ルディ、帰還
「ルディーー!!」
「ただいま戻りました。サニィさん」
「大丈夫だったか! 心配したんだぞ!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、ルディは息がつまる。
「く、苦しいです」
「ああ。悪い。4ヶ月も会えないと、ついな」
サニアは興奮した様子で、にこりと笑う。
ああ、帰ってきたんだ。ルディはその笑顔を見て肩の力を抜いた。
「いろいろ話を聞かせてくれ。シャロンに訊いても、勝負の話しかしないからな」
シャロンが戦った隊士たちについて熱く語っているのは簡単に想像できる。
久しぶりに、大広間で屋敷の料理人が作る食事を食べて、大人たちに混ざって会話を楽しむ。和気藹々の雰囲気に、ルディも笑顔が絶えなかった。
「その時こいつ、どうしたと思う?」
酔いが回ったシャロンが、ルディの席でダル絡みし始める。
「背負い投げだよ、背負い投げ! 大の男ひとりをドーンと!」
あれは傑作だった! とゲラゲラ笑うので、これは相当酔っている。
「あとはなぁー。盗人が出た時に、鬼ごっこしただろー? 野宿したときには、川で取った魚は捌けるけど、うさぎとか他の動物は捌けないし。面白いやつだよなー!」
褒められているのだか、貶されているのだかわからないが、シャロンがここまでルディのことを話すのは珍しかった。
「でも、真面目で頑張り屋なんだよ。あたしが言ったことを嫌な顔ひとつせず、こなすんだ」
出来た弟子だよ、とガシガシ頭を撫でられて、ルディは目の奥が熱くなる。普段サバサバしているシャロンからは聞くことができない言葉である。だからこそ、ルディにとっては一番の褒め言葉だった。
「師匠、酔いすぎですよ」
口ではそう言ってシャロンをなだめたが、彼女を引き剥がすことはしなかった。そのうちスースーと吐息が聞こえてきて、シャロンは眠ってしまう。
「広間で寝てしまうなんて、珍しいですね」
ルディはシャロンを横たえ上着をかける。
「お前が怪我してから、そいつ、自分のせいだって真っ先に屋敷に戻って来たんだ」
寝耳に水だ。ルディは目でサニアにもっと聞かせてくれと訴える。サニアは頭を掻いて、秘密だぞと話を始めた。
「真っ青な顔して、シャロンだけが戻ってきたから俺も焦った。自分のせいだ、としか言わないからなかなか話が見えてこなくてな。ネイトも呼んで話を聞いた」
そんな大ごとになっていたとはつゆ知らず、ルディは驚いた。
「お前は立派な子だからな。シャロンも加減を間違えた。わかってやってくれるか?」
「わかるも何も、あれは自分が弱かったから起きたことです。師匠が気負うことは何もありません」
確かにネイトと戦えと指名したのはシャロンだ。しかし、彼女は最初から「こてんぱんにやられてこい」と言っていて、ルディが勝つとは思っていない。つまりは、ルディが弱いなりにも、うまく受け身が取れればよかった話なのだ。
「そうか……」
サニアはそれ以上は、ルディが怪我をした件について何も話さなかった。
ルディが帰ってきたということで用意された豪華な夕食は、遅くまで続いた。大人ばかりだけなので皆酒が周り、広間はぐちゃぐちゃ。
意識のしっかりした大人たちに混じり、ルディは片付けに回った。
「ルディ」
そのひとりに声をかけられ、ルディは振り返る。
「マリー!」
そこにいたのは、マリーだった。思わず抱きつくと、マリーに優しく包まれる。
「怪我はもう平気ですか?」
「うん。もう大丈夫。もしかして、みんな心配してくれてた?」
「はい。あのシャロン様が慌てるくらいですからね。でも、お元気そうでよかった」
マリーに見つめれ、ルディは照れくさくなる。
「あ。そうだ。もらったノートで日記をつけたんだ。コレッタさんっていうお医者さんのところで医学を教わったことも、たくさん書いたよ」
「あとで聞かせてくださいね」
ルディが頷くと、ふたりは片付けに戻る。
食器をまとめてせっせと厨房に運ぶ。久しぶりに食べた屋敷の料理は、一番好きな味だった。シャロンと屯所を回っていた時は、滅多に自炊することはなく、ほとんどが外食。屯所で出される料理は大抵下っ端の隊士が当番制で作っているので、時によって当たりハズレがある。実際に数回、料理が美味しくない時があり、シャロンに買い出しに行かされたこともあった。
コレッタに世話になり始めた時は、彼女の料理の出来なさに驚かされたものだ。何が入っているか定かではないそれは、食べられるようなものではなかったので、ルディは正直に言って違うものを用意してもらった。ルディが動けるようになってからは、三食全て手作りの料理を振る舞ったが、コレッタは隙あらば怪しい粉を料理に振りかけようとするので、ルディは調理中には決してキッチンから離れなかった。
(コレッタさん、大丈夫かな)
今回の旅で出会った中で、一番世話になったのはコレッタに違いない。だが、一番世話を焼いたのも彼女に違いなかった。コレッタはかなり曲者だが医療に関する腕は確か。見本を見せるなどと言って、自分の足を傷つけた時には神経を疑ったが、その後見せた縫合の技術は素晴らしかった。
(危ないことしてなければいいんだけど)
シャロンについて修行をしていなければ、コレッタの元で医学を学びたいところであったが、サニアに世話になっている以上それは憚られた。
「マリーさ〜ん」
背後から間の抜けた声が聞こえて、ルディは振り返る。
「今度おれと、海町に行きませんかぁ〜」
酔ったオブゼがマリーに絡んでいた。
「わたし、忙しいので」
一言だけ残して切り捨てたマリーの背中に熱い視線を送るオブゼに、ルディは呆気にとられた。
「へぇ〜。そういうこと……」
気がつかないうちに、屋敷の方で事態が展開していたらしい。
(それに比べて、こっちは……)
シャロンが口に出して言った訳ではないが、ルディはサニアとの関係を疑っている。サーズの店で “想いを告げられない” と女店主に言われていたその相手は、サニアなのではないか、と。
シャロンの恋愛については、師弟の関係からして口を出し辛いし、そもそもその事については触れてはいけないと、ルディはどこかで察していた。
「……どうなってるかな」
ぼそり、と呟いたのは、最近忘れがちであった『金の瞳に願う』のストーリー展開について。今、彼女は14になった。ヒーローであるライアンは12歳に。ヒロインのソフィーは11歳。そして、リアムは17になる。話が始まるまで、まだあと5年間は猶予がある。どうやって自分を話の舞台に食い込ませていくか、ルディは考えなくてはならない。
しかし、彼女にだって日常がある。それを捨ててまで、彼らの恋路を変えようとする必要があるのか。ルディは板挟みにあった。
転生するに当たって、女神(?)にこの世界を提案された際、決め手になったのは確かにリアムという存在だった。前世では二次元でしかなく、決して触れることのできなかった存在が、今は同じ世界にいるのである。それは会いたいに決まっている。そして出来ることならば、リアムの失恋を回避させたい。
だが、南領での生活はどうなる? まず、自分はいつまでここに居させてもらえるのかわからない。シャロンを師と仰ぎ、修行をしてはいるものの、目指すところも定かではなかった。
(とりあえず、彼らがどうしているか情報だけ調べておこう)
ルディは現状把握を優先した。個人の詳しい行動まではわからないが、王子や姫さまの成長については簡単に知れる。
ライアンは最近剣術の鍛錬に精を出しているらしい。なんでも中央領騎士団団長が直々に教鞭をとっているそうだ。『金の瞳に願う』では、華麗な剣さばきを披露している。才能があるのは確実だった。
ソフィーのほうは、森に囲まれた西領の城で毎日自然に囲まれ、心優しい少女に成長しているそうだ。ふわふわとした桃色の髪に緑色の瞳をし、11歳ながらその将来が期待されたお姫様である。その性格は見た目とは少しギャップのある楽観主義で、自分の恋愛関係については無自覚と男心をくすぐるもので、彼女に惹かれないものは男ではないと、前世のルディは分析済み。この設定あってこそ成り立つ、三角関係なのだ。憎めないヒロインに、ルディも好感がある。彼女を悲しませないでリアムとくっつけるには、骨が折れそうだ。
リアムの情報については、安否の確認程度にしかわからなかったが、騎士として努力している時期だろう。
「ルディ。話がある」
部屋で現状把握をしていたところ、サニア本人がルディを呼びに来た。
きっと大切な話があるのだということは、彼女にはすぐにわかった。
サニアの後ろをついていき、彼の仕事部屋に通される。
そこにはシャロンもいた。
サニアが席に着くのを見てから、自分もその場に腰を下ろす。
「さっそく本題に入ると、ルディ。おまえ、東領にある医学校に編入しないか?」
「え!」
ルディは目を見張った。
そして、シャロンに目線を送る。
屯所破りの前に言っていたことを、本当に実行してくれたのだ。
「医学、学びたいんだろ? コレッタ殿のもとで学んだとはいえど、足りないところはあるだろ」
「師匠……」
「そんな顔で見るな。学校が終わったらまたあたしと修行なんだからな。あまり身体を鈍らすんじゃないよ」
言葉は尖っているものの、照れていることが丸わかりだ。
「是非、学校に行きたいです」
ルディはサニアに言った。
医者になれば、将来はある程度保証される。いままで彼らに世話になった分を、返すことができるだろう。
もちろん、そのためには医者になることが前提ではあるが。
教育費を出してもらうのだ。結果は出さなくてはならない。
「そう言うと思ってたぞ。実はもう、申請は出してある」
サニアはニカリと笑った。
「ルディの学力は家庭教師たちのお墨付きだ。編入試験の点でクラスが決まるが、そう緊張するなよ」
「編入試験?」
「ああ。1週間後には東領に受けに行くんだぞ」
「い、1週間?!」
なぜもっと早く言ってくれなかったのか、とルディは仰天する。
勉強をサボっているつもりはないが、試験となると話は別だ。
それも普通の学校ではなく、医学校だ。特殊すぎる。
「その学校の名前は? 試験の対策をしないと!」
「清陵医学校だ。ルディが見つけた応急処置法について、ヤンがまとめて発表しただろう? それに目をつけて、是非この子を編入させないかとヤンに話が来たんだ。東領トップの医学校だ。おれは誇らしい」
ふふんと鼻を鳴らすサニアだが、ルディは全く笑えない。
そんな凄い学校に編入など不安しかない。
「サニア」
上機嫌の彼に、シャロンの冷静な一声。
サニアはひとつ咳払いをすると、ルディに向き直った。
「そこで、ひとつ重要な話があるんだ」
ルディは何を言われるのかと身構える。
「学校は全寮制。つまりルディは屋敷を離れることになる」
「はい」
「そして、性別は女の子に戻るわけだ」
「ああ!」
彼女はそこで、自分が男として生活していたことを思い出した。
あまりにも型にはまっていたので、特に自分を男だ女だと区別することに無関心だった。
さすがに全寮制となると、性別は女の方が良いことはわかる。
「ああって、忘れてたのか? まぁ、いままで立派に男の子っぽく育ってきたからな。ちょっとは師匠と別れて、友達をつくるといい。……話が逸れたな。そこで、だ」
サニアは娘の将来に少しの不安を覚えながら、話を元に戻す。
「ルディのままだと、問題があってな。 “レシル・モーガン” と名乗って欲しいんだ」
(え———)
ルディは呼吸をするのも忘れて、固まる。
何も反応しない彼女に、サニアは慌てふためく。
「い、嫌だったか?! シャロンと一緒に考えて、女の子らしい名前を用意したつもりだったんだが」
「え、あ。いえ。名前が増えるとは思ってなかったので、驚いただけです」
言った言葉は嘘ではなかったが、驚いた原因は他にあった。
レシル・モーガン
『金の瞳に願う』で、中央領宮廷医師として登場する女性の名前である。
出番が少ないため、彼女のことについてルディは調べていなかった。
まさかこんな形で、その名前を耳にするとは思ってもみなかった。
(私が、レシル・モーガン? もし本に出てくる彼女が私なら、私は中央領宮廷医師になるってこと?)
ぶるりと身体を震わせ、ルディはあたりを見回す。
「どうかしたか?」
「いえ。名前、気に入りました。ありがとうございます。編入試験に向けて、さっそく勉強しますね」
誰かの手の上で転がされているような、奇妙な感覚にとらわれたルディは、その場を立ち去った。
自分の部屋に戻っても、全く勉強が手につかず、ルディはベッドの上で悶々と自分について考えた。
「いや。待てよ。これはきっと女神様が与えてくれたチャンスなんだ」
突然起き上がったかと思うと、彼女は自分に言い聞かせ始める。
「なんとしてでも学校に入らないと。医者になって中央領に雇われて、給料はがっぽり。加えてリアムを拝める可能性は大。まさしく一石二鳥の大チャンス」
ルディは拳を握る。
「このチャンス、逃すわけにはいかない」
その瞳は、狩を行うもののソレだった。