職業だったが、なったことに後悔はしていないし、それなりの誇りを持って仕事をしていた。

シャロンの弟子になったのは成り行きだったが、訓練をして前世と近いことをしていることに、自分は自分なのだなと考えたりする。

しかし、生きている世界が違う。

電子機器で連絡して数十分後にスペシャリストたちが来てくれる世界とはもう別れを告げた。

自分でできる限りのことを学ばなくては、いざという時に指を咥えて立っていることしかできない。


(……リアムは姫を守ったり王子を庇ったりで怪我の多い登場人物だし……)


会えるかもわからない、憧れの人物をちらりと脳裏に浮かべ、ルディは溜息をつく。


「もっとちゃんと医学を学べたらいいんだけどな」


ポロリとこぼれた本音は、シャロンの耳にもしっかり届いていた。


(医学、ねぇ……)


口には出さないものの、文武両道の弟子に感心することは何度もあった。子供の努力に対する微笑ましさとは明らかに違う雰囲気を纏わせるルディ。何が彼女をそんなに奮起させるのか、シャロンにはわからなかったが、彼女の将来を考えると止めることもできない。


(もしかすると、この子はサニア以上の領主になるのかもな)


先のことはどうなるかわかったものではないが、シャロンにはそんな予感があった。

旅の準備を進めるルディは、男物の服を着ているがまだ12歳の少女だ。


(強くなって医学も学んで、立派な大人になるのが楽しみだ。あたしはその師匠としてまた名を広められるし……これは美味い酒が飲めそうだ)


「よし!」


やる気が湧いてきたシャロンは勢い良く立ち上がる。


「ルディ。この3ヶ月、実りのあるものにするぞ。結果によっちゃ、あたしからサニアに東領で医学を学べないか訊いてやる」


「本当ですか!?」


「ああ。お前の成長次第だが」


ルディは目を輝かせた。

東領はフェルネ大陸で一番医学が進んでいる。そこで勉強できるとなれば、格段に知識が増えるだろう。

真剣な表情に打って変わり、彼女は師に言明する。


「師匠。私、頑張ります」


「おう。そうしてくれ」


こうして、それぞれの思惑を胸に、屯所破りの旅が始まる。





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