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ルディ、屋敷に帰る



「ルディ。準備はいいか?」


「はい」


準備を整えたルディはシャロンに返事をする。忘れ物がないかを確認し部屋を出て宿を後にすると、馬を引き取りに町の出口まで向かう。


「いい子にしてたか、フォル」


シャロンが馬を撫でると、嬉しそうに頭を寄せてくる。フォルは彼女が実家から連れてきた馬だが、大人しくていい馬だ。シャロンの言うことを素直に聞くし、持久力もある。

ルディは鞍に足をかけて先にフォルに跨った。その後ろにシャロンが続く。ルディも馬術を心得ているが、12歳の身体にはパワフルなフォルをひとりで乗りこなすのは骨が折れる。前に一度乗らせてもらった時は、その速さと力強さに恐怖を覚えたくらいだ。


「行くぞ」


一つ声をかけ、シャロンがフォルの腹を軽く蹴る。いつもより高い位置でゆっくり風景が動き出した。


「あ」


行きでは海に気を取られて気がつかなかったが、山道の端で赤い花が揺れているのが目に入る。


「師匠、あの花は?」


すかさずシャロンを振り返って、花を指差す。


『ああ。見たぞ。小さいからすぐ見失ったが、確か海壁の方へ行ったぞ。赤い花を握りしめて』


ルディは先程の店員の言葉を思い出していた。


「ああ、“太陽の花” か。それも魔除けとして育てられたりする花だ。もっとも、花自体には何の効果もないんだがな」


そう教えられルディは思う。きっとユシャは、父親にあの花を届けたかったのだろう。そして、海にひとりで向かったところ、何らかの原因で落ちてしまった。

本当のことは彼にしかわからないだろうが、ルディには彼が握っていたという花は、太陽に似たあの花だとしか思えなかった。


「どうかしたか?」


「いえ。何だか元気がもらえる花だなと思っただけです」


「そうか」


注意して見れば、赤い花は点々と山の中で咲いている。小さな花だが、可愛らしくて愛着のわく赤に、ルディは飽きずにそれを目で追った。

暖かな日差しと爽やかな風に包まれ、全身運動をした後の彼女は、そのうちウトウトし始める。フォルの揺れも、揺り籠のように感じた時にはすっかり瞳を閉じていた。



「ルディ。起きろ、ルディ。……まったく、器用な奴だな?」


揺すっても起きないのでシャロンはルディの額を人差し指で弾く。


「イタッ」


驚いたルディは額を手で摩る。


「着いたぞ。馬から降りろ」


「へ?」

間抜けな声を出してしまったが、周りをよく見てみるとそこは見覚えのある建物だ。瞬きを何度か繰り返す。


「屋敷だ。フォルも休ませてやるから、早くしな」


「は、はい」


まさか自分が馬の上で数時間も寝ることができるとは思わなかったので、驚き呆れながらフォルから降りる。


「随分気持ちよさそうに寝ていたぞ」


「……言わないでください。まさか自分がそこまで図太い神経をしていたとは思いもしませんでした」


情けないところを師匠に見られてしまったと、ルディはぶすっと顔をしかめた。


「ルディーー!! 帰ってきたか!!」


そこに現れたのは、この屋敷の主——サニアだ。満面の笑みでルディを呼んだかと思えば、彼女の顔を見て一瞬で表情を変える。


「どうしたその頬。赤くなってるぞ」


彼はルディの肩を掴み、真剣な眼差しを向けた。


「オレのルディの顔に傷なんて、一体どこのどいつにやられた。言ってみろ」


「ああー、えっと、これは、その……」


何と説明したものか、と葛藤していると「あたしがやった」と声が聞こえる。


「あ?」


その一音で、一気にその場の空気が冷たくなった。


「サニア様ー。仕事ほっぽり出して一体なに、を……」


後から駆けつけた秘書のオブゼが扉の前で固まる。


(なんだよ、この空気!)


自分はサニアを呼び戻しに来ただけのつもりが、とんだ修羅場に来てしまったようだ。


「ち、違います。違うんです、サニィさん」


慌てて仲介に入るルディだが、サニアの目は怒ったまま。


「あたしが打った。それ以上でもそれ以下でもない」


(なんで、誤解を招くような言い方を!)


ルディは思わずシャロンを睨みそうになったが、今はこの場を納めなくてはならない。


「ほぉー。詳しく聞かせてもらおうか? 話によってはシャロン、わかってるな?」


さらに気温が下がった気がするのは、間違いなくサニアのせいだ。どうやら “ギャング” と呼ばれていたのは、大袈裟な比喩ではなかったらしい。


「詳しくも何も、あたしが叩いたと言っている」


「もう、なんでそんな風な言い方をするんですか!!」


まるで怒られるのを待っているかのようなシャロンの言動に、ルディは声を荒げた。


「ル、ルディ?」


滅多に感情を高ぶらせて声を荒げることをしないルディに、サニアとシャロン、そして居合わせたオブゼが目を丸くする。


「確かに叩いたのは師匠ですが、それは私が師匠を怒らせるほどの事をしてしまったからです。師が弟子を叱るのは当たり前のことでしょう? 師匠は悪くないんです」


被害者であろう彼女が、一生懸命弁明するのでサニアは黙り込んだ。


「いや、あたしが悪い。お前は自分なりに考えて正しい行いをした。それなのに、手を挙げたあたしは最悪だ」


まだ言うか、とルディはシャロンをじろりと睨む。


「師匠。しっかりしてください。何をそんな落ち込んでいるのですか。傷のひとつやふたつ、すぐに治ります」


そこで黙って話を聞いていたオブゼが、待ちきれずに口を開く。


「シャロンさんを怒らせるなんて、ルディは何をしたんだい?」


ルディはシャロンと目を合わせてから、ちらりと視線を逸らして、小さな声で答える。


「——海に飛び込みました」


「へ? なんて?」


聞こえない、とオブゼが耳に手を当てた。

ルディはもう一度、次はヤケになって大きな声で言い切る。


「海に、飛び込みました!」


言い終わった瞬間、サニアがルディの肩を掴んだ。


「なんて事してんだ、馬鹿娘っ」


えぇ〜とオブゼが叫ぶ声が、サニアの腕の中で遠くに聞こえる。


「サ、サニィさん?」


怒られているのに、何故か抱きしめられて、ルディはよくわからない。


「一体どうしてそんなことを?」


離して貰えたと思えば、サニアはルディの前にしゃがんで、両手を握る。まるで幼い子どもに何かを言い聞かせるように。


「沖に男の子が流されていて。船はすぐに準備できないようだったから、泳いで助けに行った方が早いと思いました」


「泳いで?」


「はい」


そこで見兼ねたシャロンが補足を入れる。


「見たこともない泳ぎたったよ。腕を回して海を裂くように泳いで行って、少年を連れて帰ってきた。あたしは、死んでる子供を海を泳いでまで助けに行くなんて、馬鹿げたことをしたこの子を打った。……でも」


「でも?」


サニアはシャロンに続けるように促した。


「ルディは、あたしに平手打ちされた後、もう心臓が止まってる子供の元で、これまた見たこともない治療をし始めた。胸のあたりを手で押す治療だ。そしたら、何が起こったと思う?」


ごくり、とオブゼが息を飲む音が聞こえる。


「いきなり子供が水を吐いた。息を吹き返したんだよ」


「そんな馬鹿な。その子供の心臓は止まっていたんだろう?」


信じられない、とサニアの表情は語っている。


「事実だ。息を吹き返した子供を泣いて抱きしめる母親を見て、あたしはそこで自分が間違っていたかもしれないということに気がついた。後で話を聞いてみれば、ルディはちゃんと考えて行動をしていた。知恵と度胸のある、お前の娘だったよ」


シャロンはそう言うと、ルディの前で貴族の礼を取る。


「すまなかった、ルディ」


かしこまった謝罪を述べる師匠に、ルディは戸惑うが、彼女が頑固なことはわかっていた。


「頭をあげてください師匠。謝罪は受け取りました。もうこの件は終わりです」


優しい声色にシャロンは頭をあげる。

もう充分だ、と穏やかな笑顔で頷いたルディに、口角が緩まった。


「いや、ルディ。終わられては困る」


(サニィさん)


サニアを放置していたのを忘れていた。ルディは慌てて彼の説得に戻ろうとして、視線を移す。


「泳ぎはともかく、その治療法について話を聞かせてくれ。……シャロン、お前もだ」


そこには冷気を纏わせるサニアの姿はもうなかった。

見守っていたオブゼも、眉をピクリと上に上げてルディに事態の収集が完了したことを伝えた。


夕食の時間が近くなっていたので、話は旅の汚れを落として落ち着いてからとなる。

サニアとシャロンが揉めたと噂を聞きつけた屋敷の者たちは、何があったのか気になるようで、どこかそわそわしていた。


「ルディ、お帰りなさい」


「ただいま、マリー」


湯浴みを終えて自分の部屋で一息つくと、マリーが洗濯物を取りに顔を出す。


「何かあったみたいですね」


何もかもお見通しのような視線に、ルディは苦笑いをこぼした。師匠とはまた違った強さを秘めた彼女には、頭が上がらない。


「うん。初めて経験したことがたくさんあったよ。凄く勉強になった」


「はい」


マリーは親身になって話を聞いてくれる。しっかり目を見て、全ての神経を自分に向けて入れているような感覚になるのだ。だから、ルディは彼女に隠し事などできないし、しようと思ったことすらない。前世の記憶について以外のことにはなるが。


「初めてカイジンを見た。……正直、怖かったよ」


師匠には言えなかった、初めてカイジンを見たことの感想。「この世界にはそういう怪物がいて、それは当たり前のことだから、師匠が言うように動物の狩りと同じなのだ」と思っても、恐怖を感じないことはできなかった。まず恐怖以前に、あの生物の形態が異様すぎる。あれに慣れるには、相当時間がかかりそうだ。


「何もおかしい事ではありませんよ。ルディ」


何年経っても変わらない、耳に心地よいマリーの声が響く。


「自分とは異なるものに、恐怖を覚える事は決して悪い事ではありません。しかし、それをどのように克服するかが、大事なのです」


彼女は屋敷に仕える侍女だ。しかし、時にその言葉は、彼女がまるで神の言葉を代わりに伝えているかのようで、感慨深い印象を与える。


「マリーは、カイジンを見たことが?」


「ありません。恥ずかしながら、わたしは海町に行ったことがないのです」


意外な答えに、ルディはひとつ瞬きをした。


「じゃあ、海を見たことがないの?」


「そうなりますね」


カイジンの話は別として、広大な海の先に見える水平線を見たことがないとは驚いた。マリーはルディが理由を聞きたがっているのを察して、話し始める。


「わたしの生まれは〈赤門〉の西に位置する〈ナトゥール地方〉。その中でも田舎の方にあるわたしの家は、兄妹が多く、質素な生活をしていました。今はこうしてお屋敷で働いて家にお金をいれることができていますが、昔は遠出をするほどの余裕がなく、海町には行ったことがないままなのです」


ルディは思わずマリーの境遇と自分を比較した。

生きるために働き、家族に仕送りをするマリー。どんなに心優しく寛大な人柄であっても、決して好きだからと言う理由で選んだ仕事ではないだろう。一方で、ルディは今世では努力することはあっても、生活の苦労を感じたことはない。

苦労知らずでのうのうと生きている今の自分が許せないと、マリーを通じて前世の視点に立ち返った彼女は、ルディである自分に苛立ちを覚えた。


「ルディ?」


暗い表情で黙り込んでしまったルディに、マリーは心配そうに声をかける。


「ごめん、ちょっと考え事を」


「そうですか?」


「うん。それより、そろそろ夕食の時間だよ」


時計を確認して、もうこんな時間、とマリーは慌てて部屋を後にした。ルディも配膳を手伝おうと、疲れた身体に鞭を打つ。


(働かざるもの食うべからず……)


南領の屋敷に住むサニアの選んだ仲間は、アットホームな雰囲気を持つ。細かいことは気にしない南領の風潮も関係あるのだろうが、それに甘えていてはいけないと言い聞かせる。心持ち新たに、ルディは夕食の準備をテキパキこなし、片付けまで、出来ることは大人たちの邪魔にならない程度に終わらせた。


食後はサニアに呼ばれ、泳ぎと応急処置について詳しく話す。屋敷で専属の医師—ヤンも同席しており、子ども相手にでも真剣に向き合ってくれるサニアの器の広さに、改めて感銘を受けた。


思いのほか盛り上がった話し合いを終えて自室に戻ってひとりになると、恵まれすぎた環境に、返って不安に駆られたが、つい先程マリーに言われた言葉を思い出し冷静になる。


(大事なのは、どう対処するか)


「——よし。頑張るぞ」


寝る前にやる気に満ち溢れ、気合いを入れたルディは、布団に入ってもなかなか寝付けないのであった。



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