ルディ、鍛える
「師匠。師匠はなんで槍を武器に選んだのですか」
屋敷の庭で自分の背と同じくらいの棍棒を操りながら、ルディは師に問う。
「そりゃあ槍が一番武器の中で優れていると思ってるからだ。『突けば剣、振れば棍 、投げれば矢』って言葉もある。使用者が優れていれば、槍は最強の武器なのさ」
そういうと、シャロンは長めの槍を華麗に捌いて構えを取る。単純に見えるが、1日2日でできるような芸当ではないことルディはよく知っている。今振り回している棍棒の先に、自分を傷つけるかもしれぬ刃がついているのだ。それをああも簡単に振り回している彼女は、やはり只者ではない。
シャロンは師弟となったあの日から、屋敷に部屋を貰い一緒に住んでいる。鍛錬漬けの日々になるかと思っていたのだが、意外にもシャロンは勉学を優先させた。なんでも、頭を使ってこその槍術なのだそうだ。午前に勉強、午後に武術。そんなバランスのとれた生活を送っていると、ルディは習慣化した生活をこなす達成感に充実感を味わうようになっていた。
「ルディ。今日は皆さん忙しくて、先生を出来る方がいらっしゃらないそうです」
マリーが寝間着を回収しに部屋に来たついでに、そう教えてくれる。
「そっか。なら、今日は朝から師匠に稽古をつけてもらうよ」
「わかりました。大きな怪我をなさらないように、ちゃんと集中して取り組むのですよ」
「うん。気をつけるよ」
マリーは屋敷に仕える侍女なので、ルディの世話をする以外にも仕事をこなしている。ルディの成長に合わせて世話を見ることが少なくなり、マリーと顔を合わせる回数が減ったが、毎日一回は顔を合わせるので安心することができた。母のような存在である彼女に、ルディも絆というものを感じることが少なくなかった。
「師匠、今日は勉学の先生がいらっしゃらないそうなので、午前も稽古をつけてください」
シャロンがいる部屋の扉を開けて、ズカズカ中に入っていけば、案の定酒瓶を転がした師匠が寝落ちしている。
「しーしょーうー」
これだから彼氏ができないのだ、とルディは思うが、ぐっとその言葉を飲み込む。一度口を滑らせてしまった時は、稽古がそれはそれは厳しかったのだ。
「んぁー。るでぃ? 今なんじー」
「もう朝の9時ですよ。ほら、お水を飲んで!」
コップに水を注いで渡すと、シャロンは寝ぼけた顔でグビグビ水を飲み干す。
「んー、まだ足りん。酒持ってこーい」
「師匠。しっかりしてください。飲み過ぎですよ? こんなに散らかして。だからサニィさんに、酒が飲みたくて私の師匠やってるなんて言われるんですよ」
シャロンは酒癖が悪く、朝食に顔を出さない時は大抵の場合こうして部屋で酔いつぶれている。
訳を知っているサニアが、溜息をつきながらそう言っているのを聞いてしまったルディは、弟子として師匠にはしっかりしてもらわねばと、シャロンを起こす。
「仕方ないな……」
なかなか現実に戻ってこない師に、中庭に生えている木になっているみかんに似た果実を採ってくると、皮はすりおろし、果肉も絞って水と混ぜる。
「ほら、師匠。これで酔いを覚ましてください」
薬学も勉強しているルディは、酔いを覚ますのに効くものを心得ている。シャロンはそれを口にしてしばらくすると、あの深緑の目をしっかり開いた。
「あー。悪いね、ルディ。で、稽古だっけ?」
彼女は酔っても記憶は無くさないので、すぐに指示を出してくれる。その日は、シャロンの支度が整うまで走ることから稽古が始まった。
時は過ぎ、木の棍棒が鉄の棍棒に変わり、鉄の棍棒が槍に変わる。
ルディはたくましく成長していった。
「……なぁ、ルディ。別に男になれとは言っていないんだぞ?」
あまりにも強くたくましく育っていく彼女に、サニアは一度そう尋ねたことがある。
「わかっていますよ。師匠だって女性なのですから、私もあんな風に強くなってみせます」
闘志を燃やすルディに、サニアは「あいつを目指すのはやめてくれ」と言いそうになった口を慌てて閉じた。
一週間のうち6日はシャロンとみっちり稽古を行うが、1日は自由な時間になっている。ルディはその時間を使い、馬術や弓術、薬学など詳しく知りたいことに時間を費やすので、休みのない日々を送っていた。
はじめのうちは、リアムと同じように騎士を目指せればと思っていたのだが、師匠と出会ってからは本格的に武術にのめり込んでしまった。剣を振り回すだけが騎士道ではない。もっと他の道もある。
今は思い立ったことを制限なく実行に移せる。できることは後悔のないように、やる。
家族ごっこをしていた前世とは違うのだ。
ルディは生まれ変わったことに感謝を忘れまいと、毎日女神に祈りを捧げた。
サニアに男として生活してくれ、と言われたので、ルディは常に男物の服を着て、髪は肩につかないあたりで切っていた。もともと中性的な顔立ちだったので、苦労なく男装を楽しんでいる。
しかし、歳をとれば身体もそれなりに女性らしいものになっていく訳で。
師匠ほどグラマーな体型ではないが、12になる時には、一応胸を潰すようになっていた。
「おっ。いい体になってきたな!」
一緒に湯浴みをする師匠を見て、ルディは嫌味かと思ったが、シャロンの身体に無数に残る傷に押し黙る。腹には、何かに裂かれたような大きな傷があるのだが、いつ見ても痛々しい。初めて見たときは思わず表情を崩してしまい、師匠に気を遣わせてしまった。その傷は、カイジンとの戦いで負ったそうだ。
滅多に姿を見せない海の怪物。人型ではあるが、身体は鱗に覆われ、呼吸はエラで行う生物。人を好み、夜に海に入ったものなら、喰われてしまうそうだ。
ルディはそんな生物がこの世界に存在していたということを、前世では知らなかった。本の中でカイジンという単語は出てこないし、もっと言えば南領についてもあまり述べられていない。本の知識で知っていたのは、南領が「武の南」と呼ばれて野蛮なイメージを持たれていることくらいだ。『金の瞳に願う』の舞台は中央領での出来事なので、海に面していない領地ではカイジンの出番はなかったのかもしれない。
しかし、果たしてこの存在が、どのようにして生まれたのかが謎だ。
作者があらかじめ設定していたのか、女神が作り出したのか。この世界は、操られているのか。
本に出てくる主要人物たちは、皆この世界に存在しているということを確認しているが、性格や考え方を知ることまではできない。自分の知っているキャラクターと同じ者として捉えていいのか、というところからルディは頭を悩ませていた。
「ルディー。ルディ。聞いてるか?」
「……ごめんなさい。ぼーっとしてて聞いてませんでした」
シャロンに名前を呼ばれ、ルディは考えるのをやめる。
「もう。結構大事な話なんだぞ。あと一回しか言わないからな」
大事な話と言っておきながら、湯船に酒の入ったお盆を浮かべているのはいかがなものかと思う。顔を赤くしたシャロンは、一口酒を飲むと、あの深緑の目でルディを見つめる。
「明日の夜、海に行く。仕事をするから、お前は控えて見てろ」
「……ハイ」
師匠の仕事とは言うまでもなくカイジンの駆逐だろう。ルディは今までで一度もカイジンという生物を目にしたことがない。
カイジンを倒すということは、命をかけた戦闘をするということ。師匠は人型をしたそれを殺すのだ。
前世の記憶をもつルディは、人の死というものに触れることは比較的多かったが、戦闘となると話は別だ。人を殺めても許されることがざらにある世界に彼女は今いる。
修行がてら狩りをすることがあるが、その獲物はその場で処理をする。最初は抵抗を感じたが、今では難なく自分でこなしている。死というものをより身近に感じるようになった生活だったが、ルディはそれを経験することができてよかったと思う。前世でよく言われる食べ物のありがたみというものが、否応もなくわかるし、生きていることに感謝できる。
そして、大事な人たちを命を掛けてでも守りたいという気持ちが、自然と湧いて出たことには一番驚かされた。
人の子である自分を温かく見守ってくれているサニアたちを脅かすものは、自分が消す。
前世ではありえない思考だった。
「師匠。カイジンは頻繁には現れないのですよね?」
「そうだ。あいつらは海の生き物だから、陸で行動するのは難しい。だが、何らかの方法で人間の肉を食べると、陸にいれる時間が長くなる。そうなると厄介なのさ」
シャロンは酒の入ったコップを揺らす。
「基本、人と同じで致命傷を負えば死ぬ。死体は焼いて処理するから、あたしが仕事を終えたら火を持ってきてくれ」
「わかりました」
なぜこのタイミングでシャロンがカイジンとの戦闘をルディに見せようとしたのかはわからないが、それを見せてくれるくらいには、ルディも成長したということなのだろう。
「あとな、ルディ。薄々わかっているとは思うが、お前はサニアの子じゃない。サニアの友が残した子なんだ。訳あって誰かは教えられないが、その人の子だとわかるとお前は狙われる。だからサニアはお前を隠したがってる」
初めて聞く話にルディは一つ瞬きをした。
「私の両親を知ってるってことですか」
「まぁ、そうだな。二人は色々あって、お前を生んだあとすぐに亡くなられた。決して捨てられた訳ではないことはわかっていて欲しい」
ルディは湯船に映る自分の顔を見て、両親を想像する。きっと整った顔だったことだろう。どんな人達だったのかは気になるが、亡くなった人の話をしていても仕方ない。今、こうして育ててもらっている人のほうが、彼女にとって大事だ。
「今、ここで育ててもらっているだけで充分です。両親がどんな人か気にならないと言えば嘘になりますが、面倒ごとは嫌いなので今まで通りに過ごしますよ」
「全く。あんたは大人だねぇ。今の話、サニアにも聞かせてやりな。あいつ、お前を本当の娘のように可愛がってるから、泣くと思うぞ」
話す時はあたしも呼んでくれ、とケタケタ笑うシャロンは酔っているのかいないのか、よくわからない。
湯から上がり火照った身体を冷ますと、水を飲み、部屋に戻る。ストレッチを終わらせると明日に備えて、布団に包まった。
思いがけなく聞かされた両親のことが、ふと頭に浮かぶ。
彼女にとって親というものは、無責任で自己中心的な他人でしかなかった。辛うじてお金は出してくれたので、なんとか生きていくことができたが、あれを親と思ったことはない。高校生の時に偶然読んだ本に、親はなぜか優しくしてくれる優しい他人だと思って接すると、人間関係がうまくいくと述べられていたが、優しさなんてひとつも感じなかった。勝手に産んだくせに、他の親と同じように育てることができない、可哀想な人。そう認識するようになった時には、自分もだいぶ大人になっていた。
図書館に通って知識を貪ったおかげで、なんとか職につけたし、あれが前世の私の家族というものの形だったのだろう。結局、交通事故で自分は死んだ訳だが、それなりに頑張った人生だった。
となると、果たして、親というものをそんな風に捉えていた記憶がある自分が、ルディを生んだ両親に愛されることはできたのか。彼女はそんなことが気にかかった。
5歳の春に “私” を認識したので、それ以前のことは曖昧にしか覚えていない。今振り返れば、あの5年間はただぼんやりと、自分が何者かもわからない状態で、夢の中にいるような感覚だった。
もし、生まれた瞬間から自我を持っていたらどうだっただろうか。
両親がどんな人だかわかったかもしれないし、どうして死んだのかも知ることができたかもしれない。
しかし、ルディは知らなくて良かったと思った。
きっと、彼女は両親を無垢な子供の笑顔で見つめることはできなかったと思うからだ。
血が繋がっていなくとも、前世の家族以上に世話を見てくれる人がいる。
それだけで充分なのだ。