〈閑話〉男たちの苦悩
時はルディが、清陵医学校に入学することが決まる前まで遡る。
サニアは3年に一回開かれる領主会談に出席することが決まっていた。
開催地は北領ルーベンセルク。
大自然のなかにあるポネ湖にポツリと浮かぶ城が改装されてホテルとして使われており、資産家であれば一度は訪れたい場所である。
「あー、行きたくねー」
馬車に揺られながら、サニアは愚痴をこぼす。彼の右腕であるオブゼは「我慢してください」となだめた。
南領主であるサニアが、北領には一番遠い。赤門を抜け中央領を縦断し、北領の入り口である黒門をくぐり抜けて、さらに北に進まなくてはたどり着かない。
1週間かけて厳重警戒のもと箱の中にこもって旅するのは、海の男であるサニアからすると退屈この上ないことだった。
「オブゼお前ひとりで行ってくれないか。オレはここで降りる」
「冗談じゃないですよ!! ルディに会いに行こうとしてるのバレバレですからね?!」
今いる場所を西に進むと、ルディが町の診療所で休養している。オブゼは腰を浮かしたサニアに掴みかかった。この人のことだ。本気にしたら、たとえ火の海でも飛び込んでいってしまいそうな行動力がある。ここから逃すわけにはいかなかった。大事な会議なのに、なぜそんな選択を本気で考えてしまうのか呆れてしまう。
だがしかし、サニアが堅っ苦しいことを嫌うことはオブゼにもよくわかっていた。
南領は領主は他の領とは異なり、民のなかから推薦された者が選挙でその座を獲得する。
サニアは南領の貴族たちを抑えて、領主になった男だ。
海町に生まれて、好奇心旺盛だった彼は船で様々な場所を訪れ貪るように多くを学び、荒れていた漁港を知恵と実力をもって治めた。
商売で貴族とのやり取りも身につけ、彼らの思考も理解し、平民の出ではあったが様々なパイプをもつ人望のある男だ。
中には平民が領主になることを反対するものもいたが、南領では民からの信頼の数が多いことだけが条件であり、その人物の生まれや年齢をどうこう言うのはナンセンス。
サニアが領主になることに反対したものたちとて、彼が平民で満足な学問を修めていないことを危惧していただけなので、理由は真っ当だ。
しかし、それは南領の中だけでの話。
今から顔を合わせにいく者たちは皆、各領の上流階級の人間だ。
毛色が違うサニアが面倒臭がるのは仕方ないことだ。
「あー。ご貴族の皆様にわたしのような者が顔を合わせるのはどうかと思うので、トバステン家の嫡男が参上しますって、手紙出そうぜ?」
「サニア様」
じとーっと、目を細めて主人を咎めるオブゼ。
「はぁ。わかってるって。そんな目で見るなよ。お前だけ売る気はねぇよ。今のうちに愚痴ぐらい言わせてくれって」
サニアは頭をガシガシ掻く。
オブゼはひとつ息を吐いて、肩の力を抜いた。
(この人は、こういうことをすんなり言うからなぁ……)
オブゼは南領でもっとも栄えているトバステン家の嫡男である。
幼少期から領主になるために厳しい教育を施されてきた。
彼は要領がよく、頭も切れて末頼もしい男に成長した。
何を隠そうオブゼは、サニアが領主の候補として人々から背中を押されて出馬した時、それに対抗して名乗りを上げた男だった。
オブゼは若かったが、自分であれば良い政治ができると自負があった。実際、誰に問うてもオブゼ・トバステンは優秀だと答えただろう。
それでも、領主戦に勝ち「S」の名を得たのはサニアだった。
何が勝敗を分けたのかと言われれば、答えは簡単。平民だろうと貴族だろうと関係なく、南領の民によりよく耳を貸し、手を差し伸べていたのがサニアだったというだけだ。
それまでうまく世を渡ってきたオブゼからすれば、この敗北は観てきた世界をガラリと変えた。
領主がサニアだと決まり、就任式に駆けつけた人々の数は歴代で一番だった。
熱意をもって人々と関わり合うサニアをみて、オブゼのなかである考えを芽生えさせる。
——この人に、付いていきたい。
それこそが、サニアがもつ人を惹きつける力だった。
オブゼは親の話も聞かず屋敷を飛び出し、サニアのもとについて学ばせてくれと直談判。
サニアの答えは、
「あ? トバステン家に手紙出したんだけど、聞いてない?」
「え?」
「オブゼくんが欲しいって、ご両親に手紙出したんだけど……」
予想の斜め上をいく言葉に、オブゼは口をぽかんと開けた。確かに屋敷を出る前、親に「落ち着いて話を聞け」と言われていたが、まさかサニア自身からご所望があったとは思わなかった。
「んじゃ、よろしく」
その後オブゼはサニアの付き人どころか右腕として、あらゆる政策を打ち出し主人をサポートすることになり、今がある。
(おれがいないと、ほんとダメなんだからな、この人……)
人誑しと言えば良いのだろうか、サニアはつい手を貸してあげたくなる人柄だ。
オブゼはすっかり彼の手中で忙しなく働いているが、それが嫌だとは一度も感じたことはない。……いや、“一度も” は盛ったか?
さて、自分は主人のご機嫌を取らねばならぬ。
オブゼは少し考えたあと、口を開いた。
「会議を乗り越えれば、ルディにも尊敬されるんじゃないですか?」
ピクリとサニアは眉をあげる。
「ハハッ、わかってるって! うちの娘は賢いからなぁ〜。会談に欠席でもしたら心配かける。ちゃんとやるさ」
頬を緩ませるサニアは、先ほどとは正反対のことを言っている。全く、とことんルディが好きな人だ。
ルーベンセルクはまだまだ先だ。会談が終わるまで、何かあればルディの名前を出そうとオブゼは決めた。
*
「皆さまとこうして円卓を囲めることを、心より感謝いたします」
シルバーの髪に、青い瞳。
雪の精霊とも見紛う顔の彼女は、開催地北領の主。サーベント・N・マッツェレ・アンジェラ。
五つの領唯一の、「氷の女王」と呼ばれる女領主である。
前回の領主会談でも顔を合わせているが、サニアは彼女と目を合わせようとしなかった。
アンジェラとは馬が合わない。大した交流はないが、これから仲良くなることもないだろう。断言する。
それから、各領主たちは現在の領地の現状を報告し合った。
内容は三年前とさして変わらない。
表面上の口頭発表が全てだとは、ここにいる誰ひとりとして思っていない。
必要であれば、領主を通さずとも有力な商人たちがやり取りをするし、それで収まらなければ問題のある領主間で話をする。
今は平和な世だ。
五領の関係は平行線を進み、ぶつかることはない。
それでもこの場が設けられているのは、誰もその均衡を破ってはいけないという暗黙の了解を再確認するため。
領主会談は必ず円卓で行われ、それぞれの距離は等しく配置させられる。座る位置は開催地によって中央領主の場所が変わるが、東西南北の領主たちは一定。東と西、北と南が隣り合って座ることはない。
だからといって、対極な領地の仲が悪いわけではない。
まぁ、今はたまたまサニアが北を好いていないのは確かであるが……。
「さて。本題に入ろうか」
東領主シンヤ・トウドウが最後に報告を終えると、中央領主アーノルドが話題を変えた。一同は気を取り直す。
近年、いや、一千年それぞれの領地を守ってきた彼らが集まる最大の理由は、〈境界人〉たちにある。
「北西は相変わらず、火種がくすぶっている」
西領主ヘリオットは、落ち着いた低い声で言う。
四つの境界で、今いちばん気をつけなくてはならないのが北西だった。
もともと北領にいた〈シュナイダー家〉が、独立国家建国のために北西で力を蓄え始めている。
シュナイダー家は十四年前北領でクーデターを起こそうと企んだ一族で、内密に処理されていた。
このクーデターについては、極一部の人間のみしか知らず、表向き平和な世界が人々には与えられている。
「厄介な場所に根を張られたな」
アーノルドの言葉に、みな賛同した。
全く嬉しくない同意だ。
「この件については、北、西、中央の連携はもちろん。南と東にも協力を求めたい」
サニアとシンヤは真剣な表情で、首肯する。
「〈インディペンデンス・ウェーブ〉が始まったか」
シンヤがポツリと呟く。
彼は「智の東」と呼ばれる東領のトップだ。
男のなかでも美麗と表現される顔立ちで、彼のため息をつく姿すら艶やかである。
東領は、独立の気運が高まるこの時期が来ることを前々から予測していた。
だいたい百二十年の周期で当たる波が、たったいま押し寄せているのである。
「北西の境界の他にも、注意をするものたちはたくさんいます。……悲劇をこれ以上起こさないよう、悪い芽は早急に摘んであげましょう」
凛とした声で、「氷の女王」が会議を締めくくる。
(……こえー女)
サニアは決して口には出さなかったが、アンジェラに向ける視線はいつものような温和なものではなかった。
会談が終わり、サニアはオブゼとともに用意された部屋に戻ろうと、席を立つ。
「フォルテ殿」
女性の声が彼を引き止めた。
サニアは全神経を尖らせて、懸命に表情を取り繕って彼女を振り返る。
「なんだろうか、サーベント公」
「少し話をしたいのですが」
彼女のなかでは決定事項のようで、サニアは仕方なく続く言葉を待つ。
ほかの領主たちも北と南が言葉を交わしているのが珍しく、様子を伺っていることがわかった。
「南の政策は、ここ数年でかなり発展を遂げています。ぜひ、北にもご教授願いたい」
サニアは眼を見張る。
教授といわれても、北と南では全く制度が違う。北領は絶対身分制に基づく社会主義が行われている。民主主義の領である南から何を学ぶと言うのか?
教えられることなどないだろう。
相手がなにを考えているのか分からず、サニアは返事に遅れた。
「失礼。話が急すぎました。北はここ数十年の間、安定した営みを育んで来ましたが、皆さんご存知の通りシュナイダー家のような存在も生み出してしまった。今の波を越えるには新たな視点も必要になるでしょう。不躾な頼みではありますが、南領に大使を召還させてはいただけないでしょうか。もちろんその代わり、北からは氷を今までの三割安で提供いたします」
「それは!」
破格の取引きに驚いたサニアは思わず声を上げる。
話を聞いていたほかの領主たちも、みなアンジェラに眼差しを注いだ。
「北西は我が領の落ち度です。しかしながら “武の南” に世話になる時が来るやもしれません。これくらいは当然のことでしょう」
北と西の境界に南が関与することは、よっぽどのことでないと起こらない。
仲裁役は中央が負うのが、暗黙の了解だからだ。
北の申し出は、南にあまりにも美味しい話にみえるた。
サニアはちらりと、アンジェラの後ろに立つ男を捉える。
(こいつの入れ知恵か……)
ビクター・マッツェレ。
北領の宰相であり、アンジェラの夫だ。
サニアとそう歳は変わらず、鷹のような鋭い目をいつも細めて笑っている、そんな人だ。
基本的に人と仲良くできるサニアが嫌いとする、珍しい男でもある。
ほかの領主たちもいる手前、これだけ真摯に願い出るアンジェラの話を断ることもできない。
サニアにだって、面子というものがある。
「……………わかった」
そうして、“面倒な客” がやってくることが決まった。
逃げるようにして南領に帰ったサニア。
急いで呼んだのは、シャロンだった。
「北がこっちに大使を送ってくる」
「大使って言う名の大胆な密偵か……」
サニアはうんざりした顔で頷く。
「北が関わるとなると、ルディは置いておけないな」
サニアは、それはもう名状しがたい表情で大きく首肯する。
「ハァ……。あんたが断れなかったんだから、どうすることもできないでしょ」
「そうなんだが……。任せてもいいか?」
「任せるも何も、あの子はあたしの弟子だ。一人前になるまで面倒をみるのは師として当たり前だよ。でも、そうだな」
口元に手を当てて考え込むシャロンに、サニアは首をかしげた。
「ルディが医学に興味があるのは知ってるだろう?」
「ああ」
「医学校に行かせてやってくれないか。 あの子には才能がある」
「頼む」と、シャロンが頭を下げるのをみて、サニアは目を丸くした。彼女が頼みごとをすること自体が珍しいし、その内容というのもルディのことであって、自分の願いを叶えて欲しいというものではない。
「おまえがそこまでいうなら」
サニアは頷いた。
それからというもの彼の行動は早かった。
ルディの医学に対する姿勢は、サニアも知らないことはない。お抱え医師のヤンですら、彼女に一目置いている。とりあえずヤンと話し合い、どこの学校に入学させるかを決める。
「ルディなら、清陵医学校に入学できるでしょう。わたしの母校ですし、掛け合ってみます」
ヤンの提案で大陸一と言われる医学校に入学してもらうことを決め、彼女の身分証明書を用意する。
一番手間取ったのはこの作業で、サニアはルディのもうひとつの名を決めるのに、何日と悩んだ。
「なぁ、どう思う?」
候補を絞りきれず、サニアはシャロンに問う。
紙にずらりと並んだ名前をみて、彼女は吸い込まれるようにそれを選ぶ——。
「レシル。レシル・モーガンだ」
迷いはない。
逆に、それ以上良い名はないと、シャロンは思う。
一瞬で断言したシャロンにサニアは固まったが、口の中でその名前を繰り返す。
「レシル・モーガン。レシル、レシルか!」
興奮した様子で、サニアはシャロンを見返した。
「いい名前だな。俺たちの可愛い子にぴったりだ!」
「ああ、そうだな」
屈託のない笑みだ。
シャロンもつられて笑みをこぼす。
だが、サニアはふと表情を暗くした。
笑ったり、悩んだり、忙しい男だ。
「……あの子が本当のことを知ったら、どう思うのだろうか」
サニアの呟きに、シャロンは小さくため息を吐く。
「ルディはな、サニア。今、ここで育ててもらっているだけで充分で、両親がどんな人か気にならないと言えば嘘になるが、面倒ごとは嫌いなので今まで通りに過ごすって言ってたぞ」
「は? おまえ、もしかしてあの子に話したのか?」
「いやいや。全部は話してないさ。ただ、ルディは賢い。何も知らないままでここに置いておくほうが、あいつにとっては不安だろう? おまえは捨てられたわけじゃないって、ちゃんと言ってある」
「それでルディがそう言ったのか?」
「そうだよ。『ここで育ててもらっているだけで充分』だと言ったときのあいつは切実だった。心配するな。ルディはちゃんと強い。本当のことを知っても、きっと向き合うことができる」
継いでシャロンは言う。
「……ま、それで泣くのはあんたかもしれないね。サニア。その時は付き合ってやるよ」
サニアはムッと眉をひそめる。
「おまえは師弟なんて繋がりがあって羨ましい。でもそうだな。ルディが選ぶまで、オレはオレなりに、あの子に降ってかかる面倒ごとは全力で排除する」
「できてないけどな?」
「……」
シャロンは目ざとかった。
何、格好つけたことを言ってるんだ? と釘をさす。
「そ、それは。その……。学校に行かせることは、ルディにとってもためになることだろ?」
目を泳がせるサニアに、シャロンは吹き出す。
「ハハッ。わかってるさ。あんたには領地のこともある。呉々もルディにうつつ抜かして、政治を疎かにするなよ? 南領主?」
「ああ。……だから、頼りにしてるぞ。南の戦姫」
「それもわかってる」
シャロンの深緑の力強い瞳が、サニアを捉えた。
サニアは無意識に目を逸らしてしまったが、これほど頼りになる女は他にいないだろうな、と心の底から思うのであった————。




