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ルディ、夜の海へ



ミナの店で昼食をすませると宿をとり、日が落ちるまで町を見て回る。


「そろそろ行くぞ」


シャロンの呼びかけで、ルディは真剣な表情に変わった。ついにこれからあの防壁に向かうのだ。


「あと1時間もすれば日が落ちる。それまではあたしの隣で浜の様子を見とけ」


「はい」


石の防壁にたどり着けば、門番に入門の許可を得てから浜に出る。彼らは彼女がシャロン・メチエルだと気がつくと、何やら話をしていたが、大方この後の仕事についての話だろう。入門許可証の札をもらい腕につけると、ルディは久しぶりに砂浜を踏んだ。

この時間に砂浜に入って行くものは数少なく、たくさんの門から出る人々とすれ違う。明日の漁の仕込みを終えた漁師たちが、家に帰って行くのだ。

門から出る時も手続きは必須で、行方不明者がいないか厳重にチェックをされる。万が一、人数が合わないとなると、警備隊が探しに行くことになっており、それでも見つからない場合は厳重注意がひかれる。海で人が亡くなっている場合、その死体をカイジンに食べられると陸に上がってくるからだ。

このことを逆に捉えると、カイジンが出るという事は、誰かが食われているということ。


「師匠……。今回は危険度が低いっていうのは、つまりどういうことなのですか」


シャロンは言われた通り、ぴったりと隣を歩くルディに視線を移す。


「人を食った数が多いと強くなるとは言ったが、それには少し語弊がある。食った肉の量ではなく、食った人の数で、陸への順応度や、頭脳が発達するのさ。今回姿を現している奴は、足首まで海につけるところまでが活動範囲だ。そう多くは食っていない。大体、5人分食べると完全に浜に上がって30分くらい行動できるとされている」


現実とは思えない話だが、シャロンの言葉に嘘はない。


「奴らは鱗が乾くと行動できないんだ。火に弱い。覚えておけ」


「はい。だから夜行性なのですか?」


「そうだ」


首肯したシャロンは、船が停まる桟橋の前で立ち止まった。


「だから、気をつけるのは雨の日だ。海水で湿っている時ほど強くはないが、陸にいれる時間が長くなる。……あの時も、雨の日だった」


声色がいつも以上に低くなり、それがあまりいい思い出ではないことを語っている。


「もしかして、大量発生の戦闘のことですか?」


顔色を伺いながらルディは尋ねた。


「ああ。あの時の数は異常だった。その前の日に何らかの原因で、北領から来るはずだった輸入船が東領と南領の間のあたりで転覆したんだ。助かった人もいたが、何人かは行方不明のまま夜を迎えた。そして東と南の浜に、計500近くのカイジンが姿を現した。あたしはちょうどこの〈サーズ〉にいたから、迎え撃った訳だが、雨のせいで戦闘が長引いた。あんな事態はもう二度と御免だね。身体に奴らの血の匂いがこべりついて中々落ちなかったんだ」


匂いを思い出したようで、顔を思いっきりしかめるシャロン。ルディは先程からカイジンについての話を理解しようとはしているが、前世の生活からは全くもって現実味を帯びてこない。


「さて。浜辺はこんな感じだ。そろそろ〈海壁〉に火がつく。見てみろ」


指をさされた方向を見ると、防壁の上部に端の方から中心に向かって火が灯っていく。ルディが防壁と思っていたものは、どうやら〈海壁〉と呼ぶらしく、カイジンがそれを乗り越えて、人々の生活地域に入ってこられないようにするために、火を灯すのだそうだ。


「凄いですね」


燃え広がる炎をじっと見入っていると、シャロンは「こっちのほうがあたしは好きだ」と海壁に背を向ける。

するとそこには、地平線の先で太陽が今にも交わろうとしているところだった。

浜辺にはもう、ふたり以外の人はいない。雄大な景色をたったふたりで味わうことは、なんだか特別なことのように思える。

太陽がその姿を消した時、シャロンは右の肩に立てるようにして握っていた槍の先から、カバーを外すとルディに手渡す。


「仕事の時間だ」


深緑の目が鋭く光った気がした。




ルディは門番をしている警備隊と合流し、見張り台まであげてもらう。彼女は夜目が利くので、シャロンから目を逸らさないように、じっとその時を待った。


「君、シャロンさんのお弟子さんなんだって?」


「はい」


警備隊のお兄さんには悪いが、口だけで返事を返す。


「まだ若いだろう? 今いくつだ?」


「12です。あともう少ししたら13になります」


「驚いた。落ち着いているから、小さいけど15くらいかと。カイジンを見るのは初めてか?」


「はい」


だからこうして、シャロンを見つめているのだ、と言いたくなったが、異変に気がついたルディはそんなことは一瞬でどうでもよくなった。

少し身を乗り出し、シャロンが見つめる海の先を、ルディも瞬きを忘れて凝視する。


「何か、いる」


え、どこどこ? と話しかけてくる彼を他所に、ルディは少し視野を広げてシャロンも捉える。彼女は構えという構えをとってはいなかった。


(気づいてない? いや、でもそんなはずは……)


次の瞬間だった。


静かな海面から、一気に水飛沫が上がり、黒い何かがシャロンに飛びかかる。

「ししょっ!!」


思わずルディは声を放つが、それも一瞬だった。

カイジンというものが飛びかかったところを、シャロンは一歩横にズレる流れの中、その首を刈った。

カイジンは海の中から浜に打ち上げられてしまった、可哀想な魚よりも虚しく、その亡骸を浜に晒した。


「速すぎるだろ……」


これには警備隊の彼に同意するしかない。

ルディは松明を用意し、ゆっくり慎重な足取りでシャロンの元へ。そこには、魚の頭と、水掻きのついた大きな手と足をもった身体が横たわっていた。首から流れる血は、松明の光を近づけてみると、青黒い。


「これがカイジン。人が唯一共存できない種だ。見つけたら殺せ。さもなくば、誰かが死ぬ。いいな」


松明の火が揺れる中見えたシャロンの表情は、威圧感がありルディはごくりと唾を飲み込んだ。


「はい。師匠」


ルディが強く頷いたのを見届けると、シャロンは松明を受け取りカイジンに火をつける。火が消えると、ソレはボロボロと崩れて砂浜に紛れていく。


「カイジンは浜に還る。あたしたちが唯一こいつらにしてやれることだな」


師匠の言葉に情けは感じられないが、どこか寂しい声だった。

その後、門を出るまで警戒を緩めずにシャロンは槍を握っていた。先程は思わず叫んでしまったが、近くで見ると彼女の立ち振る舞いに隙はなかった。


「……どうだ、初めて奴らを見た感想は。気分のいいものではないが、知らなければ対処はできない。海は幸を恵んでくれるが、甘くみるなよ」


「勉強になりました。カイジンというものの存在を頭では理解していたつもりでしたが、やはり実際に見るのとでは違いますね」


ルディは預かっていた槍の穂につけるカバーを渡す。

確かにこの目で、カイジンというものを見て、ここが前世とは全く異なる世界なのだと認識を改めた。シャロンが一瞬で倒してしまったので、その生態についての情報はあまり得られなかったが、あの襲いかかってきた瞬間の、大きくギザギザした歯をむき出しにした口を広げた姿は化け物だった。

ぶるりと身体が震え、ルディは握りこぶしをつくる。


「宿に戻るぞ」


シャロンはルディの頭をポンポン叩くと、宿に向けて歩き出す。遅れまいと、ルディも彼女の隣を小走りで追った。




「ほら」


宿の2人部屋で、シャロンに手渡されたのは蜂蜜入りのホットミルク。これが彼女なりの優しさなのだ。


「ありがとうございます」


ひと口飲むと、心からぽかぽかするような気がした。


「師匠。師匠はなんで、槍を振るうようになったのですか」


ランプの中の蝋燭がゆらりと揺れる。

武貴族とは、貴族とあるように権力を持った一族だ。メチエル家は既にシャロンの兄にあたる人が家督を継いでいるので、彼女が槍を持って戦わなくても、令嬢として振る舞えただろう。あんな怪物など、一生見なくて済んだかもしれない。


「……武貴族と言うだけあって、子供は武術に長けていることが多い。それはあたしも然り。兄を真似して稽古をしていたら、楽しくてしょうがなくなった。最初のうちは木の棒を剣に見立てて構えていたんだがな、ちょっとした出来心で長い棒を振り回してみた。それが、案外難しくてな。悔しくてこっそり棒術を練習するようになった」


「それで、槍に……」


その通り、とシャロンは話を続ける。


「しかし、あまりにも強くなりすぎた。一番上の兄さんが家督を継ぐことが濃厚だったが、あたしが強くなりすぎて、誰を当主にするか大人たちが考えを改め始めた。あたしはそんなものに興味はなかったし、兄さんが家督を継ぐ為にあたしの何倍も努力をしていることを知っていた。そのうち家にいると肩身が狭く感じるようになってな。ある日、家出をした」


「え」


変わり者だとはわかっていたが、まさかそうくるとは思っておらず、ルディは面食らう。


「そしたら、外は思いの外楽しくてな。いろんなところを回ってみたいと思った。頻繁に家を出ていれば、そのうち父様も呆れて何も言わなくなった。兄さんは家督を継ぐことになって、あたしは好きに外を回れる。いい事づくしだろ?」


同意を求められたが、素直に頷いていいものかと悩まされる。曖昧な表情を返すと、シャロンはフッと息を漏らして笑った。寝る前で、いつも結んでいる髪を下ろしているせいか、どこか艶のある笑みだった。


「あたしは自分がこうしていることを、後悔したことはない。駆け出しの頃は勿論、不安になることもあったが、自分の決めたことを曲げるのは嫌でな。意地でも世界を回って強くなってやると思ったさ。そしたらいつのまにか、“南の戦姫” なんて呼ばれるようになって、そこそこ人からも認められる立場にまでなった。……人生、何が起こるかわかったもんじゃないよな」


シャロンの身体に残る傷は、彼女の勲章に違いなかった。屋敷の中で煌びやかな生活を送れた人生もあっただろうが、ルディには茨の道を自らの意思で突き進んで行ったシャロンに尊敬を覚えた。


「私、師匠の弟子になれて良かった」


笑みを浮かべるルディ。

もう三年近く一緒にいるので、シャロンが大の負けず嫌いだということをよく知っている。

サニアに盤上ゲームに負けては、勝つまでやりたがるし、なかなか勝てないと武術での勝負を持ちかけたりする。ここで問題なのが、サニアはシャロンとの武術での対決を決して受けないので、それに拗ねたシャロンがルディに勝負を持ちかけてくることだ。とんだとばっちりなのだが、受けないと稽古を見ないと脅してくるので、ルディは相手をしなくてはならない。さらに、ここで盤上ゲームにルディが勝ってしまうと、弟子であるのにも関わらず情け無用の棒術勝負に発展するので、見極めが重要になってくる。

ルディは盤上ゲームが得意なので、本気を出せばシャロンには負けない。ただ、初めて手を抜いてゲームに負けようとした時、シャロンにあの鋭い目つきで見抜かれてしまったので、手を抜くにも神経を使う。ちなみに、手を抜いたことがバレると、次の日の稽古で槍を持たせてもらえず、永遠と体力づくりのメニューになる。

失敗すれば次の日に地獄を見るが、わざとゲームに負けて師匠の気を収めるか、自ら進んで負けが確定している棒術の勝負を受けに行くか。

究極の選択に迫られることになる。


これが月に一度は起こるので、そろそろルディも師匠の扱いというものを理解し始めていた。


(なんだか、若い頃の師匠は簡単に想像がつくな)


きっと、負けず嫌いで頑固な彼女は、自分の決めたことは意地でもやり通してきたのだろう。


想像すると、自然と口角が上がってしまう。


そんな意味も込められた笑みだと知る由も無いシャロンは照れたのか、「もう寝ろ」とルディをベッドに急がせるのであった。




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