ルディ、逞しく育つ
最初に訪れたハヲレの屯所から、南領を時計回りに攻略していったシャロンとルディ。
「ルディ。お前、今日何人?」
「13です」
「ハンッ。あたしは16だ」
「いいえ。14でしたよ、師匠」
「はぁ? 16だ。お前こそ、9人の間違いじゃないのか?」
「いや。俺は確実に13人倒しました」
二人が言い争う横では、勝負に負けた隊士たちがペナルティをこなしている。
今日ふたりは第1の海町〈ファーズ〉にある屯所にいた。
屯所巡りを始めて早2ヶ月。ルディはすくすく成長し、シャロンの隣で元気よく槍を振るうようになっている。
「まぁいい。そういうことにしといてやる。今日は立ち上がりながら槍を振るう型を、30回やっとけ」
「ハイ」
ルディは素早く行動に移り、腕立てやら腹筋やらをやっている隊士たちに混ざり、受け身からスムーズな流れで攻撃に戻るという練習をする。まるで誰かと対峙していると錯覚するその動きに、隊士たちは思わず動きを止めてルディに見入った。
ルディはシャロンに言われた分のメニューをこなすと、次は槍を短剣に持ち替えて同じように、受け身から反撃の練習をする。
体には程よく筋肉がついたが、柔軟性もあり、ルディの身のこなしは力強くも優雅であった。
「ルディ。来い」
途中でシャロンの声がかかり、ルディは切り上げて彼女の後につく。
「どちらへ?」
「海壁の向こうだ。見張りが怪しい影に気がついた」
怪しい影、とはつまりカイジンのことだ。奴らが出たと言うことは、誰かが犠牲になった可能性が高い。
小走りで海壁の元まで行くと、ふたりは直ぐに中に通された。
壁に灯された火が、浜辺を照らす。
シャロンは自然体で、ルディはいつでも槍を振れるように構えをとっている。
黒い影が、水面を走った。
ザパンッ
ルディの前に、大口開けたカイジンか飛びかかる。どうやら小柄な彼女が先に狙われたようだ。
(釣ーれた!)
ルディは歯をくいしばると同時に口角を上げる。
カイジンの首に穂先が食い込み、肉を裂き、骨を割る感触がわかった。
べちゃ、と浜辺に落ちたのは二つに分かれたカイジン。
ルディは慣れた様子でそれを燃やす。
「あーあ。やっぱりそっちか」
残念そうにつぶやくシャロン。
だが、その次の瞬間に潜んでいたもう一体が浜に上がってきた。
「お、来た来た!」
師匠は待ってましたと、槍を振るう。
ストレスが溜まっているのだか八つ裂きにされたカイジンに、ルディは同情してしまう。
「師匠。やりすぎだと思います」
「悪い。つい、な」
なんて危ない人なんだ、とルディは内心思っているが、彼女は自分もカイジンを倒すときにかなり興奮していることに気がついていない。
「まぁ、まぁ。そんな顔するなって。ルディもカイジン狩りにはだいぶん慣れたみたいだな」
「それなりには」
五つの海町で、毎回カイジンの相手をしていれば、慣れてくるのも仕方ないことだろう。普通に生きていれば、カイジンとなんて出会うことなどなかった筈だ。
カイジンを燃やし終えると、ふたりは海壁を後にした。
「明日の出発は昼だ。それまで色々見てきな」
ルディはその言葉でパッと表情を明るくする。
「わかりました! ちょうど、寄りたいお店があったんです」
「へぇ?」
「東領の本を取り扱っている書店があって、薬学についての専門書が豊富だそうで!」
年相応にはしゃぐルディを見て、シャロンは我が子を見る目で話を聞く。普段大人びている分、こうやって興味があることを楽しそうに話す彼女は微笑ましい。
「そうか。待ち合わせは馬屋でいいな」
「はい」
次の日、ルディは目をつけていた本屋に早速向かった。
ずらりと本棚が並び、どこから手をつけようかと悩んでいたところ、店の主人である老女が出てくる。
「いらっしゃい」
「おはようございます。薬学に関する本は、どこにありますか?」
老女はゆったりとした足取りで、本棚の前に立つと、一冊の本を手に取る。
「これが一番詳しい。……あんた、北とどこかのハーフかい? 綺麗な目をしとる」
ルディは生まれて初めて自分の生まれについて問われ、戸惑った。
「俺は養子なので、生まれを知らなくて」
なんとか言葉を返すと、彼女は特に気をつかう事をせず話を続ける。
「そうかい。その瞳は北のほうでよく見る。あんたは濃い青をしているから、きっと高貴な人の娘だったんだろうね」
娘と言われてルディは表情を硬くする。この老女には、なんでも見透かされてしまうような感覚にとらわれた。
チクタクと時計の針が音を鳴らし、本屋には独特な空気が流れ始める。ルディは何故だか自分がいけないことをしている気分になり、今すぐその場から離れたくなった。
「あ、もうこんな時間。おばさん、その本はまた今度の機会にします」
ルディは笑顔を貼り付けて、店を出ようとするが、老女に引き止められる。
「持っていきな。お代はいらない。頑張るんだよ」
一体何について頑張れと言うのかルディにはわからなかったが、老女は人懐っこい笑みを浮かべて本を持たせるので、断ることも出来ずにそれを持ち帰る。
「どうした、浮かない顔して」
シャロンにそう訊かれても、ルディが本屋での会話を話すことはなかった。
*
海町に別れを告げ、ふたりは北上していく。巡回もあと三分の一といったところだ。
だいぶん馬に乗ることにも慣れ、最近ではシャロンよりルディの方が上手く乗りこなすようになっている。
「ディダ。どうした?」
ルディは自分の馬に声をかける。ディダは感覚が優れており、少しの異常にもすぐに気がつく。ゆっくりと森の中の小道を抜けていた時なのでルディは警戒した。
先頭を行くシャロンが、合図を送る。
(……山賊か)
馬を走らせて逃げ切りたいところだが、シャロンの合図はそういう意味ではない。
『やるぞ』
無言の宣告にルディは頭を抱えたくなったが、シャロンは南の戦姫だ。山賊を野放しにするようなことはしない。いや、できない。
そうこうしているうちに、十数人の男に囲まれた。もちろん、その手には武器が握られている。
「女!! 命が惜しければ、荷物置いてけ!」
シャロンは馬から降りる。無言で槍の穂先につけたカバーを取ると、男たちに一直線。
「命が惜しけりゃ、土下座しな!!」
「ハァ……」
思わずため息が漏れてしまうが、モタモタしていると自分の命が危ない。ルディも肚をくくってディダから降りる。
大抵の場合、シャロンが無双するのでルディの出番は少ないのだが、彼女が強すぎてルディが狙われる。
旅のはじめにも似たようなことがあったのだが、油断して人質になってしまったことがある。あの時のことは一生忘れないだろう。
人質になったルディに向かってシャロンが放ったのは、「避けろよー」という言葉と、そこら辺に落ちていた石。ルディの頭スレスレを通り過ぎたそれは、拘束してきた男の眼球めがけて一直線。
そのおかげでルディは逃げることができた訳だが、攻撃された男を振り返って見て、身の回りのもので簡単に人を殺せるであろう師匠に恐怖したのは仕方のないことだろう。
護身程度に敵を倒しながら、ルディは息を切らす。身体が小さいので、全身の力をうまく使わないと、大人を倒す程の攻撃力が出ないのだ。
その隣で、せっせと掃除しているシャロンは打って変わって生き生きしている。彼女の戦闘狂は今に始まったことではない。そろそろ慣れてきたルディは、敵を誘導してシャロンにパスするという技を身につけていた。
ボロボロになった16人が、木にくくりつけられる。ルディは馬で近くの屯所に応援を呼びにいき、一件は片付いた。
「腕」
シャロンに言われて、ルディは右腕が切れていることに気がつく。アドレナリンのせいか、痛みを感じていなかった。当たり前のように無傷なシャロンは、ルディの傷を手当てする。
「ありがとうございます」
「まだまだ、だな。あれくらいの奴らは無傷で倒せないと、鍛えてる奴に当たったら、こんな傷じゃ済まないぞ」
「……ハイ」
そんな敵に合わないことを、ルディは心の底から祈った。
*
「……」
ルディは無意識のうちに唇を噛んでいた。
敵は、武器を持った山賊だけではなかった。
目の前には、どう見ても格上の、たくましい男。
「こてんぱんに、やられてこーい」
背後からは、容赦のない師匠からの声援。
周りからは隊士たちが哀れみの視線を送っている。
「逃げるなら、今のうちだぞ」
彼は〈ムドリナ〉にある拠点所の隊長だ。
今まで相手をしてもらっていた隊士たちとは格が違う。だが、シャロンの弟子として、ルディは逃げる事は出来ない。
「お願いします」
ルディは一礼すると柔道の構えを取る。
この試合は、拳での戦いだった。
正直、この屈強な男には、自分の拳は軽すぎる。技をいなして、隙をつくしかない。
頭ではわかっていたが、現実は甘くなかった。
「カハッ」
「っ、ルディ! そこまで!」
隊長の蹴りが、もろに腹に入り、ルディは崩れ落ちる。シャロンも焦った様子ですぐに駆けつけた。
「悪い。そこまで強く入れたつもりはなかったんだが……」
隊長—ネイトもやり過ぎたと、シャロンに謝罪する。
シャロンはルディの腹部に手を当てて、様子を見た。
「肋やったな、これは」
「うちでみる。運ぼう」
ネイトの提案に、シャロンは即答できなかった。ルディはこれでも13の少女だ。男だけの空間に置おくのは気がひける。
シャロンはネイトに耳を貸せと、引き寄せる。
「この子は13の女だ。ここ以外に医療機関はないか?」
ネイトは目を見開いたかと思えば、シャロンに厳しい視線を送った。
「お前……」
何故俺と戦わせた。ネイトの顔にはそう書いてあった。彼は、ルディが大人びた雰囲気だったので、身体はまだ出来上がっていないが16くらいの少年だと思っていたのだ。どおりで、蹴りを入れた身体が柔らかいはずだ。
「わかってる。あたしが馬鹿だった」
目を伏せてそう呟いたシャロンは、ネイトが見にした中で一番弱々しかった。
「……町の西に、世話になってる医者がいる」
「わかった。……ルディ、ちょっと辛抱しな」
シャロンはルディの額に汗を浮かんだ汗を拭ってやる。
ルディは、その後すぐに医者の元まで運ばれた。
「んー、これは折れてるね! ポッキリ!」
嬉々としてルディの身体を触るのは、女医のコレッタ・ドナーズ。御察しの通り、変わっている。
「内臓の方は大丈夫みたい。よかったね〜!」
満面の笑みで話しかけられて、ルディは気分が滅入る。傷に響くので、静かにして欲しい。
「どのくらいで治る?」
「1ヶ月は絶対安静。そしたら、すぐ治るよ」
「……そうか」
シャロンは口元に手を置いて思考に耽る。
「ちょっといいか」
コレッタは頷き、シャロンと共に退室した。残されたルディは、静かになった部屋で目を瞑る。前世を含め久々の大怪我で、寝返りを打つことができない。
「えー、そうなの! いいですよ〜!」
扉の前で話していたらしく、コレッタの大きく高い声が聞こえてきた。しばらくして、ふたりは部屋に戻ってくる。
「ルディ。お前、2ヶ月ここに世話になれ」
「え、屯所破りのほうは?」
自分で訊きながら、ルディは薄々答えに気がついていた。
(置いていかれるのか)
シャロンのことだ。ルディに合わせて、診療所に居座ることはしないだろう。
「あたしは続ける。お前はその間、コレッタ殿から医学を学べ」
それを耳にした瞬間、ルディは瞠目した。
「あたしがただで休ませてやるとでも?」
「師匠……」
シャロンは戦闘狂といえど、ルディの師だ。ルディが薬学や医学に興味を持っていることをきちんと理解していた。ほぼ独学でそれを学ぶ弟子に、学べる環境を用意できればな、と前々から考えていた。
「いい機会だ。コレッタ殿に迷惑をかけない程度に、勉強しな」
「……いいんですか?」
「うん。いいよ〜。 最近平和ボケしてて、なんか新しいことないかなーって思ってたところだったの〜」
ルディはコレッタからシャロンに視線を移す。シャロンは無言で頷いた。
「お世話になります。コレッタさん」
腹が痛んだが、ルディはその場で頭を下げた。
シャロンは次の日には、屯所破りに戻った。ルディは怪我を治しながら、コレッタに医学を学ぶ。コレッタの教え方は独特で、実物を見せて教えてくれることが多かった。ルディが十分動けるようになった頃には、見習いとしてコレッタの仕事について回った。
もちろん、勉強だけでなく、身体を鍛えることも忘れなかった。シャロンと再会した時、以前より弱くなって幻滅されることは避けたかったのだ。
「コレッタさん、ご飯できましたよ」
「ありがとう! 今行く〜」
コレッタは全く自炊ができないので、ルディは世話になる代わりに、食事の準備を欠かさずした。
「美味しそ〜」
「今日は、鶏肉のトマト煮です」
「ルディー。わたしが養うから、ずっとうちに居て〜」
コレッタの胃袋を掴んだらしく、日に日に彼女が医者にならないかと勧誘してくるようになったが、それからシャロンの迎えはすぐだった。
「世話になった、コレッタ殿」
「いーえ!ルディってば、凄くいい子で、飲み込みも早いし、なんならずっと居てもらって平気ですよ〜」
「だとさ。残るか?」
軽い口調の師匠だが、まんざらでもない問いかけに、ルディは自分で意思を伝える。
「お誘いは嬉しいのですが、俺は師匠の弟子ですから」
コレッタは残念そうにしていたが、気が向いたらまた来てね、とだけ言って送り出してくれた。
「久しぶりに家に帰るぞ」
「はい」
「サニアがお前に会えなくて、そろそろ禁断症状が出そうらしいぞ」
「え」
4ヶ月ぶりの屋敷に、ルディは馬を走らせた。