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袖振り合うも他生の縁  作者: 雨天然
血分け合うも他生の縁
59/61

◆ トゥーン遺跡

 小鳥のさえずりが聞こえた。

 キットはむくりと身体を起こした。カーテンから僅かに漏れる朝日は、まだ昇りたてと言った様子で、大分早起きしてしまったことに気付いた。伸びをする。

 もうエイダではないと言うのに、昔の癖が抜けない。

 横の寝台でまだ寝ているサイとジェラルドを起こさないように静かに寝台から下りる。

 足音を忍ばせ、客室についている洗面所へ向かう。

 トゥーンは水に恵まれている。普通なら川や井戸、時には雨水を利用して風呂や洗面など日常使う水を汲んでおくもの――勿論、そんな地道なことしなくても魔法の使える者はマナを水に変えて利用しているが――だが、トゥーンはそんなことをしなくても遺跡のおかげでどこでも水が引けるようになっている。路上にも利用したい者がいつでも利用出来るように水が出る場所もある。それ故に洗面や風呂に関してトゥーンは何処よりも進んでいた。

 洗面台についた蛇の頭のような取っ手にキットがさっと触れると、そこから水が出てきた。ばしゃばしゃと流水で顔を洗い、また取っ手にさっと触れる。すると水が止まった。実に贅沢な使い方だ。特に節水する必要もない。

 この蛇の頭は獣人でさえも持てるくらいの微量なマナを感知し、触れられた瞬間に地下の古代遺跡から水を持ってくる。この蛇の頭は遺物を元に作った魔法道具だった。水は地下の古代遺跡から無限に湧く産物だが、この魔法道具は皆トゥーンの職人たちによって作られた。

 オーネにもこれほど便利なものがあったら。そんなことを考えながらキットは質の良い吸水性のある手ぬぐいで顔を拭いた。

 服も着替え、寝室に戻ると仲間はまだ寝ていた。今日はよく寝ている。休めるときなので問題ないだろう。むしろこういうゆっくり休めるときこそ沢山休んでおくべきなのだ。

 キットは部屋から出た。

 廊下はもう既に使用人たちが動き回っていた。たまたま昨日、玄関ホールで出迎えてくれたメイドもいた。メイドが深々と頭を下げる。キットは会釈をする。

 どうやら、キットに用があった――朝食の事を聞きに来た――ようだった。

 昨晩のように大人数で食べる事は避けたかったので、もう少ししたら三人で部屋で取りたいと思っていると伝えた。

 命令するのは慣れていたが、どうも今の自分ですると滑稽だ。しかし、だからといってメイドにへこへこするのは前当主の客人として問題がある。キットは沸いてきた違和感を押し隠しながら昔のように指示をした。

 メイドたちが立ち去るのを見てから、キットは屋敷をすこし歩き回った。少し庭を散策するのもいいかもしれない。

 中庭の庭園は、エイダの頃に見たものとそう変わりなく、よく手入れされていた。自分の目を覚ました小鳥も庭園を楽しんでいるようだった。さえずりと朝の風が心地よい。生前は……というのはとてもおかしな話だが、エイダとしてここに生きていた頃は、よくこの庭園で朝の空気を吸ったものだ。

 目を閉じてあの頃のように身体いっぱいにそれを感じていると、人がいたことにも気付きキットはハッとした。ちっとも気付かなかったが先客がいたようだった。

 見ればセオドアが庭園から屋敷を見ていた。

 鋭利な印象の強かったはずの男の顔は、どこか緩んでいて呆けているとも言える表情だった。視線の先の部屋は、誰の部屋だろうか。今誰がどこの部屋にいるかわからないキットはセオドアの視線が何を物語っているのかわからなかった。しかし、――。


(……私だって)


 セオドアの感情が流れてきた。そよ風のようにふわりとした思念波だったが、思いが強いのか特に耳を澄ませていなかったキットの元へ届いてしまった。


「……セオドア」


 思わず漏れるキットの声。セオドアは目を見開き我に返り、声の主を見る。そして徐々にその穏やかだった顔が険しいものになっていった。突き刺すような視線がキットに向かってきた。

 キットも引きつるしかない。愛想よくしようとも、あからさまな嫌悪に乾いた笑いしか出ない。


「おはよう、セオドア」

「おはようございます」


 礼儀として丁寧な挨拶をしているだけで、態度は不遜だ。と言っても、それはある意味それはキットも同じなので気にしないが。


「何を見ていたんだ?」

「貴様には関係ない」


 挨拶で終わらせるわけにはいかないからと会話をしようとすれば、ぴしゃりと拒否された。セオドアはぷいとキットから顔を背け、再び屋敷のどこかの部屋を見つめた。キットはため息を吐き、セオドアの横に並んでそこを眺めた。

 セオドアの全身から苛立ちが立ち上った。見なくてもわかるほどの射るような視線をキットは感じた。


「何か御用ですかな?」

「いや、別に。何を見てるのかと思って」

「ちっ……関係ないと言っただろうが」


 盛大に舌打ちをし、セオドアは踵を返した。

 ちょうどその時、件の部屋のカーテンが開かれた。あっと声を漏らす。釣られてセオドアも振り返った。

 カーテンが開かれた窓からは、部屋の住人――クライブが手を振っていた。彼は弟の部屋を見ていたようだった。


「クライブの部屋なんて見てたのか、お前」

「黙れ、関係ないと言っているだろう」


 クライブが窓から離れたのを見ながらキットは口元を緩めた。


「お前は昔からクライブを気にかけていたな、そういえば」

「黙れ、何様のつもりだ」


 言う言葉すべてが気に食わないのだろう。今更、祖母だったことを盾に何か言われるだけでセオドアの苛立ちは増すばかりだった。

 キットもそれを知っているが、気にしなかった。


「ほっといて世話係に任せればいいのに、勉強の合間縫ってクライブの世話をしに行ってぼろぼろになって、くたくたでまた勉強して、アランの仕事手伝って――」

「黙れと言っている!」


 セオドアは声を荒げ、言葉を遮った。流石にこうなるとキットも黙るしかない。セオドアが怒鳴るというのは、本当に珍しいことなのだ。彼は静かに怒る。こうやって感情を剥き出しにはしない。してしまうのは、クライブとそしてキットと対面するときだけだった。

 セオドアは黙った客人を一瞥すると、何も言わないで背を向けて庭園から出ようとした。キットは懲りずに声をかけた。


「なんで結婚しないんだ?」


 再びセオドアの足が止まった。振り返ることはなかった。キットは言葉を続けた。


「お前は長男として誰よりもグレンフェルやアランのことを考えていた。そのお前が何故結婚しない。子を成さない。グレンフェルの為にも、アランの為にも必要なことだ。そのくせクライブの見合いは自ら手配して。何故?」


 キットの問いに、セオドアはすぐに答えなかった。背を向けたまま、黙っていた。


(……黙れ、関係ない。乱されるな、この男には何ら一切関係ない)


 そんな強い思念がキットに届くや否や、セオドアは肩を震わせて笑った。


「客人がわざわざグレンフェル家の結婚の心配をしてくださるとは、痛み入ります」

「セオドア……」

「残念ながら良縁に恵まれなかったもので、もし何か良い縁がございましたら教えてください。オーネの田舎娘じゃなければ、考えておいてやってもいいですよ」


 そう言って肩越しに皮肉と嘲りと含んだ冷笑を見せ、セオドアはそのまま庭園を出て行った。キットはこれ以上声をかけるのも憚れ、黙って彼の背中を見送った。

 立ち尽くしていると、後ろから足音が聞こえてきた。振り返る。するとそこには先ほど部屋にいたはずのクライブが歩いてきていた。キットは驚いた。


「お前、いつの間に」

「おはよ、ばーちゃん」

「あ、うん。おはよう……じゃなくて」

「廊下出て、勝手口行こうと思ったけど、途中で面倒くさくなって」


 クライブは笑って窓を指差した。先ほどまで閉まっていた二階の窓が一つ開けっ放しになっていた。


「飛び降りた」

「ばっ……馬鹿! 何やってんだ!」

「飛び降り?」

「聞いているじゃない! 何馬鹿やってんだ!」

「二階だから大丈夫だって」

「二階でも怪我することだってあるんだバカたれ!」

「ばーちゃんおもしれー」


 けらけら笑うクライブ。

 キットはがっくり肩を落とした。この男と話すのは本当に疲れる。朝食も食べてない寝起きの体力で構う気にもなれなかった。

 知らんと言いたげに手を振ってキットは庭園を眺めるのを再開した。

 クライブから声がかかる。


「ばーちゃんもすごいこと聞くよな、兄ちゃんにさ。結婚しないのかなんて」


 いつも通りの穏やかで、のんびりとした口調だった。しかし、射るような鋭さを帯びていた。キットはクライブを見る。


「聞いていたのか」

「うん。だから兄ちゃんいなくなるまで飛び降りられなかった」

「…………」

「兄ちゃんは多分結婚しないし、したとしても子どもを作ろうとしないよ。それに賛成する女性じゃないときっと結婚できない。ブレンダ姉ちゃんも、きっとね」


 無作法で嵐のような男が、洗練された、そよ風のような静かな動きで花を撫でる。意外な――意外にも様になっていた――動作と言葉にキットは眉をひそめた。


「どういうことだ?」

「セオドア兄ちゃんもブレンダ姉ちゃんも、グレンフェルのことを考えすぎってことだよ、ばーちゃん」


 大きな口を開けて笑うはずのクライブの口が、寂しげな弧を描いた。柄にもない笑い方だ。

 しかし、それはすぐに霧散する。パッと花から手を離し、いつも通りの粗暴さで伸びをする。キットは黙ってそれを見ていた。


「馬鹿な話だよ。兄ちゃんは自分の身体の弱さと俺の身体の強さを比べて、どっちが子孫を残した方がグレンフェルにとっていいかなんて考えてんだよ」

「なに?」

「俺に嫉妬しながら、それでもグレンフェルのためにって。歯を食いしばって頑張ってんだ。頑張る方向は馬鹿だけどな、良い歳こいて」


 軽口を叩くような声音でクライブは話すが、どことなく寂しさが入り混じっていた。


「馬鹿だよなぁ。兄ちゃんの子だって、その子が仮に身体弱くったって、グレンフェルの子孫なのに」


 クライブは庭園から三階の一室の窓を見上げた。誰の部屋だなんて聞かなくても、キットにはすぐにわかった。


「馬鹿だなんて怒ることも出来ないんだ、俺は。兄ちゃん、俺に対してすごく嫉妬しているから、そういう注意したくない。きっと悔しさで憤死すんじゃないかな、くそ真面目だし」


 冗談めかして言うが、やはりその顔は真剣だった。

 キットはそんなクライブの横に並んで、同じように屋敷を見上げた。


「それならクライブ。お前は兄の心を汲んで結婚してやらないのか?」


 キットは感情を移さないようにのっぺりとした顔で三階の一室を見たままクライブに投げかけた。

 クライブの口元がにぃと釣りあがった。


「冗談だろ、ばーちゃん。兄ちゃんが勝手にそう思って俺に押し付けてる正義を、なんで俺が汲んでやらなきゃならないんだ? 俺は兄ちゃんの子ならどんな子だって立派にグレンフェルの当主になれるって信じてるし、足りない部分は、今の俺達みたいに兄弟で補えばいいって思ってるんだぜ。兄ちゃんの勝手で俺は結婚しない。俺の勝手で結婚も決めるさ。結婚や子どもってのは親を安心させるためや兄貴のために『作る』もんじゃないはずだ」


 その笑みは自信満ち溢れたものだった。セオドアが見れば、眩し過ぎて嫉妬を覚え、より彼の『正義』を加速させただろう。キットは目を細めて、その横顔を見つめた。

 クライブの強靭な肉体、剛直な精神。これに落ち着きや礼節を揃えれば、まず間違いなくヘルガ・グレンフェル……すなわち理想の当主だろう。妻だったエイダ、キットは強くそう感じた。ヘルガを見たことはないセオドアも、理想像としてそう感じているのだろう。

 それに比べて。

 確かにセオドアの身体は昔から病弱で、グレンフェル家の強靭な身体を確かに受け継いでいるとは言いがたい。またその劣等感から来る傷つきやすい繊細な精神も、セオドアの理想像からは正反対の位置にあると言える。持っているのは礼節と、真面目さ。慰めにもならないだろう。特に礼節さというのはいくらでも学べる、叩きこめる。身につけることが出来る。しかし、持って生まれてきたものは大抵は変わらない。どんな努力さえも変化にたどり着かないこともある。現実はそんなものだ。もし変われるとしたら劇的な出来事があったときだろう。だから人は努力で変えられるもので成長し、変われないものは多少の妥協と受容で自負し、自分の人生を歩むのだ。

 そもそも比べる理想が大きすぎる。キットは目を伏せた。

 ヘルガのような完璧な男――実際は、皆が語るほど完璧ではないが――でなくても、セオドア並の真面目さ、堅実さがあれば当主としては問題ないだろう。それを自分の子に引き継げばいい。彼だって別に度を越した病弱でも、薄弱な精神の持ち主でもない。むしろ、普通の一般人から見たら十分立派な体躯と心を持った男性だ。繊細な精神だって、彼の真面目な性格の一端を担っているだろう。何も全てが全て悪いわけではない。

 理想が大きすぎる。そして、その理想に最も近い弟がいる。ただそれだけなのだ。

 しかし、それはきっとセオドアにとっては大きな重荷で、クライブは影を作り出す大きな太陽なのだろう。あまりにも眩し過ぎて影も濃くなってしまう。それでいて、セオドアにとっては誇りあるグレンフェル家の希望の光なのだ。

 いないでほしい。まぶしすぎるし、影を作るから。しかし、グレンフェル家の血を最も美しく引いた弟。なければならない、かけがいのない弟。強い感情が入り混じれば毒となる。こうしてセオドアの正義が加速していく。

 キットは胸を痛めた。

 まだ片方の憶測入り混じる意見しか聞いてないが、意外にもクライブの方が冷静で正しい事を考えている。それ故に、セオドアの苦しみが聞こえてきそうでやるせない。また、それをクライブが理解して何も言わないでいるのも、セオドアには気の毒なことだった。

 クライブが、ただ逞しい身体と強い精神を持っただけの粗暴で無知な男だったら、セオドアは少しは救われただろうか。いや、無自覚な刃物でもっと傷つけられていただろうか。

 キットは内心で深い嘆息を漏らした。

 何も言うまい。これだけの情報で色々決め付けるわけにはいかないのだから。

 キットは皮肉げに口を曲げた。


「何が勝手で結婚するだ。相手がいないんだろ、可哀想なやつめ」


 軽く笑って言えば、クライブはへこんだように口をすぼめた。少し傷ついたらしい。


「ひでぇなぁ。俺結構モテるんだけど」

「知るか。だったらさっさと相手を見つけることだな」


 それだけ言ってキットはさっと身を翻して、庭園を後にした。

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