夢叶って
忙しない日々を送ること半年。
東領にいるツバキに宮廷で働くことになったと連絡したところ、毎週のように絵葉書や手紙が送られてくるのを実は楽しみにしていたりする今日この頃。
レシルは化粧水の開発に成功し后妃からの依頼は増え、女性たちからも信頼も着実に得ている。何かと贔屓にしてくれるので、城にも慣れてきていた。
「誰かいるか!」
焦ったような声とともに、医務室の扉が開かれる。
今日は火曜日。ムバルトは休み。
医者はレシルしかいなかった。
急いで階段を降り、怪我人を連れてきた男性を目の前にして彼女は衝撃を受ける。
「腹を刺された。応急処置はしてある!」
短く切りそろえられたアッシュブラウンの髪に、切れ長の目には魅惑的な瞳のアースアイがおさまる美丈夫。
(リアム・サルヴァス——!)
それは確信だった。
もちろん名前を聞いたわけでも、顔を見たことがあったわけでもない。
それでも、レシルは確信した。
まさか、こんな急にずっと会いたかった人が現れるとは思わなかった。彼を見た刹那、時が止まったような錯覚に陥る。
彼の真剣な瞳は、レシルの胸を貫く。
よくぞ二次元の壁を乗り越えてくれた——
もっと早く彼がこの城にいることに気がつければ、這ってでも見に行ったところだろう。
(ああ、女神よ。こんなことがあっていいのか……)
何も言えず視線を奪われていたが、残念なことに喜びを噛みしめる暇はない。
後で心行くまで、叫ばせてもらおう。
シャロンに鍛えられた強靭な精神力で、レシルは現実に戻る。
担架に乗せられた男性は、意識がなかった。
「こっちのベッドへお願いします。キーくん! 縫合するから、準備して」
「はい!」
キリヤに指示を出し、レシルは手術に移る。
「あなたが?」
マスクをしていても、レシルが若い娘だということはリアムにもわかった。
仲間を運ぶと、自分より年下かもしれない彼女が、術衣を着て手袋をつけているのを目撃し驚いた様子だ。
レシルは左手首を見せてこれでも医者だと証明するが、リアムにそれ以上構うことはできない。
キリヤにサポートしてもらいながら、腹の傷を縫い合わせる。幸い内臓は致命傷を避けてくれ、輸血も問題なかった。
カチャン、と道具がトレーに置かれる音が手術の終わりを告げる。
「お疲れ、キーくん。後は私がやるから、休んでいいよ」
「お疲れ様でした! ぼく、片付けしますよ!」
キリヤはまだ12歳なのだが、こういう子を天才というのだろう。彼のサポートは完璧。将来的には凄腕の外科医になると、断言できる。
手術室から患者を病室に移し、片付けを終わらせる。ここまでの大怪我は、この城では珍しかった。カルテを仕上げておかないと、あとで報告書で必要になるだろう。
「って、違うでしょ!!」
夢から覚めたように、カッと目を見開き、レシルはついに声をあげた。
(リアム、この城にいたの?! 期待を裏切らない三次元だった。神さま仏さま女神さま、ありがとうございます。死んだ甲斐がありましたっ)
心の中でキャラが崩壊するレシル。
医務室に戻るまでの廊下で、喜びに悶えていると、後ろから近づいてくる人に気がつかなかった。
「あの」
「っ、はい」
慌てて背後を振り返る。
「ケインの容態は……」
深刻な表情を浮かべてそう尋ねてきたのは、今まさに彼女が思い浮かべていた騎士リアム・サルヴァスだった。
面倒でもマスクをしていて良かったと、この時ばかりは痛感する。
スンと平常心に戻ると、先程手術を終えたケイン・エアメルについて報告した。
「なんとか命は繋ぎ止めることができました。あとは彼を信じて起きるのを待つしかありません」
「……そうですか。ありがとうございました」
「いえ。応急処置が良かったから、手術もうまく進んだんですよ。処置してくださった方に、そうお伝えください」
言っていることはまともだが、瞬きもせずこれでもかとレシルは合法的にリアムの姿を見つめる。
「ありがとうございます。でも、あいつが刺されたのは、俺のせいでもあるので……」
(え——)
伏し目がちな瞳は、リアムの姿を脳内保存中のレシルを戸惑わせた。
二次元の住人というフィルターをかけていたせいか、小説にない彼の動きにどう対応していいかわからなくなったのだ。
何しろ文章の中のリアムは、ソフィー姫を影からサポートするしっかり者という印象が強い。負傷した仲間のために自分を追い込んで思い詰めた表情をするとは、知らなかった。
レシルは今、悩めるひとりの人間と対面している。
「……あなたは悪くないですよ。どう考えても刺した人が悪い。あなたに罪を被る権利はありません」
「罪を被る、権利?」
眉間に皺を寄せたリアムに、はい、とレシルは頷いた。
きっとケインは彼にとってかけがえのない仲間なのだろう。その人が命が危険に晒されてリアムの表情は暗い。
そんな顔はして欲しくないという一心からの言葉だった。
「言い方はおかしいかもしれませんが、罪人の罪はそのひとだけのものです。誰かに譲ったり分けたりすることはできません。だから、あまり思い詰めないでくださいね」
レシルは白衣のなかから、常備している手作りの飴を取り出す。
「どうぞ。元気がでますよ」
リアムに飴を握らせて、彼女もマスクの下からひとつ口の中に放り込む。手術の後はなんだか甘いものが食べたくなるのだ。
手術の経過を記述しなくてはいけないので、レシルはそこでリアムと別れた。
残されたリアムはレシルの後ろ姿を見届けると、包みを広げて琥珀色をした飴を口に入れる。
「……甘い」
はちみつの優しい甘みが口いっぱいに広がる、癖になる味だ。
——自分にはやるべきことがある。
先ほどよりすっきりした面もちで、彼はレシルと反対の方向に一歩を踏み出した。
*
レシルは医務室に戻ると、飴を転がしながら冷静に考える。
唐突に長年の願いが叶い、喜びが一周回って賢者モードに突入していた。
(私は何をすべきか……)
彼女はあくまでリアムがソフィーとくっつくハーピーエンドを望んでいる。彼の応援はするが、リアムの世界に自分が介入し過ぎるのも失礼だという考えに行き着いた。
手助けばかりして紳士な彼に、変に恩義を感じさせたくはない。
良くてふたりの関係は、この城に身を置いて働いている同僚というところ。
レシルは彼の前ではただの医者として仕事を全うするべきなのだ。
そしてなにより恋愛成就をさせるためには、ソフィー姫の気持ちがリアムに向いてくれることが必須条件。レシルが騒いでも、肝心のソフィー姫が振り向かなくては意味がない。つまり、レシルが努力するべきなのは、ソフィーにリアムの良さを気づかせること。
(……そろそろ婚約の話が上がってもいいはずなんだけど)
ターゲットがまだ登場していないので、レシルには手の打ちようがない。
(ソフィー姫も、私が好きなヒロインだからな……)
『金の瞳に願う』は、ソフィーの視点から書かれる場面がほとんど。
それを前世で読んであの話を好きになった身としては、リアムを選ばなかったからといってソフィーを貶すようなことはしたくない。主人公のソフィーを否定することは、自分が好きな話を否定するのと同義だとレシルは思っている。
そんな彼女だからこそ、リアムと結ばれて欲しかったのだ。
認められない主人公であれば、そんな事は思わないだろう。
「レシルさん。これ、看護師の人が」
「あ、うん。そこに置いといて」
キリヤに呼ばれて手元の資料に集中を戻す。
ここは小説の世界ではあるが、レシルは第三者の語り手として彼らの行動を全て見守ることはできない。
医師レシル・モーガンとして、脇役でちらりと出てはくるが、それ以外の時間は自分自身に与えられる仕事をこなさなくてはならないのだ。
ここで働いてもらった給料は老後の資金と、サニアたちに後で恩返しをするために貯金している。
申し訳ないが、物語にうつつを抜かして、現実を忘れることだけはできないし、してはならない。
「キーくん。私、エレーナ様のところに行ってくる」
「わかりました! 何かあったら呼びに行きますね」
「よろしく」
エレーナ妃との約束の時間になったので、仕事を切り上げて医務室を出る。
彼女とはだいぶ信頼関係を構築することができているので、ちょっとした要望も言えて身動きが取りやすい。
后妃付きのメイドであるミリアは南領の生まれらしく、いつのまにか意気投合し、気がつけばこの城で一番仲が良い。
「あ、来たわね。レシル」
部屋に通されると、紅茶の香りが漂っていた。毎回、レシルが来るのを見計らいミリアが用意してくれるのだ。
精神面のケアも医師としては大切な仕事なので、レシルはお茶をしながらエレーナ妃の話を聞いている。
「もう、聞いて頂戴。ライアンったら、全く結婚する気がないみたいなのよ」
「……と、仰られますと?」
タイムリーな話に、レシルは普段より食い気味で話を聞き出す。
「何人からもお話はあるのに、似顔絵すら見ないで却下するのよ? それは、東領と違って中央領は正妻しかとらなくて慎重になるのはわかるわ。でも、見向きもしないなんて……。お手上げだわ。今後を考えると、胃が痛くなってくるの……。レシル、何かいい方法はないかしら?」
正妻しかとらないのに、よく血が途切れないよなー、と呑気に考えていたところ、自分に話を振られてぎょっとする。
小説では、家柄から考えてソフィーがライアンの婚約者になる。親睦を深めて結婚させようと、中央領主アーノルドがソフィーを城に招く。そこでソフィーの護衛に顔見知りで実力もあるリアムが抜擢されて再会を果たすことになっていた。
一介の医者ごときの言葉をエレーナ妃が真に受けるとは思わないが、ここは慎重に答えるべきだ。レシルは策を練る。
プラン1。シナリオ通り、ソフィーと婚約させる。
展開がわかっているので、異常が起きないかぎり、手助けはしやすい。しかし、正直なところ自分に人の心を操る能力などないので、ソフィーの気持ちをリアムに向かせるのは至難の業と思われる。
万が一にも、先を読んだようなサポートをして、自分が怪しまれて罪に問われるようなことになればサニアたちに顔向けできない。
プラン2。ソフィーではない婚約者の候補を見つける。
ソフィーがライアンと婚約しなければ、リアムの勝率は確実に上がる。が、ソフィーをリアムと出会わせる方法を考えなくてはならない。宮廷医師も最悪、辞めなくてはいけないだろう。
プラン3。ソフィーもこの宮殿に呼ぶが、他の令嬢も呼んで、そちらとライアンをくっつける。
(これか!!)
プラン3が閃いたとき、レシルは興奮した。
ソフィーが宮殿に来てリアムと出会えるし、彼女以外と暮らせばライアンがそちらに傾く可能性が十分ある。
(これこそ、ソフィー、リアム、ライアンが皆ハッピーエンドを迎えることができる道!)
自分の話が通るか否かで、シナリオが変えられるかどうかの検証もできる。
もし、この提案が実現すれば、リアムが失恋するというシナリオも変えることができるはずだ。
レシルは興奮を抑えて平常心を装り、口を開く。
「きっと、殿下は外見だけで人を判断したくないのでしょう。素晴らしいお考えだと思います。私の憶測ではございますが、人の内面というものをご自分で見極めたいのではないでしょうか? ……しかし、夜会など一時的な交流だけではそれも難しいでしょうね。ある期間で色々な方と共に過ごし、自分を心から支えてくれるような方を見つけられればよいのかと」
話し終えると、エレーナ妃は驚いた表情で口を閉ざしている。
すぐに反応が得られず、レシルは焦った。
「も、申し訳ありません。出過ぎたことを——」
「レシル!」
「は、はい。エレーナ様」
エレーナ妃が勢いよく椅子から立ち上がる。レシルは緊張した面もちで返事をした。何を言われるのか、ゴクリと喉を鳴らす。
「あなた、天才だわ!!」
エレーナ妃は感情を高ぶらせ、レシルの両手を取った。
「え……」
ブンブン腕を振られ、レシルは何が何だか。とりあえず怒ってはいないようなので、首の皮は繋がった。
「なんで思いつかなかったのかしら! さすがレシルだわ。お礼をさせて頂戴。ミリア、アーノルドに時間を空けて欲しいと伝えて来て」
「かしこまりました」
ミリアはレシルにこっそり「グッジョブ」と親指を突き立てて、部屋を去っていく。
「忙しくなるわ! さぁ、レシル。なんでも欲しいものを言いなさいな」
「え、あ、え……」
急展開すぎて、レシルは目を回す。
(エレーナ妃は行動が早すぎやしないか?
これが中央領主の奥様か……)
圧倒されていると、エレーナ妃に顔に前で手を振られる。
「大丈夫、レシル? ああ……。このことであなたが不利になることは決してないわ。心配しないで。でも、他の人がたちがあなたに嫉妬しちゃうかもしれないから、今話したことがあなたが言ってくれたことだとは内緒ね?」
「は、はい」
「じゃあ、お礼くらいさせて頂戴な。何がいいの?」
「…………や、薬草園が欲しいです」
「あら? たまには仕事から離れていいのよ? 服とか、アクセサリーとか」
「いえ。自分だけの薬草園が、城の中に欲しいのですから、これ以上の望みはありません」
城の土地をもらうなど、正気の沙汰ではない。レシルは自分で頼んでおきながら、とんでもないことをいってしまったと後悔する。色々想定外のことが起きて、気が動転していた。
「ふふ。それはそうかもしれないわ。頼んでおくから楽しみにしていなさい」
「ありがとうございます!」
実は先日、ツバキとの手紙のやり取りで、この世界では品種改良がないことに気がついたのだ。
品種改良の実験をして大量栽培に成功したら、ツバキが足りないと嘆いていた薬草を贈ってあげようと考えていた。
シナリオを変え、欲しいものも手に入ったレシル。できることは全てやった。準備は万全。用意は周到。
行動の早いエレーナ妃によってライアンの妻を決める「花嫁選抜」が、ついに始まる。
エレーナ妃に付き合わされ、花嫁候補を一緒に選んだ彼女は、さりげなくソフィーの護衛にリアムを推していた。
ソフィーとリアムのセットは完成している。
騎士たちが、候補を迎えにいく日。
「頑張れ、リアム」
レシルはこっそりリアムにエールを送った。