ルディ、海町へ
今日は午前の勉強はお休み。朝食を食べ終えたら、海に出発だ。
「ルディ、絶対にあいつらからは離れた位置にいるんだぞ? 向こうにも警備隊がいるから、彼らと一緒に安全な場所にいるんだ」
サニアがルディの心配ばかりして、朝食に手をつけないので、誰も箸を持つことができない。
「サニィさん。師匠がいるから大丈夫ですよ。ご飯、食べよう?」
ルディはなるべくサニアに対して敬語を使うように心がけているのだが、サニアはそれを好まない。だから、こうしてたまに砕けた口調で話すと、嬉しそうに頷いてくれる。昨日シャロンに言われた、サニアが自分を娘のように思っているという台詞を思い出し、ルディはくすぐったい気持ちになった。
「そうだぞ、サニア。あたしがいるんだから心配はいらない。何でも経験が大事だ」
「…… “南の戦姫” だとわかっていても、お前に任せるのは心配なんだよ。メチエル家のお転婆嬢」
ルディの隣に座っていたシャロンはムッとして言い返す。
「それは昔の話だ。お前こそ昔は大物狩りの気まぐれギャングだったくせに、今じゃ領主なんてやってて驚くわ」
「大物狩りの気まぐれギャング?」
なかなか長い呼び名だが、シャロンが作った悪口か何かだろうか。ルディは復唱して首をかしげる。
「シャロン、余計なことを……」
「こいつは元は海の男で、南領の漁港を仕切ってたんだぞ」
「え」
初めて聞いたサニアの過去に、ルディは声を上げた。確かにいい身体つきをしているとは思っていたが、漁師をしていたとは思わなかった。
「漁師から領主になったのですか?」
「驚いたか? 南領は血で領主を選ばないんだ。民に推薦された奴が、領主になる」
てっきり、中央領のように領主というものは全て世襲制かと思いこんでいたので、ルディは驚いた。
「任期は?」
前世でいう選挙なるものは、12年生きてきた中で一度も耳にしたことがない。
「領主の政治に不満があるものが、新たな領主を望んで推薦者をたてる。それで投票が行われて負けたら、終わりだ」
「し、知らなかったです」
まさか下克上スタイルだとは思わなかった。しかし、それだともし領主が亡くなるまで選挙が行われなかったらどうなる?
気になるが、サニアを慕っている大人たちがいるなかで、そんなことを聞くのはいくらなんでも不躾だろう。あとでこっそりシャロンに聞こうと、ルディは決めた。
「そうだ、ルディ。これはお守りだ。持っていけ」
サニアはおもむろに懐をあさり、首飾りを差し出した。両手を合わせて受け取ると、青い石が手の中で鎮座している。滑らかな曲線を描き、雫の形をしたそれはルディの視線を奪った。
「もらっていいのですか」
「あぁ。大事にしてくれ。それはドラゴンブルーと呼ばれる、南領でしか採れない貴重な石だ」
「すごく綺麗です。ありがとうございます。大事にします」
初めてサニアから装飾品をもらったので、ルディは嬉しかった。無くさないようにその場で首に通し、服の中にしまう。
「気をつけるんだぞ」
「はい」
サニアだけでなく屋敷の大人たちからも、励ましの言葉をもらい、ルディたちは仕事場へ向かった。
ゆっくり馬を走らせ4時間ほどかかるので、帰るのは明日になる。シャロンの前に馬にまたがっているルディは、移り変わる景色を眺めて到着を待った。毎日会っているから忘れていたが、シャロンと遠出をするのは初めてのことで緊張していた。
「師匠。領主の決め方について、質問しても?」
いいぞ、と頭の上から声がかかり、ルディは口を開く。
「もし、領主がなくなるまで推薦者が出なかったら、どうなるのですか?」
「その時は、領主の子供が継ぐことになっている」
馬の蹄が砂を蹴る音が、大きく聞こえた。
「……子供」
ルディが呟いた言葉は、シャロンの耳にも入っていたが何も言わない。
(あたしも、嫌な奴だよな)
ルディの背中で自嘲の笑みをこぼすと、手綱を強く握り締めた。
サニアの親友の娘というのが、ルディの立ち位置。しかし、実はルディはサニアの養子だという手続きをとっくに済ませている。これは極一部の人間しか知らないことで、サニアも伝える気は無いようだから、シャロンは話すつもりがなかった。例え、ルディには領主の継承権が与えられていると知っていても。
そんなことを知らないルディは、深刻な表情で馬のたてがみを眺めるしか無い。
(サニィさんに子供はいない。となると、養子を迎えることになるんじゃ? ……そしたら、私はどうなるんだろう)
今は可愛がってもらっているが、次期領主の器が見つかったら、少なくもこれまでのように過ごすことは難しいだろう。他所者である自分が見放されるのは時間の問題なのかもしれない。
(だから、サニィさんは私に何でも教えてくれるのかな。……ひとりでも生きていけるように)
考えすぎかもしれかないが一理ある。
一陣の風が彼女に強く打ち付け、目を瞑った。それはまるで、これからの人生が一筋縄ではいかないことを暗示しているかのようだ。
(リアムに会う以前に、自分のことをしっかりやらないと)
服の上から首に下がっている石に手を当てる。ドラゴンブルーの石は、雫型にカットされており、仮に首飾りに名を付けるとしたら〈ドラゴン・クライ〉とでも表現できるだろう。
龍の涙。カイジンが存在する世界だ。ドラゴンくらい居ても驚かないが、涙となるとどうだろう。
(龍が泣くなんて、よっぽどのことがないと無いだろうな)
前世の記憶があるため、あまり泣かない子供のルディ。親近感の湧く首飾りに、大丈夫だと言い聞かせ、初めて目にするであろうカイジンのことに思考を切り替えた。
「カイジンは必ず今日現れるのですか?」
「ああ。一体、カイジンが出現したと連絡があったからな。人の味をしめた奴らは、毎晩現れる。人を食えば食うほど陸上でも強くなるが、報告によれば今回はそんなに食っていないようだ。あたしが出る幕でも無いかと思ったが、お前がいるし、いい機会だと思って引き受けた」
紐で固定して背に背負っている、短槍より気持ち長めの槍は、シャロンの愛用品だ。年季の入った品だが、有名な職人が作った一品もののそれは、何年経っても使い心地は変わらない。しっくり手に馴染み、身体の一部だという程簡単に操れる。
ルディはまだ12。それほどの槍をもつことはまだないが、そのうちサニアが用意することだろう。その時はシャロンを呼び、ルディの為に優れた槍を彼は準備する。サニアはルディを娘のように思っているし、何よりこの子は “彼女” の娘だから。
「なーに。一瞬で終わる。いつもと変わらない狩だと思って観てればいいさ」
ルディの肩に力が入るのを感じ、シャロンは言葉を選ぶ。
初めてもった弟子は、素直で人から教えてもらったことを自分なりに理解できる子だ。サニアから話には聞いていたが、実際会ってみれば、“彼女” に似てはいても異なる性格をしていた。芯の強さは、母親譲りを感じさせるが、ルディはルディ。彼女とは全く違う人だと、一緒にいればいるほど認めざるを得なかった。
(弟子って、可愛いもんだな……)
長く時を過ごし、すぐそばで成長を感じることができたシャロンには、既にルディは特別な存在になっていた。
これでは人のことを言えないな、とため息混じりに微笑する。
「よし。着いたらあたしがおススメの店に連れてってやる。まずは昼飯だ」
「何屋さんですか?」
「屋敷とはまた違う魚料理が食えるぞ」
「それは楽しみです!」
振り向いて嬉しそうに笑うルディは、年相応のあどけない少女だった。
「あ、師匠! 海が!」
山道の木々がなくなり、眼下に海が広がる。海面はキラキラと輝き、地平線が遠くに見える。前世の記憶のままの海だった。
しかし、よく浜辺を見てみると、砂浜が終わるところに、防塁がずらりと並んでいる。まるで何かから、守るように。
じっと見つめていたのでシャロンが察したのだろう。「日が暮れると門を閉じる。奴らが上がってこないようにな」と耳打ちする。奴らとはもちろんカイジンのことを指していた。
舗装された道を下り、第3の海町〈サーズ〉に到着する。
馬を預けると、ふたりは早速昼食をとることにした。
「賑わってますね、師匠」
長屋のような造りをした、三階建ての建物がずらりと並び、どこも一階では店を開いている。商店街と言える通りを、シャロンは迷いなく進んでいく。
「はぐれるなよ?」
シャロンは何か強いオーラをもつ人だ。もしはぐれても簡単に見つけられそうだとルディは思う。現に、知り合いも多いらしく、店主と気さくに挨拶を交わしている。
初めて来る場所に、きょろきょろ辺りを見回しながら歩いていると、ルディはひとつ気になることが。
(なんだろう、あれ)
どの店にも、太陽をシンボルにしたような飾りがぶら下げられている。
「師匠、店にぶら下がっている太陽のような飾りは何ですか?」
「あれは魔除けだ。南領の神木は知っているか?」
「はい」
勉学に励みだして間もない頃に、神木については教えてもらっていた。
南領の東にある〈インペリオ山〉の頂上に生えている、一本の赤い木。赤といっても、幹が真っ赤という意味ではなく、葉が年中赤いそうだ。
「それが?」
「あれは神木の落ち葉を使って染めているんだ。優しい色だろ。毎年、冬の間に準備して春になると、五つの海町には巫女が配ってくれるのさ。確か屋敷の神棚にも置いてある」
「あ!」
ルディは屋敷のそれを思い出す。言われてみれば、普通の服とは違う装いをした女性が毎年春になると屋敷にやってきていた気がする。
(彼女は巫女だったんだ……)
ひとつ謎が解けてすっきりしたところ、お目当ての店に着いたようだ。
「いらっしゃーい! ってあれ、シャロンちゃんじゃなーい! 久しぶりね、ささ、入って入って!」
出迎えてくれた女店主は、シャロンが来たとわかるや否や、嬉しそうに席を案内して料理を運んでくる。
「ほーら。たんまり食べていきなさいな! その子はどうしたんだい? 誰かの息子さんかい?」
「あたしの弟子だよ。ルディ。ミナさんだ。彼女には若い時から世話になっててね」
ルディはミナに頭を下げる。ミナは珍しいものを見たと言わんばかりに目を輝かせて、ルディの前に料理を並べた。
「あらぁ、あのお転婆シャロンが遂に弟子を取ったのかい? 綺麗な少年じゃないか」
少年と認識されたらしく、ルディは自分が男に見えていることに少なからず驚く。服は男物を着ているが、見る人が見れば女だとわかってしまうと思っていたのだが、まだ幼いからか問題ないようだ。
「なかなか筋がいい。そのうち仕事も出来るようになるだろうから、その時は面倒を見てやってくれ」
シャロンはおしぼりで手をふくと、箸をもって食事を始める。
シャロンは滅多に褒めることをしないので、ルディも思わず目を丸くしてミナを見返す。
「シャロンは見た目によらず照れ屋だからね。好きな奴にも結局想いを伝えずに、独り身なのさ」
ゴホッと、正面から咽せる声が聞こえたかと思えば、気管に入ったらしく苦しそうにシャロンが咳をしている。終いには、涙目になっており、慌ててミナは水を用意した。
「ミナさん。それは言わない約束です」
「あらやだ。そうだった? でもいいんじゃない? お弟子さんにも可愛らしいところを知ってもらったほうが、絆が深まるってもんよ」
全く悪気が見えないミナに、シャロンはため息をつく。ルディはその相手というものが気になって仕方ないが、ギロリとシャロンに睨みを効かせられるので、質問するのは難しそうだ。
「それより。シャロンちゃんが来たってことは、出たのね……」
「はい。危険度は低いので、気にせずに夜を過ごしてください」
「ふふ。あなたが言うなら、大丈夫ね。気をつけて行ってらっしゃい」
「ああ。ありがとう」
ミナはひとつ頷くと、他の客の元へと仕事に戻った。
「師匠はこの町によく来ていたのですか?」
「まあな。ここは、南領が面している浜辺の中心部だ。奴らが確認されて、すぐに出られるように待機していた。それにこの町はサニアの故郷だからな」
ルディは口に入れようとした料理を、ピタリと止める。口を開けたまま視線をシャロンに向けると、彼女はなんでもない様子で食事を続けている。
(……もしかして)
ひとつの仮定が浮かんだが、ルディはそれを確かめようとはしなかった。それを聞いても、師匠が応えてくれるとは思わないし、尋ねたことで、気まずいことになるのは嫌だったからだ。