ルディ、弟子になる
神に愛され、豊かな土地が広がるフェルネ大陸。五角形の尖った角が南になるような地形をした大陸は、中央領、東領、西領、南領、北領と五つに分かれており、それぞれ特色ある文化を開花させていた。
五つの領地は互いを尊重し、協力し合っているが、千年前は争いが絶えなかったそうだ。それを現在の中央領の領主にあたる人物が大陸を統一し、千年の時をかけて平和な日々を過ごしている。
*
「ルディ、おはよう。よく眠れましたか?」
綺麗なソプラノの声が、彼女に降り注がれる。
ルディは夢うつつの中ボーッとその女性を見て、はっと我に返った。
「お、おはよう。マリー」
「おはようございます。朝ご飯ができるから、服を着替えましょうか」
「うん」
ルディは返事こそ子供らしい明るい笑顔で応えるものの、思い出した重大な事実に、頭は冷静になっていた。
(私、生まれ変わったんだ)
ルディ5歳。春の風が心地よく、桜が咲く季節のことだった。
彼女はこの世界に生まれてから、5年の時をかけて、前世の記憶の断片を夢の中で観ていた。しかし、それが何かとは解らず、今までおかしな夢だと思っていた。
だが、その日は違った。
朝目を覚ましてみれば、ストンと胸につっかえていたわだかまりが落ちたように、自分が生まれ変わったことを認識したのだ。
世話をしてくれているマリーから服をもらい着替えると、鏡の前で自分の姿を見る。
茶色の髪は艶を帯びて柔らかく、肩ほどの長さで、瞳は青い。日本人だった頃とはかけ離れた容姿だった。
腕を通した和風と中華風が混ざったような服は、東領と南領の文化の一つだ。逆に西領と北領は洋服が主流である。中央領は様々な文化が混ざった領地であるから、特に決まった特徴はない。
適当に髪を手で梳いて、ルディは支度を整えた。
「サニア様がお待ちですよ。行きましょう」
マリーに手を引かれ回廊を進み、案内された部屋に入れば、低いテーブルに料理が並び、ずらりと大人たちが座る。その1番奥でサニアは胡座をかいていた。
「おはよう、ルディ」
「おはよーございます。サニィさん」
ルディの挨拶を聞いたサニアは満足そうに微笑む。彼の名は サニア・S・フォルテ。南領を治める領主、一言で言うと “南領主” である。
サニアはルディを近くに座らせると、食事に手をつける。それを合図に朝食が始まった。ここでは三食、皆揃って食べるのがここでの決まりだ。机の上で食指を刺激する匂いを漂わせている料理は、南領で盛んな漁業の恵み——魚料理が頻繁に用意される。今朝はスープに角切りにされた魚肉がたんまり入っていた。主食はライスで前世で食べていた米に近く、ルディは箸を器用に使って口に運ぶ。固めに炊かれたそれは、噛めば噛むほど甘みが増す。山菜のおひたしなどの副菜も、もぐもぐ口を動かして飲み込んだ。
「ルディ。ほら、これも食べろ」
「ありがとー」
ルディの皿に、果物を乗せてやるサニア。
彼は今年で36になるので、はたから見るとルディとは父と子のように見えるがそれは違う。ルディはサニアの親友の子らしく、亡くなって身寄りのない彼女を自ら引き取ったらしい。それを知った時は、特にショックは受けなかった。前世の記憶を見ていると、血が繋がっているだけの関係と思う集団より、愛情を注いでくれる人々の中にいれることの喜びが大きい。
美味しい料理に頬を膨らませていると、サニアが何も言わずにルディを見つめている。
「なーに?」
「んー。いや、なんでもない」
何か含みのある物言いが気になったが、ルディは気にせずに箸を握る手を伸ばした。
食事を済ませると、ルディは外で元気よく遊ぶ。南領に多い、褐色の肌をもつ者たちが、仕事の暇な時に遊んでくれるのだ。
満足するまで遊ぶと、次は屋敷に戻って勉学に励む。木造で建てられた建物は、木の温もりが感じられ、リラックスして机に迎える。
前世を認識したからか、物事を理解する能力が上がり、苦手な教科も楽にできるようになっていた。勉強を教えてくれたマリーには驚いた顔をされる。
「ルディ、何かが目覚めたのね!」
目を輝かせているところ悪いが、彼女の頭脳が前世の水準まで回復しただけの話であった。
そうしてルディは、子供にしては優れた能力を持った子に成長していく。
使えない子供だと思われるようなことがあれば、切り捨てられるかもしれない。そう考えると、自然な成り行きだったのかもしれない。
なんでも吸収していくルディに、サニアはなんでも与えた。歴史学、数学、薬学、地理学、剣術、体術と興味があるもの全て。
「……あの、サニィさん。もう一度聞いても?」
8歳になった時。ルディは自分の耳を疑った。
「ルディ。男として生活してくれないか」
突然の話に、ルディはきょとんとしてサニアを見つめる。
「それは構いませんが。理由を伺っても?」
振り返ってみれば、ルディが今まで着ていた服は、どれもユニセックスなデザインが多かった。名前もどちらかといえば、男性寄り。もしかすると、サニアは領主の地位を継がせるために男の子を欲していたのかもしれない。
「お前を守るためと言えば聞こえはいい。詳しくは時が来たらわかる。もちろん、女を捨てろと言っているわけじゃない。表では男として振舞って欲しいんだ」
真剣な様子にルディは頷く。
「わかりました。サニィさんには考えがあるのですよね。女の子らしいことは私も特に好きではないので、問題ないです」
「悪いな。もし嫌になった時は言ってくれ。他の手を考える」
サニアはルディの頭を撫でると仕事に戻る。
最近彼は忙しそうに働いている。8歳の肉体をした大人のルディだが、流石に領主の仕事についてまではわからない。
「武の南」と呼ばれる南領の統治は、彼らが仲間想いだからこそ、敵とみなしたものに容赦ない。逆にいえば、味方とみなしたものには寛容な場所だ。
それはこの地に代々受け継がれるようだが、サニアは中でも優秀な領主として民からの信頼が厚い。小さな衝突はあっても、ちゃんとそれを解決するように努力をする彼は、まさに領主の鑑だろう。マリーに連れられて外出することは多々あるが、町の活気はいつ行っても衰えない。
そんな彼にルディも信頼を寄せている。だから、男として生きろと言われても、深く理由を聞かずに受け入れることができる。つけ加えると、ルディは前世の頃から女の子らしい可愛いものは好きではなかったので好都合だ。
(それに、男として振る舞うなら、武術に打ち込んでも問題ない)
ルディはぎゅっと拳を握る。
8歳になった今、彼女はこの大陸の情報をある程度掴んでいた。
五つに分かれた領地のなかで、一目置かれる中央領。その領主は千年前から途絶えることなく嘗ての王の血を継いでいる王族だ。そしてその中央領主の元に生まれた王子——ライアン・C・タートスこそ、『金の瞳に願う』の主人公である。
彼は来月で6歳になる。
もし、女神が言うように小説の世界に転生しているのであれば、彼が18になる時、物語は展開していく。つまり、あと12年経つと中央領主の息子ライアンと西領主の娘ソフィーによるラブファンタジーが繰り広げられるのだ。
「……リアム」
ぼそり、とルディが呟くのは、前世で大好きだった登場人物。
リアム・サルヴァス
〈武貴族〉と呼ばれる騎士の名だ。その名の通り、武貴族とは武に長けた貴族を指す。功績を挙げた騎士が貴族の娘と結ばれて、そう呼ばれる血筋が生まれたとも言われている。彼のお家は西領に門を構える有名な武貴族で、西領主の娘であるソフィー・W・ウォーレンとも交流があった。心優しいソフィー姫に淡い恋心を抱いていたリアムであったが、恋愛について鈍感な彼は自分の本心に気がつかないまま、中央領で騎士として腕を磨くことになる。そして、ライアンが18になる年、婚約を結ぶことになったソフィーが中央領にやってくるところから、物語の幕が開ける。
最初、ライアンは結婚に乗り気ではなく、心細かったソフィーは護衛としてそばに着くことになったリアムを頼りにする。話が進むに連れ、リアムは自分の恋心を自覚するわけだが、タイトルにあるように金の瞳をもつライアンと彼女は結ばれる。
大雑把ではあるが、これが『金の瞳に願う』のあらすじだ。
ルディは前世を振り返る。
あの作品を読み終えた時の、喪失感。
——何故、リアムを選ばなかった? あれだけ助けてもらっておいて、何故落ちない? これこそ、モテる男性の手本だろう?
評価されるべき人間が、なぜこうも埋もれてしまうのか、と作り話とわかっていてもつい怒りが湧いてしまった。
なんとかして、彼が報われて欲しい。
そう思ったルディであったが、残念ながら本の中に “ルディ” という登場人物は出てこない。完全なるモブだ。しかし、南領主に養ってもらっている身としては、十分すぎる環境。これ以上の高望みは返って身を滅ぼしそうだ。
だが、この世界に生まれてからには一目でいいから、三次元の彼を見たい。できることなら、ソフィーと結ばれて欲しい。
話が始まるまで、あと12年。その間に自分がどうなるかも定かではないが、できることをやっておくしかない。
ルディは一心不乱に己を磨き上げることにした。そのストイックさは、屋敷にいるものを心配させるほどで、前世での忍耐力の強さが活きていた。
(この世界には、流石に拳銃はないからな……。柔道は必須だったけど、弓道はやったことがない。早めに身につけないと)
犯罪者を取り締まる仕事をしていたのは過去の話だが、この世界でも役に立ちそうなことはたくさんある。
自分なりに鍛えて数年、ある日サニアが彼女を呼んだ。
「どうされました?」
呼び出されたルディは、部屋に座っているサニアの前にしゃがみ、視線を合わせる。
「お前に紹介したい奴がいてな。シャロン」
サニアの呼びかけに応じて、控えていた女性が姿を露わにする。
「シャロン・メチエルだ。よろしく」
少し低い声の主は、こげ茶の髪を一つにまとめ、鋭い目つきでルディの前に出た。その体は鍛え上げられており、剥き出しになった腕には筋肉が蓄えられている。
圧倒的な威圧感にルディは目を見張ったが、サニアの客人に無礼はしまいと、落ち着いた表情で頭を下げた。
「ルディと申します」
「ああ。サニアから話は聞いてる。なんでも、大人顔負けのストイックな奴なんだって?」
彼女は笑みを浮かべているが、ルディはなんと返事をすれば正解なのかがよくわからなかった。
「シャロン。ルディが困ってるだろ。ルディ、彼女は “南の戦姫” なんて呼ばれてる、武貴族の端くれだ。お前のことを話したら、是非会ってみたいと言って聞かなくてな」
めんどくさそうに頭をかくサニアにお構いなく、シャロンは跪いたルディを立たせて、身体を触り始める。
「うん。自己流で鍛えてるって聞いたから、どんなもんかと思えば、いい鍛え方してる。今、いくつだ?」
「10になりました」
「へぇ。10歳にしちゃ、出来た子供だな。お、いい太腿」
ルディの足を両手でチェックし始めたのを見て、サニアが慌てて立ち上がる。
「おい、こら。うちのルディにベタベタ触ってんじゃねぇよ」
頭を軽く叩かれたシャロンは仕方なく手を離した。
「いやぁ、勿体ない。ちゃんと鍛えれば、もっと強くなるよ、この子。ねぇ、どうだい。あたしの弟子にならないか?」
シャロンは真剣な表情でルディに迫る。深緑の目に今にも飲み込まれそうだ。
ルディはその目を逸らさずに、力強く首を縦に振った。
「南の戦姫」シャロン・メチエル。南領に住んでいて、彼女の名を知らない者はいないだろう。その強さは男顔負け。争い事は彼女がいれば、簡単に収まる。
女性だとしか情報を知らなかったが、実際に会ってみると、温厚で頼もしそうな人だった。彼女がルディが生まれるより前に起こった “カイジン” の大量発生で武勲を挙げたとは、一見信じられないだろう。
「是非、弟子にしてください。シャロン様の武勲は無知な私でも知っております。海の向こうから夜にやってくる “カイジン” を、たったお一人で100近く倒されたとか! いつかお会いしたいと思っておりました」
「なんだ、あたしを知ってたのか。こんなにすんなり受け入れてもらえるとは、あたしも偉くなったもんだ」
シャロンはにやりと笑ってサニアを見る。
「じゃあ、おたくのルディはあたしが面倒を見るから、よろしくな?」
ルディを抱き寄せ頭を頬でグリグリ擦るシャロンに、サニアは頭を抱える。
——メチエル家のお転婆嬢。
少し昔の彼女はそう呼ばれていたことを、ルディは知らなかった。




