花嫁選抜5
「レシル! あなたのおかげよ!!」
興奮した様子のエレーナ妃に両手を掴まれたのはレシルだった。
「ど、どうされましたか」
定期的にエレーナ妃の元を訪れているレシルであったが、この時ばかりは褒められているのに嫌な予感がする。
「ついにさっき、ライアンが花嫁を決めたのよ!」
どくり、とレシルの心臓がひとつ大きく跳ねた。
レシルの表情の変化に気がつかないまま、エレーナ妃は話を進めた。
「あんなに婚約を嫌がっていたのに、ライアンの方から『彼女がいいんです。彼女以外、考えられない』なんて言って来たのよ?! 信じられる?!」
まさかこんな事が起こるなんて!と彼女はそれはお喜びのご様子で。
「あなたのおかげよ。わたくしだったら、西領主のお嬢様をこんな大変なことに巻き込もうなんて考えもしなかったのだから」
その後の彼女の言葉は、レシルの耳を右から左へ通り抜けていった。
エレーナ妃が嬉しそうに何かを話しているが、妃の豪華な部屋がいつもより広く感じて、自分の存在がものすごく小さなものに思える。
——やっぱり……。
“やはり”そうだった。
今まで、見て見ぬ振り、考えても考えなかったふりをして来た。
しかし、レシルは薄々分かっていた。
ソフィーとライアンが結ばれてしまうことが……。
心ここにあらずで、レシルはエレーナ妃の部屋を去り、ふらふらと廊下を歩いた。
(私は一体どうすればよかったんだろう……)
転生したくせに、推しの恋愛を成就させることができなかった——。
なんて無能な転生者なのだと、彼女は自分に怒ることを通り越して呆れるしかなかった。
これでも、自分にできることは一生懸命やってきたと思っていたのだ。
リアムだって、ずっとソフィーの側で彼女を守っていた。
いつソフィーがリアムに恋に落ちてもおかしくない状況だったはずだったのに……。
「どーした?」
落ち込んだ様子で医務室に戻ってきたレシルに、ムバルトが怪訝な顔になる。
「ちょっと、考え事です……」
レシルはそれだけ答えると、自分の作業机に座って悶々とした。
大事件が起きたのは、その日の夜だった。
一日で自分の部屋に戻ったソフィー姫。
まだ食事が喉を通らないようなので、レシルは様子を見るために、夜ではあったが彼女の部屋へ向かっていた。
ライアンからも、よくソフィーのことを診て欲しいと頼まれている。
人気のなくなった廊下を進み、部屋の前に立ち止まりレシルは扉を叩く。
コンコンコン
「宮廷医師のレシルです」
手を下ろして返事を待つが、扉は閉じたまま。
メイドのオリビアが側に着くことになっているはずなのだが、一向にドアが開く気配がなかった。
レシルはその大きな扉を開けようとしたが、ガチャッと音が立って阻まれる。
咄嗟に扉に耳をつけて、中の様子を伺った。
何か、くぐもった音が聞こえる。
「んんンー!!」
人が呻くような声だ。
レシルはハッとした。
扉を叩く力を強める。
「どうされましたか!! ここを開けられますか?!!」
夜の城に、彼女の声はよく響いた。
「どうした?!」
城を巡回をしていた騎士がそれに気がつき、駆け寄ってくる。
「中で呻くような声が聞こえます! 何かあったのかもしれない!」
「すぐに助けを呼ぶ!」
——それでは遅いかもしれない。
レシルはすぐ開いていた隣の部屋へ。
ベランダに出て、窓から中へ回った。
ソフィーの部屋の窓は開いている。
「ソフィー様!」
飛び込むようにして中に入ったレシル。
そこにいたのは、拘束され、口も塞がれたオリビアだった。
「何事だ!!」
騒ぎを聞きつけたライアンが、レシルと同じようにベランダから現れる。
レシルが側にあった果物ナイフでオリビアの拘束を解いてやると、
「お嬢様が! お嬢様が、拐われました!!」
泣きながらそう言った。
まさかと思って見つめたベッドは、もぬけのからだった。
ライアンの顔つきが、変わった。
*
「大きな荷物を抱えた怪しい男の目撃証言が!」
「すぐに追う!」
騎士の伝達を聞いてライアンが部屋を飛び出した。
十中八九、ソフィー姫とライアン王子の婚約を阻むための拉致だろう。
下手をすれば彼女の命が危ない。
「レシル。お前も行け」
駆けつけたムバルトに言われたレシルは強く首を縦に振る。
彼にサニアからもらった医療キットを投げるようにして渡され、レシルはそれを受け取ると背負いながら馬屋に走る。
「モーガンさん?!」
「リアム様」
その途中、同じく馬屋を目指すリアムと合流した。
「私も行きます」
レシルの真剣な声に、リアムもすぐに頷く。
ふたりはその間、足を止めることはしなかった。
「モーガンさん、馬には?」
「乗れます」
「夜でも?」
「大丈夫です。夜目はききます」
馬屋に駆け込むと、レシルは迷いなく馬に乗る。リアムは一瞬それに驚いたが、直ちに自分も乗馬する。
「西のエルサーニ街で目撃証言。その辺りには確か使われなくなった酒蔵があったはずです」
彼女はそう言い放つと、馬の腹を蹴った。
(速い……)
シャロンにあちこち連れ回されているレシル。
馬の扱いはお手の物である。
リアムは彼女が自分について来るどころか、少し前を行くことに瞠目した。
女性が馬に乗れるというのはソフィーの側に居ると驚くことでもないのだが、夜道をこれだけ走れるとは。
「殿下!」
彼女の声に、ハッとしてリアムは前を走る馬たちを見つける。
ライアンと数人の騎士たちに追いついたのだ。
それから一行は、三つほどの組みに分かれて周辺の捜索にあたる。
本命と睨んだ酒蔵には、ライアンとリアム、レシルと他数名が向かった。
レシルは走りながら考える。
(ソフィー姫とライアン王子を結ばせないためなら、城に侵入できた時点でソフィー姫のことを殺すことも出来ただろうに)
物騒な考えなので決して口に出すことは出来なかったが、この拉致には違和感があった。
(まるで誘き出されているみたい……)
彼女は眉を潜める。
もしかすると、狙われているのは姫ではなく、別の人だとしたら……。
(殿下が、目的だったら?)
レシルはそう考えてゾッとした。
ここは小説の世界だが、生きた世界だ。
王子が殺されて喜ぶものは必ずいる。
ライアンが命を狙われることは、正常な世界の働きである。
シナリオなんて、もうなんのあてにもならないのだ。
——必ずライアンとソフィーがハッピーエンドを迎えられるわけではない。
そう言われている気がした。
険しい表情で、背負ったリュックに手を伸ばし、忍ばせていた短剣を握った。
「それは」
「護身用です。足手纏いにはなりませんよ」
隣を走るリアムに答え、彼女はそれを鞘から少し抜く。
ちゃんと定期的に手入れをしている、サニアからもらった大事な剣だ。
刃は美しい光沢を放つ。
「よし」
自分の得物を確認すると、彼女は短剣をしまう。
マスクに短剣、まるで刺客を連想させる。
リアムは隣で走る娘に目を細めた。
酒蔵に着くと、騎士たちが中の様子を覗く。
まだ大きな樽が置かれたままの蔵だ。
そこに何人か息を潜めていてもおかしくない。
ライアンが剣を抜くのを見て、騎士たちも剣を抜く。
ライアンが手を下ろすのを合図に、彼らは突入した。
その結果。
樽から飛び出た男たちに、矢を放たれた。
「罠か!」
降ってくる矢を剣で折り、すぐさま壁に身を隠す。
「来ちゃ駄目!!」
「ソフィー!」
しかし中からは、ソフィーの声が確実に聞こえた。
彼女はここにいる。
「大人しくしてろ!」
「きゃ!」
悲鳴を聴いてライアンは唇を噛んだ。
(行くしかない……)
助けに行かねばと、彼は再び外に出ようとした。
「お待ちください」
そこで女の声と共に、腕を掴まれる。
ライアンは驚いてそちらを見た。
「お前は……」
「私に案があります」
彼を引き止めたのは、宮廷医師のレシルだった。
「一度、蔵から出てください。睡眠薬を放ちましょう」
「睡眠薬?」
「材料はあります。眠るだけで無害ですから、その隙に姫をお助けください」
レシルの真剣な瞳に、ライアンは少しの沈黙のあと「わかった」と肯く。
合図を送り、蔵の外に出た。
レシルはすぐにリュックを開き、薬を調合する。
室内であればこの作戦が使えることは、シャロンとの旅で経験済みだった。
騎士たちは彼女の指示のもと口元を布で覆い、準備を整える。
「出来ました。いいですか?」
「ああ」
レシルは薬を詰めた袋に火をつけ、煙が炊けたのを確認し、流れる動作で樽の中めがけてそれを投げ入れた。
数秒後……
ボフ!!
樽から大量の煙が爆発的に溢れ出す。
「な、なんだ!!」
「うわ、……」
「な、ん、」
(クラッシャー・ツバキの研究がこうして使われる時がくるとは……)
一瞬で眠らせるために、とある鬼才の失敗作を参考にして威力を“かなり”強めた睡眠薬だ。
蔵の中にいた男たちの戸惑いの声と、倒れる音が聞こえる。
一撃必睡の眠り玉である。
騎士たちはそれを機に再び突入し、まだ起きている敵を一網打尽にする。
「くそ! こいつがどうなってもいいのか!!」
ソフィーの側にいた男が口を覆いながら、縛られて横たわる彼女を人質にとる。
ライアンたちは、ぐっと足を止めた。
「ライアン殿下っ……」
弱っているソフィーがライアンを呼ぶ。
ライアンは金色の瞳を鋭く光らせた。
「今、助ける」
「ハッ! こいつの命がけおしくば剣をおけ!!」
男がソフィーへ刃物を突きつけようとした。
「ウグァ!!」
その瞬間、武器を持った男の肩に矢が突き刺さる。
怯んだ相手は一気に取り押さえられた。
「一体誰が——」
リアムは後ろを振り向く。
視線の先にいたのは、敵から奪ったらしい弓を構える、口元をマスクで隠した娘。
「レシル、モーガン……」
リアムは彼女の名前を呟いた。
その姿に、彼は釘付けになる。
煙の中から現れた彼女は、滑らかな茶色の髪を靡かせ、青い瞳は静かに遥を見据えている。
天井近くに設けられた窓から注ぐ月明かりに照らされたレシルは、まるでこの世のものとは思えない神秘を感じさせた。
「宮廷医!」
彼女を見つめるリアムの横を、ソフィーを抱いたライアンが通り過ぎる。
レシルはそれを見て弓を置き、蔵の外へ彼らを誘導する。
まるで時が止まったような感覚に、リアムは呆然としていた——。




