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夢みた舞台




(ここが、あの本の舞台……)


そびえ立つ城の全容をとらえたレシルは、呆然とその姿を見つめた。

一千年も前からここに佇むとは思えないほど、白くて美しい姿を保つセントリース城。壮麗な建築物を前にして言葉が出てこない。


「こっちです。レシルさん」

「あ、うん」


キリヤに呼ばれて我にかえると、レシルは前を向き直した。


「右手に見える建物が、従者の居館になっています。反対の建物は主上と文官、武官のみなさんが住んでいらっしゃいます」


ぼくたちは、主上に何かあったらすぐに駆けつけられるように、左側の建物—西棟に部屋をもらえるんですよ、とキリヤは付け加える。

まさか王宮で暮らすときが来るとは想像すらしたことがなかった。

南領の屋敷は、畳が敷いてあったりと和風なつくりで、縦ではなく横に広い。全くこの城とは違うものだった。


なかなか現実味が帯びてこないが、宮の中に入ると使用人らしき人々とすれ違い、城は展示されているのではなく、住むために使われていることが伝わってくる。


(世界遺産じゃ、無いんだよな)


当たり前のことだが、前世の記憶があると不思議な感覚だった。


「ここが、ぼくたちの仕事部屋です」


キリヤが重そうな扉を開く。

扉が開いた瞬間から、学校でもよく香った薬草の匂いがした。


「先生! お連れしました!」

「んー。遅かったなぁ」


椅子で踏ん反り返ったムバルトが、むくりと身体を起こす。

目から下を覆う、アラビアンマスクのようなものをつけた彼は、資料が積み重なる長机に肘をついた。


「ようこそ。中央領宮廷医師団へ。ま、俺とお前しか医者いねーけど」


色々と口を挟みたいところがあるが、レシルはとりあえずよろしくお願いしますと頭を下げる。

ムバルトが事務を行っている場所は大量の医学書が並び、薬草が詰まっていると思われる小さな引き出しが敷き詰められたような棚が印象的な部屋だ。

ただ、この空間はロフトの上に設けられたような部屋で、下る階段がついている。

どうやら下の階で患者を診るようだ。


「いやー、よかったよ。后妃が女性の医師が欲しいわ、なんて言ってて使えるやつ見つけるの苦労してたんだよ」


荷物を置いて、キリヤにすすめられた席についてレシルは気になっていたことを聞いた。


「でも、宮廷医師の公募はなかったですよね?」


念入りにチェックしていたので、見落としはないはずだった。


「基本、公募はない。おれもここには引き抜きで入った」


なるほど。となると、彼にあそこで出会えなければ、レシルはここに来ることはできなかったのだろう。

偶然なのか必然なのか、判断はできないが、そんなことは気にしていられない。

どんな理由であれ医者になれたのは、紛れもなく自分が勉強して努力したからだ。


「んじゃ、とりあえず謁見の間に行くぞ」

「え?」


ムバルトは立ち上がり、ついてこいと目で語る。


「え、謁見って?」


「主上と后妃にだ。ちゃんと挨拶しろよ。ここでの身分証もその時に渡されるから」


城に来て早々、中央領主との謁見が待っていた。

中央領の領主は、世襲制。

いわゆる平民上がりのサニアとは訳が違う。

久しぶりに味わう緊張感に、レシルはひとつ深呼吸をしてから荘厳な雰囲気を醸し出す部屋に入っていった。

王座に座った中央領主、アーノルド・C・タートス。その隣には后妃エレーナが。

彼らがあの小説のヒーローであるライアンの両親だ。


(金の瞳は、父親譲りか)


このふたりから生まれた子であれば、間違いなく美形な王子なのだろう。

王宮に入ったからには、会える日もそう遠くないはず。


「レシル・モーガンでございます。誠心誠意、お仕え申し上げます」


南領で教養を教えてくれた家庭教師には、感謝しなくてはならない。領主に対する正式な作法は知っていた。


「面をあげよ。そなたを今日より、中央領宮廷医師に命ずる」


「はい」


控えていた男性が、トレーを持ってレシルの前へ。そこには銀製の栞のようなものが載っていた。

どうやらこれがムバルトのいう、ここでの身分証らしい。

それを受け取ると、一礼して下がる。

后妃が好奇に満ちた目をしていたが、レシルは気がつかないフリをして、そそくさと退室した。


「ん。終わったか」


外で待っていたムバルトと合流する。


「もらったやつは、自分の部屋の鍵にもなってる。無くすなよー」

「はい」


とにかく規模が大きい城の中を歩み、次に連れていかれたのは、宮廷専属のお針子たちが仕事をする部屋だった。


「こいつの採寸頼むわ」


どうやらオーダーメイドの制服を作ってくれるらしい。


「あら! 可愛らしい子が入ったのね! 女の子が診てくれるなら、医務室も行きやすくなるわ〜」


チーフを務めているイアナ・ブルックが、レシルの腕を引いた。


「キリヤに1時間後、迎えに来させるから」

「わ、わかりました」


イアナにぐいぐい奥に連れて行かれ、レシルは戸惑う。


「はい、じゃあ、服脱いで〜」


ギラギラ光るイアナの視線に、嫌な予感がする。

その後、レシルは身体の隅々まで採寸され、終わるころにはぐったりすることになる。


「いやぁ、女の子なのに、なかなかいい筋肉してるじゃないの。そこらの文官と比べてもいい身体してるわよ」


「危ないところに怪我人が多いもので。鍛えているんです」


やっと終わったと安堵しつつ服に袖を通し、レシルは答える。


「なるほどね〜。そんじょそこらの医者とは違う訳ね」


イアナは、レシルの身体の傷に驚いていたが、なぜできた傷なのかは尋ねなかった。変に気を遣わせたくないので、理由を大雑把にだが説明したところ、理解してくれたらしい。


「制服は四日もあればできるわ。先にこれは渡しておくね」


渡されたのは、ムバルトが顔につけていたものと同じマスク。

一番最初に顔の周りを測っていたが、どうやらこれを作るためだったらしい。


「あの人のことだから、まだ説明をされてないのかもしれないけれど、この王宮では医師はそのマスクをつけることがしきたりなの」


アラビアンマスクの形はしているが、布の生地は透けるものではなく、ちょっとの風ではめくれないほどの厚みがある。

医学校では見たことのないマスクだ。

顔が隠れてしまっては、不審者扱いされるのではないかと思ったが、現にムバルトはつけていたので、レシルが拒否するわけにはいかない。

その場でつけてみると、意外に顔にフィットして息もしやすかった。


「うん。ぴったりね! 服のことで困ったらいつでも来て! 出来上がったものは、部屋に届けるわ」


「ありがとうございます」


レシルは軽く頭を下げて、仕立て室を出た。


「あ、レシルさん!」


早めに来て待ってくれていたキリヤは、マスクをしていてもレシルにすぐ気がついた。彼はさっき医務室に置いてきたレシルの荷物を持っている。


「レシルさんのお部屋に案内しますね! ついてきてください!」


西棟の二階に進む。この階が女性専用になっている。ちなみにキリヤは男の子だが、可愛いのでお姉様がたから許しを得ているそう。

栞の透かしと同じ模様が入ったドアノブの部屋に着いた。



「ここですね」


栞が鍵、ということでノブの下に細く開いた穴にそれを差し込む。

ロックが解ける音がして、レシルはそっと扉を開けた。


「き、綺麗な部屋……」


家具もそろった、その部屋はホテルの一室のようだった。


「足りないものは、申請すれば用意してもらえますよ!」


至れり尽くせりで、恐縮な限りだ。

中を確認して荷物を置くと部屋を出る。

その日はキリヤに城のことを教えてもらい、一日を終えた。

食事に、入浴、全てにおいて高級感が漂う王宮での生活は、慣れるのに少し時間がかかりそうだ。



***




「おはようございます」

「おー。届いたのか」

「はい」


数日後。レシルはイアナに採寸してもらって作った制服を着ていた。

着心地が良くて袖を通した時には驚いた。

一流が作ると、洋服もここまで違う。


「そうだ。イアナさんに、医師はこのマスクをつけるのがしきたりだと聞いたんですけど、それは何故ですか? 顔が見えないのがいいとは思えないのですが」


失念していたが、レシルは思い出す。


「医師は血とか死とか、穢れに触れる者だから、顔を見せるなーっていうのが始まりらしーぞ。ま、今はそんな意味も薄れてきてるから気にすんな。これつけてれば、すぐに医者だってわかるし、顔がわからなければ外で恨まれもしねぇ」


「う、恨まれる?」


「滅多にここの医者にはなれねーからな」


城の外に出た時、買収されないためもあるらしい。そんなに中央領の治安が悪いとは思えなかったが、何事も備えが大事だから、大人しくそれつけとけ、とムバルトは言う。

食事のときに邪魔で仕方ないのだが、なるべく外さないほうがいいみたいだ。

流石に入浴のときには外すので、たいした意味はないのだと思うが。


「お。そういや、今日、后妃がお前に会いたいだと。女同士で楽しくお茶でもーって」


何故この男は高貴な人の話をしているのに、こんなにチャランポランなのか、レシルには信じがたい。


「后妃とお茶とか、恐れ多いのですが……」


「だいじょーぶだ。主上も后妃も器の広い人だからな。受けないほうが失礼だから、楽しくお喋りしてこい」


城にあがってから四日が経つが、レシルは騎士が訓練で怪我をしたのを診るくらいしか働いていない。

こんな状態でいきなり雲の上の后妃を診察するなど、気が気でない。

呼ばれたからには行くしかないので、レシルはメイドに案内されて后妃の部屋に訪れた。


「あら。いらっしゃい。緊張しなくていいから、もっと近くに来なさいな」


御歳52であるエレーナ妃は、それは美しい人である。赤い薔薇が芳醇な香りで人を魅了するような、大人の色気をお持ちだ。


(師匠より、大きい……)


思わず胸の膨らみに目をやってしまう自分に喝を入れて、レシルはエレーナ妃の側へ。


「今日はいかがなさいましたか?」


椅子に座って優雅に紅茶を飲んでいらっしゃった彼女は、見たところ顔色もよく、具合が悪いところはなさそうだ。


「ふふ。不思議そうな顔ね。まぁ、座りなさいな。わたくし、見ての通り体調が悪いわけではないの。お話、聞いてくださる?」


「……かしこまりました」


これから一体何を言われるのかと、レシルは身構える。

メイドが紅茶をカップに注いでくれるが、本当に后妃と同じ席でお茶を飲むことになるとは。

麗しい笑みを浮かべなさるエレーナ妃にすすめられ、茶を一口。

もちろん、毒など入っていなかった。


「ああん。あなたの綺麗なお顔を見たいから、それは外して頂戴な」


マスクを持ち上げてカップに口をつけていたのだが、エレーナ妃にはそれがお気に召さなかったらしい。

失礼して、マスクを外した。


「やっぱり、綺麗な肌ね〜。一目見た時から気になっていたのよ。わたくしなんて、化粧で誤魔化してきたけれど、歳なのかしら最近、化粧乗りが悪くて困っているの」


エレーナ妃はレシルが顔を出すや否や、彼女の顔めがけて手を伸ばす。


「スベスベ。もちもちね。ミリアも触ってみなさい。凄いわよ」


「では、失礼して」


茶を入れてくれたメイドも加えて、何故かふたりの女性に頬を弄ばれるレシル。どうしてよいかわからず、されるがまま。マスクでどうせ顔は隠れるからと、まともな化粧をしていない。


「あ、あの……」


恐る恐る口を開くと、ハッとして手を止めるおふたり。


「あらやだ。ごめんなさい。つい手が出てしまったわ。何か特別なことでもしているの?」


「手作りの保湿液を使っていますが、他は特に……」


「保湿液! 気になるわ! 是非教えて頂戴。あぁ、こういう話ができる子が欲しかったのよ〜」


たしかに医薬品の製造も、ここの世界の医者ならできるが、まさかこの為に呼ばれたのか、とレシルは目を丸くする。

思い返せば、地球で使われるような美容品がこの世界ではまだまだ発展途上だ。

こちらに存在する化学物質は、地球とは違ったりするので、レシルも独学で自分が使う分の美容品は揃えていた。


(いや、さすがにムバルトさんもそこまで知って私を雇った訳じゃないよな)


まさか美容のために呼び出されたのか? とレシルは考えたが、医薬品であればそれも医師の仕事になる。文句を言う筋合いはないし、怪我や病気は少ないに越したことはないので、そういった仕事に時間が割けるのはいいことだ。


「大浴場でのことも耳に挟んでいるのよ。とてもいい香りがする石鹸を使っているんですって?」


どうやら、共同の浴室で使っていたものが、女性たちの興味を引いたらしい。

それが后妃の耳にまで入っているとは思っていなかったが、ご贔屓にしてもらえれば大量生産もできるだろう。


(そうか、美容品ね……)


前世の記憶があるレシルからすれば盲点だった。

どの世界でも美しくいたいのは皆同じ。

うまくやれば、それなりに成果が出そうだ。

怪我や病気になる人も少なく、ムバルトで対処しきれているので、こちらに力を注ぐのもアリかもしれない。



それからというもの、レシルはエレーナ妃からの要望もあって、暇さえあれば美容について研究するようになった。

今まで医務室に来る人は、男性の怪我人が多かったが、ぽつぽつ女性も現れるようになり、レシルもそれなりに忙しくなる。

どうやら今までは、ムバルトに診てもらうのは気が引けて、自室で他の人に面倒をみてもらっていた女性も多かったらしい。確かに月のものなどデリケートな話はあの男にはし辛いだろう。


「レシル先生」


廊下を歩いていると、メイドさんに名前を呼ばれて部屋に連れて行かれることもある。そういう場合は大抵、同僚が生理痛で休んでいるからみてくれ、というものだ。


部屋にまで訪れ、親身になって診てくれる、ということでレシルはあっという間に城の女性たちに名を知られるようになるのだった。




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