◆古代の足跡
翌朝。
朝食を終え、レシィが支度を済ませて玄関前の廊下に着くと、キットとジェラルドが一足先にそこにはいた。二人とも普段着ではない。ジェラルドは重そうな鎧を身にまとい、キットはいつもよりもしっかりとした服装の上に、厚手のジャケットを着ていた。暑くないのかとレシィは思うが、本人は至って涼しい顔をしていた。
レシィもしっかりとした、動きやすい恰好をしていた。質素な空色のゆったりとしたワンピースの下に、青い厚手の麻のズボン。どちらもキットが買い与えたものだが、レシィの鮮やかな青髪によく似合っているものだった。
「遺跡の場所には、お前は行ったことなかったよな、レシィ?」
「うん」
「森の中なんだ。足場も悪いし街道よりもずっと魔物が出やすい」
そう言いながら、キットはレシィの恰好を上から下まで点検した。レシィは唇を尖らせて居心地悪そうに身体を揺らした。
「そんなことわかってるわよ……」
「はいはい。まぁ、それでいいだろ」
腰に手を当て、うんうんとキットは頷いた。了承を得たのでレシィがさっと表に出ようとすると、その手が掴まれた。
「待った」
「なに?」
「あと、これをお前にやる」
キットは掴んだレシィの手を引き寄せ、手のひらを返させた。その上にころんと何かが置かれた。レシィは目を瞬かせて、手のひらの上のそれを見た。
小さな宝石がついた指輪だった。ついている紫色の石は、アメジスト。作りは質素で、大した細工はないが、石のついている部分が蔦と葉を模した物になっていて、アメジストが小さな花のようにも見える。かすかな魔力の篭もったその指輪にレシィは目を丸めた。キットを見る。
キットは肩をすくめた。
「ちょっとした、お守りみたいなもんさ」
「お守り?」
「そ。多少魔力があるから、ちょっとした魔力増幅……マナブースターになる」
説明しながら、指輪を手のひらで持て余しているレシィの右手を取り、彼女の細い指に指輪を填めた。薬指では僅かに緩く、中指につけかえる。具合が良いのがわかると、キットは満足気に頷き、笑った。
「手作りだ」
「え!」
レシィは驚いて声を上げた。キットは得意げだ。ニヤリと笑みを深めた。
「ま。うちの道具で作っただけの手作りだからな。マナブースターといっても、お前のちんけな魔法に多少毛の生えたくらいの増幅量さ。全くもって戦闘向きじゃない。だから、お守りさ」
ニヤニヤと笑う男にレシィは頬を膨らました。
「なによ。いちいち嫌味言わなきゃ何も出来ないわけ?」
拗ねたそぶりは、照れを隠すにはちょうど良い。そんなことを思いながら、レシィはそっぽ向いた。
(うれしいな……)
「さて、そろそろ行くか。あ、そうだ。ジェラルド――」
キットの目がなくなったことを確認すると、レシィはちらりと右手を見た。中指で小さく光る指輪に思わず頬がゆるむ。宝石の効力や、ブースターとしての能力なんかはどうでもよかった。
(手作りかぁ。きれい。すてき。うれしいな)
「――そんなに嬉しいか?」
「ぅえ!?」
指輪に夢中になっていて、横で既にジェラルドと話を終えたキットがニヤニヤして見ていることに、レシィは気付かなかった。声をかけられ、レシィは顔を赤くした。そっぽを向いても、さっきと同じ拗ねた素振りは、どうみても照れ隠しになってしまった。
旅立ちの前に教会で女神リーンに祈りを捧げるために、レシィはジェラルドについて村の中央のこじんまりとした教会に足を向けた。キットはいない。彼が用がない限り教会に行かないことは、三ヶ月一緒に暮らしていればよくわかった。
だからといって、教会の人間を蔑んだり、信者を馬鹿にしたりはしない。意外にも――とレシィは思ってしまったわけだが――熱心なリーン信者のジェラルドを呆れたりしない。
一度、何故教会に行かないのかと聞いたことが、レシィにはあった。すると彼はいつも通りの飄々とした表情で肩をすくめて、こう言った。
「リーンが嫌いだからさ」
興味がないわけでも、信じていないわけでもなく、嫌いという表現にレシィは首を傾げた。
女神リーン。
この大陸は女神によって守られている。大陸に住む四種族――すなわち、人間、獣人、シーリル人、エンポスは皆『リーンの子』と呼ばれ、女神によって輪廻転生を繰り返す永遠の魂を与えられた。
また、かつて『前時代』と呼ばれる時代においては、人が人を殺すことがまかり通っていた。恐ろしい時代だ。しかし、それも女神の御業により、人が人を殺さない世界が作られ、癒しの力も人々に備わった。
荒廃して人の住む場所でなくなった『前時代』の大陸に光をもたらした女神。闇の『前時代』を光の『リーン時代』に変えた大陸の守り神。癒しと罰と輪廻転生の御業。希望の御名。美しき女神。
レシィ自身は女神リーンに好き嫌いの感情はない。ただ自分たち大陸の人々をどこからともなく守ってくれている存在として、畏敬の念は持っている。確かにある癒しの力と裁きの力が自分たちを律してくれているような気がするからだ。
疑問に思っても、では何故嫌いなのかとは聞けなかった。聞いてはいけないような気がしたからだ。
「ねぇ、ジェラルド」
「どうした」
振り返りはしないものの、以前よりずっと柔らかに返事をしてくれるようになった獣人にレシィは微笑んだ。会った頃に比べれば生理的恐怖間も気にならなくなってきた。慣れるものなのだとレシィは初めて知った。
「なんで、キットはリーンが嫌いなのかな」
「本人に聞け」
相変わらず答えはぶっきらぼうだった。レシィは少しむくれた。それでもたまには色々返事をしてくれるようになったのだから、親しくはなっているのだろう。それに、さっきの質問は確かにそう答えれられても仕方ないものだった。
教会の扉をジェラルドは軽く押した。軋む音。僅かにほこりっぽい空気。色とりどりのステンドグラスから漏れる朝の光にレシィは目を細めた。
「おはようございます、ジェラルドさん。それに……レシィさん」
中にいたシスターと、教壇の上で背筋を伸ばして立つ教師が――どちらも優しそうな風貌の中年だ――同じように柔らかくお辞儀をした。レシィとジェラルドもゆっくり会釈をした。
「お祈りですか?」
いつもとは違う出で立ちで、通常の礼拝とは関係なく訪れた彼らに教師は微笑んで、女神の像を手で指し示した。ジェラルドはひとつ静かに頷き、女神の像の前まで歩んだ。悠然と膝を付き、女神像を一度見上げると、ジェラルドは頭を垂れた。
振りではなく心から祈る姿に、レシィはいつも何故か圧倒される。似合わないと最初は思ってた。レシィは早歩きでジェラルドの横まで行き、両膝を付き、祈りの姿勢を取った。
「命の女神リーンよ。願わくば、母なる御名を讃えさせたまえ。大地を光で覆いし時のように、この者たちに女神の祝福を」
教師の穏やかな声がレシィたちの頭上から降りかかった。
なにを祈ろうか。祈りたいことは沢山あった。しかし、ありすぎて何を祈っていいのか、レシィはわからなくなった。辛うじて絞り出せたのは、女神様どうか……という小さな心の呼び掛けだけだった。
教会を出ると、キットがジャケットのポケットに手を突っ込み、ぼんやり空を見上げていた。優しい、遠くを見る目だ。戻ってきたレシィたちに気付き、顔をそちらに向けた。
(……なんでそんな顔してるの? 私たちが女神に祈ったから?)
レシィたちはすぐ近くまで来ているのに、キットは遠い目をしたままだった。その表情にレシィは困惑した。しかし、きっと口を開けば、すぐにいつものキットに戻るのだ。立ち止まってしまったレシィをジェラルドは追い抜かし、キットと並んだ。
「待たせたな」
「そんなにでもないさ。……ほら、レシィ。なにしてんだ。早く行こうぜ」
ジェラルドの横で笑うキットはいつも通りだ。レシィは頷いて、二人の元に駆けた。