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ルディ、朝の海へ




かすかに香る潮の匂いの中、ルディはパチリと目を開く。見覚えのない天井に、寝ぼけた頭を横にひねると、そこは〈サーズ〉の宿だと思い出した。ベッドの上で上体を起こし、隣に寝ているシャロンに視線を移す。

スースーと吐息をたてて寝ている師匠に遠慮なくカーテンを開けと、木製のブラインドの隙間から眩しい朝日が顔を覗かせ目を細める。

ルディは窓を開いてベランダに出た。


「んー! いい朝!」


燦々と降り注ぐ太陽のした、ぐぐぐっと身体を縦に伸ばして一気に脱力する。

背後で一気に明るくなった部屋でシャロンが、眩しさから逃れるように寝返りをうつのがわかった。


「師匠。朝ですよ」


「あと少し……」


朝に弱いシャロンのこの台詞は、すぐには起きないことのサインだ。


「外で何か買ってきますね」


宿に食事をつけていないので、ルディは手早く身支度をすませると買い物に出ることにした。商店街を回って軽食を買うと、宿に戻るため踵を返す。


「すみません。わたしと同じ髪の色をした子供を見ませんでしたか」


迷子だろうか、慌てた様子の母親が話しかけてきた。


「……見ていないと思います。息子さんですか?」


「はい。8歳になる子なのですが、朝起きたらいなくなっていて。やんちゃな子ですから、目を離すとすぐどこかに行ってしまうのです」


眉を八の字にして、不安そうな表情をみせる母親に、ルディは不憫に思い、少しだけなら一緒に探すと申し出る。母親は申し訳なさそうに頭を下げて礼を述べ、ユシャという男の子を探すこととなった。


(あの調子じゃ、師匠は寝ているだろうし、いいよね)


ルディは手当たり次第、ユシャを探し始める。この町は長屋が規則正しく並んでいるので見通しが良く、すぐに見つかるだろうと思っていたのだが、そう簡単にはいかなかった。誰か友達の家にでもいるのではないかと考えるが、流石に会ったこともない少年の友達がわかるはずもない。ここは手間がかかるが、人に聞いていくしかないだろう。


「ユシャという、銀色の髪をした子供を見ませんでしたか?」


店に聞いて回るも、皆、首を横に振る。辛抱強く何度かそれを繰り返していると、果物を売っている店の男性が反応を見せた。


「ああ。見たぞ。小さいからすぐ見失ったが、確か海壁の方へ行ったぞ。赤い花を握りしめて」


「そんな、まさかっ」


ルディの姿を見つけて歩み寄って来た母親が、話を聞いて顔を真っ青にしたかと思えば、海壁に向かって走り出した。


「どうしたんですか」


ルディも後を追い、走りながら母親に尋ねる。


「今日は夫の命日なのです。漁に出て帰らぬ人となりました。だから、あの子、海に向かったのだと。小さな子供だけでは入門できないはずですが、もしかすると中に入ってしまったかも」


心配そうな母親に、ルディは走る速度を上げた。杞憂に終わって欲しいが、何か嫌な予感がして仕方ないのだ。

一足早く入門を済ませると、ルディは神経をとがらせてユシャを探す。走りづらい砂浜を駆け、子供が好みそうな場所がないか目を凝らした。


「いない……。浜には来ていないのか?」


夜来た時は桟橋に船が泊まっていたが、今は漁に出ているらしく、沖に向かって木の橋だけが伸びている。そのひとつに、銀の髪をしたユシャの母親を見つけたルディは、彼女の元へ。母親は呆然とその場に立ち尽くしたと思えば、桟橋の終わりに駆け出す。異変に気がついた男たちが彼女を止めるが、その視線の先にあるものを見つけて声を上げる。


「子どもが!!」


海面に揺れるのは、子どもの背中。


「船を出せ!」


「今ちょうど、船が全部出ちまってる!!」


「灯台で合図を出せ! 早く呼び戻すんだ!」


男たちが助ける準備をする間にも、ユシャの身体は沖へと流されていく。母親は絶望でその場に泣き崩れてしまう。騒ぎを聞きつけて事態を伺う人々も、もう助からないと思った時だった。


木でできた桟橋を、トントンと短い間隔で音を鳴らしなが誰かが駆けていく。彼の足は裸足。走りながら青い衣を脱ぎ捨て、肌着だけになる。


突拍子もない行動に、誰も動けずにその様子をただ見ていることしかできない。


彼は桟橋の終わりが見えると、一本の線を描いて海の中へと飛び込んだ。


一部始終を見ていた者たちは、絶句した。


カイジンの住む海に飛び込むなど、自殺行為でしかない。

奇行を遂げた少年が飛び込んだ先を見ようと、桟橋の先に人々は集まる。


するとそこで目にしたのは、子どもに向かって一直線に海面を切り裂くように進んでいく、少年の姿だった。


「な、なんだあれ!!」


見たことのない方法で、あっという間に子どもの元へとたどり着いたかと思えば、子供を連れて岸へ戻ってくるではないか。


信じられないものを目にした人々は唖然としていると、低い女性の声で我に帰る。


「何をしている! 早く助ける準備をしろ!」


肩に槍を携え、堂々とした佇まいの彼女は、“南の戦姫” シャロン・メチエルに違いなかった。

弾かれたように行動を再開した男たち。

少年から子供を引き受けると、用意された毛布の上に身体を倒す。すぐさま心音を確認したが、冷えた身体から鼓動を感じることはできなかった。

確認を終えた男が頭を横に振ると、母親は声を上げて泣き始める。


ザバッと海から肌着の少年が上がってきた少年の前に、南の戦姫は立ちはだかる。


「馬鹿者!!」


バチン、と頬を平手で打たれ、彼、いや、ルディは口の中で血が滲むのを感じた。


「お前は何をしたかわかっているのか!」


鬼の形相をした師は、今までで一番怒りをあらわにしていたが、ルディはそれどころではなかった。


「わかっています。後でお叱りは受けます。どうか今はお許しください」


「待て!!」


静止するシャロンを躱し、心臓の止まった子どもの側で膝をつく。


「坊主、お前さんはよくやったが、もうだめだ……」


男たちの声を無視して、彼女はユシャの頭を持ち、顎を押し上げる。胸の中心に両手を置き、胸骨圧迫を始めた。


「ユシャ、戻ってこい。母さんが泣いてるぞ!」


前世で何度もお世話になった、応急処置法だ。

この身体で始めて泳いで疲れており、海水で目も痛いのだが、代わりに圧迫できる人はここにはいない。人工呼吸を挟み、必死で胸骨圧迫を続けていた時だった。


「ゴホッ、」


突然、ユシャの口から水が吐き出される。


奇行を繰り返すルディを見守っていた男たちは、「おお!!」と歓声をあげた。


ルディは回復体位に変えてやり、背中をさすってやる。


「もう大丈夫だ。ゆっくり息をしな」


置いてあった毛布でユシャの身体を包むと、ルディは男たちに声をかけた。


「この子を暖かいところへ。服を着替えさせてあげて。だいぶ身体が冷たくなってる」


自分にできるのは応急処置までだ。それでも少しは役に立ったか、とルディはやっと肩の力を抜く。

泣いていた母親は嬉し涙に変わり、我が子を大事に抱きしめる。

その姿を見ると、嬉しい反面切ない気持ちになるのは、自分に本当の両親がいないからだろうか。


叩かれた右の頬がジンジンと痛みを帯びてくる。この後は、こっぴどく師匠に叱られることだろう。叱られるだけならまだしも、あれだけ怒らせたのは初めてのことだ。もし弟子を辞めろと言われたらどうしようか。ルディの気分は一気に落ち込んだ。


背後で砂を踏み込む音がして振り返ると、視界が暗くなる。一体何事かと、被せられたものを手に取ると、それは毛布だった。だいぶ雑だが、誰が掛けてくれたのか確かめようと顔を出すと、そこにいたのはシャロンだった。


「し、師匠……」


無言で目の前にしゃがみ込んだシャロンに、ルディは身構える。素早く正座になると、額に砂がつくほど頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」


シャロンがどんな顔をしているか、怖くて頭を上げることができない。音でシャロンが動いたのがわかり、嫌でも身体が強張る。


背中にあった毛布が動いたと思えば、頭をゴシゴシ擦られた。


驚いて頭を上げると、シャロンが頭を拭いてくれている。どうしてよいかわからず、ルディは彼女を見つめていると、シャロンが口を開いた。


「……ぶって悪かった。ただ、もう二度とあんなことをしないでくれ」


あの深緑の目が、弱々しく自分を捉えている。何故だかそれを見て、目頭が熱くなった。これはきっと海水が目に沁みたせいだ、と言い訳をしながら、ルディは涙をこぼす。


「ごめんなさい」


「いい。お前が無事なら。宿に戻ろう。流石にいつまでもその格好じゃまずいからな」


脱ぎ捨てていった服や荷物は、親切な人がまとめて持ってきてくれた。

ルディは宿に戻る際、浜にいた人々から称賛の声を送られる。こんなに大勢の人から褒められたことなど、前世を通しても経験したことがなかったので目を丸くしていると、シャロンに「笑っとけ」と囁かれた。歩いてる途中も、「シャロン様のお弟子さんだそうよ」と人々が話す声が聞こえて、くすぐったい気持ちになる。ここまで人に注目されると、身を隠したい気持ちに駆られる。


「し、師匠。師匠はどうして浜にいたのですか?」


気を紛らわそうと、ルディはシャロンに話しかけた。


「……どこかのバカ弟子が、買い物如きに何時間もかけてるから様子を見に行っただけさ」


朝はあんなにグダグダしていたのに、この言いようとは、まるで別人みたいだ。


「町に出たら、茶髪で橙色の肌をした少年が海に飛び込んだって聞いてな。まさかと思って駆けつけてみれば、お前だったわけだが……。いつの間にあんな泳ぎを覚えたんだ?」


ルディはぎくりとする。思いっきりクロールやら平泳ぎやらを披露してしまった。この世界ではカイジンなどという化け物が存在するせいで、海で泳いではいけないという暗黙の了解がある。川や湖で遊ぶ程度に泳ぐ事はあるが、競泳のような泳ぎをする者などいない。


「ハハハ。秘密の特訓の成果ですよ……」


苦し紛れに理由を述べるると、シャロンはそれ以上泳ぎについては何も言わなかった。その代わり……。


「じゃあ、あの子供にやった治療法はどこで覚えた?」


どう考えても、こちらの方が良い言い訳が思いつかない。


「えっと……。人の身体のつくりから考えて、気道を確保し、外から無理やり心臓を動かせば、もしかすると息を吹き返すかもしれない、と考えたことがありまして」


仕方ないので、自分で思いついたフリをして応急処置の説明をする。


「自分で考えたのか? それは凄い発想だぞ? 子どものお前にできるんだ、今すぐにでも皆に教えて、いざという時に備えたいな」


シャロンは落ち着きながらも興奮した口ぶりで、あれやこれやと応急処置を広める方法を考え始めた。


「しかし、師匠。あれは必ず息を吹き返すものではありません。何せ、心臓は止まってしまっているのです。すぐに処置ができれば、機能が再開してくれる可能性は高いですが、時間が経つほど難しいと予想がつきます」


「なら、尚更その処置を誰にでもできるようにしたほうがいい。そうだろ?」


理解の早い人だ。頼もしい師匠をもてて、自分はついていると、ルディは嬉しく思う。


宿に着く途中、肌着がビショビショなので、シャロンが服を買ってくれた。予定では今日の昼にはこの町を出るので、そろそろ発つ準備をしなくてはならなかった。

ユシャのことが気になるが、サニアに心配をかける訳にもいかない。ルディは宿に着くと急いで湯船を用意して身体を温め、服を着替える。鏡を見て身支度をしていると、シャロンに打たれた頬が赤くなっているのがわかった。痛いが、前世の母親に打たれたのと比べれば、微笑ましい。シャロンは本気で心配して怒ってくれたのだ。

しかし、彼女はそれを気にしているらしく、自ら氷嚢を用意してルディの頬に当ててくれる。


「お前が何の考えもなしに、海に飛び込む奴な訳がないのにな。あたしはすぐ手が出る……。サニアに怒られるな」


ハァ、と溜息をつくシャロンに、ルディは笑う。


「これは私が師匠に心配をかけてしまった罰ですから、気にしないでください。上手くいったから良かったもの、私も流されて夜になったらカイジンの餌食になって、被害を増やすことになったかもしれません」


「……全く。お前は出来た子だよ。そこまで考えておきながら、やってのけちまうんだから」


前世の仕事柄、リスクとはいつも頭に置いておかなくてはならないことだ。時にはそれで、切り捨てなくてはならない選択肢も出てくる。ただ、救えたかもしれない命を見殺しにする後味の悪さは、今世においても忘れられないものだ。


「褒められるようなことではないですよ」


ルディは作り笑顔を貼り付けた。






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