ルディのスクールライフ
「レシル〜!」
食堂でぶんぶんと手を振って名前を呼ぶのは、同級生のツバキ・ミヤムラだ。
ルディ、あらためレシルは昼食が乗ったプレートを手に、ツバキの前の席に座った。
そう。彼女は無事に編入試験を乗り越え、清陵医学校に入学を果たしていた。
もうこのキャンパスにいることも、四年目を迎える。
「ねね。次の実習で、例のアレを使ってみようと思うんだけど、どう思う?」
「例のアレって前に言ってた、漢方のこと?」
「そう。きっと次は上手くいくと思うんだよね〜」
丸いメガネの奥で、目を細めるツバキはこの学校一の鬼才だ。
在学中に新しい薬をどんどん開発するため、医学会でも一目置かれる存在。
ただ……
「やめときなよ。また、被害者が出る」
レシルは頭を抑えた。
ツバキは成果を出すものの、それに対する失敗がひどかった。
医学のはずなのに、研究で爆発を起こしたりすることから、クラッシャー・ツバキという異名まで持つ。
彼女と出会ったのは、レシルが入学して一ヶ月が経ったときのことだった。
前世でいう大学のような選択式授業で、なかなか馴染めずにいたレシル。
身構えて入学した医学校だったが、独学で学んだことや、コレッタから指導されたことが活かされて、成績優秀生に選ばれていた。
医学校は試験が難しいため、同じ授業を受けているのは歳上ばかり。
マリーに友だちが出来たよ、という内容の手紙は書くことができていなかった。
ある日の早朝、ランニングをしていた時。
雑木林を通り過ぎようとすると、何やらガサゴソと音が聞こえる。
足を止めてそちらを見ると、うごめく影が。
レシルは気配を消してソレに近づいた。
「何してるの」
「うわぁ!!」
「ちょ、」
学校の制服を着ており、生徒だとわかったため声をかけたところ、彼女は仰天する。
とっさに後ろにひっくり返りそうになった彼女を支えた。
「大丈夫?」
「か……」
「か?」
「カッコイイ」
乙女の瞳を向けられるが、レシルはもちろん女である。今はランニングのために、髪は無造作に一本でまとめズボン姿なため、説明をしなければ誤解を生むことだろう。
「私は女だよ。立てる?」
「え、うそ! こんなにカッコイイ子が?!」
男として振舞っていたからか、たまにスカートを履いていても男と間違われる時がある。それだとルディのときと区別がつかないので、髪を三つ編みにしたりして、女らしくはしている。
ただ、シャロンのことを思うと複雑な心境になる。彼女は言うまでもなくルディより男勝りだが、男に間違われたことはない。思わず胸を押さえたくなることが数回あったことは仕方ないだろう。
気を取り直してレシルは助けた彼女を見た。
「こんなところで何してたの?」
「えーとね。材料集め。それより、あなた名前は?」
「レシル・モーガン」
「あ! この前、編入してきた子か! この時期に入学してくるの珍しいから名前は知ってるよ。わたし、ツバキ・ミヤムラ。よろしくね」
差し出された手は土まみれ。傍に置かれた籠の中には怪しいキノコや、薬草、よーく見ると虫まで入っている。
レシルは戸惑ったが、手の代わりにタオルを出した。
これが彼女たちの出会いである。
2歳年上だと聞き、レシルより上学年だと思われたツバキだが、同じ学年だったことが明らかになり、ふたりはなんだかんだで一緒に過ごすようになった。
ツバキに気に入られたレシルは、とにかく学校中を連れ回された。
彼女の目にはこの学校は宝の山に見えているようで、時には就寝時刻を過ぎて部屋から出てはいけない時間に、いきなり窓を叩いて起こされて、夜行性の生き物を捕まえに連れて行かれたこともある。突然窓を叩かれた時には、学校内だからと安心しきっていたので、心臓が飛び出る思いをしたことは忘れられない。
医学校は五年制。
問題児ツバキの世話を焼きながら、レシルは卒業の年を迎えていた。
「レシルは卒業後、どうするの?」
ツバキに聞かれて、彼女は返答に困った。
五年生は、学校付属の病院で研修を行う。
卒業と同時に、独立して医者として働くことが許される制度なのである。
卒業生たちは、地元に帰って開業医になることが多い。また、ここで学ぶ医学の中には薬学も含まれてるので、いわゆる薬剤師として働く人もいるそうだ。
「まだ考え中」
「まだ考え中って、もう少しで卒業だよ?!」
レシルは真面目に勉強に励み、首席をキープしている。
それもこれも、中央領宮廷医師を目指すためだ。
しかし、残念なことにいくら確認しても、肝心の宮廷医師の公募がなかった。
「ハアァーー」
大きくため息をつくと、ツバキに凝視される。
「なに悩んでるのさ。このわたしが何とかしてあげようか?」
ツバキは卒業後、東領で研究員になるそうだ。
それも、責任者として自分の研究室をもつことが確定している。
「んー。いざという時は頼りにしてる。もう少し考えてみるよ」
「そーお?」
「うん。じゃ、また」
レシルはツバキと別れた。
(この学校を出て医者になれたら、宮廷医師になれるものだとばかり思ってた……)
人生、そう上手くはいかないらしい。
自分が小説の世界に食い込めるかもしれないと、心のどこかでは緩みが出てしまったのだろう。
(どーしよ……)
彼女は中央領宮廷医師になる以外の道を何一つ考えていなかった。
医者になれる確約はもらったといえるが、どうやってあの城に挑むのかはノープラン。
悩んでいた矢先だった。
「モーガンさん。お手紙です」
「ありがとうございます」
研修を終えて寮に戻ると、一通の手紙が届いた。
裏を見てみると、送り主はマリーからだ。
中を開いてみると、便箋に書かれた文字はマリーのものではなく、サニアのものだとすぐにわかった。
なぜこんなことをして手紙を送るのかは、わかりかねたが、とりあえずレシルは手紙に目を通す。
「就職先が決まっていたらすまない」という謝罪から始まる文だった。
学校に入ってから、サニアと顔を合わせていない。
長期の休みには、ルディに戻ってシャロンとともに様々な領をまわったが、南領には帰っていなかった。
「師匠と旅か。それは構わないけれど、なんで今それを……」
読み終えて、レシルはひとつの可能性に気がつく。
(……もしかして、私は南領に帰っちゃいけない?)
理由はわからない。
いや、本当は心当たりがある。
(後継者を探してるのかな)
サニアの政策に反対するものはほとんどいない。何事もなければこのまま彼が南領主であり続けるだろう。
そうなると、必要になってくるのは後継者だ。
それは、シャロンからも聞かされていたので、レシルはある程度覚悟していた。
育ててもらったことには変わりない。
彼女が彼らを恨むことなど何もないし、寧ろ育ててもらった恩は必ず返すつもりでいる。
(直接言ってくれればいいのに)
サニアが気を遣っているのかはよくわからないが、彼が自分を大事にしてくれていることは身をもって知っていた。
こんな風に遠回しに言わずとも、直接伝えてくれれば受け入れるのにと、レシルは思う。
(やっぱり、私の本当の親に何かあるのかな)
前世も今世も本当の親には恵まれないらしい。男のフリをしたり、名前を変えたり。もしかすると、親は重罪人か何かなのではないかという考えが浮かぶ。
サニアがあまり多くを語らないことからしても、その可能性は十分あった。
ブンブンと頭を横に振り、レシルは悶々とする思考を停止させる。
これ以上、顔も知らない親に惑わされたくなかった。
「稼ぐのはもう少し先かな。私、一応まだ17だし……」
今年で18を迎えるが、医師として働くにはもう少し年をとったほうが患者も安心することができるだろう。
卒業後の進路が決まって一安心はしたものの、だからといってシャロンとの旅は気を抜けない。
在学中でありながら、休みごとにだんだんと、危険な地域にも足を延ばすようになっていたのだ。
「身体、締めとかないとな……」
次に、どこに連れて行かれるかは定かではない。
しかし、旅は苦難ばかりでもなかった。
なんと、ルディ。2年前の冬、西領に訪ねたとき、リアムの後ろ姿と思われる姿を目にしている。
ちょうど西領を出ようとしていた時に、騎士団が遠征から戻ってくるということを知り、ルディはあの手この手でシャロンを留めようと努力した。
その努力もあって、騎士団の列を見ることはできたのだが、シャロンは「南の戦姫」なので正体は伏せる必要があり、遠くからしか眺めるしかなかった。そのため、残念ながらご尊顔を拝見することはできなかった。
ただ、それだけでもルディの心は荒ぶった。
キャーキャーと耳に突き刺さる黄色い歓声の中には、「リアム様〜」と叫ぶ声が混じり、確実に彼が存在していることが証明される。ルディもその中に混じって是非とも彼の姿を余すところなくその目に焼き付けたかったが、その時は存在を確認できただけでも胸がいっぱい。
「なんとかして、宮廷医師にならないと」
自分が生まれ変わったと気がついてから、リアムと会う機会に巡り合うことができたら彼を救うことができるようにと、努力してきた。
十数年間の歳月は長いと思っていたが、気がつけばもうあと1年も経てば、彼らの物語は始まる。
自分が脇役として彼らのそばに居られるかもしれないという可能性が現れ、彼女には焦りがあった。
いま気になるのは、シャロンとの旅がいつまで続くか、ということ。
彼女との旅は怪我人がつきものなので、治療の腕も自然と上がる。医学に触れることが減るわけではないので、そこに心配はなかった。
(もしかすると、次の旅に何かが起こるのかもしれない……)
もし本当に自分が『金の瞳に願う』のレシル・モーガンであれば、宮廷医師になれるはずだ。
そう自分に言い聞かせて、レシルはできることを頑張ることに。
そして、彼女は有終の美を飾り、清陵医学校を卒業する。
卒業式には卒業証書の代わりに、左手首に医師免許のタトゥが刻まれた。
「レジルぅ〜」
式が終わると、号泣してレシルに抱きつくツバキ。
「ぜっだぁい、会いに来でねぇ」
レシルが旅に出ることを知り、頻繁に連絡できないことを嘆く。
「私から手紙書くから。ほら、そんなに泣かないでよ」
歳上なのに頼りなくて、凄く変わり者のツバキ。そんな彼女だが、この世界で初めてできた心許せる友達だった。
つられて涙腺が緩むが、ハンカチはツバキに渡してしまったので泣くわけにはいかない。
「ツバキ。東領に来たらなるべく顔出すから。……待っててくれる?」
「もぢろんだよぉ〜。いづでも待ってるぅ」
全くもって、可愛い親友だ。
レシルはツバキを抱き締め返した。
名残惜しさに後ろ髪引かれながら身体を離すと、レシルの視界には深緑の目を持つあの人が。
「師匠……」
レシルがぽつりと呟く。
「ん?」
ツバキも彼女の様子を見て、後ろを振り返る。
「おめでとう。レシル」
そこにはシャロンが、少し汚れた服を纏い、小さな花束を持って立っていた。
呆然とした様子でレシルはシャロンのもとに。
「師匠、明後日合流するって……」
今日は来ることが難しいと手紙で知らされていた。思いもしなかった人の登場に、レシルは驚きを隠せない。
シャロンは不器用な手つきでレシルに花束を渡す。
「愛弟子の晴れ舞台だ。正直、苦労したよ。式、間に合わなくて悪かった」
目を細めると、ぐしゃぐしゃとレシルの頭を撫でた。
「よく頑張ったな」
感無量とは、まさにこのことなのだろう。
レシルの瞳からは涙が溢れた。
シャロンとツバキはどちらも呆気に取られ、思わず視線を合わせる。
「もう平気か?」
「はい」
「レシルの師匠さん……。わたしレシルの親友のツバキです」
ツバキはレシルに頭を下げた。
「話は聞いてるよ。レシルが世話になったね」
「いえ。わたしのほうがお世話されっぱなしです。……その、もう、旅に?」
「ゆっくりしたいところなんだが、急いでてな。助けなきゃいけない人が待ってる」
シャロンの姿を見れば、緊急事態だということくらいレシルにはすぐわかる。
「レシル。お前はほとぼりが冷めるまで、ここにいるか?」
彼女の顔は真剣そのもの。どこかで南領に関わる重大な事件が起こっているのだろう。
「師匠。私は医者ですよ? 助けなきゃいけない人のもとにはすぐ駆けつけます」
「フッ。よく言った。これ、あいつが道具一式揃えさせたんだ。卒業祝いだと」
シャロンは背中の大きなカバンから、丁寧に梱包されたものを取り出す。
「急遽それを持ってきたんだ。思ったより重くて肩凝った」
彼女はゴリゴリ肩を回す。
そんなシャロンの近くにしゃがみこみ、渡された包みを広げてみれば、出てきたのは携帯用の医療キットだった。
「凄い。全部最新のやつだよ」
覗いていたツバキも驚きの声をあげる。
「特注だからな。大事にしろよ。ま、すぐにボロボロになるかもしれないが」
(これ……)
医療バッグのポケットに挟まった手紙に気がつく。
シャロンの様子を見る限り、ゆっくり読んでいる暇はなさそうだ。落ちないようにバッグのポケットにしまうと、レシルはすぐにそれを背負った。
シャロンのことだから、レシルの槍や短剣、服の準備は目的地までの途中に預けているはず。
寮に置いてあった荷物は全てオブゼに任せてある。清陵医学校に残してきたものは、もう何もない。
準備は整った。
「行きましょう」
「ああ」
「ツバキ。またね。新薬の開発、頑張って」
「うん。レシルも、怪我には気をつけて」
友に別れを告げて、レシルはシャロンと共にまだ見ぬ渦中に飛び込んでいった。