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袖振り合うも他生の縁  作者: 雨天然
袖振り合うも他生の縁
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◆古代の足跡

◆◇◆◇◆◇◆


 意識は沸沸と下から沸き上がるように浮かんできた。気付けば、私は『私』ではなくなっていた。詳しくは自分でもよくわからない。ただ、異常事態であることだけは理解出来た。

 言いたい言葉も上手く発することが出来ずに、私はただ泣いていた。母はよく泣く子だと思ったらしい。あまりにも泣くので、ほとほと困り果てていたのを私は知っている。私は、どうしていいかわからず泣いていた。わけのわからない事態になっている事への八つ当たりもあったのかもしれない。

 たどたどしいが言葉を使えるようになれば、両親は私の言葉覚えの良さに拍手したものだ。しかし、それも束の間。次第に私が気味の悪いことを言っている、と言うようになった。


「おねがい、おねがい! わたしのはなしをきいて! これはわたしじゃないんです!」


 この両親にどれだけ訴えても仕方ないこととわかっていたが、それでも私はわかってもらえるように訴えるしかなかった。今思えば、やはり私は子供だったのだ。このやり方は、両親を余計に遠ざけるだけだった。手に余る子供を、次第に化け物のようだと思うようになり、私は苦しんだ。それがやはり表に出ると、今度は両親が不仲になり、とうとう母は父の叔父の持病――父の叔父は知遅れが酷かったのだ――を持ち出して、父の家系を呪われた家と罵って、家から出て言ってしまった。


「ごめんなさい、ごめんなさい、わたしのせいですよね」


 私は謝罪したが、父は私に一瞥をくれるだけだった。その目がひどい拒絶を含んだ冷ややかな目だったのを今でもよく覚えている。

 父は私を恨んだのだ。当然だ。私は、私を恨む父に腹を立てた。当然だ。

 私たちの心の中には苛立ちが多く、互いに制御出来ないくらい怒りに苦しむしかなかったのだ。


「もうしにたい」

「それは俺の台詞だ」


 それを聞いて、私は喉からすべてを吐き出すように叫んだ。


「わたしはおまえなんかよりもずっとずっとくるしんだ!」


◆◇◆◇◆◇◆



「――パパッ!」


 悲鳴のような声を漏らし、レシィは不意に目を覚ました。

 息が荒い。背中と手のひらは汗でぐっしょりしていた。レシィは身を起こし、きょろきょろと辺りを見渡した。

 ここはどこなのだろう。未だ夢と現の区別が付かない頭と胸を、落ち着けるように深呼吸を繰り返す。次第に意識がはっきりしてきた。

 真っ暗だが、ここがキットにあてがわれた三階の自室、その寝台の上だ。わかると、レシィは長いため息をついた。汗で湿る手をシーツで拭い、掌を小さくかざす。すると、その手に小さな小さな明かりが灯った。魔法だ。

 ざっと見渡したところ、寝る前と何も変わらない部屋にレシィはほっとした。

 夢を見ていた気がする。内容は覚えていない。ただ、あまり良い夢ではなかったのだろう。すぐには寝付けそうにない身体に、レシィはついていないと呟いた。

 しばらく寝返りを打って寝ようと試みたが、やはり眠気はやってこなかった。

 諦めてベッドから抜け出て、明かりと共にそろりそろりとレシィは階下に降りた。キットとジェラルドの部屋の前を静かに通り、サイの部屋の前で止まる。

 彼女の部屋は、一週間前と変わらず、誰の気配もしなかった。

 今日もサイは帰らずに遺跡の調査をしている。レシィは申し訳なさで立ち尽くした。

 里で祖父母たちから了承を貰い、旅を終えて帰ってくると、サイはすでに遺跡の場所を突き止めていた。帰ってきてから聞いた話ではあるが、キットたちが旅だったあとすぐに、サイは遺跡の場所を特定したそうだ。それも運の良いことに、遺跡がオーネ地方にあったからだ。

 レシィたちが帰ってきた頃には、サイは毎日のようにそこに通い、遺跡の入り口である台座を前に侵入式の解析をしていた。レシィはあまりの速さに感動をしたが、キットとジェラルドは首を傾げていた。

 サイの侵入式の解析能力は、彼女の遺跡探査能力に比べると幾分かレベルは下がるが、それでも並の解析能力を遙かに凌いでいるのだ。もう何日も解析をし続け、それでも尚、解析が上手くいっていない様子というのは滅多にない。彼女を知る二人がそうレシィに話したのは一ヶ月以上も前の話だ。

 それからまた長い時間が経ったと言うのに、解析が終わる気配はない。一ヶ月前は、一応二、三日かに一度は帰ってきてたが、今はキットたちが連れ帰らなければ戻ってこない。

 戻ってきても、身体を清め、食事を取り、あとは自室に篭もって作業をしているばかりだった。表情は始終虚ろで、レシィと顔を合わせると、一瞬だけ目がレシィを捉えて申し訳なさそうに眉を寄せるが、また次の瞬間には考えごとに没頭していた。キットたちから話を聞かずとも、レシィにもあまり上手く行っていないことがわかった。

 レシィは来たときのように、静かにサイの部屋の前から離れた。喉が渇いた。カップさえあれば、自分で水は出せる。レシィはそろりそろりと、食堂のある一階に降りていった。


(パパを早く見つけてもらいたい反面、サイ先生にも無理してもらいたくない……探しているのは私なのに。せめて何か手伝えたら)


 作り出した魔法の明かりはもう消えかかっていた。レシィは己の無力さにため息を吐いた。


(こんな小さな明かり一つ、ちょっとの時間しか灯していられないなんて……)


「――眠れないのか?」


 不意にかかった声にレシィはびくっと身体を震わせた。食堂の扉の影から、人影が現れた。心臓がどきんと跳ねたが、すぐにそれが家主のキットであるとわかり、レシィは盛大にため息を吐いた。


「驚かさないでよ」

「悪かったな」

「喉乾いたから、カップ借りに来たの」


 驚いたことを隠しながら、レシィは何食わぬ顔でキットを通り越して、食堂に入った。

 どうやら、キットは食堂で独り酒をしていたようだった。食堂のテーブルには、レシィの魔灯ほどの明かりの火と、グラスが一つ置いてあった。

 強い酒なのだろう。直接嗅いだわけでもないのに、酒の匂いがレシィの鼻についた。酒を飲んだことは勿論、家の誰一人として酒を嗜むことのない環境にいたため、レシィはその僅かな酒気にくらりとした。

 キットが戸棚から出したカップ――それはこの数ヶ月間の間にレシィ用になっているウサギの絵が小さく描かれたものだった――を受け取ると、レシィは彼が座っていたであろう席の向かいの席に座った。キットは首を傾げた。


「ここで飲んでくのか?」

「うん」


 レシィは曖昧に頷くと、意識を集中させ、カップを水で満たした。ほどよく冷えている。レシィは水に口をつけた。


(……だって、キット寂しそうだもん)


 戸棚を閉め、キットはレシィの向かいの席に腰を下ろし、同じようにグラスに口を付けた。レシィが見ているのも一切気にせず、ぼんやりと壁を見て、ちびりちびりと酒を味わっていた。その遠くを見るような目が、レシィには寂しそうに見えて仕方なかった。


「……キット、眠れなかったの?」

「別に」


 珍しく口数の少ない、ぶっきらぼうな物言いにレシィはしゅんとした。キットは溜め息を吐き、いつものようにニヤリとした笑みを浮かべてレシィをみた。


「喉が渇いたから酒を飲みに来ただけさ」

「そっか」


 レシィは直感的に嘘だと思った。しかし、言わなかった。思ったことを隠すようにカップに口を付け、水を少しずつ飲んだ。レシィがキットを見ることをやめると、キットは再びそっぽを向き、酒を飲み始めた。

 こういう様子のキットを見るのは、一緒に過ごして三ヶ月間、レシィは見たことがなかった。いつも一緒にいる彼は、おちゃらけていて、自分をすぐからかい、それでいて色々なことによく気がついてくれる頼れる人だ、レシィはそう思っていた。

 とにかく居心地の良い三ヶ月間だった。里の家にいるよりもずっと気分が良かった。別段、客扱いされたわけではない。

 むしろ、キットはレシィに出来ることは何でも手伝わさせた。彼女がわからなければ、教えながら一緒にやった。魚の釣り方を覚えた。畑の手入れの仕方も覚えた。馬の世話の仕方も教えてもらった。キットの店――子供用の玩具を扱う、こんな村ではあまり儲けのない道楽商売を彼はしていた――の手伝いや、売り物を一緒に作ったりもした。

 自分が何故この家に寝泊まりしているのか、忘れてしまう。そんなことがレシィには何度もあった。

 だからこそ、サイのこと、キットのことが気にかかった。

 しかし、レシィにはなんて言えばいいかわからなかった。ただ困ったように、テーブルの木目に視線を這わせた。カップの中身は残ったまま、水を飲みに来たことも忘れていた。

 キットがグラスを、組んだ膝の上に乗せ、その縁をなぞりながらレシィの方を向いた。


「明日、ジェラルドも連れてサイを迎えにいこう。そろそろ休ませないとならない。それに、お前も気になってるだろ?」


 その言葉にレシィはハッと顔を上げた。そこには口端を上げて、いつものように不敵に笑うキットがいた。


(本当に……いっつも、そう)


 不安になったとき、かけて欲しい言葉を、態度を示してくれる。安心をくれる。レシィは胸が熱くなるのを感じた。キットはより笑みを深め、意地悪い表情を浮かべた。


「だから、ガキはさっさと寝ろ」


 感動と安堵で胸がいっぱいだったはずだが、彼の馬鹿にした物言いと、虫を払うように手を振る動作に、レシィは立腹した。


「な、なによその言い種! あったまきた! 私はどっかの誰かさんが寝れなくて可哀想だなーって思ったからここにいたのに!」

「眠れなかったのはどっちだよ。どうせ怖い夢でも見て飛び起きたんだろ」

「そ、そんなことないわよ!」

「ほっほー」

「なによ、そのムカつく笑い方!」

「いやぁ、べっつにぃ」

「腹立つ! もういい! おやすみ!」

「はいはい、おやすみ」


 レシィは音を立てて席を立つと、カップを持って食堂を出た。

 行きのように足音を忍ばせ忘れたことに気付いたのは、自室に着いてからだった。

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