◆ 昔話と今話
部屋に戻るとアランは退席しており、テーブルの上は片付けられていた。
お開きなのだろう。
キットとジェラルドはサイの待つ部屋に帰ることにした。
部屋の扉の前に立つと、一人にしては騒がしい音が聞こえた。顔を見合わせ首を傾げ合うキットとジェラルド。聞こえてくる声から誰がそこにいるのかもわかるが、外にいても埒が明かないので部屋に入った。
「お、帰ってきた! おかえり、ばーちゃん」
「お邪魔してまーす、キットさん」
開けた途端、騒がしさの元凶がキット達を出迎えた。既に用意してあった渋い顔をキットは見せ付けた。
クライブとアニーだ。
良い歳しても若者のつもりのこの姉弟が客室に来ていたのだ。二人とも食事のときのような正装ではなく簡素な部屋着のようなものに着替え、平然と客室に入り浸り、サイと談笑していた。
「お前らなぁ……」
小言が出かけたキットをクライブが遮って笑った。
「硬いこと言うなよ、ばーちゃん? 久々なんだし良いじゃねぇか」
「そうそう。出来るだけ静かにするからさ。折角だし、遊びながらお話しましょうよ」
「まぁいいじゃないキット」
そう言って姉弟とサイがニヤリと笑って翳したのは、先ほどアランが出した酒よりも濃そうな酒が入った瓶だった。既に飲みだしているのはテーブルに置いてあるグラスや三人の顔を見れば明らかで、部屋にもその香りが漂っていた。
キットは額に手をやってため息を吐いた。
別に談笑や酒盛りは構わない。キットも嫌いではない。もう孫でないが、かつての自分の孫と酒が飲める事は嬉しいことだ。そうでなくとも、この二人は飲めば陽気な性格に拍車がかかりそうで、見ているこちらとしても大歓迎だ。
だが、しかし。それはあくまでこの状態以外での話だ。この状況はあまりにも非常識ではないのか。アランを思うとため息しか出ない。もう少し歳相応の、そしてグレンフェル家相応の行動は出来ないのだろうか。
特にアニーだ。キットは心中で呻いた。
昔の生を使うようでこういう注意はしたくない、とキット自身も思う。しかし、アランやヘルガ……また現当主セオドアを思えば注意せざるを得ない。それに例えグレンフェル家でなくても、非常識だ。
キットは腰に手を当ててアニーを見据える。すると、アニーはぎくりとひきつった笑顔を浮かべた。
「あ、あのキットさん……」
「グレンフェル家の女は、夜更けに客室で酒盛りするように躾けられたのか?」
キットはアニーを睨み据えた。彼のその低く怒ったような声にアニーは乾いた笑いを漏らした。流石にそう言われては恥を覚えなければならない。
傍から見れば、年下の青年に叱られている三十代の婦人という図だ。中々気まずいし、ばつ悪い。アニーは諦めて肩を落としてため息を吐いた。
「……いいえ、グレンフェル家の女はどんな時でも品格と誇りを抱いた気高い淑女であるべきだと教わり、決して夜更けに客室で酒盛りをし、札遊びを興じるような躾けは受けていませんよ……と」
「よろしい、部屋に戻りなさい」
小気味よく指を鳴らし、流れるようにその指で扉を指し示す。昔からエイダが孫たちを叱って部屋に戻らせるときに使った動作だった。姿こそは二十代前半の男だが今のその動きと言葉は高貴な生活をしていた貴婦人の頃そのままだった。サイが笑わないようにグッと堪えたのをキットは視界の端に捕えたが、気にしないようにした。
アニーは肩を竦めて扉から出て行った。捨て台詞に扉から顔を出し、「キットさんのケチ」と言うものだから、キットは再び腰に手を当てて彼女と対峙した。エイダと同じ行動にアニーはささっと扉の外に消えた。祖母を思い出したのだろう。こうやって悪い事をしたときにはよく叱られ、延々と説教されていた時の記憶を思い出し、あまり怒らせない方が良いことに気付いたのだ。
続いてキットは、まだソファーに座っているクライブに向き直った。
クライブは姉が追い出されたのにどこ吹く風だ。サイのグラスに酒がなくなったのを見て、とくとくと注いでいるくらいだった。
キットはため息と共に名前を呼んだ。
「クライブ。いい加減にしろ」
「いいじゃん。おばあちゃん久々なんだしさ」
へらっと邪気のない笑顔を向けられればキットも押し黙るしかない。ちょうどホセの死からしっかりしだした頃に接していたから、少々甘くしすぎたのだろうか。どういうわけか幼い頃のクライブは強く叱れなかった。キットは思い出し、ため息を吐いた。
ジェラルドとサイに助けを求めるように見るが、彼らは肩を竦めクライブから酒を注がれていた。
キットは大仰に天井を見上げて、再びため息を吐いた。その動作を見てクライブはくつくつ笑った。
「ばーちゃん、ほんとおばーちゃんだなぁ」
「うるさい。もうアランが哀れでならないぜ。お前もうさっさと結婚して、グレンフェル家として落ち着け。人として落ち着け」
「やだよ、結婚しないよ。兄ちゃんとかもまだなのに。というか、まず兄ちゃんが結婚すべきだよ」
クライブは、いつものような明るい声ではなく、何か哀愁篭ったような声で呟き、にやっと笑った。
「ばあちゃんもそう思うだろ?」
ウィンクを飛ばされ、誘うように酒瓶を振った。
キットは僅かに逡巡したが、いらんとぴしゃりと言い、空いたソファーに腰を下ろした。腕組までする。実は飲みたい。手持無沙汰では流れで元孫の前でグラスを手にとってしまいそうだ。ぐっと堪える。
キットの様子をクライブは苦笑交じりで見た。
「意地っ張りだなぁ、まったく。俺はただのクライブで、ばあちゃんはただのキットさんとして飲めばいいのに。美味しいんだぜ、こいつ」
「結構だ」
誘惑をぴしゃりと断ち切り、
「僕は確かにキットでもうグレンフェル家の女主人じゃないし、キットとして生きたいんだがな! しかし、やっぱりエイダ・グレンフェルでもあるんだ! グレンフェル家を思うと叱らずにはいられない。本当、いい加減にしろクライブ」
キットは大仰に呆れて見せた。
すると、クライブは目を丸くし、瞬かせた。そして次の瞬間、コロコロ変わる表情がふわっと柔らかいものになった。からかうような笑い方ではなく、実に嬉しそうな笑みだった。頬杖を付き、クライブはしみじみ語りだした。
「やっぱ俺、ばーちゃんのそういう開き直ったとこ好きだな」
「はぁ?」
今度はキットが目を丸くする番だった。叱っているのに何故こんなに嬉しそうな顔をされなければならない。思わず『耳』を澄ませた。
(そうやって今だ過去だなんてきっちり分けないとこがいいなぁ。理屈じゃない、こういうとこ。兄ちゃんは大嫌いだろうけどなぁ)
キットはあまりのむず痒さに顔を顰めてそっぽを向いた。
クライブは肩を竦めて、席を立ち上がった。
「んー、あんま俺もばあちゃんに怒られたくないし、これ以上いたら兄ちゃんや父さんにも怒られちまいそうだし、今日は戻るかなっと」
ぐぐっと伸びをし、クライブはそう言った。酒は贈り物としておいていくのか、片付けはしなかった。
サイは少々残念そうだ。
「もう少しお話聞けるかと思ったのに、残念だわ」
「俺もだよ、サイ先生! ドールってのの話も実は聞きたかったし」
「それは教えないわよ」
「はいはーい」
手をひらひらと振って、クライブはささっと客室から出て行った。渋った割には淡白な退室だ。
ふぅ。キットから安堵の息が漏れた。心なしか姿勢も崩れた。
「あ。そうだ」
一寸の間もなくクライブは部屋に戻ってきた。キットはびくっと肩を震わせ、姿勢を正した。その様子にジェラルドはくつくつと笑った。キットは顔を赤くした。
「なんだ!」
「何怒ってんだよ、ばーちゃん」
急に怒鳴りだしたキットにクライブはきょとんとした。しかし、それも束の間。持ち前の明るさでさっと話題を持ち出してきた。
「アニー姉ちゃんの事。ばーちゃんはエイダばーちゃんって立場で姉ちゃん怒ったけど、久々なんだしちょっとは一緒に話してやってくれよ。アニー姉ちゃんは誰よりもばーちゃんを誇りに思ってんだしさ」
クライブが歯を見せて笑って言った言葉にキットは戸惑った。
初耳の話だった。アランや本人からも、本人の『声』からも聞いたことはなかった。懐かれているとは思ったが、誰よりも誇りに思っているとは、聞き間違いかと思うくらいだった。
なんだって? ともう一度聞き直したかったが、その前に言葉を発したのはクライブだった。
「髪。気付かなかった? ばーちゃんと一緒。……んね?」
自分の頭を指差し、くるくると回した。結い上げた髪のことを表現しているのだろう。それだけ言ってまた手を振って扉の外へ出ていった。言葉を返す間もない。本当に風のような、いや台風のような男だ。
……などと思ったらまた入ってきた。
この落ち着きのなさには、流石にサイもジェラルドもつんのめりそうになった。
「なんだよお前一体!」
「言い忘れてたことがあったんだよ。ばーちゃんカリカリしすぎ」
「全部まとめて言え! 言えるようになれ!」
キットはなりふり構わず指差して怒鳴った。確かにその通りと自分でも思うところはあるのでクライブはぺろっと舌を出して誤魔化した。
「それで? 今度はなんだ。全部思い出して全部言ってそして部屋に戻りなさい」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はーい!」
びしっと指差してキットが注意をすれば、条件反射かクライブはぴしっと背筋を正した。
どこかで見たやりとりだ。
「グレンフェル家ってやっぱりキット色濃いわよね……」
「全くだ……」
サイとジェラルドがこそこそと囁き合う声がキットの耳にも入ったが無視した。
クライブはきりっとした顔を崩し、また笑った。本当に吹く風のように表情が変わり、そしてよく笑う男だ。
「明日、多分俺と遺跡に入るぜ」
「なに?」
再び耳を疑う話だ。これにはキットだけでなく、サイとジェラルドも反応を示した。サイに関しては腰を浮かせるくらいだ。
なんだって? ともう一度聞き直したかったが、その前に言葉を発したのは、やはりクライブだった。
「多分ね。そんじゃおやすみ!」
「あ、お前! くそ!」
呼び止めも虚しくクライブは一陣の風の如く去っていった。
恐らく何度呼び止めても無駄だろうと思いキットはため息を吐いて腰を上げ、扉を閉めた。開けっ放しで出て行ったのだ、クライブは。
面白い奴だが、話すだけで疲れる。
キットはだらしなく倒れるように寝台に横たわった。仰向けになって天井をぼんやり見ながら、背中でその寝台を堪能する。家の寝台よりもやわらかで弾力のある寝床が懐かしいような心地いいような。それと少しだけ背筋と腰骨が痛かった。枕に手を伸ばせば、かなり柔らかな感触が手を包んだ。思わず抱き寄せてしまう。ああ、気持ちいい。もふもふだ。キットは疲れた脳みそでそんな事を考えた。
「キットー?」
サイから声がかかる。キットは身体も起こさず枕を抱いたまま寝台の上を転がり、唸って返事をした。
「んー?」
「お酒飲まないの?」
酒。
その言葉にキットはぴょこんと体を起こした。テーブルを見れば、ジェラルドとサイはクライブが持ってきた酒を美味そうに味わっていた。よく見ればテーブルにはつまみの他に、カードも置いてあった。そういえばアニーは札遊びと言っていた。枚数や配置を見る限り、ポーカーの一種をやっていたようだ。それも誘っているのか、サイはひらひらとカードを揺らした。
キットは再び何度か寝台を転がり、扉を見たり、とにかく逡巡しまくり――。
「……飲む。やる」
端的に述べ、寝台から起き上がってテーブルについた。




